
「この部屋の畳だけは、替えん」
母は、家を建て替えるときも、そう言って譲らなかった。
うちの和室には、祖父の畳が敷いてある。
私の名前は中島洋二、建材メーカーに勤める会社員で、三十八歳になる。
家族は妻と、小学三年の息子と、一歳の娘、それから母がいる。
父は、八年前に病で旅立った。
その父の父、つまり私の祖父が、中島慎二という畳職人だった。
祖父は、私が生まれる前に、この世を去った人だ。
私は、祖父に一度も会ったことがない。
会ったことがないのに、私にとって祖父は、大切な家族の一人だった。
理由は、畳にある。
祖父は岡山の城下町で、三代続く畳屋の三代目だった。
母や父から聞く話では、仕事に厳しく、家族には優しい人だったという。
仏壇の写真の祖父は、白髪で、口を一文字に結んでいる。
その横に、もう一枚、小さな写真がある。
祖父の手だけを写した写真だ。
父が撮ったものだと聞いた。
畳針を持った、節の太い手。
指の腹が、糸で何度も切れて、硬くなっていたという。
祖父が最後に作ったのが、うちの和室の六畳だった。
藺草は、祖父が自分で選んだ、地元の農家のものだと聞いた。
四十年近く経った今も、湿気の多い日には、藺草の匂いが立つ。
新しい畳の匂いではない。
古い家の、奥のほうにある匂いだ。
祖父は、一畳を仕上げるのに、三日かけたという。
糸を締めるとき、膝で畳を押さえ、息を止めて針を通した。
だから祖父の畳は、踏んでも音がしない。
母は、よくそう言った。
私は子どものころ、わざと強く踏んで、音がしないことを確かめた。
確かに、しなかった。
四十年経った今も、しない。
父は、その畳の話をするとき、いつも少しだけ、声が低くなった。
私は、その理由を、三十八になるまで知らなかった。
その六畳のうち、一枚だけ、縁の一か所が白く擦り切れていた。
縁の一か所だけが、白く擦り切れていた。
母は、そこに誰も座らせなかった。
子どものころ、私がそこに座ろうとすると、母は黙って私の腕を引いた。
「そこは、座らん」
理由は、言わなかった。
私は、祖父が座っていた場所なのだと思っていた。
職人が、自分の仕事を眺めるために、毎晩座った場所。
そう思って、私はその白い縁を、祖父の形だと思って育った。
祖父の畳の上で、私は宿題をし、昼寝をし、受験の合格通知を開いた。
妻を初めて家に連れてきた日も、この畳の上だった。
息子の名前を決めた夜も、ここで、妻と向かい合って座った。
私の人生の、大事な場面には、いつも藺草の匂いがあった。
その畳が、私を一度だけ、助けた。
正確に言えば、畳の上に現れた何かが、助けた。
あれが何だったのか、私は、一年経った今も、言葉にできずにいる。
三千万の見積もり
去年の秋、私は仕事で、大きな失敗をした。
私は営業で、住宅会社に外壁材を売っている。
入社して十五年、数字の仕事を、ずっとしてきた。
その秋、新しい分譲地の、三十戸分の受注が決まりかけていた。
私のチームにとって、年間で一番大きな案件だった。
私が見積もりを作った。
作ったのは、締め切りの前の夜、十一時過ぎだった。
単価の欄を、一桁、間違えた。
千二百円の材を、百二十円で入れた。
三十戸分で、差額は三千万円を超えた。
気づいたのは、先方が社内決裁を終えたあとだった。
気づいたのは、私ではなく、後輩だった。
「中島さん、この単価、桁、合ってます?」
後輩の声は、小さかった。
私は、画面を見た。
見た瞬間に、指先が冷えた。
部長に報告したとき、部長は、何も言わなかった。
言わずに、見積書の数字を、指で三回なぞった。
その三回が、私には、三年のように長かった。
「先方に、行こう」
部長は、それだけ言って、上着を取った。
先方に、頭を下げに行った。
先方の担当は、私より若い人だった。
