西日の部屋で振り返った妻

音のない家の、音のかたち

妻は、家の中を歩くとき、いつも決まった一本の道を通ります。

台所から居間へ、居間から縁側へ。

畳の目でいうと、いつも同じ列の上です。

私はそれを、十年以上、ただの癖だと思っていました。

西日が、畳の目を一本ずつ数えるようにして、部屋の奥へ伸びていました。

妻はソファに浅く腰かけて、八ヶ月になったお腹を、両手で円を描くように撫でていました。

その背中を、私は台所の入り口から、声をかけそびれたまま眺めていました。

部屋は、静かでした。

けれど、それは誰もいないからではありません。

妻には、はじめから音というものが届かないからでした。

妻はろう者です。

生まれたときから、世界の物音をひとつも知らずに生きてきた人でした。

テレビの音も、軒先を打つ雨だれの音も、そして私の声も、彼女の世界にはありません。

それでもこの家の中には、音とは違うかたちの会話が、いつも静かに満ちていました。

響板を作る工場で

出会いは、静岡県浜松の郊外にある、小さな工場の事務室でした。

ピアノの響板を作る、下請けの工場です。

響板というのは、弦の振動を受けて音を広げる、薄い木の板のことです。

北海道や欧州から来た唐檜を、細く挽いて、目を揃えて、はぎ合わせていきます。

木の目が詰まっているほど、音はよく伸びると言われていました。

私は乾燥室の管理係でした。

温度と湿度を毎日記録して、木を寝かせる期間を決める仕事です。

妻は、木取りの選別と、伝票の整理を任されていました。

届いた材を一枚ずつ光にかざして、目の詰まり方と節の位置を見る。

傷のある板を弾いて、使える幅を鉛筆で書き込む。

それが、彼女の持ち場でした。

はじめて彼女を見たとき、私は不思議な気持ちになりました。

音を作るための工場で、音の届かない人が、いちばん静かに木を見ていたからです。

「あの子はな、目と手で聞いとるんじゃ」

親方は、そう言って笑いました。

「あんたらより、よっぽど正直に見とる」

鉛筆の擦れる音だけの会話

彼女の机の上には、いつも一冊の小さなメモ帳が置いてありました。

用件があると、私たちはそのメモ帳を、二人のあいだで黙って回し合いました。

鉛筆の先が紙を擦る、かさかさという音だけが、その頃の私たちの会話のすべてでした。

あるとき、私は得意先へ出す納品書の数字を、一桁書き間違えました。

彼女はそれにすぐ気づいて、メモ帳の隅に、小さな顔の絵を描いて寄こしました。

困ったような、それでいてどこか笑っているような、不思議な表情の絵でした。

その絵を見た瞬間に、胸の奥で固く結ばれていた何かが、ふっとほどけていったのだと思います。

言葉のいらない人を相手に、私は不器用な言葉で、恋に落ちていきました。

ずっとあとになって、なぜあの日、絵を描いたのかを訊いたことがあります。

妻は、こう書きました。

「三日、ひとりで、のこっていたから」

数字の間違いは、口実だったのです。

乾燥室の記録が合わなくて、私はその週、遅くまで一人で残っていました。

事務室からは、乾燥室の扉は見えません。

それでも彼女は、私が残っていることを知っていました。

昼休みになると、私は何かと理由をつけては、彼女の机のそばを通るようになりました。

メモ帳には、いつのまにか天気の話や、昼に食べたものの話が増えていきました。

鉛筆で交わすだけの他愛のないやりとりが、いつしか私の一日の真ん中になっていました。

工場の仲間には、ずいぶんと冷やかされました。

声の届かない子のどこがいいんだと、面と向かって言ってきた者もいました。

私は何も言い返しませんでした。

言い返す言葉を、その頃の私は、まだ持っていなかったのだと思います。

床のいちばん揺れるところ

彼女には、工場の中でも、決まった歩き方がありました。

