母の炊き込みご飯

母は、飯台を洗ったあと、必ず裏返して、底を乾いた布で拭いた。

表より、そこを長く拭いた。

水気が残ると木が反る。そう聞かされて育ったから、私は四十年、そういうものだと思っていた。

吉野川の下流に、木津野という小さな町がある。

藍を作る町だ。

染める町ではない。染める前の、藍の葉を発酵させて蒅にする、その手前の仕事をする町。

うちは、その蒅を作る藍師の家だった。

冬になると、寝床と呼ばれる広い土間に、刻んだ藍の葉が山になる。

水を打ち、藁で覆い、発酵させる。

山の内側は、人の熱よりずっと熱い。

放っておけば焦げる。冷ませば止まる。

だから五日に一度、山を崩して、外と内を入れ替える。

切り返し、という。

母は、その切り返しの日を、指を折って数える人だった。

寝床の匂いは、味噌に似ていた。

甘くて、少し酸い。

その匂いが強くなる日は、母の言葉が減った。

父は、その山を素足で踏む人だった。

足の裏で、熱の高いところと低いところを探すのだという。

踏みながら、ときどき咳をした。

藍の粉は、肺に悪い。

母は、父が踏み終わるのを、土間の隅で立って待っていた。

座らずに、待っていた。

私は、その匂いが好きではなかった。

学校の上履き袋にまで、その匂いが移っていたからだ。

冬の朝、寝床の戸を開けると、白い湯気が出た。

外は霜が降りているのに、山の内側は湯を張ったように熱い。

藁をめくると、粉になりかけた葉が、指にざらりと当たる。

手を入れると、手首から先だけが夏になる。

その熱さを、私は今でも手が覚えている。

嫌いだと言いながら、覚えてしまっている。

私の誕生日の夕食は、決まってかきまぜだった。

徳島の混ぜご飯のことを、うちではそう呼ぶ。

人参、牛蒡、干し椎茸、竹輪、金時豆。

別々に炊いて、別々に冷まして、酢飯に混ぜる。

最後に、庭の山椒の若葉を刻んで散らす。

「またこれ」

中学に上がった年、私はそう言った。

母は、飯台の縁を布巾で拭きながら、

「そうやねえ」

とだけ返した。

怒りもしなかった。

私は、怒らないことのほうが腹立たしかった。

父は、かきまぜの金時豆だけを、いつも皿の端に寄せた。

甘いものが飯に入っているのが、どうしても駄目なのだそうだ。

それでも母は、毎回、豆を入れた。

「入れんかったらええのに」

と私が言うと、父が先に答えた。

「入っとらんかったら、寄せる楽しみがないやろ」

母は下を向いて、笑いを噛み殺していた。

私が覚えている、いちばん柔らかい食卓の景色は、その豆の山だ。

同級生の家では、誕生日にケーキが出ると聞いていた。

うちには、いつも同じ混ぜご飯が出た。

高校二年の秋、私は友達を三人、家に連れて帰ったことがある。

文化祭の準備が長引いて、駅までの終バスを逃した日だった。

母は、突然の三人にも慌てなかった。

台所から、あの飯台を出してきた。

中には、もう、かきまぜがあった。

私は恥ずかしかった。

ケーキでもピザでもなく、混ぜご飯である。

けれど、いちばん口の悪い子が、二杯目をよそいながら言った。

「これ、なんでこんな味がすんの」

母は、山椒の葉を刻む手を止めずに、

「木の芽よ」

とだけ答えた。

その子は卒業してからも、ときどき私に聞いた。

あんたのお母さんの混ぜご飯、また食べたいわ、と。

私は、そのたびに、そうやねえ、と返していた。

母と同じ返事をしていたことに、当時は気づかなかった。

母は、藍の寝床から離れられない人だった。

真冬でも、朝の三時に起きて、寝床の温度を見に行った。

父が体を壊してからは、なおさらだった。

「ちいと見てくるけん」

その一言で、母は何度も食卓を立った。

私の誕生日にも、卒業式の日にも、立った。

戻ってくると、着物の袖に藁の屑がついていた。

それを取ろうともせず、母は飯台の前に座り直した。

そして、しゃもじで、ゆっくり切るように混ぜた。

