最高のママ

台所から、味噌の匂いが流れてきた。

朝の六時前。薄暗い廊下の先に、小さな背中が見えた。

妻の藍色の割烹着。腰の紐を二重に巻いて、裾を折り返して、それでもまだ膝の下まである。

八歳の娘が、踏み台の上に立って鍋をかき回していた。

「パパ、おはよう。お豆腐、大きく切りすぎちゃった」

振り向いた顔があんまり屈託なく笑うものだから、私は用意していたはずの言葉を全部飲み込んだ。

流しの横の壁に、習いたての字で書いた「おみそしるとうばん」という紙が貼ってある。

当番の欄は、月曜から日曜まで、全部「わたし」になっていた。

ストーブの上で薬缶が鳴き、椅子の背には息子の上履き入れが掛かっている。

「まーくん、おきて。あさだよ」と弟を呼びに行く声で、この家の一日が回りはじめる。

出汁の匂いが、妻のものと少しだけ違う。煮干しが一本多いのだと、あとになって知った。

妻が逝って、半年が過ぎた頃の話だ。

私は半島の付け根にある港町で、ピアノの調律師をしている。

ホールの仕事もあれば、個人の家を一軒ずつ回る仕事もある。車のトランクには工具箱と音叉。それで一家四人が食べてきた。

指先はいつも乾いていて、爪のあいだにフェルトと松脂の匂いが残る。妻はその匂いを「お仕事の匂い」と呼んだ。

妻と出会ったのも、仕事先だった。彼女の実家の古いアップライトを調律しに行った日、狂った「ラ」の音を、彼女は「うちの猫の声みたい」と言って笑った。

音を合わせ終えると、彼女は礼のつもりか、短い子守歌を弾いた。土地に伝わる古い唄を、自分で編み直したのだという。

左手が波のように揺れる、不思議に懐かしい曲だった。

聴き終えた私は、商売道具の音叉を一本、彼女に渡していた。今思えば、あれが精いっぱいの求愛だった。

結婚式の日、彼女は白いドレスのまま式場のピアノに座り、招待客の前でその曲を弾いた。

三年後、私たちは結婚した。娘が生まれ、五年おいて息子が生まれた。

妻は息子を産んだあと、病を得た。

入院と退院を繰り返す三年のあいだ、彼女は痩せた指で、それでも家のピアノを弾いた。

あの子守歌だけは、最後まで途切れなかった。

最後の入院のとき、病室に小さな電子ピアノを持ち込むことを、主治医は黙って許してくれた。

音を出せない夜、妻はヘッドホンをつけたまま、鍵盤の上で指だけを動かしていた。見舞いに来て眠ってしまった娘と息子の顔を、順番に見ながら。

「ねえ、この曲だけは、誰かが覚えていてくれるといいな」

病室の窓から港の灯りを眺めて、妻がそう言ったことがある。

私は「俺が覚える」と答えそびれた。音は合わせられても、あの揺れだけは自分の指から出ないことを、知っていたからだ。

桜の終わる頃、妻は逝った。娘が八歳、息子が三歳の春だった。

最期の朝、妻は娘の手を取って、何かを短く囁いた。あとで内容を訊いても、娘は首を振るだけだった。

通夜の晩、式場の隅で、娘はずっと息子の手を握っていた。泣いている弔問客に、麦茶を運んでさえいた。

喪服のない息子は、よそゆきの水色のセーターを着て、祭壇の写真に向かって何度も小さく手を振っていた。

息子はまだ、母親がいなくなったことを理解できずにいた。

葬儀のあと、あの子は「ママは出張」と思い込むことにしたらしかった。

「パパとおんなじ、おしごとなんだよね」と言われて、私は頷くことも、正すこともできなかった。

夕方、玄関のチャイムが鳴るたびに走っていく。宅配便の人が困った顔で立っている。それが何度も続いた。

夜中に目を覚ましては「ママは」と泣いた。

泣き疲れて眠った頬に、涙の塩が白く残っている夜もあった。

