台所から、味噌の匂いが流れてきた。
朝の六時前。薄暗い廊下の先に、小さな背中が見えた。
妻の藍色の割烹着。腰の紐を二重に巻いて、裾を折り返して、それでもまだ膝の下まである。
八歳の娘が、踏み台の上に立って鍋をかき回していた。
「パパ、おはよう。お豆腐、大きく切りすぎちゃった」
振り向いた顔があんまり屈託なく笑うものだから、私は用意していたはずの言葉を全部飲み込んだ。
流しの横の壁に、習いたての字で書いた「おみそしるとうばん」という紙が貼ってある。
当番の欄は、月曜から日曜まで、全部「わたし」になっていた。
ストーブの上で薬缶が鳴き、椅子の背には息子の上履き入れが掛かっている。
「まーくん、おきて。あさだよ」と弟を呼びに行く声で、この家の一日が回りはじめる。
出汁の匂いが、妻のものと少しだけ違う。煮干しが一本多いのだと、あとになって知った。
妻が逝って、半年が過ぎた頃の話だ。
※
私は半島の付け根にある港町で、ピアノの調律師をしている。
ホールの仕事もあれば、個人の家を一軒ずつ回る仕事もある。車のトランクには工具箱と音叉。それで一家四人が食べてきた。
指先はいつも乾いていて、爪のあいだにフェルトと松脂の匂いが残る。妻はその匂いを「お仕事の匂い」と呼んだ。
妻と出会ったのも、仕事先だった。彼女の実家の古いアップライトを調律しに行った日、狂った「ラ」の音を、彼女は「うちの猫の声みたい」と言って笑った。
音を合わせ終えると、彼女は礼のつもりか、短い子守歌を弾いた。土地に伝わる古い唄を、自分で編み直したのだという。
左手が波のように揺れる、不思議に懐かしい曲だった。
聴き終えた私は、商売道具の音叉を一本、彼女に渡していた。今思えば、あれが精いっぱいの求愛だった。
結婚式の日、彼女は白いドレスのまま式場のピアノに座り、招待客の前でその曲を弾いた。
三年後、私たちは結婚した。娘が生まれ、五年おいて息子が生まれた。
妻は息子を産んだあと、病を得た。
入院と退院を繰り返す三年のあいだ、彼女は痩せた指で、それでも家のピアノを弾いた。
あの子守歌だけは、最後まで途切れなかった。
最後の入院のとき、病室に小さな電子ピアノを持ち込むことを、主治医は黙って許してくれた。
音を出せない夜、妻はヘッドホンをつけたまま、鍵盤の上で指だけを動かしていた。見舞いに来て眠ってしまった娘と息子の顔を、順番に見ながら。
「ねえ、この曲だけは、誰かが覚えていてくれるといいな」
病室の窓から港の灯りを眺めて、妻がそう言ったことがある。
私は「俺が覚える」と答えそびれた。音は合わせられても、あの揺れだけは自分の指から出ないことを、知っていたからだ。
桜の終わる頃、妻は逝った。娘が八歳、息子が三歳の春だった。
最期の朝、妻は娘の手を取って、何かを短く囁いた。あとで内容を訊いても、娘は首を振るだけだった。
通夜の晩、式場の隅で、娘はずっと息子の手を握っていた。泣いている弔問客に、麦茶を運んでさえいた。
喪服のない息子は、よそゆきの水色のセーターを着て、祭壇の写真に向かって何度も小さく手を振っていた。
※
息子はまだ、母親がいなくなったことを理解できずにいた。
葬儀のあと、あの子は「ママは出張」と思い込むことにしたらしかった。
「パパとおんなじ、おしごとなんだよね」と言われて、私は頷くことも、正すこともできなかった。
夕方、玄関のチャイムが鳴るたびに走っていく。宅配便の人が困った顔で立っている。それが何度も続いた。
夜中に目を覚ましては「ママは」と泣いた。
泣き疲れて眠った頬に、涙の塩が白く残っている夜もあった。
私は抱き上げて、家じゅうを歩いた。あやし方が、決定的に下手なのだ。
