三和土の小さなサンダル

三和土の小さなサンダル

母の家の三和土には、誰も履かない小さなサンダルが、ずっと揃えて置いてあった。

妹のお古だと、俺はずっと思っていた。

聞いたことは、一度もない。

あの小さなサンダルの意味を知ったのは、彼女と別れて三年が経ってからだ。

俺は三重の四日市で育った。

育ててくれたのは、父方の祖父母だ。

物心つく前に、俺は母の家から祖父母の家へ移された。

理由を、大人は誰も説明しなかった。

祖父母の家は、コンビナートの煙突が見える坂の上にあった。

夜になると、鉄塔の赤い灯が海のほうで点滅していた。

祖母は毎朝、俺の弁当に必ず玉子焼きを入れた。

祖父は工場の警備員で、夜勤明けによく俺を海まで連れていった。

「男は、腹減らしたらあかん」

それが祖父の口癖だった。

海沿いの護岸に座って、二人でパンを食べた。

祖父は、母の話だけは一度もしなかった。

俺も聞かなかった。

聞いてはいけない気がしていた。

祖父は代わりに、潮の匂いの話ばかりした。

「今日は北から来とるな」と、鼻を鳴らして言う。

当たっているのかどうかは、俺には分からなかった。

小学校に上がる頃、近所の子に「お前んとこ、親おらんの」と聞かれた。

「おるよ」とだけ答えて、俺はそれ以上は言わなかった。

母のことを、俺は長いあいだ、遠い親戚のように思っていた。

中学二年の夏、俺は一度だけ、勝手に母の家へ行ったことがある。

自転車で四十分かかった。

呼び鈴を押すと、母は驚いた顔で出てきた。

それから、玄関で一度、後ろを振り返った。

何を見たのか、そのときは分からなかった。

麦茶を出され、三十分話して、俺は帰った。

帰り道、なぜか胸のあたりが重かった。

年に二度か三度、四日市の塩浜にある母の家へ行く。

玄関を入ると、いつも三和土に小さなサンダルが揃えて置いてあった。

埃をかぶってもいないし、片方だけ転がってもいない。

誰かが毎日、位置を直しているような置き方だった。

つま先の向きが、いつも同じ角度で揃っている。

紐の結び目も、左右で同じ形をしていた。

妹は靴を脱ぎ散らかす子だったから、妹のものだとしたら不自然だった。

そんなことを考えたのは、ずっとあとになってからだ。

母は俺の顔を見ると、まず名前を呼ぶ。

呼ぶ前に、必ず一拍おいた。

その一拍が何なのか、子どもの俺には分からなかった。

母のところには、俺より四つ下の妹がいる。

妹は母に育てられ、俺は祖父母に育てられた。

同じ町で、別々の家で大きくなった。

妹はそのことを、一度も気にしていないようだった。

「お兄ちゃん、また来たん」と、いつも普通に迎えてくれた。

祖父は、母の話をほとんどしなかった。

ただ、年に一度だけ、母の家へ行く前の晩に言うことがあった。

「行ってこい。ちゃんと顔を見せてこい」

祖母は黙って、俺の靴を磨いてくれた。

俺は、その家で不自由なく育った。

だから、母を恨む理由も、特に持っていなかった。

恨むほど、俺は母のことを知らなかったのだ。

母は、駅前のクリーニング店で働いていた。

アイロンを一日中かける仕事だと、妹から聞いた。

会うたびに、母の指先は熱で赤くなっていた。

その手で羊羹を切り、その手で麦茶のコップを出す。

俺は、その手を一度も握ったことがなかった。

帰り際、母はいつも玄関まで出てくる。

そして、俺が靴を履くあいだ、三和土の隅を見ていた。

見ているのだと気づいたのは、ずいぶん後のことだ。

五回目の返事

大学に入ってすぐ、俺は軟式野球のサークルに入った。

マネージャーの中に、四年生の彼女がいた。

一目惚れだった。

それから半年で、四回振られた。

四回目のとき、彼女は困ったように笑った。

「私、三月で帰るんよ。それでもええの」

「ええよ」と、俺は即答した。

五回目でようやく、彼女は頷いてくれた。

「なんで五回も来るん」