「中島さん、うちはもう、この数字で上に通してるんです」
その人も、困っていた。
困らせているのが、私だった。
会議室の時計の音が、やけに大きかった。
私は、頭を下げたまま、床の模様を数えていた。
結局、差額の半分をうちが被り、残りは次の案件で調整することになった。
決まるまでに、一か月かかった。
その一か月、私のチームの全員が、私の尻拭いをした。
若い後輩が、夜中まで再見積もりを作った。
同僚が、自分の客を後回しにして、先方に同行してくれた。
事務の人が、私の分の伝票を、黙って片付けてくれた。
誰も、私を責めなかった。
責められないことが、一番、こたえた。
家では、妻に、何も話さなかった。
話せば、妻が心配する。
心配させる資格が、自分にはないと思っていた。
息子は、私の顔を見て、「パパ、眠そう」と言った。
娘は、私の膝の上で、何も知らずに笑った。
母は、台所で、いつもより一品多く、おかずを作った。
誰も、聞かなかった。
聞かれないことが、ありがたくて、苦しかった。
十一月の終わり、分譲地の件が、ようやく片付いた。
片付いたのに、私は、立ち上がれなかった。
会社に行けば、机の上に、次の案件がある。
その数字を見るのが、怖かった。
一桁間違えた自分が、また一桁間違える気がした。
自分の無力さが、数字の形をして、毎朝、目の前にあった。
電車の中で、吊り広告の数字まで、読めなくなっていた。
朝、駅のホームで、電車を二本、見送った日があった。
乗れば、会社に着く。
着けば、数字がある。
三本目に、ようやく乗った。
後輩が、私の机に、コンビニのおにぎりを一つ、黙って置いていった。
梅だった。
私は、昼になっても、それを開けられなかった。
夕方、後輩が「食べました?」と聞いた。
「食べた」
嘘だった。
後輩は、わかっていて、頷いた。
そのおにぎりは、帰りの電車で、一人で食べた。
梅が、酸っぱかった。
酸っぱいと感じたことに、少しだけ、救われた。
藺草の匂いがした夜
十二月の、最初の土曜の夜だった。
昼間、息子の授業参観があった。
息子は、私を見つけて、小さく手を振った。
私は、手を振り返せなかった。
振り返す資格が、ないような気がしていた。
その夜、妻と子どもたちは、早く寝た。
母も、寝ていた。
私は、居間でビールを一本だけ飲んで、立ち上がれずにいた。
テレビは、消していた。
冷蔵庫の音だけが、していた。
携帯には、あの見積書の写真が、まだ残っていた。
消せなかった。
消したら、なかったことにする気がした。
辞めよう、と思った。
辞めて、何をするのかは、考えられなかった。
三十八で、妻と、二人の子どもと、母がいる。
その重さが、畳のように、私の上に乗っていた。
祖父の畳は、音がしない。
私の後悔も、音がしなかった。
誰にも聞こえない場所で、私は、それに押さえつけられていた。
居間の時計が、十二時を打った。
私は、ビールの缶を、流しに置いた。
置いてから、台所の電気を消した。
暗い廊下の先に、和室の障子が、白く見えた。
立ち上がれないまま、気がつくと、和室の前に立っていた。
障子を開けると、藺草の匂いがした。
雨の夜だった。
雨の夜は、匂いが濃くなる。
私は電気を点けずに、畳の真ん中に座った。
白い縁の、一つ隣の畳だった。
座って、膝を抱えた。
三十八にもなって、と思った。
思いながら、膝を抱える腕を、ほどけなかった。
深く、後悔していた。
後悔は、形を持たない。
形を持たないものに、人は、いつまでも押さえつけられる。
雨の音が、屋根を叩いていた。
その音を数えようとして、数えきれなかった。
どれくらい、そうしていたのかわからない。
ふと、藺草の匂いが、濃くなった。
新しい畳を敷いた日のような、青い匂いだった。
顔を上げた。
白い縁の畳に、誰かが座っていた。
