助手席の窓と阿久根の潮

助手席の窓と阿久根の潮

じいちゃんは私を迎えに来るとき、いつも助手席の窓だけを開けていた。

運転席の窓は閉めたまま。

後ろの窓も閉めたまま。

助手席の一枚だけを、下まで全部下ろして走る。

私はそれを、じいちゃんの癖やと思っていた。

阿久根の夏と、朝の煮しめ

私は兵庫で生まれ育って、じいちゃんは鹿児島の阿久根におった。

東シナ海に向かって、家々が坂の途中にへばりつくように建っている町や。

盆と正月の長い休みには、両親と姉と四人で、いつも帰っていた。

じいちゃんは芋を作っていた。

焼酎になる芋やと聞かされていたけど、私は畑の土の色しか覚えていない。

赤い、粉みたいに細かい土やった。

私たちが着く朝は、じいちゃんは四時に起きていた。

台所の窓が明るくなる前から、鍋の音がしていた。

煮しめは、里芋と、こんにゃくと、厚揚げと、鶏。

味は濃いのに、なぜか喉に残らんかった。

ばあちゃんが「じいさんの煮しめは、砂糖が多かとよ」と笑うと、じいちゃんは黙って湯呑みを持ち上げた。

ばあちゃんが笑っているあいだ、じいちゃんはいつも湯呑みで口元を隠していた。

その顔が、私は好きやった。

正月は、餅を搗く音で目が覚めた。

庭に臼が出ていて、近所の人が三人くらい集まっている。

じいちゃんは杵を持たない。

持つのは若い人の役で、じいちゃんはずっと、臼のふちの餅を手で返す係やった。

熱いのに、素手でやる。

「じいちゃん、熱ないん」

「熱か」

そう言いながら、手を止めん。

指先が赤くなっているのを、私はその年になって初めて見た。

おかんが「かわってあげたら」と言うと、じいちゃんは首を横に振った。

「これは、いちばん焼けるとこやけん」

その言葉の意味も、私はずっとあとまで考えなかった。

※

帰るよー、と大きな声で言う人

高校に上がった年から、私は完全に反抗期に入っていた。

阿久根に着いても家におらん。

坂を下りて、漁協の裏の堤防まで行って、そこで一人で煙草を吸っていた。

灰皿なんてないから、吸い殻は空き缶に入れて、帰りに自販機の横のゴミ箱へ捨てた。

ばれてないと思っていた。

いま思えば、ばれてないと思っていたのは私だけや。

堤防は、コンクリートの継ぎ目が波の形にすり減っていて、腰を下ろすとちょうど背中が当たる高さになっていた。

夏は昼のあいだに焼けた熱が、日が落ちてもしばらく残る。

ジーンズ越しに、その熱がじわじわ伝わってくるのが好きやった。

目の前は、ただ海。

甑島のほうに日が沈むと、水面が一度だけ、油を流したみたいに平らになる時間がある。

その時間だけは、兵庫のことも、学校のことも、全部どうでもよくなった。

網を繕っているおじさんが、たまに声をかけてきた。

「あんた、田中さんとこの孫やろ」

「はい」

「そうか」

それ以上は何も訊かれんかった。

いま思えば、訊かれんかったのがおかしい。

高校生が一人で堤防に座って、缶を持って、煙草の匂いをさせている。

普通なら、何か言われる。

だいたい四十分くらいすると、堤防の上の道に軽トラが停まる。

じいちゃんは降りてきて、遠くから、やたらと大きな声で言う。

「帰るよー」

そのあと、いつも同じ言葉が続いた。

「ばあちゃんが、飯ばもう並べとるとよー」

近所の漁師のおじさんが網を繕っている、その真横で、である。

私は毎回、恥ずかしくてたまらんかった。

なんでそんな声出すんよ、と思っていた。

助手席に乗ると、窓が開いている。

坂を上がるあいだ、潮の匂いのする風が、ずっと私の右頬に当たっていた。

軽トラの中は、いつも同じ匂いがしていた。

肥料の袋と、乾いた土と、車用の芳香剤。

芳香剤は柑橘の匂いのやつで、ダッシュボードの上に、いつも新しいのが置いてあった。

ばあちゃんは車に乗らんかったから、誰のために置いてあるんやろう、と私は思っていた。