「四回で諦める理由が、思いつかんかった」

彼女はそれを聞いて、声を出して笑った。

サークルの練習は、河川敷のグラウンドだった。

彼女はスコアブックを、鉛筆で几帳面につけていた。

打った選手の名前の横に、小さく丸を書く癖があった。

「なんで丸つけるん」と聞いたことがある。

「あとで見たときに、その日のこと思い出せるやろ」

俺の名前の横にも、丸がいくつかついていた。

数えたことはない。

数えなくても、多いほうだと分かっていた。

丸のついた日は、彼女が来ていた日だ。

来ていない日は、名前だけが並んでいた。

彼女の実家は、島根の出雲で建具屋をやっていた。

障子や襖の枠を作る仕事だと、彼女は説明してくれた。

「木を選ぶんが、いちばん時間かかるんよ」

「割れる木と、割れん木があるん」

「見た目やのうて、育った場所で決まるんやって」

俺は、その話を三度か四度、聞かされた。

聞くたびに、彼女は少しだけ得意そうな顔をした。

一度だけ、出雲の実家に上げてもらったことがある。

作業場は木の粉の匂いがして、鉋屑が床に積もっていた。

彼女の父は、俺の顔をまともに見なかった。

「木の話、しとらんかったか」とだけ言われた。

「聞きました」と答えると、少し口の端が動いた。

帰り際、玄関で彼女の母が、俺の靴を揃え直していた。

その手つきを、俺はどこかで見た気がした。

三月に彼女は卒業し、出雲へ帰った。

四月に、俺は大学を辞めた。

祖父が倒れて、学費を出す余裕がなくなったからだ。

自動車部品の工場に入り、朝から夕方まで金属を削った。

手が油で黒くなり、爪の際が落ちなくなった。

月に一度、夜行バスで出雲へ行った。

彼女も、二か月に一度は四日市へ来た。

遠かったが、それなりに幸せだった。

「工場、しんどない」

「しんどいけど、慣れた」

「手え、荒れとるね」

そう言って、彼女は俺の手をしばらく見ていた。

見ているだけで、握ろうとはしなかった。

工場の休憩室で、俺はよく彼女のことを話した。

同じ班の先輩に、「お前、顔が変わったな」と言われた。

「前は、誰とも目を合わせんかったやろ」

そう言われて、初めて気づいた。

俺は人の目を見て話すようになっていた。

彼女といるときだけ、俺は自分の生い立ちを普通に話せた。

「祖父ちゃんに育てられた」と、何でもないことのように言えた。

それが言えるようになるまで、二十年かかっている。

あとから思えば、あれは遠慮ではなかった。

出雲の建具屋の娘

付き合って一年が過ぎた夏、俺は彼女を母に会わせた。

塩浜の母の家に、二人で上がった。

玄関で靴を脱ぐとき、彼女は三和土の小さなサンダルを見た。

見て、少し止まって、それから自分の靴を端に寄せた。

母は、麦茶と羊羹を出してくれた。

「遠いところを、ようこそ」

彼女は「はい」と言った。

それから一時間、彼女はほとんど口をきかなかった。

聞かれたことに、短く答えるだけだった。

帰りのバス停まで、俺たちは黙って歩いた。

「緊張した」と彼女は言った。

「そうやろな」と、俺は返した。

それだけの話だと、俺は思っていた。

会わせる前の週、俺は母に何度も電話をかけた。

「羊羹より、ゼリーのほうがええかな」

「どっちでもええよ」と母は言った。

当日、テーブルには両方が並んでいた。

彼女は、そのどちらにも手をつけなかった。

バス停までの道で、彼女は一度だけ立ち止まった。

「お母さん、優しい人やね」

俺は「そうか」としか返さなかった。

バスが来るまで、彼女は俺の手を見ていた。

「その手、ええ手やね」

そう言って、彼女は初めて俺の指に触れた。

触れて、すぐに離した。

バスの窓から、彼女は一度も振り返らなかった。

振り返れないのだと、今なら分かる。

別れる少し前から、彼女はそうなっていた。

数日後、母から電話があった。

「あの子はちょっと、苦手やわ。全く話さんかった」