事務室から材置き場へ行くとき、まっすぐ最短を行かず、必ず柱寄りの一本の筋を通るのです。

私はそれを、板を避けているのだろうと思っていました。

ある日、親方に何気なく話すと、親方は湯呑みを置いて言いました。

「あの筋の下だけ、根太が通っとる」

「あそこが、いちばんよう揺れるんじゃ」

言われて、私は自分の足の裏で確かめました。

確かに、その線の上を歩くと、遠くの誰かの足音が、かすかに伝わってきます。

妻は、床のいちばん揺れる道を選んで歩いていたのです。

背中を向けていても、誰かが近づいてくるのがわかるように。

「あの子な、足音の間隔で、誰が来たか当てるぞ」

親方は、そう付け加えました。

「あんたが来るときが、いちばん早う顔を上げる」

その日、私は乾燥室に戻ってから、しばらく仕事になりませんでした。

手話をひとつずつ覚えた夜

手話を覚え始めたのは、それからでした。

指の形ひとつ、向きひとつで意味がまるで変わると知って、私は何度も自分の手を裏返して眺めました。

夜、布団のなかで、その日に覚えた形をひとつずつ確かめるのが、日課になりました。

最初に覚えた言葉は、間の抜けたことに「ごめん」でした。

練習のつもりで送った「ごめん」に、彼女は声を立てずに笑いました。

肩が小さく揺れるのを見て、笑い声というのは、本当は音ではないのだと、はじめて知りました。

次に覚えたのは「ありがとう」。

その次に、ずいぶんと遠回りをして、ようやく「すきです」を覚えました。

いざ本人の前で手を動かそうとすると、指がもつれて、何度もやり直すことになりました。

彼女は、急かしませんでした。

私の不格好な指先が、最後まで形になるのを、ただ黙って見ていてくれました。

言い終えたとき、彼女は小さくうなずいて、同じ形を、もっとなめらかに返してくれました。

その手の動きを、私は今でも、目を閉じれば空でなぞることができます。

卓袱台を挟んだ手のはなし

結婚を、彼女の両親に伝えに行った日のことも、よく覚えています。

義母もまた、耳の聞こえない人でした。

言葉ではなく、古い卓袱台を挟んで、私と義母は長いあいだ、手を動かし続けました。

覚えたての手話ですから、途中で何度も詰まりました。

そのたびに、妻が横からそっと、私のもつれた手を直してくれました。

義母は、自分が若い頃にどれだけ心ない言葉を投げられてきたかを、淡々と語りました。

そのうえで、娘には同じ思いをさせたくなかったのだと、ゆっくりと手を動かしました。

別れ際、義母は私の両手を、自分の節くれだった両手で、そっと包んでくれました。

何も言葉はありませんでした。

けれど、その手のあたたかさだけで、私は許されたのだとわかりました。

光と振動でできた暮らし

二人の暮らしは、音のかわりに、光と振動でできていました。

玄関のチャイムは、天井の電灯がふたつ、続けて点滅して報せます。

妻を呼ぶときは、床を軽く二度踏んで、その揺れで振り向いてもらいます。

音の出ない目覚まし時計は、枕の下で小さく震えて、朝を知らせます。

引っ越してきた日、妻がいちばん最初にしたのは、部屋の床を隅から隅まで歩くことでした。

どこがよく揺れて、どこが伝わらないか。

それを一人で確かめて、それから荷ほどきを始めました。

今、妻が家の中で通る一本の道は、そのとき決まったのです。

音のない家には、音のない家の作法がありました。

それを一つずつ覚えていくのは、不便というよりも、むしろ祈りに近い時間でした。

一度だけ、私たちは大きな喧嘩をしました。

声を荒げることもできず、私たちはメモ帳に、互いの言い分を交互に殴り書きしました。

声に出せないぶん、書く言葉は、いつもより正直でした。

あとで読み返して、二人とも赤くなりました。

言葉は時に不器用です。それでも、手は動き続けました。

