父の柄杓に残る十八の刻み

父の柄杓に残る十八の刻み

父が泣いているのを見た夜

父が泣いているのを見たのは、後にも先にも、あの一度きりでした。

私がまだ、幼稚園にも上がる前のことだったと思います。

夜中にふと目を覚ますと、枕元に父がいて、私の顔をじっと覗き込んでいました。

そして、声を殺して、肩を震わせていました。

暗い部屋の中で、父の頬だけが、濡れて光っていました。

大人が泣くところを初めて見た私は、夢と現実の境が分からないまま、また眠ってしまいました。

翌朝にはもう、それが本当にあったことなのか、自分でも曖昧になっていました。

※

十一月になると、父は家を出ていきました

私の父は、南部杜氏でした。

岩手の、石鳥谷という町の生まれです。

この町では、田を終えた男たちが、冬になると酒蔵へ働きに出ました。

十一月の初めに家を出て、帰ってくるのは、桜の咲く四月です。

父の行き先は、灘の蔵でした。

一度出れば、半年は帰りません。

手の甲がひび割れて、指の腹だけがふやけたように白い、無口な人でした。

私にとって父は、たまにしか家にいない、仏壇の脇の写真立てのような存在でした。

ですから、その人が枕元で泣いていたという記憶は、ずっと夢か何かだと思っていたのです。

※

父が発つ朝は、家じゅうが早くから起きていました。

母が黙って握り飯を包み、祖母が玄関で塩を撒きます。

父は柳行李をひとつだけ提げて、まだ暗い道を、駅のほうへ歩いていきました。

私はいつも、母の背中におぶわれて、その背中が細くなっていくのを見ていました。

半年後、その人が帰ってくるまで、家の中はどこか、しんと静かでした。

※

※

父が帰る日には、決まって同じ土産がありました。

途中の駅で買う、白い薄皮の饅頭です。

母はそのたびに、「また、これ」と言って笑いました。

父は、「これしか売っとらん」と、毎年おなじ返事をします。

本当は、駅にほかの土産もたくさんありました。

母が一度だけ、この饅頭を美味しいと言ったことがあったのだそうです。

父はそれを、二十年、覚えていました。

蔵では、身内の名を呼びません

蔵に入った男たちには、いくつもの決まりがありました。

爪は短く切ること。

匂いの強いものを食べないこと。

そして、蔵の中では、身内の名を呼ばないこと。

呼べば、心が家に残ってしまうからだと、父は一度だけ話してくれました。

身内の写真も、蔵へは持ち込まない決まりでした。

父は、私の写真の一枚も、持って出ることができなかったのです。

※

その代わりに、父が必ず持って出るものが、ひとつだけありました。

自分の柄杓です。

檜の柄に、竹の輪をはめただけの、そっけない道具でした。

蔵の柄杓は蔵のものですが、父はなぜか、自分のものを持って歩いていました。

父の柄杓の柄には、細かい刻みが、いくつも入っていました。

私はそれを、蔵にいた日数を数えているのだろうと、勝手に思っていました。

半年で百八十くらいになるはずなのに、刻みは、十いくつしかないのに。

※

半年経てば、子どもは父の顔を忘れます

父が帰ってくる日は、母が朝から落ち着きませんでした。

畳を拭き、父の好物の煮しめを仕込み、何度も柱時計を見上げます。

玄関で、麹の匂いを連れた父が、ぎこちなく私を抱き上げる。

けれどその頃には私はもう、半年前の父の顔を、半分忘れかけていました。