ダッシュボードの物入れには、折りたたんだ紙が一枚入っていた。

私は一度だけ、それを引っ張り出して広げたことがある。

数字がびっしり並んだ、漁協でもらう紙やった。

意味が分からんかったから、そのまま戻した。

「窓、寒いんやけど」

「そうか」

そう言って、じいちゃんは閉めなかった。

閉めてくれたことは、一度もなかった。

※

大学を出て、私は兵庫の会社に入った。

阿久根に帰る回数は、年に一度になった。

盆に帰っても、堤防には行かんようになっていた。

煙草もやめていた。

やめた理由は特にない。

吸う場所がなくなっただけや。

そのことを、じいちゃんには言わんかった。

言わんまま、私はおじいちゃんの車の助手席に、何度も乗っていた。

窓は、やっぱり開いていた。

おかんからの、二度目の電話

社会人になって三年目の秋に、じいちゃんが倒れた。

おかんはすぐに阿久根へ帰って、そのまま病院に泊まり込んだ。

最初の電話では、私はまだ本気にしていなかった。

じいちゃんは、私の中でずっと畑におる人やった。

畑におる人が、そんな簡単におらんようになるはずがない。

二度目の電話は、平日の昼にかかってきた。

「じいちゃん、癌で、もう手術できんくらいなっとる」

会社の非常階段で聞いた。

踊り場のコンクリートが、やけに冷たかったのを覚えている。

「また畑に行こうって言うとったやん」

私がそう言うと、おかんは黙った。

「早う来て」

それだけ言って、電話は切れた。

姉と二人で新幹線に乗った。

窓の外が、だんだん知っている景色になっていくのが、私は怖かった。

食べんか、食べんか

病室のじいちゃんは、思っていたよりずっと普通やった。

私と姉の顔を見て、いつもの顔で笑った。

そして、枕元の紙袋を指さした。

「これ、食べんか。あれも、食べんか」

お見舞いにもらったカステラやら、ゼリーやら、缶のジュースやらを、片端から勧めてくる。

自分は、水も飲みづらそうにしているのにである。

「じいちゃんが食べり」

「わしはよか」

その繰り返しやった。

あとから看護師さんに聞いた。

じいちゃんは、私たちが来る日の前の日に、必ず棚を片づけていたそうや。

もらったものを配って、袋を減らして、テーブルの上を空にしておく。

「あの子らが来たときに、荷物が多かと、気の毒やけん」

そう言っていたらしい。

じいちゃんは、私が病室に入ってくると、必ずベッドの背もたれを少しだけ上げた。

看護師さんを呼ばずに、自分でリモコンを押す。

そのために、リモコンをいつも右手の下に置いていた。

見上げる形にならんように、という意味やったと、あとで気づいた。

私はそのとき、その意味が分かっていなかった。

おかんは、その頃には目の下が黒くなっていた。

病院の廊下の椅子で、座ったまま眠ってしまうこともあった。

それを見ても、私はどう声をかけたらええのか分からんかった。

分からんときに私が言う言葉は、決まっていた。

「おかん、大袈裟やって」

そう言って、宿に戻ってからは携帯のゲームばかりしていた。

お見舞いにも、まともに行かんかった。

行っても十五分で出た。

いま思い出しても、あの十五分だけは、どうしてもやり直したくなる。

※

歯を一本、取ってしまった夜

容態が変わったのは、あっという間やった。

じいちゃんはもう、まともに喋れんようになっていた。

口で息をするから、口の中がすぐ乾く。

看護師さんに教わって、スポンジのついた棒で口の中を湿らせる係を、私がやった。

力加減がわからんかった。

そっと入れたつもりが、こつん、と手応えがあって。

スポンジの先に、小さな歯が一本くっついていた。

「じいちゃん、ごめん」

私は本気で青くなった。

おかんと姉が、後ろで吹き出した。

「あんた、じいちゃんの歯まで持って帰る気ね」

