大好きなおじいちゃん

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 祖父母

病院(フリー素材)

私は昔、いらんことばっかりしてたね。

私は兵庫県で、おじいちゃんは鹿児島に住んどった。

盆休みやお正月の長い連休は、よく遊びに行ってたね。

毎回遊びに帰る度にいっつも笑顔で迎えてくれて、私達のために朝早くに起きて煮物やらご飯を作ってくれてたよね。

すごくあったかくてすごく美味しかった。

私は反抗期で、遊びに帰っても近くの海やらどこかへ勝手に行き、タバコを吸ったりしていた。

でも不意にじいちゃんが来て、

「帰るよー」

と毎回、迎えに来てくれていた。

タバコは完全にばれてたね。

でも何も言わずずっと笑顔で、優しく頼もしいじいちゃんやった。

それから月日は経って社会人なり、おかんはじいちゃんが倒れたから実家の鹿児島に帰っていた。

そしたら急におかんから連絡があった。

「じいちゃん、あかんかも」

何回も言われていたから嘘やって思ってたけど、

「じいちゃん癌で、もう手術できんくらいなってるねん」

と言われ、最初は頭が真っ白になった。

嘘やろ? また畑に行こうって言っていたのに。

「早く来て!!」

とおかんに言われ、姉と一緒に新幹線に乗り鹿児島へ行った。

病院へ行くと、じいちゃんは笑顔で迎えてくれて、お見舞いに貰ったものを

「食べんか食べんか」

と言っていた。

自分が辛くても、ほんまに思いやりのあるおじいちゃんだなと思った。

おかんは病院に泊まり込みで行っていた。

まともにじいちゃんと会話も出来とるし、また帰って来て一緒に畑へ行って遊べる。そう安心しとった。

「何やーっ、おかん大袈裟やって」

そう言って、帰ってもずっと携帯のゲームをして、お見舞いすらまともに行かずに過ごした。

でもじいちゃんは急に容態が変わった。

お見舞いに行くと、

「ひーっひーっひっ」

じいちゃんはまともに喋れんくなって痩せてた。

凄い息をしてた。聞いてて辛かった。

でもそんな時、口で息するから濡らさないと乾燥してあかんから、綿棒みたいなのでじいちゃんの口を濡らそうとした時、間違えてじいちゃんの小さい歯を取っちゃた。

「じいちゃんごめんっ」

それでおかんと姉と三人で笑ってたら、じいちゃんはすごく辛そうやったのに一瞬笑ってた。

それがじいちゃんの最後やった。

姉とお風呂に入って髪を乾かしとる時に、おかんから電話が来た。

「じいちゃん…亡くなった…」

私と姉は、

「嘘や」

となって動けんかった。

でもおかんは、

「早くタクシーで病院まで来て!!!」

その言葉で二人とも我に返ってタクシー乗り、二人の約束をした。

「絶対泣くなよ。一番辛いんはおかんやねんから」

それから無言のまま病院に着いて、病室へ行った。

おかんは泣いてた。

「じいちゃんまだ温かいねん。生きてるみたいやろ?」

そう言って豪泣きしてるおかんを見て泣いてしまった。

我慢の限界やった。

それから親族が来て葬式になった。

みんな泣いてた。

でも一人だけ泣いてない人がおった。

おじいちゃんの弟。

いつも誰より愛想が良くてニコニコしてくれてたおじいちゃんの弟。

おじいちゃんが棺に入ってる間、みんなで飲んでわちゃわちゃやってる間もずっと黙って、おじいちゃんの棺の隣に座ってる弟さん。

おじいちゃんが焼かれてる間、みんなでご飯食べたりしてるのに、その弟さんは何も食べずにずっとじいちゃんの煙を一人で眺めてた。

『おじいちゃん、何で死んだの?』って思った。

でも弟さんのお陰でここで自分の決意が出来た。

自分は皆を見送ってから死ぬって。

あんな悲しい顔を誰にもさせたくない。そう決意した日やった。

お経の前は眠ってるおじいちゃんやったけど、お経の後のおじいちゃんはすごい笑顔やった。

いつもの大好きな、くしゃっとした笑顔やった。

その姿を見てほんまに泣けた。

『ちょっとでも何かできたんかな?』と思った。

人っていつ死ぬか分からん。自分の親を亡くしてる両親。

いつも笑顔でいてくれて、ほんまに強いって思うし尊敬してます。

辛いことがあっても笑顔で周りを元気に出来る。

そんな両親のように強く温かい人になりたいです。

出会った全ての人の愛情。思いやりを大事にして生きて行きます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

関連記事

浅草の三社祭の提灯(フリー写真)

母のガイドブック

東京で単身赴任をしていた時、連休になるといつも嫁が来て、家事などをしてくれていた。 母にも、偶には東京に来いよと言っていたのだけど、人混みが苦手だと言い、決して来なかった。 …

夫婦の後ろ姿(フリー写真)

一番大切なもの

ここ数ヶ月、色々な意味で忙しかった。 25歳で自営を始めて10年と少し営んで来た店を畳んだ。 利益が出ず、嫁の収入が主な生活費になっていて、いつ辞めるかのタイミングを見てい…

レトロなサイダー瓶(フリー写真)

子供時代の夏

大昔は、8月上旬は30℃を超えるのが夏だった。朝晩は涼しかった。 8月の下旬には、もう夕方の風が寂しくて秋の気配がした。 泥だらけになって遊びから帰って来ると、まず玄関に入…

母(フリー写真)

私を大学に通わせてくれた母へ

あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね。 私が産まれた時、あなたは泣きながら喜んだそうですね。 私が一才の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね。 …

犬

少年とテツ

1月の寒い朝、思い出す少年がいます。 当時、私は狭心症で休職し、九州の実家で静養していました。 毎朝、愛犬テツとの散歩中、いつも遅刻ギリギリの不良少年に出会いました。 …

子供の寝顔(フリー写真)

お豆の煮方

交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。 そのプリントには交通事故についての注意などが書いてあり、その中には実際にあった話が書いてありました。 それは交通…

手を繋ぐ母と娘(フリー写真)

最高のママ

もう十年も前の話。 妻が他界して一年が経った頃、当時八歳の娘と三歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解出来ないでいる息子に対し、私はどう接してやれば良いのか、父親…

野球ボール(フリー写真)

父と息子のキャッチボール

私の父は高校の時、野球部の投手として甲子園を目指したそうです。 「地区大会の決勝で9回に逆転され、あと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」 と、小さい頃によく聞か…

机

文化祭の日には

ある日、教室へ行くと座席表が更新されていました。私の席は廊下側の前から二番目、彼は窓側の一番後ろの席。離れてしまいましたが、同じクラスになれて本当に良かったと思いました。 クラ…

母の手を握る赤ちゃん(フリー写真)

生まれて来てくれて有難う

親と喧嘩をし「出て行け」と言われ、家を飛び出して6年。 家を出て3年後に知り合った女性と同棲し、2年後に子供が出来た。 物凄く嬉しかった。 母性愛があるのと同じように…