三針の返し縫いのコート

三針の返し縫いのコート

母の直した服には、裏の裾に、三針の返し縫いが入っていた。

糸の色は、いつも生成りだった。

目立たないように、けれど必ず、同じ場所に入っている。

三針の返し縫いは、母の署名のようなものだった。

客はそれを知らない。

知っているのは、母と、隣で宿題をしていたわたしだけだった。

「なんで三針なの」

一度だけそう訊いたら、母は、二針だと解けるからね、と答えた。

四針では、と重ねて訊くと、糸がもったいない、と言われた。

うちは、貧乏だった。

雪深い城下町の、間口の狭い借家だ。

冬になると、台所の隅に置いた水甕に、薄く氷が張った。

母は、町外れで小さなお直し屋をやっていた。

ほつれたズボンの裾を上げ、すり切れた制服の肘に当て布をする。

そういう仕事だ。

朝早くから夜遅くまで、母はミシンの前に座っていた。

運動会の日も、授業参観の日も、母は一度も来たことがなかった。

そういう家だった。

父の顔を、わたしは知らない。

訊いても、母は針を持つ手を止めなかった。

止めないことが、答えなのだと、子ども心に思っていた。

母の店には、町じゅうの人が、繕いものを持ってきた。

漁師の合羽。子どもの破れた学生服。嫁入り前の娘の着物。

母は、どんなものでも、嫌な顔ひとつせず引き受けた。

刺し子の入った古い野良着を持ってくる婆さまもいた。

軍隊の外套を、孫の学生服に仕立て直してくれと言う人もいた。

断るところを、わたしは一度も見ていない。

その代わり、仕上がりの日を約束より一日遅く言う人だった。

一日早く渡すと、相手が喜ぶからだ。

「お直しの母ちゃんに頼めば、新品みたいになる」

そう言って、遠くの集落から、わざわざ持ってくる人もいた。

母の縫い目は、いつも、まっすぐで、丈夫で、そして、どこか優しかった。

わたしは、店の隅で宿題をしながら、母の手もとをよく眺めていた。

荒れた指が、針を迷いなく動かしていく。

その手が、好きだった。

指の腹が硬く、爪は短く切りそろえられていた。

布を裁つ前に、母は必ずその指で生地の目を撫でた。

撫でてから、鋏を入れる。

順番が逆になるのを、わたしは見たことがない。

ただ、その手が、自分のためには何ひとつ使われないことだけが、悲しかった。

冬の朝、わたしはミシンの音で目を覚ますのが常だった。

まだ外が暗いうちから、母は作業場で誰かの繕いものをしていた。

たたた、たたた、という規則正しい音が、薄い壁ごしに聞こえてくる。

その音は、わたしにとって、目覚まし時計であり、子守唄でもあった。

母が、今日も働いている。

その音を聞くと、なぜか安心して、もう一度目を閉じることができた。

割れせんべいの袋

給食費は、いつも一日か二日、遅れて持っていった。

封筒を担任に渡すとき、わたしはいつも教室のうしろのほうばかりを見ていた。

封筒の折り目は、いつも定規で押したようにまっすぐだった。

中の小銭は、和紙で包んで音がしないようにしてあった。

遅れて出すぶん、せめて音は立てさせない。

母は、そういう気の遣い方をする人だった。

遠足の日のおやつは、決まって割れせんべいだった。

近所の菓子屋が、売り物にならない端を袋に詰めてくれるのだ。

袋の口は、母がミシンの糸で縫って留めてあった。

その糸が、また生成りだった。しつけ糸を外さないまま何年も置く人の話を、のちに知った(十一年目に外したしつけ糸)。

友達の菓子は、色のついた袋に入っていた。

わたしは、袋ごと机の中に隠して、休憩のたびに一枚ずつ割って食べた。

割ってから食べるのは、大きく見せるためだ。

一度、隣の席の子に一枚やったことがある。

うまい、と言われて、わたしは慌てて袋の口を閉じた。

自慢したい気持ちと、恥ずかしい気持ちが、同時に来たからだ。

それでも、ひもじいと思ったことは、不思議となかった。

母が、自分のぶんを、いつもわたしの茶碗にそっと移していたからだ。