三人で笑った。

病室で笑うのは、たぶんずいぶん久しぶりやった。

そうしたら、じいちゃんが、笑ったんである。

あんなに苦しそうにしていたのに、目のところだけが、いつものくしゃっとした形になった。

それが、私が見たじいちゃんの最後の顔やった。

あとで分かったことやけど、その歯は差し歯やった。

作ったのは、私が中学に上がった年。

入学式に行くけん前歯ば直しておく、と言うて、じいちゃんは阿久根から歯医者に通ったらしい。

結局その入学式に、じいちゃんは来られんかった。

畑の水が出て、行けんようになったと聞いていた。

ばあちゃんの話では、じいちゃんは三か月かけて通ったらしい。

阿久根から歯医者まで、軽トラで片道四十分。

畑の仕事を昼で切り上げて、作業着のまま行くのが恥ずかしいと言って、わざわざ着替えて出たそうや。

「入学式の写真に、口ば開けて写るとやろ」

そう言っていたと聞いた。

写真に写るのは孫のほうやのに、である。

だから私は、その歯が何のために作られたのかを、十二年知らんかった。

※

あとで知ったことやけど、大叔父さんは、その頃ほとんど毎日病院に来ていたそうや。

ただし、面会時間の終わりぎわに、十分だけ。

看護師さんが「いつも短いですね」と言うと、こう答えたらしい。

「長うおったら、あれが気ば遣うけん」

私が携帯のゲームをしていた同じ日に、その人は毎晩、十分だけ座って帰っていた。

そのことを聞いたとき、私は自分の十五分が、いっそう恥ずかしくなった。

絶対に泣くな、という約束

その晩、私と姉は宿の風呂に入っていた。

髪を乾かしているときに、おかんから電話が来た。

「じいちゃん、亡くなった」

ドライヤーの音が、まだ耳の中に残っていた。

姉と二人で、しばらく動けんかった。

「早うタクシーで来て」

その声で、やっと足が動いた。

タクシーの中で、姉と一つだけ約束をした。

「絶対に泣くなよ。いちばん辛いんは、おかんやねんから」

「うん」

それきり、二人とも病院まで一言も喋らんかった。

病室に入ると、おかんが泣いていた。

「じいちゃん、まだあったかいねん。生きとるみたいやろ」

その言い方で、約束はあっけなく終わった。

私も姉も、そこで泣いた。

棺のとなりで、煙を見ていた人

葬式には、親戚が驚くほど集まった。

みんな泣いていた。

ただ一人だけ、泣いていない人がおった。

じいちゃんの弟である。

私が小さい頃から、誰よりも愛想がよくて、会えば必ず飴をくれた人やった。

その人が、通夜のあいだ、ずっと棺の横に座っていた。

親戚が飲んで賑やかになっても、席を立たんかった。

火葬場でもそうやった。

みんなが控室でご飯を食べているあいだ、その人だけが外に出て、煙突から上がる煙をずっと見ていた。

十一月の空は高くて、風がまっすぐ海のほうへ流れていた。

煙は、上がってすぐに横へ曲がる。

その人は、曲がった先を目で追っていた。

ずいぶん長いあいだ、そうしていた。

私は控室の窓越しに、その背中を見ていた。

親戚の誰かが「兄弟やけんね」と言った。

それだけでは足りん気がした。

私は、じいちゃんはなんで逝ってしまったんやろう、とばかり考えていた。

でも、あの背中を見て、考えることが変わった。

私は、みんなを見送ってから逝こう。

あんな顔を、誰にもさせたくない。

そう決めた日やった。

おかんは、火葬場のあいだじゅう、私と姉のあいだに座っていた。

手だけが、ずっと膝の上で組まれていた。

「あんたらが来てくれてよかった」

そう一回だけ言って、あとは何も言わんかった。

私は、おかんの手の甲に、じいちゃんと同じ形のしわがあるのに気づいた。

お経が終わったあとのじいちゃんの顔は、眠っているというより、笑っていた。

いつものくしゃっとした顔やった。

※

仏壇の引き出しに残っていた一箱