私たちは、口ではなく、手と目と、肌のすぐ下の温度で、ずっと話していたのだと思います。

答えの出ない問い

お腹に子がいると知ったのは、桜が散りきった頃でした。

妻は検査の紙を私の前に広げて、両手で大きな丸を、はにかみながらつくってみせました。

私は何を言えばいいのかわからなくて、ただ、その手を握りました。

はじめて胎動を感じた夜、妻は私の手を取って、自分のお腹のいちばん張ったところに当てました。

とん、と内側から押し返してくる小さな力に、私たちは顔を見合わせて、しばらく動けませんでした。

嬉しさよりも先に、ひとつの問いが、胸の底へゆっくりと沈んでいきました。

この子は、私の声を聞けるのだろうか。

もし聞けるのなら、この子は、母の声を一度も聞けないことを、いつか、どう受け止めるのだろう。

その問いを、私は誰にも言えませんでした。

妻にだけは、特に、言えませんでした。

夜、眠る妻の隣で、天井のしみを見上げながら、答えの出ない問いを何度も裏返しました。

答えは出ないまま、月日だけが、彼女のお腹とともに、静かにふくらんでいきました。

聞こえるはずのない言葉

その夕方も、私は残業を終えて、家に帰ってきたところでした。

鞄を玄関に置いて顔を上げると、西日の部屋に、妻がいました。

橙色の光のなかで、彼女は変わらず、お腹を撫でていました。

その姿が、あまりにも静かで、あまりにも満ち足りていて。

何となく、言いたくなったのです。

理由なんて、後からはひとつも思い出せません。

私は足音を殺して背後に近づいて、後ろからそっと、彼女を抱きしめました。

そして、聞こえないとわかっている言葉を、口にしました。

「愛してる」

声は、夕日のなかに浮かぶ埃のあいだに溶けて、すぐに消えました。

妻には、届かない。

届くはずが、ない。

届かないからこそ、ためらいなく言えた言葉だったのかもしれません。

《わたしも》

ところが。

聞こえるはずのない言葉に、妻は振り返りました。

私の腕のなかで、ゆっくりと体を回して、まっすぐに私の顔を見上げました。

それから、お腹を撫でていた手を、胸の前までそっと持ち上げて。

ひとつの、迷いのない形をつくりました。

《わたしも》

手話の、たった一語でした。

声のない、けれど確かにそこにある、返事でした。

私は、何も言えませんでした。

ただ、もう一度、強く抱きしめ直すことしか、できませんでした。

夕日が、二人の影を、畳の上に長くひとつに伸ばしていました。

後になって、私は妻に訊いてみました。

どうして、あのとき振り返ったのか、と。

妻はメモ帳に、いつものように、ゆっくりと書きました。

「くうきが、うごいたから」

人が誰かを後ろから抱きしめるとき、その背中には微かな温度と、息のかたちが伝わるのだといいます。

彼女は、私の言葉を、耳ではなく背中で受け取っていた。

私は長いあいだ、そう信じていました。

娘が明かしたこと

生まれた娘は、母親譲りの大きな瞳で、私の口の動きをじっと見つめる子に育ちました。

声で言葉を覚えるのも、手で言葉を覚えるのも、この子にとっては同じ速さでした。

母に向けては手を動かし、私に向けては声を出す。

娘にとって、音のある世界と音のない世界は、はじめから一枚の地続きでした。

あるとき娘は、母の手を取って、私が教えるより先に「すきです」の形をつくってみせました。

私が一人きりで抱えていたあの問いは、いつのまにか、跡形もなく溶けてなくなっていました。

その娘が高校に上がった夏のことです。

三人で夕飯を食べているとき、娘がふいに言いました。

「お父さん、あの西日の話、まだ信じてるの」

何のことかと訊くと、娘は母の顔をちらりと見てから、笑いました。

「お母さん、あのとき、窓を見てたんだって」

あの部屋の西側には、大きな掃き出し窓があります。

