止まった柱時計は待っていた

ピアノ

俺がピアノの調律師になったのは、港町の祖母の家に、止まった柱時計があったからだと思う。

居間の壁にかかったその時計は、俺が物心ついた頃から、三時十分を指したまま動かなかった。

理由を聞くと、祖母はいつも同じ答えを返した。

「いいんだよ、あれは」

その一言の奥にあったものを、俺は十五年かかっても聞き出せなかった。

祖母は港の見える小さな家に、ひとりで暮らしていた。

坂を下りきったところにある、平屋の借家だった。

夏休みになると、俺は必ずその家に預けられた。

両親が共働きで、盆までの一か月を持て余していたからだ。

駅から歩くと、途中で必ず魚のにおいが濃くなる場所がある。

そこを過ぎると、祖母の家の屋根が見えた。

畳の部屋には、窓際に古いアップライトピアノが置いてあった。

どこから来たものなのか、誰も教えてくれなかった。

潮風が入ると、譜面台の上の埃がふわりと動いた。

祖母は上手ではなかった。

指は節くれ立っていて、和音はいつもどこか濁っていた。

弾けるのは、童謡が三つと、賛美歌がひとつだけだった。

それでも、俺はその音が好きだった。

少しだけ狂った和音が、波の音と混ざる。

それが祖母の家の匂いのように、体に染みついていた。

昼寝から覚めると、決まってその音が聞こえた。

起きてきた俺を見ると、祖母はすぐ蓋を閉めた。

縁側に座ると、庭の物干しに洗濯物が四枚だけ揺れていた。

祖母の着替えが三枚と、俺のシャツが一枚。

その割合が、あの家のすべてだった。

夕方になると、坂の下の魚屋のおばさんが顔を出した。

「孫さん、今年も来とるんやね」

「おかげさんで」

祖母は、その一言をいつも少し長く伸ばして言った。

あとで気づいたことだが、祖母はその季節だけ、魚を二人分買っていた。

夜は、蚊取り線香の煙が畳の上を這った。

電気を消すと、港の灯が障子に薄く映った。

遠くで、船のエンジンが低く鳴っていた。

「ばあちゃん、あの時計、直さないの」

布団の中から、俺は何度も同じことを聞いた。

「いいんだよ、あれは」

返事も、いつも同じだった。

一度だけ、続きがあった。

「動かん時計はな、待っとるように見えるやろ」

意味が分からず、俺は寝返りを打った。

いま思えば、あれが唯一の説明だった。

「うるさかったかい」

うるさくはなかった。

むしろ、あの音がないと眠れなくなっていた。

小学四年の夏、俺は鍵盤を端から順番に叩いて遊んでいた。

低いほうから一つずつ、白鍵だけを。

真ん中まで来たとき、祖母が台所から顔を出した。

「そこ、いい音だねえ」

叩いていたのは、ラの鍵盤だった。

俺は不思議に思った。

ほかの音はどれも唸るように濁っているのに、その一つだけが、まっすぐに伸びた。

祖母のピアノは、ラの音だけが、いつも狂っていなかった。

子供の俺は、それを当たり前のこととして通り過ぎた。

ラの音だけが合う

その夏、俺は祖母に調律というものを教わった気になっていた。

正確には、母から聞きかじった話を、祖母に得意げに話しただけだ。

「調律ってさ、まずラの音を合わせるんだって」

「ラから」

「うん。ラが決まらないと、ほかの音も決まらないんだって」

「そんなもんかい」

「そうだよ。だから調律師は、最初にラを叩くの」

祖母は返事をしなかった。

代わりに、俺の前に麦茶を置いた。

