淡路の、線香の匂いがしみた家
淡路島の江井という町で、線香を作っています。
島の西側の、坂の多い集落です。
浜から風が上がってくる日は、町じゅうが香ります。
観光の人はそれを風流だと言いますが、住んでいる者にとっては、洗濯物の匂いです。
私の仕事は、押し出しと盆切りです。
杉の葉の粉と糊を練った生地を、機械から細く押し出す。
出てきた線を、木の板の上で揃えて、長さを切る。
それだけの工程を、二十四年やってきました。
妻は乾燥場で、生舟という浅い木箱に線香を並べる係でした。
三日から一週間、風の通る棚で乾かします。
雨の日は棚を動かさない。
それがこの仕事の、いちばん大きな決まりでした。
私の作業着の胸ポケットには、歯の欠けた木の櫛が、いつも一本入っていました。
線香を筋分けするための道具です。
父から譲られたもので、真ん中あたりの歯が二本、折れていました。
折れているほうが手に馴染むと言って、父はずっとそれを使っていました。
私も、同じ理由で使い続けていました。
※
妻が免許を取った年
妻が免許を取ったのは、長女が三つのときでした。
島の暮らしは、車がないと成り立ちません。
それまでは、私が仕事を抜けて保育所に走っていました。
押し出しの機械は、途中で止められません。
生地が固まってしまうからです。
先代の社長は、それでも一度も嫌な顔をしませんでした。
「機械はな、また動く。子どもは、待たん」
そう言って、代わりに櫛を持ってくれました。
ただ、私が抜けるたびに、その日の生地は必ずどこかが揃いませんでした。
妻は、それを知っていました。
だから、三十八で教習所に通ったのです。
夜の部でした。
乾燥場の仕事を終えて、そのまま自転車で坂を下りていきました。
「あんた、無理せんでええで」
「無理しとるのは、あんたのほうやん」
三回落ちて、四回目で受かりました。
白のワゴンは、その一週間後に来ました。
納車の日、長女は助手席のシートベルトを何度も引っ張って遊んでいました。
妻は、その手を叩きませんでした。
「これで、どこでも行けるな」
そう言ったのを、覚えています。
※
坂道と、配られた紙
その冬のことも、もう少し書いておきます。
浜へ下りる県道は、片側が斜面で、ガードレールの入っていない箇所がいくつもありました。
秋から冬にかけて、その道で大きな事故が続きました。
一件目のあと、町内放送が流れました。
二件目のあと、保育所から紙が配られました。
三件目のあと、紙の色が黄色になりました。
大人は、そういう紙を、たいてい一度読んで冷蔵庫に貼ります。
子どもは、それを何度も読みます。
うちの冷蔵庫の紙は、下のほうが手垢で黒くなっていました。
妻が運転して出ていくとき、長女は必ず玄関に出て、見送るようになりました。
手も振りません。
車が坂を曲がって見えなくなるまで、そこに立っているのです。
「入っとき、寒いやろ」
「まだ」
「まだって、なんや」
答えませんでした。
いま思えば、あの子はあのころ、毎朝、送り出すことを仕事のようにしていました。
五つの子が背負うには、重い仕事でした。
※
妻が長女を叱っていた日
ある日、家に帰ると、妻が長女のキョーコをこっぴどく叱っていました。
玄関先まで声が届いていました。
「キョーコが、何かしたんか」
「うちの車を、釘みたいなもんで引っ掻いとるんよ」
妻は、そのころ軽自動車で保育所の送り迎えをしていました。
中古で買った、白のワゴンです。
ローンがまだ二年残っていました。
「なんで、そんなことしたんや」
長女は、答えませんでした。
俯いて、玄関の三和土のあたりを見ています。
叱られている子どもの顔ではありませんでした。
怒られるのを待っている顔でもありません。
何かを言うまいと決めている顔でした。
そのときの私は、そこまで読み取れませんでした。
ただ、妻の声が高くなるのを聞きながら、面倒なことになったと思っただけです。
「あんた、なんか言うてやってよ」
「見てくる」
私は懐中電灯を持って、外へ出ました。
※
懐中電灯に浮かんだ字
三月の、風の冷たい晩でした。
車は、家の脇の砂利のところに停めてありました。
運転席側のドアを照らしました。
光の当たり方で、傷は見えたり消えたりします。
斜めから当てたとき、それが浮かび上がりました。
覚えたてのひらがなで、こう書いてありました。
「おかさん そだてくえて あいがとお いつもくるまに きおつけて」
言葉が、出ませんでした。
懐中電灯を持ったまま、しばらく動けませんでした。
「そだてくえて」の「く」が、少し大きく、はみ出していました。
「あいがとお」は、最後の「お」だけが、二回なぞってありました。
その年の冬、町では大きな事故が続いていました。
浜へ下りる坂道で、ガードレールのない箇所が多いのです。
保育所からも、家庭への注意の紙が何度も配られていました。
子どもたちは、それを大人が思うよりずっと真剣に聞いていたのだと思います。
私は家に戻って、妻を呼びました。
「ちょっと来い」
「なんね」
「ええから、来い」
妻は懐中電灯の光の先を見て、口を手で押さえました。