夕方、外が明るくて中が暗いあいだの、ほんの二十分ほど。

あの時間だけ、ガラスは鏡のように部屋の中を映すのです。

妻は、背後から近づく私の姿を、そのガラスの中で見ていました。

そして、私の唇が「愛してる」の形になるのを、はっきりと読んでいたのです。

妻は、私の言葉を、耳でも背中でもなく、窓ガラスの中で受け取っていました。

「じゃあ、くうきが動いたから、っていうのは」

私が訊くと、妻は箸を置いて、ゆっくり手を動かしました。

《あれも、ほんとう》

《さきに、ゆかがゆれた。それから、まどをみた》

床の揺れで、私が来たことを知る。

顔を上げて、ガラスの中の私の口を読む。

彼女は、二十年前からずっと、そうやって私を受け取っていたのです。

「なんで、教えてくれへんかったん」

妻は、少しだけ困った顔をして、それから書きました。

「はずかしがると、おもって」

娘が、隣で声を上げて笑いました。

私は、笑うことも泣くこともできずに、しばらく味噌汁の椀を持ったままでいました。

声とは何なのだろう

声とは、いったい何なのだろうと、私はあの頃よく考えました。

耳に届く震えのことだと、それまでの私は、何の疑いもなく信じていました。

けれど妻と暮らすうちに、それだけではないのだと、少しずつわかってきました。

朝、寝坊した私の肩を、妻が二度叩いて起こすとき。

夕食のあと、洗い物をする私の背中を、妻がそっと見ているのに気づくとき。

そこには確かに、声と呼ぶよりほかにない何かが、流れていました。

言葉にならない言葉のほうが、ときに、ずっと深く届くことがあるのだと思います。

妻はそれを、生まれたときからずっと、知っていたのです。

そして、知っていることを、こちらが気づくまで、決して言いませんでした。

それが、あの人の優しさの形なのだと、私はようやく理解しました。

床がひとつ、揺れる

響板の工場は、その後、大手の再編のあおりで閉じることになりました。

私は運送の仕事に移り、慣れない現場で叱られる日々が続きました。

それでも、家に帰れば、メモ帳と手話と、あの静かな部屋がありました。

うまくいかない日ほど、妻は何も訊かずに、ただ私の隣に座っていてくれました。

最後の出荷の日、親方が響板の端材を一枚くれました。

唐檜の、目の詰まった、手のひらほどの板です。

今はそれを、玄関の靴箱の上に置いてあります。

帰ってきて指ではじくと、思いのほか長く鳴ります。

妻には、その音は届きません。

けれど、板を置いた靴箱は、あの一本の道の上にあります。

だから妻は、私が帰ったことを、いつも先に知っています。

娘はもう、ひとりで母に学校の出来事を手で語って聞かせるようになりました。

その小さな手の動きを見るたびに、私はあの西日の部屋を思い出すのです。

届かないと思っていた言葉が、いちばん深いところに、確かに届いていた、あの夕方を。

あの日、私が口にした「愛してる」は、空気の震えとしては、誰にも届かずに消えました。

けれど、ひとつの背中と、一枚のガラスには、確かに届いていました。

そこから返ってきた《わたしも》は、声よりも長く、私のなかに残り続けています。

人と人をつなぐものは、必ずしも音ではないのだと、私はあの日、教わりました。

今日も、玄関の戸を開けると、居間のほうで、妻がゆっくりと顔を上げます。

床がひとつ、揺れたからです。

言葉にできなかった気持ちの話は、渡せなかった婚約指輪と真鍮の輪にも書かれています。誰かが黙って続けていた習慣の話は、扉の裏に残された一行もあわせてお読みいただけたら幸いです。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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