母の愛

公開日: 家族 | 心温まる話 |

タクシー(フリー写真)

俺は母子家庭で育った。

当然物凄く貧乏で、それが嫌で嫌で仕方がなかった。

だから俺は馬鹿なりに一生懸命勉強して、隣の県の大きな町の専門学校に入ることができた。

そして俺は貧乏な母子家庭の癖に、母に仕送りしてもらいながら学生生活を送り始めた。

今思えば母は相当懸命に働いてくれていたはずだ。

だけど馬鹿な当時の俺は、そんなことにも全く気付かずお気楽に学生生活を送っていた。

そして迎えたある夏休み、俺は久しぶりに実家に帰省した。

そして相変わらず貧乏くさい母と2日ほど暮らした後、一人暮らしの部屋に戻る際、冗談でちょっと言ってみた。

「荷物多いから、タクシー代くれんね?」

そしたら普段はのんびりとした性格の母が、

「何言いよんね!あんたに仕送りして母ちゃんカツカツで生活しとんのに、そんなお金出せるわけなかろ!」

と、珍しく切れた。

そんな母の姿に、若かった俺は逆切れしてしまい、勢いで電話でタクシーを呼んでしまった。

もう、俺も母も意地になっていて、どちらも口をきかなくなってしまった。

折角の久々の帰省だったのに、気まずい空気が流れ始めた頃、タクシーがやって来た。

俺も母もどちらも黙りこくったまま。

俺は無言で家を出るとタクシーに飛び乗った。

『もういいや、こんな貧乏な家とはもうお別れだ、もう二度と帰って来てやるもんか』

そんな風に思い始めた頃、タクシーがゆっくり出発。

するとその時、母が家から飛び出て来たんだ。

手には、おそらく家のどこかに大切にしまい込んでいたであろう1万円札と思しきお札が握りしめられていたんだ。

俺はつい意地を張ってしまった自分の情けなさと母への申し訳なさで、気付けばタクシーの中で一人で泣いていたよ。

みんなも忘れないでいて欲しい。

どんな時も、母は我が子のことを思ってくれているということを。

俺はタクシーの中で涙をこらえながら、母への感謝の気持ちが抑え切れなかった。

あの時、母が握りしめていた1万円札は、俺がこの先どれだけ働いて母のために恩返しをしたところで、その価値を超えることは絶対にできないくらい貴重なものだったと思う。

母ちゃんごめん。

俺、社会人になって母ちゃんをもっと綺麗な家に住まわせることができるようになったら、タクシーで迎えに行くから。

その時、俺は心に誓ったよ。

でも、母はきっとこう言うと思う。

「タクシーなんて乗らんから、そのお金でもっとしょっちゅう顔見せに戻って来て」

母ちゃん、本当にありがとう。

関連記事

瓦礫

被災からの救済と感謝

被災した時、私は中学生でした。家は完全に崩壊しましたが、たまたま外に近い部屋で寝ていたため、腕を骨折するだけで済み、何とか自力で脱出できました。しかし、奥の部屋で寝ていた母と妹は助か…

教室の風景(フリー写真)

変わらぬ優しい笑顔

酷い虐めだった。 胃潰瘍ができるほど、毎日毎日、恐怖が続いた。 今もそのトラウマが残っている。 僕がボクシングを始めた理由。それは、中学生の時の虐めだ。 相手…

窓辺(フリー写真)

失われた家族

妻と娘が一ヶ月前に交通事故で命を落としました。 独りで運転していた車が大破したそうです。 その知らせを受けたとき、私は出張先の根室にいました。 帰るのは一苦労でした…

婚約指輪(フリー写真)

玩具の指輪

高校生の頃の話。 小さな頃から幼馴染の女がいるのだが、その子とは本当に仲が良かった。 小学生の頃、親父が左手の薬指に着けていた指輪が気になって、 「何でずっと着けてる…

子供の寝顔(フリー写真)

お豆の煮方

交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。 そのプリントには交通事故についての注意などが書いてあり、その中には実際にあった話が書いてありました。 それは交通…

病院のベッド(フリー写真)

貴重な家族写真

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。 見た目は普通の写真なのだけど、実はその時父が難病を宣告され、それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と…と撮っ…

薔薇の花(フリー写真)

せかいでいちばんのしあわせ

私が幼稚園の時に亡くなったお母さん。 当時、ひらがなを覚えたての私が読めるように、ひらがなだけで書かれた手紙を遺してくれた。 ※ みいちゃんが おかあさんのおなかにやってきて…

新婦(フリー写真)

父が隠していた物

友人(新郎)の結婚披露宴での出来事。 タイムスケジュールも最後の方、新婦の父親のスピーチ。 ※ 「明子。明子が生まれてすぐ、お前のお母さんは病気で亡くなりました。 お前…

桜(フリー写真)

進学を願ってくれた母

僕の家は兄弟三人の母子家庭です。 母子家庭という事もあり、母は何も言わなかったけど家庭は火の車でした。 電気が止まった時も。 ガスが止まった時も。 中学の校納金…

浜辺を走る親子(フリー写真)

両親は大切に

人前では殆ど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。 お袋は元々ちょっと頭が弱くて、よく家族を困らせていた。 思春期の俺は、普通とは違う母親がむかつ…