コップの縁に、指の跡が薄く残っていた。

祖母は流しの前で手を止めて、しばらく黙っていた。

それから、濡れた手を割烹着で拭いた。

「ラから、かい」

そのときの祖母の顔を、俺はよく覚えていない。

覚えているのは、翌朝、鍵盤の蓋が開けっ放しになっていたことだけだ。

台所には、前の晩には無かった湯呑みが一つ、伏せてあった。

夜中に誰かが起きていたのだと、いま思えば分かる。

その夏の終わり、祖母は駅まで送りに来た。

改札の手前で、思い出したように言った。

「ラって、どんな音だったかね」

俺は口で「ラー」と言った。

祖母は、それを小さく真似した。

電車に乗ってから、ホームの祖母がまだ口を動かしているのが見えた。

音程を忘れないようにしているのだと、当時の俺は思わなかった。

その年の秋、母のところに祖母から電話があったらしい。

ピアノの調律はいくらかかるのか、という問い合わせだった。

母は「業者に頼めば一万円くらい」と答えた。

祖母はそれきり、その話をしなかった。

母がそれを俺に話したのは、葬儀のあとだ。

「頼めばよかったのにね」と、母は言った。

頼まなかったのではない。

頼む相手を、決めていたのだ。

ただ、手を振り返しただけだった。

中学に上がると、俺は港町へ行かなくなった。

部活があった。

友達と遊びたかった。

正直に言えば、潮の匂いと汽笛の音が、退屈に思えていた。

一度だけ、母に「今年は行かない」と言った日がある。

母は電話で祖母にそれを伝えた。

受話器の向こうの声は、俺のところまで聞こえてこなかった。

祖母は何も言わなかった。

そのあと電話が替わっても「忙しいなら来なくていいよ」と、明るい声で言った。

その言葉に甘えた。

毎年、甘え続けた。

高校を出て、俺は音楽の専門学校に進んだ。

演奏ではなく、調律の道を選んだ。

指の力より、耳のほうを信じたかった。

実技の初日、講師が最初に配ったのが音叉だった。

「これが基準。ここが決まらないと、何も決まらない」

その言葉を聞いたとき、なぜか祖母の台所が浮かんだ。

実習では、まずラを合わせる練習ばかりをやらされた。

音叉を膝で弾いて、耳に当てて、鍵盤の唸りが消えるまでピンを回す。

唸りというのは、二つの音がわずかにずれたときに出る、波のような揺れのことだ。

それが消える瞬間、音は急に静かになる。

講師はそれを「音が落ち着く」と言った。

その表現が好きだった。

直すのではなく、落ち着かせる。

そういう仕事なのだと思った。

止まった柱時計の前

祖母に電話で報告すると、受話器の向こうに長い沈黙があった。

「……そうかい。音を、直す仕事かい」

嬉しいのか寂しいのか、判断のつかない声だった。

「今度帰ったら、ばあちゃんのピアノ、俺が直してやるよ」

「ああ。それは楽しみだ」

約束はした。

けれど俺は、帰らなかった。

仕事を覚えるのに必死で、休みの日は泥のように眠った。

年に一度、正月に顔を出すのが精一杯だった。

その正月も、俺は玄関先でみかんを二つもらって帰るだけだった。

祖母は毎年、玄関の三和土に新しい新聞紙を敷いて待っていた。

靴の泥を落とすためだと言っていた。

俺の靴はいつも乾いていたので、新聞紙は使われないまま片づけられた。

いま思えば、あれは俺が上がるつもりだと信じていた証拠だった。

一度、玄関から居間のほうを覗いたことがある。