俺は、その一言で頭に血がのぼった。

「俺はこの人しかおらんと思っとる」

「オカンがどう思おうと、俺の自由や」

「そういう思いがあるなら、もう会わせん」

「今すぐ、あの子に謝ってくれ」

母は、少し黙ってから「わかった」と言った。

その黙り方の意味を、俺は考えもしなかった。

あとで妹に聞いた話がある。

あの電話を切ったあと、母は台所から三十分出てこなかったそうだ。

「水、ずっと出しっぱなしやった」と妹は言った。

「泣いとったんちゃう」

俺は、その話を聞いても、へえ、としか思わなかった。

母が謝ったのかどうかも、確かめなかった。

今なら、彼女が黙っていた理由が分かる。

あのとき彼女は、もう親から同じことを言われていた。

俺の生い立ちを知った日から、実家で何度も話が出ていたらしい。

彼女は、俺の母の顔をまともに見られなかったのだ。

母は、その黙り方の意味を、一時間で見抜いていた。

苦手だという言い方は、母が自分を責めるときの言い方だった。

妹に聞くと、母は昔からそうだったという。

自分が悪いと思ったとき、母は相手を苦手だと言う。

そう言っておけば、相手が悪いことにならないからだ。

不器用にもほどがある。

それでも母は、あの電話だけは自分からかけた。

苦手だと言った相手に、泣きながらかけた。

彼女は、その件について何も言わなかった。

いつもより少しだけ、電話の間が長くなった気がした。

妹が渡した番号

その年の秋、彼女から突然、別れを告げられた。

飲み会で遅くなり、連絡をしなかった夜の翌日だった。

だが、理由はそれではなかった。

「うちの親が、言うんよ」

「小さいときに親と離れとった子は、いずれ同じことをするって」

「育ちが悪い、言葉遣いも悪いって」

俺は、受話器を持ったまま何も言えなかった。

育ちのことも、言葉遣いのことも、自覚はあった。

言い返せなかったのは、そこではない。

いずれ同じことをする、というところだ。

母も、幼い頃に同じような目に遭って育っている。

それは、俺も知っていた。

知っていて、俺はいつも母にこう言ってきた。

「昔は恨んだけど、今はもう恨んどらん」

「あのことがあったから、俺は工場を選んだんや」

本当に、そう思っていた。

だが、これから先をいちばん見ていてほしい人に、そう言われた。

俺は、何も言い返さずに電話を切った。

妹と彼女は、なぜか妙に仲が良かった。

だから俺は、別れたことを妹に話した。

理由も、そのまま話した。

妹はそれを母に話し、母は妹に彼女の番号を聞いたという。

そして、母は彼女に電話をかけた。

あとで彼女から聞いた話では、母は最初から泣いていたそうだ。

「別れるとか別れんとか、そういう話やないんよ」

「あの子には、うちが辛い思いをさせた」

「それでも、今を一生懸命に生きとる」

「あの子は、あんたのことを大事に思うとった」

「うちがあんたを苦手や言うたとき、あの子は何て言うたと思う」

「うちに謝れ、言うたんよ」

「あんたは、親に言われたから別れるんか」

彼女は、泣きながら最後まで聞いたらしい。

そして俺に、「ごめんなさい」とだけ送ってきた。

それきり、連絡は途絶えた。

その冬、俺は工場の資格試験を受けた。

受かったと妹に言うと、なぜか母が赤飯を炊いたそうだ。

俺のところには、何も届かなかった。

「言うたら、気い遣わせるやろ、って」

妹はそう言って笑った。

赤飯の写真だけ、妹が送ってきた。

皿の隅に、胡麻が寄せて盛ってある。

祖母の盛り方と、同じだった。

母に感謝したのは、そのときが初めてだった。

親が黙ってしていたことは、たいてい後から分かる。

母の遺した一語を三十年かけて探した父の話を、後になって読んだ。

娘の進学に反対しながら片道四時間を走っていた父の話もある。

どちらも、本人は最後まで説明しなかった。

俺の母も、同じだった。