高校を出て、私は町を離れた。

藍の匂いのしない場所へ行きたかった。

大阪で働き、二十六で結婚した。

夫の実家は堺で、盆も正月も、そちらが先だった。

帰省の日取りは、いつも直前まで決まらなかった。

「今度、いつ帰るん」

電話口で母がそう聞くたび、私は同じことを答えた。

「わからん。決まったら言うわ」

母は、必ず、

「そうか」

と言った。

それ以上は聞かなかった。

そして毎回、こう続けた。

「かきまぜ、炊いとくけん」

私は受話器を持ち替えながら、心の中で思っていた。

また、それか。

帰れる日は、年に一度あるかないかだった。

帰った日には、必ず食卓にかきまぜがあった。

炊きたてではなく、少し味の落ち着いたものだった。

「朝から作っとったん」

と聞くと、母は、

「ついでよ」

と言った。

ついで。

その言葉を、私は四十年、疑いもしなかった。

父が亡くなった年の秋、私は葬儀のあと、実家の敷居を三年またがなかった。

理由らしい理由はない。

夫の転勤があり、義母の介護が始まり、娘が生まれた。

そういう順番で、日が過ぎた。

義母は夜になると家の中を歩き回る人になった。

娘は、その音で目を覚まして泣いた。

私は台所の床に座って、二人の声を交互に聞いていた。

電話をかけようと思って、受話器を取って、置いた夜が何度もある。

何を話せばいいのか、わからなかった。

藍の話しかしない母に、私は何を返せばよかったのか。

今なら、何でもよかったのだと思う。

天気の話でも、豆の話でもよかった。

電話は、月に一度かけた。

母はいつも、寝床の話をした。

今年の葉はよう育った。今年は水が多い。今年は暖かすぎる。

そして最後に、必ず言った。

「かきまぜ、炊いとくけん」

私は毎回、

「うん」

と返した。

帰らない相手に向かって、母は同じことを言い続けた。

私は、それを母の口癖だと思っていた。

連絡が来たのは、四月の午後だった。

工場の休憩室で携帯が鳴り、いとこの声が、母が倒れたと言った。

病院に着いたときには、廊下に親戚が並んでいた。

病室は、消毒液の匂いがした。

藍の匂いは、どこにもなかった。

看護師さんが、点滴の速さを直しに来た。

「今朝はね、ご飯の話をされとりましたよ」

若い人だった。

「何のご飯かは、よう聞き取れんかったんですけど」

私は、ありがとうございます、と言った。

それ以上は聞けなかった。

母の手を握ると、指がひどく硬かった。

藍を触る人の指は、爪の際が濃い紺色になる。

洗っても落ちない。

その紺色だけが、いつもと同じだった。

母の口が、動いた。

声にならなかった。

私は耳を口元に近づけた。

「かき……ぜ……混ぜ……とい……」

そこで途切れた。

少し間があって、もう一度、息だけで続いた。

「食べ……」

それが最後だった。

私は、はい、と言った。

それしか言えなかった。

初七日が済んで、私は一人で実家の台所に立った。

片づけるつもりだった。

流しの下から、あの飯台が出てきた。

杉の、直径が二尺ほどある古い飯台だ。

縁が一か所、欠けている。

私が小学生の頃、運ぼうとして落とした欠けだった。

その飯台は、父が桶屋に頼んで作らせたものだと聞いていた。

母が嫁いできた年に、一つだけ誂えたのだそうだ。

欠けたとき、私は叱られると思って泣いた。

母は、欠けた縁を指でなぞって、

「ちょうどええわ。持つとこができた」

と言った。

以来、母はいつもその欠けに指をかけて、飯台を運んだ。

直さなかったのではない。

直す気がなかったのだと、今ならわかる。

持ち上げると、思っていたより軽かった。

四十年、水を吸っては乾いてを繰り返した木は、軽くなるものらしい。

私は、母がしていたように、それを裏返した。

乾いた布で、底を拭いた。

拭きながら、指先が引っかかった。

底に、細い線が刻まれていた。