知らない大きな人に抱かれた気がして、私は母の後ろに隠れてしまいます。

そんなとき父は、何も言わず、ただ寂しそうに、私を見ているだけでした。

※

幼い私には、その寂しさの意味が分かりませんでした。

父が帰ってくれば、母は嬉しそうにするのに、私はうまく甘えられないのです。

半年という時間は、子どもにとって、父の顔を忘れるには十分すぎる長さでした。

それでも数日も経てば、私は父にすっかり懐いて、膝の上から離れなくなります。

そして父はまた、私が慣れた頃に、次の冬へ発っていくのでした。

別れと再会を、私たちは年に二度、繰り返していました。

※

あの夜のことは、その後も何度かありました。

目を開けると、暗がりで父が、私を見ている。

訊いても父は、「寝ぼけてたんだべ」と言うだけでした。

母に話しても、笑って取り合ってくれません。

私もいつしか、それは小さい頃に見た夢の断片なのだと、思い込むようになりました。

父が枕元で泣くなんて、あの人に限って、あるはずがないと。

※

もう測らんでいい、と言った春

父が家を出る前の晩、母が私を柱の前に立たせるのが、毎年の習いでした。

背中を柱にぴたりとつけて、頭のてっぺんに物差しを載せます。

父はそのあいだ、少し離れたところで、湯呑みを持ったまま見ていました。

柱に鉛筆で線を引くのは、いつも母の役でした。

父は測りもせず、線も引かず、ただ黙って見ているだけです。

子どもの私には、それがつまらないことに思えました。

※

小学五年の秋、私はその習いを、恥ずかしいと言い出しました。

友達の家ではもう誰も背丈など測っていない、と、口を尖らせたのです。

母は困った顔をして、父を見ました。

父は少し黙ってから、「んだな。もう測らんでいい」とだけ言いました。

その年から、柱の線は増えなくなりました。

私は、勝ったような気がして、少しだけ得意でした。

※

家にいるようになった父

父が蔵へ行かなくなったのは、私が中学に上がる頃です。

長年の冷えがたたって腰を痛め、もう寒仕込みには耐えられなくなりました。

近くの精米所で働くようになった父は、毎晩、家にいるようになりました。

けれど、ずっと一緒に暮らしてこなかった私たちは、距離の取り方が分かりませんでした。

思春期の私は、急に家にいるようになった父を、どこか疎ましく思いました。

父も、娘とどう話せばいいのか分からないまま、ただ黙って晩酌をしていました。

※

ある正月、酔った父が、ぽつりと、お前の小さい頃の話をしようとしました。

けれど私は、もう何度も聞いた、と、邪険に席を立ってしまったのです。

父は、そうか、と言ったきり、それ以上は何も語りませんでした。

あのとき父が話したかったのは、きっと、あの夜の涙のことだったのだと思います。

聞いてあげればよかったと、ずっとあとになって、私は悔やみました。

※

高校を出て、私は仙台へ働きに出ました。

盆と正月にだけ帰る、よくある娘になりました。

父とは、相変わらず、当たり障りのない言葉しか交わしません。

元気か、と訊かれ、まあね、と答える。

それだけの関係を、私は当たり前のものとして受け入れていました。

親子とは、こういうものなのだろうと、勝手に思い込んでいたのです。

親と交わす言葉が少なかったことを、後から悔やむ人は多いのだと思います。父が捨てなかった種袋という話を読んだとき、私は自分の正月の場面を思い出して、しばらく動けませんでした。