私は抱き上げて、家じゅうを歩いた。あやし方が、決定的に下手なのだ。

抱いて歩く息子の重さは、夜ごと少しずつ増えていく気がした。母親のいない半年でも、この子はちゃんと育っている。それが頼もしくて、同じだけ切なかった。

妻は寝かしつけのとき、決まってあの子守歌を口ずさんでいた。

私は調律師のくせに、それをうまく歌えなかった。

仕事では、コンマ一ヘルツのずれさえ聴き分けられるのに。

音程はなぞれる。でも、妻の声にあった柔らかい揺れが、どうしても出ない。

保育園へ送る朝の自転車で、息子は決まって「ママのうた」をせがんだ。私は下手なりに歌った。海沿いの道で、何度も音を外しながら。

息子は泣き続け、私は明け方の台所で冷めた茶を飲んだ。湯呑みの底が、やけに苦かった。

港の汽笛が、夜霧の向こうで二度鳴った。

父親としての不甲斐なさが、骨身にしみた。

そんな夜が続いた、ある晩のことだ。

泣き声が、ふっと止んだ。

襖の隙間から覗くと、娘が息子の布団に潜り込んで、あの歌を口ずさんでいた。

妻の節回しそのままに。あの柔らかい揺れまで、そっくりそのままに。

「まーくん、だいじょうぶ。ねえね、ここにいるよ」

私は襖の前から動けなかった。

息子の寝息が、やがて規則正しくなっていく。娘はそれでも、もうひと節だけ歌ってから布団を出た。

いつ覚えたのだろう。妻が生きていた頃、娘はピアノの横で、ただ笑って聞いているだけだったのに。

廊下の床が、素足に冷たかった。その冷たさだけが、あれは夢ではなかったと今も教えてくれる。

娘は学校でも気丈に振る舞っていたらしい。

家庭訪問に来た担任の先生が、玄関先で声を落とした。

「しっかりなさってます。なさりすぎているくらいで……おうちでは、甘えられていますか」

私は即答できなかった。

数日後の夜、風呂場から歌が聞こえた。

あの子守歌だった。換気扇の音に混じって、途切れ途切れに。

歌の合間に、押し殺した嗚咽が聞こえた。

やがてシャワーの音が、急に強くなった。泣き声ごと、流してしまうみたいに。

私は脱衣所の前で立ち尽くし、結局、声をかけられなかった。廊下の電気を消して、気づかないふりをした。

あれが正しかったのか、十年経った今でもわからない。

ただ、それからの私は、夕食の娘の味噌汁を、前よりずっと時間をかけて飲むようになった。

「おいしいよ」と声に出して言うと、娘は妻とそっくりの仕草で、少しだけ胸を張った。

冬のはじめ、娘の九歳の誕生日が来た。

その日だけは私が台所に立つと決めて、料理の本を開きながらハンバーグをこねた。

形は不揃いで、ソースは焦げた。

それでも娘は「お店のより好き」と言って、二つも食べた。

食後、息子が眠ったあと、ケーキの箱の紐を几帳面にほどきながら、娘が言った。

「パパ、おりょうり、ちょっとずつ教えてあげるね」

教わる側のはずの子に、教えると言われて、私は笑った。笑いながら、少しだけ泣いた。

その年の秋、大きな仕事が入った。

山あいの市に新しい音楽ホールができて、舞台のフルコンサートグランドを開館までに仕上げる。十日間、家を空けることになる。

断るつもりだった私に、手伝いに来てくれていた実家の母が言った。

「行っといで。子どもらはちゃんと見とくから。あんた、仕事まで手放したら、ほんとうに空っぽになるよ」

母は半ば強引に鞄へ着替えを詰め、私を送り出した。

出張先から、私は毎晩、家に電話をかけた。

「パパ? きょうね、まーくん、お絵かきで花マルもらったんだよ」

「そうか。何を描いたんだ」

「おふね。パパのいる町の、おっきいおふねなんだって」