そのことに気づいたのは、ずっとあとになってからだった。

夕飯のとき、母はいつも先に立ち上がる人だった。

洗い物があるから、と言って、流しのほうを向いてしまう。

流しの前で、母が何を食べていたのか、わたしは見たことがない。

茶碗を洗う音だけが、背中の向こうから聞こえていた。

水の音がやむと、母はまた作業場へ戻っていく。

湯呑みに茶を注ぐ音が一度だけして、そのあとはミシンの音になる。

その順番を、わたしは毎晩、二階で聞いていた。

小学校の学芸会で、わたしが主役の桃太郎を演じた年があった。

客席に、母の姿はなかった。

その日も、仕事だった。

終わってひとりで帰ると、作業場で母が手を止めて言った。

「桃太郎、どうだった。鬼は、退治できたかい」

わたしは、見に来なかったくせに、とふてくされて、何も答えなかった。

台詞は、全部覚えていた。

覚えていたのに、一言も言ってやらなかった。

母は、そうかい、とだけ言って、また針を動かした。

桃から生まれた人形

その夜、枕もとに小さな包みが置いてあった。

新聞紙で包んで、麻紐を十字に掛けたものだった。

開けると、端切れで縫った桃太郎の人形が入っていた。

不格好だけれど、ちゃんと、桃から生まれたばかりの、小さな桃太郎だった。

頭には、まだ産毛のような白い糸が二本、立っていた。

顔は、何も描かれていなかった。

描いてしまうと、わたしの顔にならないからだと、あとで思った。

裾を返すと、そこにも三針の返し縫いが入っていた。

母は、見に行けないぶん、夜なべしてそれを縫っていたのだ。

わたしは、布団をかぶって、声を忍ばせて泣いた。

わたしが十五になった、冬の誕生日のことだ。

その夜、母はめずらしく早く店を閉めた。

そして、顔いっぱいに微笑みを浮かべて、包みを差し出した。

「誕生日、おめでとう」

開けると、町の洋品店で売っているような、紺のダッフルコートだった。

留め具は本物の水牛の角で、裏地はしっかりした厚手のものだった。

袖に腕を通すと、肩のところが妙にしっくりきた。

そのことを、わたしはそのとき、何とも思わなかった。

わたしは、ありがとう、と言った。

言いながら、内心では、こんな高いもの、と思っていた。

友達はみんな、もっといいものを着ている。

こんなコート、恥ずかしくて着られない。

翌朝、わたしはそれを着ずに学校へ行った。

玄関で、母が何か言いかけて、やめたのがわかった。

その日は一日、雪だった。

そんなふうにすら、思っていた。

愚かな子どもだった。

母が、それを買うために何を削ったのか、その晩のわたしは何も考えていなかった。

布団の中で、わたしはふと、母のことを思った。

母の前歯は、片方が欠けたままだった。

差し歯を入れる金を、母は自分には使わなかった。

美容院に行くのは、年に一度あるかないかだ。

髪はいつも、自分で適当に切っていた。

手は、いつもかさかさに荒れていた。

針と布と、冷たい水に、一年じゅうさらされていたからだ。

化粧なんて、見たこともなかった。

鏡台はあった。

けれど、その上には裁ち鋏と待ち針の箱が置かれていた。

鏡は、いつも布が掛かったままだった。

こんなコートを買う金があるなら、自分の歯をどうにかすればいいのに。

そんなことを考えているうち、わたしは古いアルバムを見たくなった。

押入れの奥から引っぱり出した表紙は、湿気で波打っていた。

角の擦り切れた通帳

めくった一枚で、わたしは声を漏らした。

そこに写っていたのは、まるで別人だった。

綺麗に化粧をして、健やかな肌に、白い歯をのぞかせて笑っている。

つやのある髪を背に流し、仕立てのいいワンピースを着た、若い女の人。

それが、母だった。

わたしの知らない、母だった。

その瞬間、涙が止まらなくなった。

母は、女であることを、とうの昔にやめていたのだ。

別のページには、まだ赤ん坊のわたしを抱く母の写真もあった。

