少女に伝えること

公開日: 悲しい話 | 戦時中の話

終戦時の東京(フリー写真)

第二次大戦が終わり、私は多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務に就いていました。

ある暑い日の出来事でした。私は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、ご主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていました。

留守家族の多くの人は、殆ど痩せ衰え、ボロに等しい服装の人ばかりでした。

ある時、ふと気が付くと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女がチョコンと立って、私の顔をマジマジと見つめていました。

「あたし、小学校二年生なの。

おとうちゃんは、フィリピンに行ったの。おとうちゃんの名は、○○○○なの。

いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。

それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」

顔中に汗を滴らせて、一息にこれだけ言うと、大きく肩で息をしました。

私は黙って机の上に差し出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの通知書がありました。住所は、東京都の中野です。

私は帳簿を捲って氏名の欄を見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていました。

「あなたのお父さんは…」

と言いかけて、私は少女の顔を見ました。痩せた、真っ黒な顔。伸びたオカッパの下に切れ長の眼を一杯に開いて、私の口唇を見つめていた。

私は、少女に答えねばならぬ、答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯抑え、どんな声で答えたか今となっては分かりません。

「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」

と言ったところで、声が続かなくなりました。

その瞬間、少女は一杯に開いた眼を更にパットと開き、そして、わっとべそをかきそうになりました。

涙が眼一杯に溢れそうになるのを必死に堪えていました。

それを見ている内に、私の眼が涙に溢れて、頬を伝わり始めました。私の方が声を上げて泣きたくなりました。

しかし少女は、

「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。

おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」

私は黙って頷き、紙を出し書こうとして俯いた瞬間、紙の上にポタポタ涙が落ちて、書けなくなりました。少女は不思議そうに私の顔を見つめています。

やっと書き終わって、封筒に入れ少女に渡すと、小さな手でポケットに大切に仕舞い込み、腕で押さえて項垂れました。

涙を一滴も落とさず、一声も声を上げませんでした。

肩に手をやって、何か言おうと思い顔を覗き込むと、下口唇を血が出るまでに噛み締めて、カッと眼を開いて肩で息をしていました。

私は声を呑み、暫くして、

「おひとりで、帰れるの」

と聞きました。

少女は私の顔を見つめ、

「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。

おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。

だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」

と、改めて自分に言い聞かせるように、こっくりと私に頷いて見せました。

私は、体中が熱くなってしまいました。

そして帰る途中で、小さな手を引く私に、

「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。

だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。

あたしは、泣いてはいけないんだって」

と話すのです。

何度も何度もその言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていました。

関連記事

水族館

忘れられない君への手紙

あなたは本当に、俺を困らせたよね。 あの日、バスの中でいきなり大声で「付き合ってください!」って言った時から、もう、困ったもんだ。 みんなの視線が痛かったよ。 初デ…

和室(フリー写真)

お父さん頑張ろうね

俺の会社の友人は、4年前に交通事故で奥さんと当時4歳の長男を亡くした。 飲酒運転の車が歩行中の二人を轢き殺すというショッキングな内容で、ワイドショーなどでも取り上げられたほど凄惨…

阪神・淡路大震災(フリー写真)

色褪せたミニ四駆

小学4年生の時の1月15日、連休最初の日だったかな。 いつものメンバー5人で、俺の住んでいたマンションで遊んでいた。 当時はミニ四駆を廊下で走らせ、騒いでは管理人さんによく…

親子の後ろ姿(フリー写真)

育ての親

私には、お母さんが二人居た。 一人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。 もう一人は……。 ※ 私の17歳の誕生日に、母が継母であることを聞かされた。 私を生んで…

兄妹(フリー写真)

たくましいお兄ちゃん

親戚にとても仲の良い幼い兄妹が居た。 兄は3才の康介ちゃんで、妹は2才の愛ちゃん。 当時21歳だった俺にとっても、可愛くてたまらない子供達だった。 ※ しかしある年末、…

戦闘機

戦時の影

私が今、介護福祉士として働いているところに、とある老人がいる。彼は普段から明るく、食事もよく食べ、周囲を和ませる存在だ。 先日、妹が修学旅行で鹿児島に行く話をしたとき、彼が珍し…

雲海

空の上の和解

二十歳でヨーロッパを旅していた時の実話です。ルフトハンザの国内線でフランクフルト上空にいた時、隣に座ったアメリカ人の老紳士に話しかけられました。日本の素晴らしさについて談笑していると…

カップル

途切れた言葉

あの日、些細なことから彼女と言い争いをしていた。 心の中では、今にも許し合えるような感じがしていたが、彼女は険悪な雰囲気のまま、仕事へと向かってしまった。 その後、私は友…

柴犬(フリー写真)

愛犬が教えてくれたこと

俺が中学2年生の時、田んぼ道に捨てられていた子犬を拾った。 名前はシバ。 雑種だったけど柴犬そっくりで、親父がシバと名付けた。 シバが子犬の頃、学校から帰って来ては…

北部ソロモン諸島(ブーゲンビル島)の戦い

貴様飲め!

俺のおじいちゃんは戦争末期、南方に居た。 国名は忘れたけど、とにかくジャングルのような所で衛生状態が最悪だったらしい。 当然、マラリアだのコレラだのが蔓延する。 おじ…