正座だった。
背筋が、まっすぐだった。
暗い部屋の中で、その人の輪郭だけが、少し明るかった。
私は、驚いて、目を疑った。
声は、出なかった。
怖くはなかった。
不思議なほど、怖くなかった。
その人は、仏壇の写真の祖父と、同じ顔をしていた。
写真は、六十を過ぎたころの、白髪の祖父だ。
その顔が、私を見て、微笑んでいた。
口を一文字に結んだ写真の顔が、微笑むと、こんな顔になるのかと思った。
祖父の形をした幻だった。
幻は、口を開いた。
「洋二、立ち直りなさい」
声は、低く、少しかすれていた。
「あなたには、まだやるべきことがある」
それだけだった。
私は、何も言えなかった。
言えないまま、涙が溢れた。
三十八の男が、畳の上で、声を抑えて泣いた。
泣いているあいだに、幻は、消えていた。
藺草の匂いだけが、まだ濃く残っていた。
私は、白い縁の畳に、手を置いた。
畳は、少しだけ、温かかった。
人が座っていたあとの、温かさだった。
気のせいだと、今でも言える。
疲れていた、とも言える。
けれど私は、その夜、何年ぶりかで、朝まで眠った。
朝、妻が「顔色がいい」と言った。
私は、「雨の音がよかった」と答えた。
母が、朝、和室の障子を開けて、しばらく中を見ていた。
「誰か、座っとった?」
母は、そう聞いた。
「俺が」
母は、それ以上、何も言わなかった。
呪文みたいな見積もり
翌週から、私は、机の数字を見られるようになった。
見られるようになっただけで、怖さは消えていない。
それでも、怖さを抱えたまま、見積もりを作った。
一行ずつ、声に出して読んだ。
単価、数量、小計。
声に出すと、一桁の違いは、耳でわかる。
後輩が、横で笑った。
「中島さん、呪文みたいですね」
「呪文だよ」
私は、本気でそう答えた。
分譲地の先方には、年明けに、別の案件を持っていった。
利益の薄い案件だった。
それでも、先方の若い担当は、「中島さんなら」と言って、判を押してくれた。
「あのとき、中島さん、床の模様を数えてましたよね」
帰り際に、その人が言った。
「見てたんですか」
「僕も、数えてました」
二人で、少しだけ笑った。
あの冬から、私には、新しい習慣ができた。
夜、寝る前に、祖父の畳に、五分だけ座る。
白い縁の、一つ隣だ。
座って、その日の数字を、頭の中で一度なぞる。
それから、寝る。
妻は、「お経?」と聞いた。
「お経みたいなもの」
私は、そう答えた。
答えてから、その言葉を、どこかで使った気がした。
子どものころ、誰かが、同じ言葉を言っていた。
誰だったのかは、そのときは、思い出せなかった。
思い出せないまま、私は、毎晩、畳に座った。
五分が、十分になる夜もあった。
藺草の匂いは、雨の夜に濃くなり、晴れた夜には薄くなる。
その違いを、私は、三十八年目にして、初めて知った。
春には、チームの数字が、去年の水準に戻った。
部長は、相変わらず、何も言わなかった。
言わずに、私の肩を、一度だけ叩いた。
息子の運動会で、私は、今度は手を振り返した。
息子は、照れて、横を向いた。
あの夜のことは、誰にも話していなかった。
話せば、疲れていたのだろうと言われる。
自分でも、そう思っていた。
それでも、あの言葉だけが、耳に残っていた。
洋二、立ち直りなさい。
その言い方が、どこかで聞いたことのある言い方だった。
私は、その春、母に、祖父のことを聞いた。
あの夜のことは、話さなかった。
「じいちゃんは、どんな人やった」
母は、茶を淹れながら、少し考えた。
「厳しい人やったよ。畳のことには」
「家族には」
「優しかった。お父さんが、一番、世話になった」
母は、湯呑みを置いて、和室のほうを見た。
「お父さんな、二十八のとき、会社を潰しとるんよ」
私は、初めて聞いた。
父は、若いころ、小さな工務店を友人と始めて、三年で畳んだという。