それから、そのまま砂利の上にしゃがみ込みました。
長女は、玄関の陰から、それを見ていました。
※
謝らせてしまった夜
その晩、妻は長女に謝りました。
抱きしめて、何度も謝っていました。
長女は、されるがままでした。
嬉しそうでもなく、ほっとした様子でもありませんでした。
私は、その様子がずっと引っかかっていました。
感謝の言葉を書いたのなら、見つかったときに、少しは得意そうな顔をするものです。
あるいは、褒められて笑うはずです。
長女は、どちらでもありませんでした。
まだ何かを、隠しているような顔でした。
寝る前に、私は聞きました。
「キョーコ、なんで最初に言わんかったんや」
長女は、布団の中で首を横に振りました。
「怒られると思ったんか」
また、首を振ります。
「ほな、なんでや」
答えは、返ってきませんでした。
もちろん、その『落書き』を、私は今も消していません。
ただ、消さなかった理由は、そのときと今とでは違っています。
※
妻が気づいた、傷の幅
気づいたのは、妻でした。
数日後、洗車をしていて、指で傷をなぞりながら言いました。
「これ、釘やないよ」
「なんでや」
「線が二本。ずっと、二本で来とる」
私はしゃがんで、見ました。
確かに、一画ごとに、細い線が二本ずつ並んでいました。
釘なら、一本です。
妻は、私の胸ポケットを指差しました。
「うちの人の櫛の、欠けたとこの幅と、そっくり同じ」
取り出して、当ててみました。
折れて残った両側の歯の間隔が、傷の幅と、ぴたりと重なりました。
長女が使ったのは、釘ではありませんでした。
私の道具です。
作業着は、勝手口の壁に掛けてありました。
子どもの背でも、椅子に乗れば届きます。
傷の幅は、櫛の欠けた歯の幅と、そっくり同じでした。
※
保育所の先生が覚えていたこと
翌週、私は保育所へ行きました。
担任の橋本先生は、四十代の、声の低い人でした。
事情を話すと、しばらく考えてから、こう言いました。
「キョーコちゃん、前にお父さんの仕事の話をしてくれたことがあります」
「仕事の、ですか」
「お父さんは、線を引く仕事やって」
私は、押し出しの説明を家でしたことがありました。
櫛で筋を分けると、生地の線が真っ直ぐに揃う。
そのときに、口癖のように言っていた言葉があります。
「線香の筋はな、いっぺん引いたら、もう消せんのや」
乾く前に直そうとすると、生地が寄れて、全部だめになる。
だから、迷わずに一度で引け、という意味です。
職人の理屈です。
それを、五つの子は、別の意味で受け取っていました。
橋本先生は言いました。
「あの子、こう言うてました。おとうさんのくしで書いたら、きえんのやって」
私は、その場で椅子から立ち上がりそうになりました。
消えないように書きたかったのです。
紙に書けば、なくす。
クレヨンで書けば、雨で流れる。
母親が毎日乗る車に、消えない道具で書く。
五つの子どもが考えた、いちばん確実な方法でした。
※
橋本先生は、最後に、練習帳を見せてくれました。
保育所で、ひらがなを覚えはじめた子どもたちが使うものです。
長女のページには、同じ言葉が何度も書いてありました。
「きおつけて」
マス目からはみ出したり、途中で切れたりしながら、十行以上、続いていました。
「これ、いつのですか」
「二月の半ばです」
車に書かれたのは、三月です。
あの子は、一か月近く、練習していたことになります。
言いたい言葉があって、それを書けるようになるまで待っていた。
そういう順番だったのです。
「そだてくえて」の「く」がはみ出していたのは、練習していない字だったからでしょう。
あとから足したのだと思います。
本当に書きたかったのは、最後の五文字のほうでした。
※
黙っていた本当の理由
それでも、まだ分からないことが残っていました。
なぜ、最初に言わなかったのか。
言えば、あの晩の叱責は五分で終わっていたはずです。
橋本先生は、続けてこう言いました。
「キョーコちゃん、お道具のことを、すごく気にしてました」
「道具、ですか」
「おとうさんの、しごとのもん、かってにさわったらあかんのやろ、って」
私は、返す言葉がありませんでした。
いつだったか、長女が作業着のポケットをいじっていたときに、私は強く叱ったことがあります。
叱ったというより、反射的に手を払いました。
職人にとって道具は、そういうものだからです。
長女は、それを覚えていました。
母親への言葉を書いたと言えば、何で書いたのかを訊かれる。
訊かれれば、父の櫛を持ち出したことがばれる。
ばれれば、父が叱られる、と長女は思っていました。
子どもの理屈では、道具を管理していなかった大人のほうが悪いことになるのです。
母を喜ばせたくて書いたものを、父を庇うために黙っていた。
娘は、私を庇って、黙っていたのです。
そのために、母親から十五分間、叱られ続けていました。
※
父の櫛が、二本折れていた理由
父の代のことを、母から聞いたのは、ずっとあとです。
父の櫛の歯が二本折れているのは、使い込んだからではありませんでした。