※

※

私が家を出る朝、父は玄関に立って、柳行李の話をしました。

荷物は少ないほうがいい、余ったところに、余計なものが入るからだと。

意味が分からず、私は生返事をして家を出ました。

今なら分かります。

父の柳行李には、いつも隙間がありました。

写真も、手紙も、入れられなかったからです。

その隙間を埋めていたのが、柄杓一本だったのでした。

※

仙台での暮らしは、電話が月に一度あるかどうかでした。

受話器を取るのは母で、父はいつも、後ろのほうで咳払いをしています。

「代わる」とも言わず、「元気か」とも訊かず、ただ咳払いだけ。

私はそれを、無関心だと受け取っていました。

のちに母から、父はその時間になると必ず茶の間に座っていたと聞きました。

話すためではなく、声を聞くために座っていたのです。

出産の前の晩の、台所

やがて私は結婚し、しばらくして、子を授かりました。

つわりが落ち着いた頃、産み月に備えて、私は実家へ里帰りをしました。

久しぶりの町は、蔵に出る人もほとんどいなくなって、ずいぶん静かになっていました。

それでも、冬の入り口の、あの冷たく澄んだ匂いだけは、少しも変わりません。

年老いた父は相変わらず無口で、私の大きなお腹を、遠慮がちにちらちらと見ていました。

何か言いたげで、けれど何も言わない父の様子は、昔のままでした。

※

出産を翌日に控えた夜、私はなかなか寝つけずにいました。

明日には母になるのだという不安と高揚で、胸がいっぱいだったのです。

喉が渇いて起き上がると、台所のほうに、ぼんやりと灯りが漏れていました。

そっと襖を開けると、父が独り、湯呑みを手に座っていました。

眠れないの、と訊くと、父は、お前こそ、と小さく笑いました。

私は向かいに腰を下ろし、しばらく二人で、黙って茶を飲みました。

※

ふいに父が、ぽつりと、昔の話を始めました。

蔵にいた頃、半年ぶりに家へ帰る前の晩が、いちばん怖かったのだといいます。

仕込みの追い込みより、寝ずの番より、その晩がいちばん眠れなかったと。

私は、思いがけない言葉に、湯呑みを置いて父を見ました。

強かった父が、怖いという言葉を口にするのを、私は初めて聞いたのです。

父は、湯呑みの底を見つめたまま、ゆっくりと続けました。

※

娘がもう、自分の顔を忘れているのではないか。

知らない男が帰ってきたと、泣かれるのではないか。

そう思うと、嬉しいはずの帰りが、たまらなく恐ろしかったのだと、父は言いました。

現に、帰るたびにお前は、母親の後ろに隠れて、なかなか寄ってこなかった。

半年も顔を見せない父親なんて、子どもにとっては他人と同じだ。

それが、何より、こたえたのだと。

※

「んだから、帰った晩は、お前が寝てから、何べんも顔ば見に行った」

この顔だけは忘れまいと、暗がりで、ずっと見ていたのだそうです。

父はそこで、湯呑みに目を落として、少し照れたように笑いました。

ある晩、覗いていたら、お前がふと目を覚ましてな。

ぐずって泣かれるかと思って、身を硬くした。

ところがお前は、寝ぼけ眼で見上げて、にこっと笑ったんだ。

※

半年も留守にして、ろくに遊んでもやれない、こんな父親なのに。

それでもこの子は、俺の顔を見て、こんなに嬉しそうに笑ってくれる。

そう思ったら、不意に愛おしさが込み上げて、涙が止まらなくなった。

ひび割れたこの手で、何度も顔を拭ったよ、と父は言いました。

それが恥ずかしくて、お前に訊かれても、どうしても本当のことが言えなかった。

あれは、夢ではなかったのだと、父は四十年越しに白状しました。

※

柄杓の柄の、十八の刻み

それから父は立ち上がり、簞笥の上から、古い柄杓を持ってきました。

蔵をやめてからも、捨てずに置いてあったのです。

檜の柄は飴色に焼けて、握りのあたりだけが、黒く光っていました。

刻みは、確かに十いくつしかありませんでした。

数えると、十八ありました。

「これ、なんの数なの」と訊くと、父はしばらく黙っていました。

※

答えを聞いたのは、父が眠ったあと、母からでした。

母は洗い物の手を止めずに、こう言いました。

「柱の線ば、写して持って行ってたのよ」

父は毎年、家を出る前の晩、柱に引かれた線から柄杓の柄へ、私の背丈を移していたのです。

刻みは、私の背丈でした。

測るのは母の役でしたが、写すのは、父の役だったのでした。

※

のちに、父の兄弟子だった高橋さんに会う機会がありました。

高橋さんは、蔵での父の話を、笑いながら聞かせてくれました。

「あんたのお父さん、寝言であんたの名ば呼んでな」