抱いて歩く息子の重さは、夜ごと少しずつ増えていく気がした。母親のいない半年でも、この子はちゃんと育っている。それが頼もしくて、同じだけ切なかった。
妻は寝かしつけのとき、決まってあの子守歌を口ずさんでいた。
私は調律師のくせに、それをうまく歌えなかった。
仕事では、コンマ一ヘルツのずれさえ聴き分けられるのに。
音程はなぞれる。でも、妻の声にあった柔らかい揺れが、どうしても出ない。
保育園へ送る朝の自転車で、息子は決まって「ママのうた」をせがんだ。私は下手なりに歌った。海沿いの道で、何度も音を外しながら。
息子は泣き続け、私は明け方の台所で冷めた茶を飲んだ。湯呑みの底が、やけに苦かった。
港の汽笛が、夜霧の向こうで二度鳴った。
父親としての不甲斐なさが、骨身にしみた。
そんな夜が続いた、ある晩のことだ。
泣き声が、ふっと止んだ。
襖の隙間から覗くと、娘が息子の布団に潜り込んで、あの歌を口ずさんでいた。
妻の節回しそのままに。あの柔らかい揺れまで、そっくりそのままに。
「まーくん、だいじょうぶ。ねえね、ここにいるよ」
私は襖の前から動けなかった。
息子の寝息が、やがて規則正しくなっていく。娘はそれでも、もうひと節だけ歌ってから布団を出た。
いつ覚えたのだろう。妻が生きていた頃、娘はピアノの横で、ただ笑って聞いているだけだったのに。
廊下の床が、素足に冷たかった。その冷たさだけが、あれは夢ではなかったと今も教えてくれる。
※
娘は学校でも気丈に振る舞っていたらしい。
家庭訪問に来た担任の先生が、玄関先で声を落とした。
「しっかりなさってます。なさりすぎているくらいで……おうちでは、甘えられていますか」
私は即答できなかった。
数日後の夜、風呂場から歌が聞こえた。
あの子守歌だった。換気扇の音に混じって、途切れ途切れに。
歌の合間に、押し殺した嗚咽が聞こえた。
やがてシャワーの音が、急に強くなった。泣き声ごと、流してしまうみたいに。
私は脱衣所の前で立ち尽くし、結局、声をかけられなかった。廊下の電気を消して、気づかないふりをした。
あれが正しかったのか、十年経った今でもわからない。
ただ、それからの私は、夕食の娘の味噌汁を、前よりずっと時間をかけて飲むようになった。
「おいしいよ」と声に出して言うと、娘は妻とそっくりの仕草で、少しだけ胸を張った。
冬のはじめ、娘の九歳の誕生日が来た。
その日だけは私が台所に立つと決めて、料理の本を開きながらハンバーグをこねた。
形は不揃いで、ソースは焦げた。
それでも娘は「お店のより好き」と言って、二つも食べた。
食後、息子が眠ったあと、ケーキの箱の紐を几帳面にほどきながら、娘が言った。
「パパ、おりょうり、ちょっとずつ教えてあげるね」
教わる側のはずの子に、教えると言われて、私は笑った。笑いながら、少しだけ泣いた。
その年の秋、大きな仕事が入った。
山あいの市に新しい音楽ホールができて、舞台のフルコンサートグランドを開館までに仕上げる。十日間、家を空けることになる。
断るつもりだった私に、手伝いに来てくれていた実家の母が言った。
「行っといで。子どもらはちゃんと見とくから。あんた、仕事まで手放したら、ほんとうに空っぽになるよ」
母は半ば強引に鞄へ着替えを詰め、私を送り出した。
出張先から、私は毎晩、家に電話をかけた。
「パパ? きょうね、まーくん、お絵かきで花マルもらったんだよ」
「そうか。何を描いたんだ」
「おふね。パパのいる町の、おっきいおふねなんだって」
「見たこともないのにな」
「テレビで見たんだもん。あとね、おばあちゃんとコロッケ作った。パパのぶんは冷凍してあるからね」
「ああ。楽しみにしてる」
「あのね、それからね……ううん、やっぱりなんでもない」