炬燵の上に、湯呑みが二つ並んでいた。

そのときも、俺は時計の時間を口実にした。

上がっていけと言われても、電車の時間を理由にした。

ピアノの蓋を開けたことは、一度もなかった。

祖母が旅立ったのは、俺が二十七の冬だった。

肺炎で、入院から三日だったと母から聞いた。

受話器を持ったまま、俺はしばらく動けなかった。

ピアノを直すと言ってから、六年が経っていた。

葬儀は町の小さな会館で行われた。

参列者は二十人ほどで、半分は近所の年寄りだった。

焼香の列で、何人かが俺の顔を見て「音の人だね」と言った。

ひとりの老人が、俺の袖を引いて言った。

「あんた、ピアノの先生かね」

「調律です。音を合わせる仕事です」

「そうか。あの人、それをよう自慢しとった」

自慢されるほどのことは、何もしていなかった。

年に一度みかんをもらって帰るだけの孫だった。

祖母が誰かに、俺の仕事の話をしていたのだと分かった。

その場では、深く考えなかった。

葬儀の後、俺は遺品の整理を手伝いに戻った。

家は、あの頃のままだった。

潮に晒されて白っぽくなった外壁。

畳の匂い。

窓際のアップライトピアノ。

そして、止まった柱時計。

母が段ボールに食器を詰めていく横で、俺はピアノの前に座った。

蓋を開けた。

鍵盤は、思ったより白かった。

祖母が拭いていたのだろう。

俺は、いちばん先にラを押した。

調律師の癖だ。

どんな楽器でも、まずそこから触る。

音が伸びた。

まっすぐに、揺れずに。

何年も放っておかれたピアノの音では、なかった。

隣のシを押すと、ひどく沈んだ音がした。

ドも、レも、ミも、聞くに堪えないほど下がっていた。

ラだけが、生きていた。

俺は蓋を閉めて、止まった柱時計を見上げた。

三時十分。

子供の頃から一度も動いていない針が、埃をかぶって止まっていた。

二万八千円の見積書

「これ、ばあちゃんの箪笥の奥にあったんだけど」

母が差し出したのは、色の褪せた茶封筒だった。

封は切られていた。

中から出てきたのは、駅前の時計店の修理見積書だった。

日付は十五年前の三月。

祖母の字で、隅に「修理代 28,000円」と書いてある。

数字の下に、小さく線が二本引いてあった。

迷ったときに、祖母がよくやる書き癖だった。

「おばあちゃん、これ、直さなかったのね」

俺は見積書の裏を返した。

鉛筆で、細かい計算の跡があった。

年金の額から、光熱費と米代を引いた数字が並んでいる。

残りは、二万八千円には届かなかった。

けれど、翌年の欄には同じ計算がもう一度書いてあった。

その次の年も。

何度計算し直しても足りなかったわけではない。

三年目の欄では、残りが三万を超えていた。

四年目からは、計算そのものが消えていた。

代わりに、同じ場所に短い言葉が書いてある。

「今年も、まだ」

その字は、年を追うごとに小さくなっていた。

それでも、祖母は時計屋を呼ばなかった。

母はそう言って、次の段ボールに手を伸ばした。

封筒には、もう一枚、日記帳から破り取ったページが挟まっていた。

細かい字が、行からはみ出しそうに詰まっていた。

「時計屋さんに見てもらったら、直せるそうだ。でも、やめておく。あの子が来た時に直してもらおう。あの子は音を扱う仕事に就いた。時計だって音で動くもの。きっとあの子なら、この時計の音も分かってくれる」