蔵では身内の名を呼ばない決まりなので、翌朝はみんなでからかったのだそうです。

それから高橋さんは、柄杓のことも覚えていました。

「櫂ば入れながら、あの刻みば、指でずっと撫でとったな」

握りが黒く光っていたのは、そのせいでした。

※

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蔵の男たちは、唄を歌いながら仕事をしたそうです。

時計を見なくても、唄を何番まで歌えば、次の手順に移れる。

唄は、道具であり、時計でもあったのです。

「あんたのお父さん、唄は下手でな」と、高橋さんは笑いました。

「んだけど、数だけは絶対に間違わん人だった」

刻みを撫でていた指のことを聞いたのは、そのすぐあとです。

数を間違わない人が、娘の背丈だけは、毎年数え直していたのでした。

いちばん深い、一本の理由

柄杓の刻みには、ひとつだけ、ほかと違うものがありました。

いちばん上の一本だけが、他より深く、少し斜めに入っているのです。

それは、私が「もう測らんでいい」と言った、あの年の刻みでした。

母は、そのときのことを、覚えていました。

父はその晩、私が寝入ってから、そっと部屋に入ったのだそうです。

そして、眠っている私の頭のところに、指を当てて、暗がりのまま柄に刻んだ。

最後の一本だけが深いのは、暗がりで刻んだからでした。

※

柄杓を裏返すと、握りに隠れて見えない位置に、もう一本、ずっと古い刻みがありました。

それは父の背丈で、父が十五で初めて蔵へ出た年に、祖父が刻んだものだと母は言いました。

祖父もまた、半年家を空ける人だったのです。

忘れられるのが怖い人が、この家には、二代いたのでした。

私は、その古い刻みを、指の腹でそっとなぞりました。

気づけば、頬に涙が伝っていました。

お父さん、と呼ぶと、父は困ったように、もう寝ろ、明日は大事な日だべ、と立ち上がりました。

背を向けたその肩が、あの夜と同じように、少しだけ震えて見えました。

私は、その背中に向かって、ありがとう、とだけ言いました。

父は振り返らず、ただ小さく、んだ、と答えました。

それで、十分でした。

※

※

母は、あの年のことを話しながら、少し困った顔をしました。

「お父さん、あんたに悪いことしたって、思ってたのよ」

恥ずかしいと言わせてしまった自分が悪い、と父は言ったのだそうです。

「んだから、こっそり測るのは、今年で最後にすると」

実際、翌年から刻みは増えていません。

父は約束を守る人でした。

守らなくてよかったのに、と、今の私は思います。

私が今、覗いている顔

翌朝、私は娘を産みました。

小さな、麹の匂いもしない、温かい命でした。

その晩、私は産院のベッドで、眠る我が子の顔を、いつまでも覗き込んでいました。

この子の、今日のこの顔を、忘れたくないと思ったのです。

まつ毛の長さも、握った拳の形も、ぜんぶ覚えていたい。

気づけば私は、あの夜の父と、同じことをしていました。

※

親が子の寝顔を覗くのは、忘れないためなのだと、私は娘から教わりました。

半年ぶりに家へ帰る夜行の中で、父が何を抱えていたのか、今なら分かります。

会えない時間が長いほど、人は、忘れられることを恐れるのです。

ひび割れたあの手は、私を覚えておくための、父なりの祈りでした。

離れて暮らす人の帰り道の話を読むと、私は今でも胸が騒ぎます。雪の峠で握られた手のような話に、あの十一月の暗い道が重なるのです。

※

退院して実家に戻ると、父は孫を、こわごわと抱き上げました。

あの、伸ばしかけては引っ込めていた手で、今度はしっかりと抱いてくれました。

そして、誰にも聞こえないくらいの小さな声で、何かを語りかけていました。

きっと、忘れられたくない、とまた思っているのでしょう。

私は気づかないふりをして、台所で、静かに涙を拭きました。

※

あの柄杓は、今、私の台所の棚にあります。

酒を汲むことは、もうありません。

先日、娘の背丈を柱で測ったあと、私はその柄に、小さな刻みをひとつ入れました。

小刀を当てる手が、思ったより震えました。

あの晩の父の手も、きっとこうだったのだと思います。

強くてかっこいい父だと、子どもの私は信じていました。

ほんとうの父は、それよりずっと、優しくて、心細い人でした。

忘れないでほしいと言えない人が、代わりに刻みを残していたのです。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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