「なんだよ、気になるな」
「帰ってきてからの、お楽しみ」
電話を切る間際、受話器の向こうで娘は早口に付け足した。
「……パパ、ごはん、ちゃんと食べてる?」
八歳の子の台詞ではない。
「食べてるよ」と答えた私の声は、たぶん少し震えていた。
二人を安心させるための電話のはずだった。受話器の向こうの声に救われていたのは、どう考えても私のほうだった。
ホテルの窓から見える知らない街の灯りは、家の灯りと同じ色をしているのに、ずいぶん遠かった。
ホールの仕事は、夜が深かった。
誰もいない千二百席の客席に向かって、八十八の鍵盤をひとつずつ合わせていく。
ハンマーのフェルトに針を入れ、音の角を取る。指先に伝わる弦の張りが、夜ごと素直になっていく。
最後の晩、仕上がった鍵盤で、私はあの子守歌を一度だけ弾いた。
妻の揺れには、やっぱり届かなかった。それでも残響が、三秒だけ暗い客席を満たして消えた。
※
出張から戻って間もなく、息子の幼稚園で運動会があった。
十月の空に万国旗が鳴り、砂埃と綿菓子の匂いが入り混じる。
前の晩、私は母と二人で重箱に卵焼きと唐揚げを詰めた。形の崩れた卵焼きを、母は笑って端に寄せた。
開会式のピストルの音に、息子が私の膝の上で飛び上がった。
プログラムの中ほどに、その種目はあった。
『おやこでダンス』。
園児と母親が手をつなぎ、輪になって踊る、毎年恒例のお遊戯だという。
事前のお便りを見落としていた私は、プログラム表を握ったまま、血の気が引くのがわかった。
周りは母親ばかりだ。三歳の息子に、それを呑み込めというのか。
去年までは、妻が出ていた。外泊許可をもらってまで、輪のいちばん端で、ゆっくりと踊っていた。
あの日の写真は、今も居間の棚に飾ってある。
入場門の前で、園児たちがそわそわと親を探しはじめる。
私が腰を浮かせかけた、そのときだった。
「まーくん、いくよ」
娘だった。
いつの間に席を立ったのか、入場門の脇で、息子に向かって手を差し出していた。
娘の小学校の運動会は、春に終わっている。今日は朝から、お弁当を手伝うのだと張り切っているだけだと思っていた。
息子は一瞬きょとんとして、それから、はじけるように笑った。
「ねえね!」
その呼び声に、観客席の何人かが振り返った。事情を知る近所のおばさんが、口元を手で覆うのが見えた。
小さな手が、小さな手を握る。
二人は手をつないだまま、母親たちの輪の中へ走って入っていった。
曲が流れる。
古いスピーカーの割れた音が、十月の風に流されて、空の高いところで鳴っていた。
娘は息子の目の高さまでかがみ、両手を取って、くるりと回ってみせる。
息子が声を上げて笑う。振り付けを、ひとつも間違えずに。
周りの母親たちが、目元を押さえながら拍手をしていた。
私は訳がわからないまま、ただその光景を見ていた。
隣に座っていた母が、前を向いたまま、ぽつりと言った。
「あの子ね、あんたが出張に行っとる間、まーくんが夜泣きしたとき、こう言うたんよ」
「『ママはもういないけど、ねえねがいるでしょ。ほんとうはパパも、とってもさみしいの。でもパパは泣かないでしょ。まーくんも男の子だもんね。だから、だいじょうぶだよね。これからは、ねえねが、パパとまーくんのママになるから』……そう言うて、あの歌をうとうたんよ。あんたの奥さんの、あの歌を」
「それからね、毎晩まーくんと、お遊戯の練習しとった。本番でまーくんが困らんように。あんたには内緒や言うて」
電話の向こうで娘が隠していた「お楽しみ」の正体を、私はこのとき知った。
あとで聞けば、娘は前の日に園へ自分で電話をかけ、「弟といっしょに出てもいいですか」と頼んだのだという。
