おめでとさん

机の引き出しの奥に、古い通帳が一冊、しまってあります。

表紙の角はすり切れて、もう何年も記帳していないその通帳を、僕は今でも捨てられずにいます。

これは、その通帳にまつわる、僕と両親の話です。

今から十二年ほど前、社会人になったばかりの頃のことを、思い出すたびに胸が痛みます。

父は昔から、無駄を嫌う、厳しい人でした。

おもちゃをねだっても、簡単には買ってくれませんでした。

お小遣いも、近所の子より少なかったように思います。

そんな父のことを、子どもの頃の僕は、ただ「けちな人だ」と思っていました。

今になって、その思い込みが、どれほど浅はかだったか分かります。

ただ、一度だけ、不思議なことがありました。

高校の修学旅行の朝、玄関に、新しい財布がそっと置いてあったのです。

中には、少し多めのお小遣いが入っていました。

誰も何も言いませんでしたが、父の字で「気をつけて」とだけメモが添えてありました。

あのときの父の照れたような顔を、僕はなぜか今もはっきり覚えています。

大学を出て、僕は地元の会社に就職しました。

当時の手取りは、十七万円ほどだったと思います。

実家から通っていたので、毎月、家に三万円を入れていました。

それでも生活には十分で、貯金も少しずつできていました。

ところがある日、父から「これからは家に五万円入れろ」と言われたのです。

僕は、正直、納得がいきませんでした。

たった三万円が五万円になるだけで、自由に使えるお金がぐっと減ってしまう。

その頃の父は、なぜか、お金のことにやけに厳しくなっていました。

電気をつけっぱなしにすれば小言を言われ、何かにつけて「別料金だ」と言われる。

そんな父に、僕は少しずつ嫌気がさしていました。

母にこっそり「お父さん、最近どうしたの」と聞いたこともあります。

母はただ、困ったように笑って、何も答えませんでした。

今思えば、母はあのとき、すべてを知っていたのでしょう。

知っていて、父の不器用なやり方を、黙って支えていたのです。

家の手伝いも、なぜか僕にばかり多く回ってきました。

兄や弟に比べて、明らかに負担が多いのが、若かった僕には不公平に思えました。

新入社員で、慣れない仕事に毎日くたくただったこともあります。

だから僕は、家を出る決心をしました。

一人暮らしをすれば、会社から月に四万円ほど住宅手当が出ることも分かっていました。

五万円を家に入れるくらいなら、その金を家賃に回したほうがいい。

四万円の手当を足せば、なんとか一人で暮らしていける計算でした。

何より、口うるさい父の顔を、毎日見なくて済む。

そう考えて、僕は半ば逃げるように、実家を出ていきました。

引っ越しの日のことは、今でもよく覚えています。

荷物を積んだ車に乗り込むとき、母は玄関先で、そっと目元をぬぐっていました。

父は、二階の窓から、腕を組んでこちらを見下ろしているだけでした。

「行ってきます」も「ありがとう」も言わず、僕は車を出しました。

バックミラーに映る実家が、どんどん小さくなっていったのを覚えています。

あのとき、ちゃんと振り返って手を振れなかったことを、今でも悔やんでいます。

一人暮らしは、思っていたよりずっと気楽でした。

誰にも文句を言われず、好きな時間に帰り、好きなものを食べる。

はじめのうちは、その自由が、たまらなく心地よかったのを覚えています。

けれど、その分、僕はだんだんと実家に寄りつかなくなりました。

正月もお盆も、適当な理由をつけては、顔を出さずに済ませました。

母から時々かかってくる電話も、「忙しいから」と短く切ってしまうことが増えました。

父とは、ほとんど口をきかなくなっていました。

あの家には、もう自分の居場所はないような気がしていたのです。

それでも母は、季節の変わり目になると、決まって荷物を送ってきました。

米や、缶詰や、僕の好きだった煮物が、いつも箱いっぱいに詰まっていました。

その箱の隅に、父が育てた野菜が入っていることもありました。

電話口の母の声も、年々、少しずつ細くなっていきました。

それでも母は、僕の体のことや、仕事のことばかりを気にかけていました。

自分たちのことは、何ひとつ言いませんでした。

僕はそれを、当たり前のように受け取って、ろくに礼も言いませんでした。

今思えば、ずいぶんと冷たい息子だったと思います。

父の還暦の誕生日にも、僕は仕事を理由に顔を出しませんでした。

後から母に、父が僕の好きだったすき焼きを用意して待っていた、と聞きました。

それでも僕は、「忙しいから仕方ない」と、自分に言い訳をしていました。

心のどこかで、まだあのお金のことを、根に持っていたのだと思います。

時は流れて、僕にも結婚の話が持ち上がりました。

長く付き合った彼女と、ようやく所帯を持つことになったのです。

結婚式の費用も、新居にかかるお金も、僕は自分の貯金から出すつもりでいました。

親には頼らない。

散々お金のことで揉めた手前、今さら援助してくれと頭を下げる気にはなれませんでした。

それは、若い僕なりの、ささやかな意地でもあったのだと思います。

両親に結婚の報告をしに行ったときも、僕はどこか身構えていました。

また、お金の話で何か言われるのではないか、と。

婚約者は、そんな僕の態度を、やわらかくたしなめました。

「一度くらい、ちゃんとご両親に甘えてみたら」

その言葉に背中を押されて、僕はようやく、実家の戸を叩く決心がついたのです。

久しぶりに帰った実家は、少しだけ古びて、小さく見えました。

母は嬉しそうに僕を迎え、父は相変わらず、むすっとした顔で座っていました。