借金が残り、父は、祖父の家に戻った。
「そのとき、じいちゃんが、あの畳を敷いてくれたんよ」
「新しい畳の上で、やり直せ、言うてな」
母は、そこで、茶を一口飲んだ。
「じいちゃんは、三日かけて、あの六畳を作ったんよ」
「お父さんのために、やけん、普段より一日多くかけた」
私は、仏壇の、祖父の手の写真を思った。
あの硬くなった指の腹は、父のための三日間で、また一つ、切れたのかもしれない。
あしたかえるねと甥のリュックの話を読んだとき、私は、この日の母の顔を思い出した。
子どもが、知らないうちに、大人の言葉を預かっている話だった。
祖父の畳の縁
「じいちゃんはな、畳を敷いたあとで、お父さんに言うたんよ」
母は、湯呑みを両手で包んだ。
「洋二、立ち直りなさい、って」
私は、湯呑みを持ったまま、動けなかった。
「洋二?」
「お父さんの名前も、洋二やろ。あんたは、お父さんの名前をもろうたんよ」
知っていた。
知っていたのに、あの夜、私はそのことを、思い出さなかった。
「あなたにはまだやるべきことがある、って」
「じいちゃんの口癖やった。お父さんが、よう真似しとった」
母は、笑った。
笑ってから、白い縁の畳を、指さした。
「お父さんはな、会社を潰してから、毎晩、そこに座っとった」
「仕事から帰って、ご飯を食べて、そこに座って、じいちゃんの言葉を、口の中で言うとった」
「二十年、毎晩」
私は、子どものころの夜を、思い出した。
和室から、父の低い声がしていた。
何を言っているのかは、聞き取れなかった。
お経だと思っていた。
襖の隙間から、父の背中が見えた。
白い縁の畳に、まっすぐ座った背中だった。
母が、そっと襖を閉めた。
「お父さんは、お祈りしとるんよ」
母は、そう言った。
あれは、祈りではなかった。
祖父の言葉を、自分に言い聞かせていたのだ。
二十年、毎晩、祖父の畳の上で。
私が「お経みたいなもの」と妻に言ったとき、私は、父と同じことをしていた。
同じ畳の上で、同じ言葉を、自分に向けていた。
「じいちゃんが座っとったんやと思っとった」
「じいちゃんは、自分の畳には座らん人やった。職人やけん」
「座るんは、使う人や、言うてな」
母は、白い縁を、もう一度見た。
「あの白いのは、お父さんの二十年ぶんや」
私は、立ち上がれなかった。
三十八年、祖父の形だと思っていたものが、父の形だった。
縁を擦り切らせたのは、祖父ではなく、父だった。
母は、湯呑みを置いた。
「あんたを、そこに座らせんかったのは、お父さんの頼みなんよ」
「なんで」
「あいつには、座らんでええ人生を、って」
私は、和室に行って、白い縁の畳の前に立った。
あの夜、幻が座っていた場所だった。
祖父の顔をしていた。
父は、祖父によく似ていたと、親戚は口を揃える。
私は、父の若いころの顔を、写真でしか知らない。
けれど、座り方は、背筋をまっすぐにした、父の正座だった。
父は、祖父の言葉を、二十年かけて、自分のものにした。
そして私は、父の口から、子どものころに、それを毎晩聞いていた。
聞いていたことを、忘れていただけだった。
テーブルのお皿が三枚に戻った朝という話のように、家の中の小さな癖は、言葉より長く残る。
白い縁も、きっと、そういうものだ。
あれから、一年が経つ。
ある日曜の朝、息子が、白い縁の畳に正座していた。
「そこは、座らんよ」
母の声が、先に出た。
息子は、縁を指でなぞって、隣の畳に座り直した。
「パパ、ここなら、いい?」
「いい」
私は、息子の隣に座った。
息子は、わざと強く、畳を踏んだ。
音は、しなかった。
藺草の匂いが、少しだけ、立った。
立ち直りなさい、という言葉を、私はまだ、誰にも言ったことがない。
言う日が来たら、この畳の上で言おうと決めている。