その母も、やはり若くて、綺麗だった。

けれど、その目だけは、わたしの知っている母の目と同じだった。

いつから、母は鏡を見なくなったのだろう。

いつから、自分の服を買わなくなったのだろう。母親の書き残すものには、その人の暮らしがそのまま出る(母の買い物メモは絵だった)。

その答えは、抱かれている赤ん坊の顔の中にあった。

写真の中の母は、右手でわたしの頭を支えていた。

その右手の爪だけが、もう短く切られていた。

恥ずかしいなんて、もう、どこにも思わなかった。

わたしは、もらったばかりの紺のコートを、布団の中で抱きしめた。

それから、少しばかりの時が流れた。

中学に上がっても、わたしは自分の家の事情をよくわかっていた。

友達が塾に通いはじめても、口が裂けても塾に行きたいとは言わなかった。

そのぶん、図書室の本を片っ端から借りて読んだ。

金のかからない勉強の仕方を、わたしは自然と覚えていった。

図書室の司書の先生が、返却期限をいつも大目に見てくれた。

あとで知ったが、母がその人の着物を直していた。

高校は、授業料の免除が受けられる地元の公立に進んだ。

母は、それを心から喜んでくれた。

「えらいねえ。あんたは、ほんとうに、えらい子だよ」

わたしは、えらいわけではなかった。

ただ、母にこれ以上の負担をかけたくなかっただけだ。

大学への進学は、とっくに諦めていた。

卒業したら働いて、少しでも母を楽にさせる。

それが、わたしの描いていた未来だった。

そんな冬のある日、学校で三者面談が行われた。

母は、いちばんいいよそ行きの服を着て、店を半日休んでやってきた。

先生が、進路希望の欄を見て、就職、と読み上げた。

その、ときだった。

母が背筋を伸ばして、先生に向かって言った。

「先生。この子を大学に行かせるには、いくら、かかるのでしょうか」

わたしは、耳を疑った。

母は、鞄から一冊の通帳を取り出した。

鞄の底から出すのに、少し手間取っていた。

薄紙に包んであったからだ。

使い込まれて、角の擦り切れた、古い預金通帳だった。

「これで、息子を大学に行かせてやれますか」

先生が、その数字を見て、息をのむのがわかった。

通帳には、わたしが想像もしていなかった額が記されていた。

一円、十円、百円。

母がミシンの前で、欠けた歯のまま、荒れた手で積み上げてきた数字だった。

何年も、何年も。

わたしは、机の下でこぶしを握りしめて、ただうつむいていた。

涙を、先生にも、母にも、見られたくなかった。

底を二重にした手提げ

それから、わたしは寝る間を惜しんで勉強した。

母が積み上げたあの数字を、一円たりとも無駄にはできなかった。

明け方まで机に向かい、眠気を、頬をつねって追い払った。

冬は、足もとに湯たんぽを入れて、掛け布を膝に掛けた。

掛け布は、母が端切れを繋いで縫ったものだった。

繋ぎ目の裏を返すと、やはり三針が入っていた。

合格通知が届いた朝のことを、わたしは忘れられない。

それを握りしめて、母の店へ走った。

作業場の戸を開けると、母はいつものようにミシンの前に座っていた。

「受かった。お母さん、おれ、受かったよ」

母は、針を持つ手を止めて、ゆっくりとこちらを向いた。

そして、何も言わずに、ただ何度もうなずいた。

母の目からひとすじ涙がこぼれて、縫いかけの布の上に小さな染みを作った。

母が泣くところを、わたしはそのとき、生まれてはじめて見た。

母はそれを見られたくなかったのか、すぐにミシンへ向き直った。

たたた、たたた、と、いつもの音が店に戻った。

その背中が震えていたことを、わたしはずっと知らないふりをしている。

知らないふりをすることが、あのときのわたしにできる唯一のことだった。

郷里を発つ日、駅のホームで、母は小さな紙袋を押しつけてきた。

中には、母が夜なべして縫った布の手提げ袋が入っていた。

底を二重にした、丈夫な作りの袋だった。