「見たこともないのにな」

「テレビで見たんだもん。あとね、おばあちゃんとコロッケ作った。パパのぶんは冷凍してあるからね」

「ああ。楽しみにしてる」

「あのね、それからね……ううん、やっぱりなんでもない」

「なんだよ、気になるな」

「帰ってきてからの、お楽しみ」

電話を切る間際、受話器の向こうで娘は早口に付け足した。

「……パパ、ごはん、ちゃんと食べてる?」

八歳の子の台詞ではない。

「食べてるよ」と答えた私の声は、たぶん少し震えていた。

二人を安心させるための電話のはずだった。受話器の向こうの声に救われていたのは、どう考えても私のほうだった。

ホテルの窓から見える知らない街の灯りは、家の灯りと同じ色をしているのに、ずいぶん遠かった。

ホールの仕事は、夜が深かった。

誰もいない千二百席の客席に向かって、八十八の鍵盤をひとつずつ合わせていく。

ハンマーのフェルトに針を入れ、音の角を取る。指先に伝わる弦の張りが、夜ごと素直になっていく。

最後の晩、仕上がった鍵盤で、私はあの子守歌を一度だけ弾いた。

妻の揺れには、やっぱり届かなかった。それでも残響が、三秒だけ暗い客席を満たして消えた。

出張から戻って間もなく、息子の幼稚園で運動会があった。

十月の空に万国旗が鳴り、砂埃と綿菓子の匂いが入り混じる。

前の晩、私は母と二人で重箱に卵焼きと唐揚げを詰めた。形の崩れた卵焼きを、母は笑って端に寄せた。

開会式のピストルの音に、息子が私の膝の上で飛び上がった。

プログラムの中ほどに、その種目はあった。

『おやこでダンス』。

園児と母親が手をつなぎ、輪になって踊る、毎年恒例のお遊戯だという。

事前のお便りを見落としていた私は、プログラム表を握ったまま、血の気が引くのがわかった。

周りは母親ばかりだ。三歳の息子に、それを呑み込めというのか。

去年までは、妻が出ていた。外泊許可をもらってまで、輪のいちばん端で、ゆっくりと踊っていた。

あの日の写真は、今も居間の棚に飾ってある。

入場門の前で、園児たちがそわそわと親を探しはじめる。

私が腰を浮かせかけた、そのときだった。

「まーくん、いくよ」

娘だった。

いつの間に席を立ったのか、入場門の脇で、息子に向かって手を差し出していた。

娘の小学校の運動会は、春に終わっている。今日は朝から、お弁当を手伝うのだと張り切っているだけだと思っていた。

息子は一瞬きょとんとして、それから、はじけるように笑った。

「ねえね!」

その呼び声に、観客席の何人かが振り返った。事情を知る近所のおばさんが、口元を手で覆うのが見えた。

小さな手が、小さな手を握る。

二人は手をつないだまま、母親たちの輪の中へ走って入っていった。

曲が流れる。

古いスピーカーの割れた音が、十月の風に流されて、空の高いところで鳴っていた。

娘は息子の目の高さまでかがみ、両手を取って、くるりと回ってみせる。

息子が声を上げて笑う。振り付けを、ひとつも間違えずに。

周りの母親たちが、目元を押さえながら拍手をしていた。

私は訳がわからないまま、ただその光景を見ていた。

隣に座っていた母が、前を向いたまま、ぽつりと言った。

「あの子ね、あんたが出張に行っとる間、まーくんが夜泣きしたとき、こう言うたんよ」

「『ママはもういないけど、ねえねがいるでしょ。ほんとうはパパも、とってもさみしいの。でもパパは泣かないでしょ。まーくんも男の子だもんね。だから、だいじょうぶだよね。これからは、ねえねが、パパとまーくんのママになるから』……そう言うて、あの歌をうとうたんよ。あんたの奥さんの、あの歌を」