受話器の向こうで、若い先生はしばらく返事ができなかったらしい。
グラウンドの真ん中で、娘が笑っていた。
体操服の袖をまくり上げ、弟の手を引いて、母親たちの誰よりも大きく手を振って。
八歳の子が、この家を守ろうとしている。私の代わりに。
私は場所もわきまえず、流れるものを止めることができなかった。
種目が終わると、息子が真っ先に駆けてきた。
「パパ、みてた? ねえねとおどった!」
「ああ、見てた。世界でいちばん上手だった」
息子は得意げに鼻をこすり、もう次の種目の列へ走っていった。
母がハンカチを畳み直しながら、「ええ運動会やね」と言った。それだけ言うのに、ずいぶん時間がかかっていた。
昼休み、重箱を三人と母とで囲んだ。娘は崩れた卵焼きを真っ先に取って、「これ、パパのでしょ」と笑った。
帰り道、三人で手をつないで歩いた。
夕陽が、長い影を三本、アスファルトに引いていた。
私は娘の手を、少しだけ強く握って言った。
「ねえね、ありがとうな。でも、パパの前では泣いていいんだぞ」
娘はしばらく黙っていた。
「……うん」
返事の代わりみたいに、つないだ手の力が強くなった。
その夜、娘は私の布団に潜り込んできて、久しぶりに、年相応の子どもみたいに泣いた。
私はただ、小さな背中を撫で続けた。風呂場の前で立ち尽くした、あの夜のぶんまで。
※
あれから十年が経つ。
息子は十三歳になった。声変わりの途中で、姉にだけは未だに頭が上がらない。
台所の壁には、今も当番表が貼ってある。何度も書き換えられた紙の上で、いつからか三人ぶんの名前が並ぶようになった。
娘はこの春、東京の大学へ出る。教育学部で音楽を学ぶのだという。
「先生になったらね、お母さんがいない子がいても、ぜったいに気づいてあげられるから」
それが志望理由のすべてだと、娘は言った。進路の紙を見せられた夜、私は何も言えずに、ただ何度も頷いた。
昨夜、荷造りの段ボールの隙間に、あの藍色の割烹着が畳んで入っているのを見つけた。
「持っていくのか」と訊くと、娘は少し笑った。
「だって、向こうでもごはん作るもん。これ着ると、なんでもうまくいく気がするの」
割烹着は、もう娘の体に合っていた。
裾を折る必要も、紐を二重に巻く必要も、とっくになくなっていた。
出発の前夜、娘は居間の古いアップライトで、あの子守歌を弾いた。
左手が波のように揺れる。妻の揺れだった。
息子が照れくさそうに隣に座り、最後まで聴いていた。
弾き終えたあと、鍵盤の蓋をそっと閉じて、娘がぽつりと言った。
「この曲ね、ママが病院で教えてくれたの」
「鍵盤の上に、ママの手と重ねて、何度も何度も」
「『パパとまーくんが眠れない夜があったら、歌ってあげてね』って。だから私、ずっと宿題みたいに練習してたんだ」
十年越しに、答え合わせをもらった気がした。
最期の朝の囁きも、きっとあの宿題の念押しだったのだろう。
あの夜、襖の向こうで聞いた柔らかい揺れは、妻が娘の小さな手に遺していった、置き土産だったのだ。
「音、ちょっと下がってるね」と娘が言うので、朝いちばんに合わせると約束した。これでも調律師だからね、と。
お父さんは、君に何かしてあげられただろうか。
ずっと、してもらってばかりだった気がするよ。
今朝の港は晴れて、防波堤の向こうで海が光っている。
駅までの道を、三人で歩く。息子が娘の鞄を、何も言わずに持っている。
改札の前で、娘が振り返る。
潮の匂いのする風が、ホームの方から吹き抜けていく。
私は決めていた言葉を、今度こそ、ちゃんと声に出して言う。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、まーくんにとっても。ありがとう。