電話のことを、母は俺に一度も話さなかった。

妹が言わなければ、俺は今も知らないままだ。

産んでもらったことにではなく、俺を守ろうとしたことに、だ。

三和土の小さなサンダル

三年が経った。

母が足を悪くして、施設に移ることになった。

塩浜の家を片づけるため、俺と妹は二日がかりで荷物を出した。

最後に残ったのが、玄関だった。

簞笥も食器も、ほとんど処分することになった。

母は、どれを捨てても何も言わなかった。

「ええよ、ええよ」とだけ繰り返した。

妹が「お母さん、物に執着せんよね」と言った。

俺も、そのときはそう思っていた。

捨てるものと残すものを、母は妹に任せきりだった。

ただ一度だけ、「玄関は、うちがやる」と言った。

結局、その日は足が痛んで動けなかった。

三和土の小さなサンダルは、まだ同じ場所に揃えて置いてあった。

俺はそれを拾い上げ、初めて裏を返した。

底の土が、ついていなかった。

一度も外に出ていない靴の裏だった。

サンダルの底には、妹が生まれる四年前の日付が、薄く型押しされていた。

俺は、妹の顔を見た。

「うちのやないよ」と妹は言った。

「うち、それ見たことある思うけど、履いたことない」

祖父の遺した手帳が、母の簞笥の抽斗から出てきた。

表紙の裏に、鉛筆で表のようなものが書いてある。

日付の欄と、その隣に「返す日」とだけあった。

線が何度も引き直され、最後の行は空白のままだった。

日付の欄は、一年ごとに書き足されていた。

十七回、線が引き直されている。

祖父は毎年、その日を先へ延ばしていたのだ。

延ばしながら、消さずに残していた。

祖母の字で、余白に一行だけ書き足しがあった。

「あの子が、迎えに来られるようになるまで」

母のことを書いた一行だと、俺は思った。

だが、主語が誰なのかは書いていない。

妹は「お母さんやろ」と言い、俺は何も言わなかった。

祖父母は、母を憎んで俺を引き取ったのではなかった。

預かる約束で、預かっていたのだ。

そして、返す日は決まらないまま祖父が逝った。

「お兄ちゃん、これ」

妹が、簞笥の上から古い葉書を持ってきた。

出雲の消印だった。

宛名は妹で、文面は三行しかない。

「お母さんに、ごめんなさいと伝えてください」

「あのとき、私は何も言えませんでした」

「玄関の靴を、ずっと覚えています」

日付は、俺たちが別れた年の暮れだった。

妹は、それを母に渡していないと言った。

「渡したら、お母さん、また台所から出てこんようになるやん」

俺は葉書を持ったまま、三和土にしゃがみ込んだ。

妹は、俺の背中を見て何も言わなかった。

しばらくして、台所で水の音がした。

同じことを、この家は何度も繰り返してきたのだと思った。

玄関の電球が、一度だけ瞬いた。

妹がスイッチを切り、家は静かになった。

外はもう暗く、鉄塔の赤い灯だけが海のほうで点いていた。

サンダルの中に、折りたたんだ紙が入っていた。

彼女の字で、電話番号だけが書いてある。

帰り際、靴を寄せたときに入れたのだ。

母はそれを見つけて、三年間そのままにしていた。

妹に番号を聞いたのは、確かめるためだった。

あれは、母が俺を迎えに行った日に、買ったものだった。

迎えに行って、祖父母に断られて、それでも捨てられなかった靴だ。

母は、いつか俺が履く日のために、毎日その位置を直していた。

名前を呼ぶ前の一拍は、そのための一拍だったのだと思う。

俺は今、月に一度、施設へ母を訪ねる。

サンダルは、母の部屋の窓辺に置いてある。

何のためのものか、母は今も言わない。

俺も聞かない。

聞かなくても、位置はいつも、きちんと揃っている。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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