ひととおり結婚の話をして、そろそろ帰ろうとしたときのことです。

父が、奥の部屋から、何かを持って戻ってきました。

そして、ぶっきらぼうに、それを僕の前に置きました。

一冊の、通帳でした。

「おめでとさん」

父は、たったそれだけ言って、目をそらしました。

何だろうと思って、僕はその通帳を開きました。

そこに記された残高を見て、僕は思わず、息が止まりました。

二百万円。

思わず、声が出ませんでした。

はじめは、何かの記帳ミスか、見間違いではないかと、何度も目をこすりました。

少しずつ、毎月、判で押したように同じ額が積み立てられていました。

その地道な数字の列が、何よりも雄弁に、僕に何かを語りかけてきました。

見覚えのある、その金額。

毎月の日付。

それは、僕が独身時代に、毎月欠かさず家に入れていた、あのお金そのものでした。

五万円にしろと言われ、あれほど腹を立てた、あのお金。

父も母も、それを一円も使わずに、ずっと貯めていてくれたのです。

通帳のページには、十二年分の日付が、几帳面に並んでいました。

毎月、判で押したように同じ日に、同じ金額が入金されている。

窓口で、父が一人、その手続きをしている姿を想像しました。

きっと、僕が知らないあいだ、何百回もそれを繰り返していたのでしょう。

僕が、いつか巣立つ日のために。

母が、隣でそっと教えてくれました。

「本当はね、お父さん、あんたから生活費なんてもらう気はなかったのよ」

「でも、ただであずかったら、あんたが甘えると思って」

「家にお金を入れる、っていう気持ちを、ちゃんと持ってほしかったんですって」

「だから、わざと厳しくしてたの」

その言葉を聞いて、僕はようやく、すべてが分かりました。

父が急にお金に厳しくなった、本当の理由。

五万円にしろと言った、あの言葉の裏にあったもの。

それは、けちでも、意地悪でもなかったのです。

不器用な父なりの、まっすぐすぎる愛情でした。

お金を受け取らないのではなく、受け取れない事情がそこにはあったのです。

父は、息子に楽をさせたくない一方で、その全部を、こっそり返そうとしていた。

厳しさと、やさしさ。

その二つが、あの五万円という言葉の中に、ずっと同居していたのです。

僕はそれに、十二年も気づけませんでした。

こんなもの、受け取れるはずがありませんでした。

だって、これは僕が出したお金ではなく、両親が僕のために積み上げてくれた、十二年分の想いです。

僕が冷たくしていたあいだも、二人はずっと、僕の門出を待っていてくれたのです。

通帳を握りしめたまま、僕は、子どものように泣いてしまいました。

あれほど避けていた実家の、畳のにおいの中で。

その畳のにおいは、子どもの頃から少しも変わっていませんでした。

変わってしまったのは、僕の心のほうだったのだと、思い知らされました。

父は、何も言わずに、ただ静かにお茶をすすっていました。

その横顔が、少しだけ、照れているように見えました。

帰り際、玄関まで見送りに出てきた父が、ぽつりと言いました。

「体に気をつけてな。困ったときは、いつでも帰ってこい」

あの父の口から、そんな言葉が出るとは、思ってもみませんでした。

僕は涙をこらえながら、今度はちゃんと、深く頭を下げました。

「今まで、ごめん。ありがとう」

言えなかった言葉を、ようやく、伝えることができました。

結婚式の日、父と母は、いちばん前の席に座っていました。

父は、慣れない礼服に身を包んで、終始、背筋をぴんと伸ばしていました。

僕が新婦と腕を組んで入場したとき、父は、そっと目頭を押さえていました。

あんなに泣くところを見たのは、後にも先にも、あのときだけです。

披露宴の最後、両親への手紙を読みながら、僕はまた泣いてしまいました。

会場のみんなも、もらい泣きしてくれました。

父は、何度も小さくうなずきながら、僕の言葉を聞いていました。

結局、その二百万円には、まだ手をつけていません。

使ってしまうのが、どうしても惜しいのです。

あのお金は、金額そのものよりも、両親の十二年分の想いだからです。

今では僕にも子どもが生まれ、あの頃の父と、同じくらいの年になりました。

自分が親になって、はじめて、あの厳しさの意味が、骨身にしみて分かります。

我が子が生まれたとき、僕がいちばん最初にしたことは、その子名義の通帳を作ることでした。

窓口で手続きをしながら、ふと、父も同じ気持ちだったのだと気づきました。

言葉にするのが下手な人ほど、こうして、形に想いを残そうとするのかもしれません。

子のために何かを残そうとする気持ちは、こんなにも静かで、こんなにも深いものなのですね。

夜泣きする我が子を抱きながら、僕はよく、父のことを思います。

きっと父も、眠れない夜に、僕の寝顔を見ていたのでしょう。

親というのは、見返りを求めずに、ただ与え続ける存在なのだと、今ならよく分かります。

そして、その想いは、たいてい、子が親になってから、ようやく届くのです。

僕が父にしてしまった冷たさを、いつか我が子が、僕に返す日が来るのかもしれません。

それでもきっと、僕は黙って、その子のために何かを残し続けるのでしょう。

親とは、見返りを求めずに与え続ける、そういうものなのだと、あの一冊の通帳が、静かに教えてくれました。

僕は今、子どもに小言を言うたびに、あの頃の父の顔を思い出します。

そして、あの一冊の通帳を、そっと開いてみるのです。

「おめでとさん」

あの日の、ぶっきらぼうなひと言が、今も僕の胸を、あたたかく締めつけます。

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