「教科書は、重いからね。これなら、破れないよ」

母は、そう言って、欠けた歯を見せて笑った。

わたしは何も言えず、ただその手提げを強く握りしめた。

学費を稼ぎながらの大学生活は、楽ではなかった。

早朝に新聞を配り、夜は居酒屋の厨房で皿を洗った。

授業中、机に突っ伏して眠ってしまうこともあった。

くじけそうになるたび、わたしはあの布の手提げを見た。

底を二重にした手提げの、返し縫いされた縫い目を指でなぞった。

縫い目は、教科書の角が当たるところだけ、目が細かくしてあった。

重いものを入れることを、母は最初から知っていたのだ。

油と洗剤で、わたしの手はひどく荒れた。

あかぎれだらけになった自分の手を見て、ある夜、はっとした。

これは、母の手だ。

子どものころ好きだったあの手と、同じ手になっていた。

荒れた手は、もう恥ずかしくなかった。

母と同じものを、ひとつだけ分けてもらえた気がした。

三針の返し縫い

それから、また時が流れた。

わたしは、母が望んでくれた学びの先で、一級建築士になった。

人の暮らす家を、雨風をしのぐ屋根を、設計する仕事だ。

去年、わたしは自分で設計した小さな家に、母を呼んだ。

母の部屋には、いちばん大きな窓をつけた。

冬でも、雪に反射した光が一日じゅう差し込むようにだ。

その部屋の隅に、新しいミシンを一台置いた。

母は、それを見てしばらく何も言わなかった。

それから、欠けた歯を見せて、いつものように笑った。

「こんなに明るい部屋に住むのは、生まれてはじめてだよ」

差し歯は、その翌月に入れに行った。

帰りの車で、母は何度も口もとを手で覆った。

笑うときに隠す癖が、まだ抜けないのだ。

隠さなくていい、と言ったら、癖だからねえ、と笑われた。

そして来春、わたしは結婚する。

式の支度をしていて、わたしはクローゼットの奥のコートを出した。

色の褪せた、紺のダッフルコートだ。

もう小さくて着られないのに、どうしても捨てられずにいた。

式の日に、母に渡す着物のことを考えながら、何気なく裾を返した。

そこで、手が止まった。

裏の裾に、生成りの糸で、三針の返し縫いが入っていた。

わたしは、すぐに町の洋品店を訪ねた。

店主は、もう八十を越えていたが、そのコートを覚えていた。

型落ちの見本品で、袖丈の寸法が合わずに売れ残っていたのだという。

「お直しの母ちゃんが、譲ってくれと言うてな」

母は、それを持ち帰って、袖を詰め、裏地を入れ替え、留め具を付け直した。

店主は、値段はほとんど取らなかったと言った。

「取ろうとしても、あの人が置いていくんだ」

店主は、帳面を引っぱり出してきて、わたしに見せた。

日付と、母の名と、預かった品の名前が並んでいた。

その年の冬の欄には、洋品店の合羽や暖簾の直しが、いくつも書いてあった。

コートを譲り受けた月から、母の仕事は増えていた。

「向こうから、仕事を回してくれと言うてきたんだ」

帰り道、わたしはコートを胸に抱えたまま、雪の通りを歩いた。

あの晩、わたしが恥ずかしいと思ったのは、店で買った高い服ではなかった。

母の夜なべの手そのものだった。

袖を詰め、裏地を入れ替え、留め具を付け直す。

その手間を、母は誰にも言わなかった。

そして母は、そこまでしても、通帳の数字には一円も手をつけなかったのだ。

着物は、もう仕立ててある。

町じゅうの晴れ着を直してきた母に、母自身の晴れ着を着てもらうつもりだ。

式の日、控室で渡したら、どんな顔をするだろう。

きっとまた、欠けた歯を隠して笑うのだろう。

包みには、生成りの糸で、三針だけ返し縫いを入れておいた。

下手な針目だ。

それでも母なら、裾を返して、すぐに気づくと思う。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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