私が三つのころ、父の作業着をいじって、櫛を土間に落としたことがあるそうです。
石の上で、真ん中の二本が折れました。
父は、その櫛を捨てませんでした。
買い直しもしませんでした。
「折れとるほうが、手に馴染む」
そう言い続けて、定年まで使いました。
母は、こう言いました。
「あんたに、悪いことしたと思わせとうなかったんよ」
私は、その櫛を、二十四年、胸ポケットに入れていました。
折れた理由を知らないまま、父の言い分をそのまま信じて。
そして、その櫛で、私の娘が、母親への言葉を刻みました。
折られた道具が、二代にわたって、同じ働きをしたことになります。
親が子を庇って黙るということを、私は父から一度も教わっていません。
教わっていないのに、娘がそれをやっていました。
どこから伝わったのか、いまも分かりません。
※
櫛を、渡す
家に帰って、私は長女を膝に乗せました。
胸ポケットから、櫛を出しました。
「これ、使うたやろ」
長女の肩が、はっきりと固くなりました。
「怒っとらん」
「ほんま」
「ほんまや」
私は、櫛を長女の手に握らせました。
「これ、おまえのや」
「え」
「じいちゃんが父ちゃんにくれたやつ。今度は、おまえの」
長女は、櫛の欠けたところを、指でしばらく触っていました。
それから、小さな声で言いました。
「これで書いたら、きえんのやろ」
「消えん」
「ほな、もっぺん書いてもええ」
「あかん」
妻が台所で吹き出しました。
その日から、長女は櫛を筆箱に入れて持ち歩くようになりました。
使いはしません。
ただ、入れているのです。
※
二十年後の、白いワゴン
あの車は、その後八年乗りました。
手放すとき、業者の人が査定表を見ながら、傷のことを言いました。
「ここ、板金しときますか。値段、少し変わりますよ」
「そのままで」
「でも、目立ちますよ」
「そのままで、お願いします」
妻は、引き渡しの日に、その部分を写真に撮りました。
いま、その写真は台所の柱に貼ってあります。
色が褪せて、字はほとんど読めません。
読めなくても、妻も私も、全部言えます。
長女は今年、二十六になりました。
島を出て、神戸で働いています。
去年の暮れ、車を買ったと電話がありました。
「中古やけどな」
「気ぃつけて乗れよ」
「うん」
それから、少し間があって、こう言いました。
「あの櫛、まだ持っとるで」
私は、返事をするのに時間がかかりました。
電話の向こうで、娘が笑っていました。
「なんで泣くん」
「泣いとらん」
妻が横で、受話器を取り上げました。
※
あの晩のことを、妻は今も少し引きずっています。
十五分間、叱り続けたことです。
「わたし、あの子の顔、ちゃんと見とらんかった」
「見とったら、分かったか」
「分からんかったと思う。それが、いややねん」
妻は、そう言って笑いました。
笑うまでに、二十年かかりました。
子どもは、大人が思っているより、ずっと先まで考えています。
そして、考えたことを、うまく説明できません。
説明できないぶんを、行動で埋めようとします。
だから、道具を持ち出したり、黙り込んだりするのです。
あの三月の晩、私たちが見ていたのは、車の傷でした。
あの子が見ていたのは、坂道と、冷蔵庫に貼った黄色い紙でした。
※
神戸から娘が帰ってきたのは、去年の盆でした。
玄関を上がってすぐ、台所の柱の写真の前で足を止めました。
色の褪せた、あの一枚です。
「これ、まだ貼っとん」
「貼っとる」
「恥ずかしいわ」
そう言いながら、しばらく動きませんでした。
夕飯のあと、乾燥場を見たいと言うので、二人で工場まで歩きました。
夜の乾燥場は、風の音しかしません。
生舟が棚に並んで、線香が呼吸をしています。
娘は、その匂いを吸い込んで、こう言いました。
「うち、この匂い、ずっと嫌いやってん」
「知っとる」
「でもな、神戸で線香の匂いしたとき、泣きそうになった」
私は、何も言いませんでした。
言うと、こちらが先に泣いてしまうからです。
帰り道、娘は筆箱から櫛を出して、手のひらに乗せて見せました。
歯の欠けたところが、二十年前より少しだけ、丸くなっていました。
使っていないはずなのに、指で触り続けた跡です。
※
いっぺん引いたら、消せない
線香の筋は、いっぺん引いたら消せません。
それは、失敗が許されないという意味で、私はずっとそう教わってきました。
いまは、少し違うふうにも思います。
消せないというのは、残るということです。
二十年前の三月の晩に、五つの子が、消えない道具で書いた五つの言葉。
あれは、車の板についた傷ではありませんでした。
この家に引かれた、一本の筋でした。
親が子に伝えたつもりのないことが、思わぬ形で伝わってしまう話については、こちらの一編にも同じ手触りがあります。
また、子どもの言葉が大人の見え方をまるごと変えてしまう瞬間については、この話を思い出します。
私は今日も、胸ポケットに櫛を入れています。
長女に渡したあと、父の遺した二本目を、母が押入れから出してきました。
やはり、歯が二本、折れていました。
この家の男は、代々、同じところを折るようです。