一本や二本ではなかった。

鑿の先で入れたような浅い線が、外から内へ、渦を巻くように並んでいた。

私は、木の反り止めだと思った。

そういう細工があると、どこかで聞いた気がした。

布を置いて、数えた。

数えているうちに、手が止まった。

線は、私が帰った日の数より、ずっと多かった。

翌日、私は寝床の隣の作業場に行った。

トメさんがいた。

母より三つ下の、六十年この家で藍を踏んできた人だ。

私は飯台を持って行って、底を見せた。

トメさんは、老眼鏡を額に上げて、しばらく黙っていた。

それから、指で線を一本なぞった。

「これはな、炊いた日の印よ」

私は、意味がわからなかった。

「かきまぜを炊いた日ですか」

「そうよ。一遍炊くたんびに、一本入れよった」

トメさんは、ゆっくり首を振った。

「あんた、かきまぜが、簡単な料理やと思うとったろ」

思っていた。

残り物を混ぜるだけの、手抜きの飯だと思っていた。

「あれはな、うちの町でいちばん手間のかかる飯や」

トメさんは、指を折り始めた。

牛蒡は前の晩から水に晒す。

椎茸は朝いちばんに戻す。

具は一つずつ別の鍋で炊いて、一つずつ冷ます。

金時豆は、蜜が煮詰まるまで火から離せない。

それだけで、半日かかる。

「そんでな」

トメさんは、寝床のほうを顎で示した。

「切り返しの日は、朝の三時に一遍崩して、次に手を入れるまで、三時間ほど空くんよ」

その三時間。

藍の山が、自分の熱で温度を戻すのを待つ、その三時間だけが、母の使える時間だった。

「あんたのお母さんはな、その三時間に合わせて、切り返しの日を動かしよった」

私は、飯台の縁を握っていた。

「動かす、いうのは」

「藍の都合やない。あんたが帰る日の都合に、藍のほうを合わせたんよ」

その日の夕方、トメさんは古い帳面を持ってきた。

寝床の温度を毎日書き付けた、藍師の帳面だ。

母の字だった。

日付と、数字と、天気。

ところどころに、赤い鉛筆で丸が打ってあった。

「この丸が、切り返しをずらした日や」

丸のついた日を、私は指で追った。

七月十二日。私の誕生日だ。

三月二十日。中学の卒業式の日だ。

八月十四日。私が大阪から帰ると言って、結局帰らなかった日だ。

丸は、三年間の空白の中にも、点々と打たれていた。

父の葬儀のあと、私が一度も帰らなかった、あの三年だ。

「炊いても、誰も来ん日があったでしょう」

私はそう聞いた。

声が、思ったより細かった。

「あったよ」

トメさんは、あっさり言った。

「あんたが結婚した年から、うちの蒅は一等が取れんようになったんよ」

私は顔を上げた。

藍師の蒅には、組合の格付けがある。

切り返しの間隔が狂えば、発酵の芯が甘くなる。

甘くなれば、色が浅くなる。

「一日ずらしたら、そのぶん色が落ちる」

トメさんは、帳面の赤い丸を指でつついた。

「この丸の数だけ、あの人は自分の藍を落としとる」

私は、丸を数えようとして、やめた。

数えたところで、返せるものが何もなかった。

「お母さんは、それでよかったんですか」

私はそう聞いた。

子どもみたいな聞き方だと、自分でも思った。

トメさんは、しばらく黙ってから言った。

「藍はな、来年も葉が出る」

帳面を閉じる音がした。

「けど、あんたが十七になる年は、一遍きりよ」

「先代に言われとったはずよ」

トメさんは静かに続けた。

「藍師は、藍に合わせろ。人の都合に合わせたら、藍が痩せる、と」

それでも母は、人の都合に合わせた。

藍を痩せさせて、娘の帰る日に合わせた。

組合の格付けの日は、二月と決まっていた。

一等の札がつかなかった年、母は寄合から帰ってきて、何も言わずに寝床へ入っていったという。

トメさんは、その背中を覚えていると言った。

「詫びる相手が、藍しかおらんかったんやろね」

一等でなくなった蒅を、値切られながら出し続けた。