次のページには、こうあった。

「正月にあの子が来た。忙しそうだったから、時計のことは言えなかった。来年こそ頼んでみよう」

同じような一行が、何年分も続いていた。

「今年も言えなかった。あの子は疲れた顔をしていた。無理は言えない」

「玄関で帰ってしまった。みかんを二つ、持たせた」

「来年はきっと」

「来年こそ」

最後の年には、たった一行だけ書かれていた。

「時計が止まっていても、あの子を待つ時間は止まらない」

紙を持つ手が、勝手に震えた。

止まった柱時計は、祖母が時間を諦めた印ではなかった。

俺を呼ぶための、たったひとつの口実だったのだ。

そして祖母は、その口実を十五年、一度も使わなかった。

言えば、俺が来る。

来れば、俺は疲れる。

その計算を、毎年やり直していたのだと思う。

箪笥の奥の茶封筒

封筒を逆さにすると、底から、細長い金属が畳に落ちた。

真鍮の音叉だった。

二股の脚の付け根が、握り込まれて黒ずんでいる。

柄の部分の刻印は、擦れてほとんど読めなくなっていた。

「A=440」

かろうじて、それだけが残っていた。

俺は膝の上で音叉を弾いた。

澄んだラが、がらんとした部屋に伸びた。

そのとき、玄関の引き戸が開いた。

時計店の店主だった。

祖母と同じくらいの歳の、腰の曲がった人だった。

「香典を持って来るのが遅うなってすまんね」

店主は上がり框に腰を下ろして、俺の手の中の音叉を見た。

「ああ。それ、まだ持っとられたか」

「これ、祖母のですか」

「わしが売ったんよ。十五年前や。見積書を断りに来た日にな」

店主は、出された湯呑みを両手で包むようにして続けた。

「時計はやめとくって言うてな。その代わり、これはいくらやと聞かれた」

「音叉を」

「うちは時計屋やけど、昔は楽器の修理もやっとったからな。棚に転がっとったのを、千円でお分けした」

店主は湯呑みを置いて、天井の梁を見上げた。

「最初はな、わしも意味が分からんかった」

「意味」

「時計を直す金は無い言うて、音叉は買うんやから」

「祖母は、なんて」

「時計は孫に直してもらうもんやと。せやから自分で直したらいかんのやと」

その言い方は、たしかに祖母のものだった。

祖母は何かを人に頼むとき、先に自分の分を用意する人だった。

回覧板を持って行くときも、必ず何かを添えた。

頼むということが、そのままでは重すぎたのだと思う。

時計を直してもらうためには、まず自分が何かを直しておく。

そういう順番が、祖母の中にあったのだろう。

直せるものが、ラの音しか無かっただけのことだ。

「ほんなら音叉は何に使うんやと聞いた」

「なんで音叉を」

「孫が、調律はラから始めると言うたと。せやから、ラだけは合わせておきたいと」

店主は笑った。

笑いながら、目の下を指で拭った。

「毎年な、正月明けに店に来られたんよ。この音叉、鳴りが落ちとらんかと」

「落ちるんですか」

「落ちるわけないんや。金属やもん。何べんもそう言うたんやけどな」

俺は音叉を握ったまま、何も言えなかった。

「ピアノのピンを回すやり方は知らんかったはずや」

「じゃあ、どうやって」

「弦を張り替えるんやなしに、押さえる強さで合わせようとしとったんやろ。めちゃくちゃなやり方や」

「ピンを回す道具は、売ってくれと言われんかったんですか」

「言われた。けど、素人が回したら弦が切れる。だから断った」

店主は、そこで少し声を落とした。

「それでも諦めんかった。次に来たときは、湿気の話をしとった」

「湿気」

「部屋を乾かすと音が上がる、濡らすと下がる。どこで覚えたんやろな」

俺は、窓際のピアノを見た。

その足元に、古い除湿剤の缶が三つ、並べて置いてあった。

缶の底には、うっすらと輪の跡がついていた。

何度も置き直された跡だった。

蓋の日付は、どれも違う年のものだった。

店主は、それから少し黙った。

「でも、あんたが聞いたら合うとったんやろ」

合っていた。

祖母は、鍵盤を一つずつ叩いて、耳だけを頼りにラを探していたのだ。

道具も知識も無いまま、音叉と自分の耳だけで。

それでも、合っていた。

十五年、毎年。

祖母は、俺が最初に叩く鍵盤だけを、合わせ続けていた。

ゼンマイを巻く朝

翌日、俺は工具箱を持って祖母の家に戻った。

まず柱時計の扉を開けた。

埃の積もった歯車。

錆の浮いた振り子。

それでも、骨格は素直だった。

分解して、一つずつ磨いた。

錆を落とし、油を差し、噛み合わせを見直した。

気がつくと、窓の外が夕方の色になっていた。

最後にゼンマイを巻いた。

カチ、と小さな音がした。

コチコチコチ。

十五年ぶりに、針が動き出した。

その音を聞いた瞬間、鼻の奥が詰まった。

「遅くなって、ごめんな」

誰もいない部屋に向かって、俺はそう言った。

窓の外で、港の汽笛が鳴った。

祖母が好きだった、夕方の汽笛だった。

時計の音と、汽笛と、自分の息の音だけが、がらんとした畳の上に残った。

あれから三年が経つ。

柱時計は、いま俺の仕事部屋の壁にある。

音叉は、道具袋の一番上に入れてある。

仕事に出る前、俺は必ず両方に触る。

ゼンマイを巻いて、音叉を弾く。

止まった柱時計を動かすのに、俺は六年遅れた。

祖母のラは、一度も遅れなかった。

祖母の遅れなかった便りにも、同じ種類の待ち方をした人が出てくる。

兄の残したハーモニカに吹き込まれていたものも、音が人を待つ話だった。

今朝も、ラを弾いた。

まっすぐに伸びた。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。