余命3ヶ月の母の“最後のおむすび”

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 |

母と娘

僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。

余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。

ある日の午後、病室のベランダで一緒にお茶を飲みながら話していたときのこと。

彼女はふと、こう口にしたのです。

「先生、助からないのは分かっています。だけど……少しだけ長生きさせてください」

まだ42歳の若さでした。

言葉に詰まり、僕は黙ってお茶を口に運びました。

しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと続けました。

「子供がいるんです。卒業式まで、生きたいんです」

「母親として、卒業式のその日、子どもの姿を見届けたいんです」

その時は9月。

余命3ヶ月とされていた彼女に残された時間は、せいぜい年末まで。

でも彼女は、春まで──卒業式まで生きる、と言ったのです。

子どものために、という強い願い。

その想いが、何かを変えたのだと思います。

そして本当に──奇跡が起きました。

彼女は春まで生き抜き、卒業式に出席することができたのです。

こうした出来事は、医学的にも実証されています。

希望を持って生きる人ほど、がんと闘う「ナチュラルキラー細胞」が活性化するという研究があるのです。

希望は、体の中にある見えない三つのシステム──

すなわち、内分泌・自律神経・免疫──それらを活性化させると言われています。

彼女の体の中でも、希望がそのすべてを目覚めさせていたのかもしれません。

そして、さらに不思議なことが起こりました。

彼女には二人のお子さんがいました。

上の子は高校3年生、下の子は高校2年生。

僕たちスタッフは、せめて上の子の卒業式までは生きてほしいと願っていました。

しかし彼女は──

余命3ヶ月と告げられてから、なんと1年8ヶ月も生きたのです。

そして、二人のお子さん、両方の卒業式に出席することができました。

それから1ヶ月後、静かに息を引き取りました。

彼女が亡くなったあと、娘さんが僕のもとを訪ねてくれました。

娘さんが語ってくれた話は、思わず息をのむようなものでした。

僕たち医師は、彼女の「子供のために生きたい」という強い想いを尊重し、体調が許す限り、外出の許可を出していました。

娘さんは、こう言ってくれました。

「母は、家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」

最後の帰宅のとき──

彼女はすでに、立つことすらままならない状態でした。

僕たちは言いました。

「じゃあ、家の空気だけ吸ったら、すぐに戻ってきてくださいね」

でもその日、彼女は家で台所に立ちました。

立てるはずのない体で、最後の力を振り絞って。

子どもたちのために、台所に立って、お弁当を作ったのです。

娘さんはそのときのことを、涙をこらえながら語ってくれました。

「お母さんが最後に作ってくれたお弁当は、おむすびでした」

「そのおむすびを持って、私は学校に行きました」

「久しぶりのお弁当が、本当に嬉しくて、嬉しくて……」

「でも、昼休みにお弁当を広げたとき、なかなか手がつけられなかったんです」

「嬉しいのに、切なくて、胸がいっぱいになって、涙が止まらなかった」

彼女の人生は、42年という決して長くはないものでした。

でも──

命は、長さではありません。

彼女は、たったひとつの命で、精一杯生き抜きました。

そして、子どもたちに「生きるということ」を、確かにバトンタッチしていったのです。

卒業式のあの日、母の姿を見た子どもたちが感じた愛。

おむすびに込められた想いは、きっとこれからも消えることなく、子どもたちの中で生き続けていくのでしょう。

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