そのことを、母は一度も私に言わなかった。

「ようけあった」

「そういう日は、どうしとったんですか」

トメさんは、少しだけ笑った。

「あんたのお母さんはな、その日は寝床の前で、自分ひとりで食うとった」

藁の上に飯台を置いて、しゃもじも使わず、手で握って食べていたという。

「もったいないけん、言うてな」

私は、何も言えなかった。

「けど、あの人、こうも言いよった」

トメさんは、飯台の底の線を、また一本なぞった。

「炊いとかんと、来た日に間に合わん、と」

線を、私は最後まで数えた。

二百八十七本あった。

私が実家に帰った回数は、家を出てから、たぶん四十回ほどだ。

残りの二百四十いくつかは、母が一人で食べた日だ。

一本の線の裏には、半日の支度がある。

半日の支度の裏には、落とした色がある。

落とした色の裏には、値切られた金がある。

それでも母は、鑿を持って、木の底に一本入れた。

入れれば、次に炊く理由になる。

私は台所の椅子に座って、飯台を膝に載せたまま、夜になるまで動けなかった。

窓の外で、寝床の藁を押さえる石が鳴っていた。

風の強い晩だった。

母がいたら、雨戸を閉める前に、必ず一度、寝床を見に行った晩だ。

その一本一本の朝、母は三時に起きて、寝床の山を崩している。

牛蒡を水に晒し、椎茸を戻し、豆の蜜を煮詰めている。

そして、来るかもしれない娘のために、酢飯を切っている。

炊いた飯を飯台にあけると、湯気が顔に当たる。

その湯気の向こうに、母は誰を見ていたのだろう。

台所には、母のほかに誰もいない。

それでも母は、二人ぶんの器を出していたと、トメさんは言った。

片方は、洗わずに元へ戻す。

使っていない器を洗うのは、おかしいからだ。

その器を、私は今も棚の右端に置いている。

「またこれ」

中学生の私の声が、耳の奥で鳴った。

母は、そうやねえ、と言った。

怒らなかった理由が、四十年経って、やっとわかった。

怒れば、次に炊く理由がなくなる。

母は、理由を手放したくなかったのだ。

今、私は木津野に戻っている。

寝床は、私とトメさんと、若い子が二人で回している。

藍の匂いは、相変わらず好きではない。

けれど、上履き袋に匂いが移った娘が、

「くさい」

と言って笑うのを見ると、悪くないと思うようになった。

その娘は、二十四になった。

去年、大阪から連れてきた人と籍を入れた。

先月帰ってきたとき、娘は台所を覗いて言った。

「お母さんのかきまぜ、やっぱりこれが一番好き」

私は聞き返した。

「毎回おんなじやけど、飽きんの」

娘は、器を持ったまま、当たり前のような顔で言った。

「おんなじやから、ええんやん」

私は、しゃもじを持ったまま、少しのあいだ動けなかった。

娘は、私の顔を見て、少し慌てた。

「なんか、変なこと言うた」

言うてない、と私は答えた。

四十年前、私は同じ台所で、まったく逆のことを言った。

母は、そうやねえ、と受けた。

受けたまま、二百八十七回、炊いた。

「そうやねえ」

そう言うのが、精一杯だった。

炊き上がった飯を飯台にあけて、切るように混ぜる。

山椒の葉を刻んで散らす。

食べ終わって、飯台を洗う。

洗ったら、裏返す。

乾いた布で、底を拭く。

表よりも、長く拭く。

水気が残ると木が反る。

それは本当だ。

杉は水を吸う。吸ったまま置けば、真ん中から割れる。

だから拭く。

毎回、拭く。

けれど、母が長く拭いていたのは、そのためではなかったのだと、今の私は知っている。

拭きながら、線を確かめていたのだ。

自分が何回、あの子のために炊いたかを。

私は、抽斗から細い鑿を出した。

二百八十七本の内側に、新しい線を一本、浅く入れた。

藍の匂いのする指で、そこを撫でた。

まだ、母のところまでは、遠い。

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