悲しい時は泣くんだよ
家内を亡くしました。
お腹に第二子を宿した彼女が乗ったタクシーは、病院へ向かう途中、居眠り運転のトラックと激突。即死のようでした。
警察から連絡が来た時は、酷い冗談だと思いました。
今朝もいつものように、笑顔で送ってくれたのに。
冷たくなった彼女と対面しても、現実の事態として理解出来ませんでした。
※
帰宅して呆然としているところ、トラックを運転していた男性の父親と、男性の婚約者の訪問を受けました。
父親は土下座しながら、
「自分と家内が死んでお詫びするから、息子には生きて行く事を許して欲しい」
と言います。
警察から聞いたところによると、入院している母親の治療費を稼ぐために男性は無理な労働をしており、それが居眠り運転をした原因のようでした。
同様に土下座している婚約者に目をやると、若くて綺麗な女性にも関わらず、荒れた手をしています。
本来ならとっくに結婚しているところ、運転手の母親の入院のために延期し、彼女もまた入院費を捻出するために懸命に働いていると聞きました。
私は何と言葉を掛ければ良いのか分かりませんでした。
罵ることが出来る相手だったら良かったのに。
※
家内の葬儀には、トラック運転手が警察官に伴われて参列しました。
彼には思い切り罵詈雑言をぶつけ、殴ってやろうと思いました。
一生憎むつもりでした。
しかし、震えながら土下座し、私の顔を見ることの出来ない彼を見ると、
「彼もまたこれから苦しみを背負って行く人間なのだろう」
という思いが過りました。
「つまらない人間のために家内を亡くしたと思いたくない。罪は罪として償ってもらうが、その後はきちんと生きて欲しい」
私が彼に掛けた言葉です。
正しかったかどうか分かりません。本当の私の本音かどうかも分かりません。
ただ、私には彼を憎むことが出来ませんでした。
震える声で返事をする彼を見ると、私の気持ちは伝わったようです。
怒りをぶつけられる相手だったら良かったのに。彼、そして彼の家族に会わなければ良かった。
※
葬儀の後、ようやく一人になることが出来て、ウィスキーを舐めていると3歳の長男が起きて来ました。
そして、私の横に座りながら、
「お母さん大好きだったんでしょ。居なくなって悲しいんでしょ。悲しい時は泣くんだよ」
と言うのです。
私は息子の前でも家内を愛していることを口に出す父親でした。
好きな女と生きて行ける幸せをいつも伝えていました。
息子相手に、付き合った時にどんなに楽しかったか、私の子供を生んでくれてどんなに嬉しかったか、どれくらい幸せにしてくれたか、と家内の思い出をぽつぽつと語っている内に、涙が止まらなくなりました。
今思えば、この時になってようやく、家内及びお腹の子の死を現実のものとして捉えることが出来ました。
そう、悲しくて泣くことによって。凍結した感情が解凍したことによって。
情けない父親でごめんな。
※
交通刑務所に居るトラック運転手から、時折手紙が届きます。
謝罪を綴った言葉ばかりですが、行間から彼もまた苦しんでいる様子が伺えます。
人の命を奪った自分が生きて行っても良いのだろうか、と。
また、彼の婚約者から毎月手紙と共に金が送付されて来ます。
最初は受け取りを拒否しようと思いましたが、考えを変え、新しく作った口座に預金しています。
彼が出所したら、ファイルに綴じた彼の手紙と共に通帳を渡すつもりです。
そして、
「これらのものを背負いつつ、きちんと人生を歩んで欲しい」
と伝えるつもりです。
※
私たち親子もまた、大事な家族を失った事実を背負って生きて行きます。
私は父親として、社会人として一生懸命な背中を息子に見せ、息子の目に映る私は、誰よりも強い男であるべく努めたいと思っています。
家内が安心出来るように。二人で頑張って行きます。
だから時々泣くことは許して欲しい。誰にも分からないようにするから。