「それからね、毎晩まーくんと、お遊戯の練習しとった。本番でまーくんが困らんように。あんたには内緒や言うて」

電話の向こうで娘が隠していた「お楽しみ」の正体を、私はこのとき知った。

あとで聞けば、娘は前の日に園へ自分で電話をかけ、「弟といっしょに出てもいいですか」と頼んだのだという。

受話器の向こうで、若い先生はしばらく返事ができなかったらしい。

グラウンドの真ん中で、娘が笑っていた。

体操服の袖をまくり上げ、弟の手を引いて、母親たちの誰よりも大きく手を振って。

八歳の子が、この家を守ろうとしている。私の代わりに。

私は場所もわきまえず、流れるものを止めることができなかった。

種目が終わると、息子が真っ先に駆けてきた。

「パパ、みてた? ねえねとおどった!」

「ああ、見てた。世界でいちばん上手だった」

息子は得意げに鼻をこすり、もう次の種目の列へ走っていった。

母がハンカチを畳み直しながら、「ええ運動会やね」と言った。それだけ言うのに、ずいぶん時間がかかっていた。

昼休み、重箱を三人と母とで囲んだ。娘は崩れた卵焼きを真っ先に取って、「これ、パパのでしょ」と笑った。

帰り道、三人で手をつないで歩いた。

夕陽が、長い影を三本、アスファルトに引いていた。

私は娘の手を、少しだけ強く握って言った。

「ねえね、ありがとうな。でも、パパの前では泣いていいんだぞ」

娘はしばらく黙っていた。

「……うん」

返事の代わりみたいに、つないだ手の力が強くなった。

その夜、娘は私の布団に潜り込んできて、久しぶりに、年相応の子どもみたいに泣いた。

私はただ、小さな背中を撫で続けた。風呂場の前で立ち尽くした、あの夜のぶんまで。

あれから十年が経つ。

息子は十三歳になった。声変わりの途中で、姉にだけは未だに頭が上がらない。

台所の壁には、今も当番表が貼ってある。何度も書き換えられた紙の上で、いつからか三人ぶんの名前が並ぶようになった。

娘はこの春、東京の大学へ出る。教育学部で音楽を学ぶのだという。

「先生になったらね、お母さんがいない子がいても、ぜったいに気づいてあげられるから」

それが志望理由のすべてだと、娘は言った。進路の紙を見せられた夜、私は何も言えずに、ただ何度も頷いた。

昨夜、荷造りの段ボールの隙間に、あの藍色の割烹着が畳んで入っているのを見つけた。

「持っていくのか」と訊くと、娘は少し笑った。

「だって、向こうでもごはん作るもん。これ着ると、なんでもうまくいく気がするの」

割烹着は、もう娘の体に合っていた。

裾を折る必要も、紐を二重に巻く必要も、とっくになくなっていた。

出発の前夜、娘は居間の古いアップライトで、あの子守歌を弾いた。

左手が波のように揺れる。妻の揺れだった。

息子が照れくさそうに隣に座り、最後まで聴いていた。

弾き終えたあと、鍵盤の蓋をそっと閉じて、娘がぽつりと言った。

「この曲ね、ママが病院で教えてくれたの」

「鍵盤の上に、ママの手と重ねて、何度も何度も」

「『パパとまーくんが眠れない夜があったら、歌ってあげてね』って。だから私、ずっと宿題みたいに練習してたんだ」

十年越しに、答え合わせをもらった気がした。

最期の朝の囁きも、きっとあの宿題の念押しだったのだろう。

あの夜、襖の向こうで聞いた柔らかい揺れは、妻が娘の小さな手に遺していった、置き土産だったのだ。

「音、ちょっと下がってるね」と娘が言うので、朝いちばんに合わせると約束した。これでも調律師だからね、と。

お父さんは、君に何かしてあげられただろうか。

ずっと、してもらってばかりだった気がするよ。

今朝の港は晴れて、防波堤の向こうで海が光っている。

駅までの道を、三人で歩く。息子が娘の鞄を、何も言わずに持っている。

改札の前で、娘が振り返る。

潮の匂いのする風が、ホームの方から吹き抜けていく。

私は決めていた言葉を、今度こそ、ちゃんと声に出して言う。

支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。

私にとっても、まーくんにとっても。ありがとう。

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