あのハンバーグの味

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 心温まる話 |

母の手

私の母は生まれながらにして両腕に障害を持っていました。

そのため、家庭の料理はほとんど父が担当していたのです。

しかし学校の遠足などで弁当が必要な時は、母が一生懸命に作ってくれました。

その日、小学6年生の私は、母の造形的に不完全な弁当の姿を同級生に見られることを恐れ、

「この弁当はいらない!」

と無神経にも突き放してしまいました。

母はただ謝るばかりで、その愛情深い目には私の幼さを許す温もりがありました。

年月が経ち、高校に進学した私は、給食のない日々を購買のパンで済ませていました。

それから間もなく、母が再び弁当を作ると言い出しました。

その弁当は、以前のものとは比べ物にならないほど美味しく、見た目も美しいものでした。

彼女の障害を克服し、愛情を一層込めて作られたそれは、私にとってかけがえのない贈り物でした。

しかしその後、母は肺炎で倒れ、あっという間にこの世を去ってしまいました。

その事実を知った時、私の心は言葉では言い表せないほどの悲しみで溢れました。

母の葬儀の後、父から驚くべき事実を聞きました。

母は私のために、定食屋で一年間料理を学んでいたのです。

彼女の愛情は、手に障害を持ちながらも、私の心を満たすための一つのスキルを身につけようとする強い意志から来ていました。

定食屋を訪れ、私は母が愛情を込めて作ってくれたハンバーグ定食を注文しました。

その味に、私の目からは止まらない涙が流れました。

それは、母の手作りの味。彼女の愛情が詰まった、私にとって最も特別なハンバーグの味だったのです。

形は完璧ではなかったかもしれませんが、その味は母の無償の愛が込められた、あのハンバーグの味でした。

関連記事

手を繋ぐ母と娘(フリー写真)

最高のママ

もう十年も前の話。 妻が他界して一年が経った頃、当時八歳の娘と三歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解出来ないでいる息子に対し、私はどう接してやれば良いのか、父親…

妊婦さん(フリー写真)

普通の一家の物語

その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子が居た。 細身の娘が好みだったので声を掛け、程なく恋仲に。 ある日、 「心臓に大穴が空いていて、苦しい。 子供も…

椅子(フリー写真)

脳内共同ガールフレンド

大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に居たフランス兵たちのグループが、長引く捕虜生活の苛立ちから来る仲間内の喧嘩や悲嘆を紛らわすために、皆で脳内共同ガールフレンドなるものを作った話を思い出した…

ビール(フリー写真)

恐かった父

私の父は無口で頑固で本当に恐くて、親戚中が一目置いている人でした。 家に行ってもいつもお酒を飲んでいて、その横で母が忙しなく動いていた記憶があります。 ※ 私が結婚する事にな…

夫婦の手(フリー写真)

私は幸せでした

文才が無いため酷い文になると思いますが、少し私の話に付き合ってください。 24歳の時、私は人生のどん底に居ました。 6年間も付き合って婚約までした彼には、私の高校時代の友人…

工事現場(フリー写真)

鳶職の父

公用で M高校へ出かけたある日のことだった。 校長先生が私達を呼び止められ、 「もし時間がありましたらお見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」 と…

恋人同士(フリー写真)

彼女のために出来ること

まだ一年程前の事です。 彼女がこの世を去りました。病死です。 その彼女と出会ったのは7年前でした。彼女はその頃、大学1年生でした。 彼女には持病があり、 「あと…

女子中学生(フリー写真)

中学生の時の娘の友達

今から8年前の話です。 現在21歳になった娘ですが、中学校時代の男友達が良い人過ぎて感動しました。 娘は自閉症などの障害を持っており、小学校の時は授業で当てられても話せな…

海の父娘(フリー写真)

例え火の中でも

私の両親は小さな喫茶店を営んでいます。 私はそこの一人娘で、父は中卒で学歴はありませんが、とても真面目な人でした。 バブルが弾けて景気が悪化して来た頃、父は仕事の暇な時間に…

乾杯(フリー写真)

俺の夢

僕達兄弟には元々親が居らず、養護施設で育ちました。 3つ上の兄は、中学を出るとすぐに鳶の住み込みで見習いになり、その給料は全て貯金していました。 そのお金で僕は私立の高校を…