四十九日で阿久根に行ったとき、ばあちゃんが仏壇の引き出しを開けた。

中に、封を切っていない煙草が一箱入っていた。

「じいさんはね、二十年前にやめたとよ」

ばあちゃんはそう言って、笑った。

「やめたはずやのに、盆と正月だけ、車が臭かとよ。また吸いよるって、いっつも喧嘩しよった」

私はその場で、息が止まりそうになった。

盆と正月。

それは、私が阿久根におる日である。

その夜、大叔父さんが線香をあげに来た。

帰りぎわ、玄関で靴を履きながら、その人がぽつりと言った。

「兄貴はね、あんたが堤防におるとを、最初の年から知っとったよ」

「怒らんかったんは、怒ったら、あんたが海のほうまで下りて隠れるけん。あそこは満ちてくると危なか」

じいちゃんが迎えに来る時刻が毎回きっちり同じやった理由も、そのとき分かった。

干潮の一時間あとや。

あの堤防は、それを過ぎると足元まで水が来る。

「帰るよー」と大声を出したのにも、理由があった。

網を繕うおじさんに、あの子は悪さをしよるんやなくて、じいちゃんが呼びに来ただけやと、先に聞かせるためやった。

私は縁側から、庭に停めたままの軽トラを見た。

ばあちゃんが、もう誰も乗らんのに、車検だけは通していた。

運転席側のシートは、二十年ぶんきれいに灼けて、色が白っぽく抜けていた。

助手席のシートだけが、買ったときの色のままやった。

窓を開けていた側には、日が入らん。

それだけのことやのに、私はしばらくそこから動けんかった。

ダッシュボードの物入れを開けると、あの折りたたんだ紙がまだ入っていた。

紙は、四つ折りにされたところが白くなるくらい、何度も開かれていた。

広げてみて、はじめて意味が分かった。

潮見表やった。

日付ごとに、満潮と干潮の時刻が並んでいる。

八月の欄の、私が阿久根におった日のところだけ、鉛筆で薄く丸がついていた。

大叔父さんは、最後にこう言った。

私が意味を分からずにいると、その人は少し笑った。

「わしが十七んとき、船の裏でこそこそ吸いよったとよ」

「そんとき兄貴が、自分が吸いよるふりばしてくれた」

「親父にえらい怒られて、兄貴は一言も言い返さんかった」

「わしはそれを、蔵の陰から見とった」

その人は、そこで一度、言葉を切った。

「兄貴が二十年前に煙草ばやめたとはね、わしがやめたけんよ」

「兄貴も、若いころ同じことをしてもろうとったとよ。わしが、しよったけん」

そして、あの窓のこと。

窓を開けていたのは、風を通して、私の匂いを消すためやった。

坂を上がる五分のあいだに、煙草の匂いを、全部海のほうへ流してしまう。

それでも残った分は、じいちゃんの服が引き受けた。

そして家に着くと、ばあちゃんに叱られる。

叱られる役を先に自分で取っておくために、あの一箱があった。

あの一箱は、私が帰ってくる年にだけ、買うてあった。

※

いまは、私が窓を開ける

去年から、姉の娘が中学に上がって、うちに泊まりに来るようになった。

駅まで迎えに行って、助手席に乗せる。

私は、助手席の窓だけを下ろして走る。

「窓、寒いんやけど」

「そうか」

私はそう言って、閉めない。

あの子はイヤホンをして、外を見ている。

右の頬に風が当たって、前髪が横に流れていく。

その横顔が、たまに姉に見える。

いつか、あの子が理由を訊いてくる日が来るかもしれん。

そのときは、阿久根の坂と、赤い土の畑の話から始めようと思う。

家族の距離の取り方については、出口に近いほうの席に座る父の話も、いまなら少しわかる気がする。

祖父に宛てて書かれた天国のおじいちゃんよりを読み返したのも、あの四十九日の帰り道やった。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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