笑顔の理由

太陽

俺が小学生だった頃の話だ。

同じクラスに黒田平一(仮名)、通称「クロベー」というやつがいた。

クロベーの家は母子家庭で、母親と弟との三人暮らしだった。

親戚の家の離れに間借りし、風呂は母屋のを共同で使っていた。

母ちゃんは、その親戚の仕事を手伝いながら、一家を女手ひとつで支えていた。

貧しい暮らしぶりは、誰の目にも明らかだった。

制服のズボンは何年も同じものを履き続けていたから、丈が短くなっていたし、体操着も破れが目立った。

クロベーには少し知的な遅れがあって、体も小さく、勉強も運動も苦手だった。

だけど、誰よりも優しくて、いつも笑顔を絶やさない、そんなやつだった。

クロベーは不思議とクラスの人気者だった。

いじめられることもなく、無事に小学校を卒業し、俺と同じ中学に進学した。

中学でもクロベーとは同じクラスだった。

彼はスケッチが好きで、よく休み時間になるとテラスで風景を描いていた。

ただ、風景といっても、クロベーが描くのはいつも「太陽」だった。

目を細めて太陽を直視しながら、独特の色使いで太陽だけをスケッチするんだ。

それを見た他の小学校出身の連中が、クロベーをからかい始めた。

暴力をふるうわけではないが、突飛な言動を面白がって馬鹿にする、そんな陰湿な「いじり」だった。

俺は最初、あまり気にしていなかった。

ある日、授業参観の案内が配られた。

クロベーの母ちゃんは、仕事が忙しくて、小学校の頃からほとんど学校行事に参加していなかった。

運動会のときも、クロベーと弟は教室で二人きりで弁当を食べていた。

でも今回は違った。親戚の粋な計らいで、母ちゃんが参観に来るらしい。

クロベーは満面の笑みで、俺たちに報告していた。

参観日当日、保護者たちは皆、一張羅でめかし込んでいた。

もちろん、俺の母親もスーツで来ていた。

授業開始直前になって、クロベーの母ちゃんが教室に現れた。

ピンクのジャージに紺色のヤッケ、首に手ぬぐいを巻いて額の汗を拭きながら、遠慮がちに教室へ入ってきた。

確かに、周囲と比べて場違いな雰囲気だった。

だけど、クロベーはそんな母ちゃんを見て、嬉しそうにニコニコしていた。

その日の授業は地理で、先生がこんな質問をした。

「北海道の旭川市は稚内より南なのに、なぜ冬は旭川の方が寒いのでしょう?」

クラス中が沈黙する中、クロベーが手を挙げた。

「はいっ!」

担任の先生は一瞬「しまった」といった顔をしたが、クロベーを指した。

クロベーの答えはこうだった。

「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおるけん、その牛の息で空気があったかくなっとるんです」

教室は保護者も含めて大爆笑だった。

その中で、クロベーの母ちゃんが一言。

「いいぞ、平一!」

そして、無言でクロベーの席まで歩いて行くと、手ぬぐいで彼の鼻をチーンと拭ってやった。

笑い声は止まり、教室が静まり返った。

クロベーの母ちゃんは何事もなかったように、また教室の後ろへと戻っていった。

なぜか、胸が熱くなった。涙が出そうになった。

でもその出来事が、クロベーへのいじめを激化させるきっかけになってしまった。

「貧乏人」「不潔」――

心ない言葉がクロベーに浴びせられるようになった。

俺と連れのHは、クロベーを守り続けた。

けれど、見えないところでは、靴を隠されたり、筆箱に残飯を入れられたり、陰湿ないじめが続いた。

クロベーはそれでも笑っていた。

ある日、クラスで盗難事件が起きた。

女子生徒のカバンから現金入りの封筒が消えた。

クロベーをいじめていた連中の一人が言った。

「貧乏な黒田がやったに決まってる」

証拠は何もない。けれど、生活指導の教師はクロベーを疑った。

必死に否定するクロベー。

「知らん、知らん」と言い続けるしかなかった。

結局、その日は取り調べが終わらず、クロベーは「仮釈放」となった。

次の日、クロベーの母ちゃんが学校にやってきた。

職員室で泣き崩れながら、

「あの子はそんな子じゃありません…!」

と何度も叫んでいた。

その姿を見て、学校中に「共犯じゃないか」という噂が広まった。

クロベーへのいじめはさらに激しくなった。

俺とHは、クロベーの潔白を信じて、真犯人を探し始めた。

ある日、担任が告げた。

「盗まれたと思われていた封筒が見つかりました」

それは、鞄の奥にしまってあっただけだった。

女子生徒は泣きながら、担任に謝罪したという。

俺とHは、クロベーを最初に疑ったやつに怒りが爆発し、ドロップキックとラリアットでぶちのめした。

当然、生活指導にしこたま怒られ、親を呼び出され、加害者の家を一軒ずつ頭を下げて回った。

正義感のつもりが、親にまで迷惑をかけて、俺は悔しさで泣いた。

しばらくして、クロベーが言った。

「うちの母ちゃんが、ご飯作るって。遊びに来て」

放課後、Hと一緒にクロベーの家を訪れた。

母ちゃんは遅れて帰ってきて、俺たちにカレーと餃子をふるまってくれた。

魚肉ソーセージと野菜と、シイタケ入りのカレー。

豪華とは言えないけど、温かくて、すごく美味しかった。

食事のあと、クロベーの母ちゃんは言った。

「平一を助けてくれてありがとう。これからも、友達でいてね…」

そして、泣いた。

俺もHもつられて泣いた。

みんなでしゃくりあげながら、泣きながら、カレーを食べた。

クロベーだけが、笑っていた。

中学を卒業して、俺とHは地元の高校へ進んだ。

クロベーは県外に就職した。

別れ際、俺は言った。

「これからは、お前が母ちゃんを守れよ」

「うん、わかった」

とクロベーは力強く返した。

数年後、クロベーは母ちゃんと弟を呼び寄せ、三人で暮らし始めた。

あのクロベーが、立派に家族を支えていた。

それから四半世紀が経った今でも、俺は子育てに悩むたび、クロベーの母ちゃんを思い出す。

どんなに不格好でも、親は子を守り、支える存在なんだと。

クロベーの笑顔と、母ちゃんの涙を、俺は一生忘れない。


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