伝わる気持ち

西日が、畳の目を一本ずつ数えるようにして、ゆっくりと部屋の奥へ伸びていた。

妻はソファに浅く腰かけて、八ヶ月になったお腹を、両手で円を描くように撫でていた。

その背中を、僕は台所の入り口から、声をかけそびれたまま眺めていた。

部屋は、静かだった。

けれど、それは誰もいないからではない。

妻には、はじめから音というものが届かないからだった。

妻はろう者だ。

生まれたときから、世界の物音をひとつも知らずに生きてきた人だった。

テレビの音も、軒先を打つ雨だれの音も、そして僕の声も――彼女の世界には、ない。

それでも、この家のなかにはいつも、音とは違うかたちの会話が、静かに満ちていた。

出会いは、僕が勤めていた小さな印刷工場の、インクと油の匂いが染みついた事務室だった。

伝票の整理を任されたばかりの彼女は、机の上にいつも一冊の小さなメモ帳を置いていた。

用件があると、僕らはそのメモ帳を、二人のあいだで黙って回し合った。

鉛筆の先が紙を擦る、かさかさという音だけが、その頃の僕らの会話のすべてだった。

あるとき、僕は得意先へ出す納品書の数字を、一桁、書き間違えた。

彼女はそれにすぐ気づいて、メモ帳の隅に、小さな顔の絵を描いて寄こした。

困ったような、それでいてどこか笑っているような、不思議な表情の絵だった。

その絵を見た瞬間に、胸の奥で固く結ばれていた何かが、ふっとほどけていったのだと思う。

言葉のいらない人を相手に、僕は不器用な言葉で、恋に落ちていった。

昼休みになると、僕は何かと理由をつけては、彼女の机のそばを通るようになった。

メモ帳には、いつのまにか天気の話や、昼に食べたものの話が増えていった。

鉛筆で交わすだけの他愛のないやりとりが、いつしか僕の一日の、真ん中になっていた。

工場の仲間には、ずいぶんと冷やかされた。

声の届かない子のどこがいいんだと、面と向かって言ってきた者もいた。

僕は何も言い返さなかった。

言い返す言葉を、その頃の僕は、まだ持っていなかったのだと思う。

手話を覚え始めたのは、それからだった。

指の形ひとつ、向きひとつで意味がまるで変わると知って、僕は何度も自分の手を裏返して眺めた。

夜、布団のなかで、その日に覚えた形をひとつずつ確かめるのが、日課になった。

最初に覚えた言葉は、間の抜けたことに「ごめん」だった。

練習のつもりで送った「ごめん」に、彼女は声を立てずに笑った。

肩が小さく揺れるのを見て、笑い声というのは、本当は音ではないのだと、はじめて知った。

次に覚えたのは「ありがとう」。

その次に、ずいぶんと遠回りをして、ようやく「すきです」を覚えた。

いざ本人の前で手を動かそうとすると、指がもつれて、何度もやり直すことになった。

彼女は、急かさなかった。

僕の不格好な指先が、最後まで形になるのを、ただ黙って見ていてくれた。

言い終えたとき、彼女は小さくうなずいて、同じ形を、もっとなめらかに返してくれた。

その手の動きを、僕は今でも、目を閉じれば空でなぞることができる。

結婚を、彼女の両親に伝えに行った日のことも、よく覚えている。

お義母さんもまた、耳の聞こえない人だった。

言葉ではなく、古い卓袱台を挟んで、僕とお義母さんは長いあいだ、手を動かし続けた。

覚えたての手話だから、途中で何度も詰まった。

そのたびに、妻が横からそっと、僕のもつれた手を直してくれた。

お義母さんは、自分が若い頃にどれだけ心ない言葉を投げられてきたかを、淡々と語った。

そのうえで、娘には同じ思いをさせたくなかったのだと、ゆっくりと手を動かした。

別れ際、お義母さんは僕の両手を、自分の節くれだった両手で、そっと包んでくれた。

何も言葉はなかった。

けれど、その手のあたたかさだけで、僕は許されたのだと分かった。

二人の暮らしは、音のかわりに、光と振動でできていた。

玄関のチャイムは、天井の電灯がふたつ、続けて点滅して報せる。

彼女を呼ぶときは、床を軽く二度踏んで、その揺れで振り向いてもらう。

音の出ない目覚まし時計は、枕の下で小さく震えて、朝を知らせる。

音のない家には、音のない家の作法があった。

それを一つずつ覚えていくのは、不便というよりも、むしろ祈りに近い時間だった。

一度だけ、僕らは大きな喧嘩をした。

声を荒げることもできず、僕らはメモ帳に、互いの言い分を交互に殴り書きした。

声に出せないぶん、書く言葉は、いつもより正直だった。

言葉は時に不器用だ――それでも、手は動き続けた。

僕らは、口ではなく、手と目と、肌のすぐ下の温度で、ずっと話していたのだと思う。

お腹に子がいると知ったのは、桜が散りきった頃だった。

妻は検査の紙を僕の前に広げて、両手で大きな丸を、はにかみながらつくってみせた。

僕は何を言えばいいのか分からなくて、ただ、その手を握った。

はじめて胎動を感じた夜、妻は僕の手を取って、自分のお腹のいちばん張ったところに当てた。

とん、と内側から押し返してくる小さな力に、僕らは顔を見合わせて、しばらく動けなかった。

嬉しさよりも先に、ひとつの問いが、胸の底へゆっくりと沈んでいった。

この子は、僕の声を聞けるのだろうか。

もし聞けるのなら――この子は、母さんの声を一度も聞けないことを、いつか、どう受け止めるのだろう。

その問いを、僕は誰にも言えなかった。

妻にだけは、特に、言えなかった。

夜、眠る妻の隣で、天井のしみを見上げながら、答えの出ない問いを何度も裏返した。

答えは出ないまま、月日だけが、彼女のお腹とともに、静かにふくらんでいった。

その夕方も、僕は残業を終えて、家に帰ってきたところだった。

鞄を玄関に置いて顔を上げると、西日の部屋に、妻がいた。

オレンジ色の光のなかで、彼女は変わらず、お腹を撫でていた。

その姿が、あまりにも静かで、あまりにも満ち足りていて。

何となく、言いたくなったのだ。

理由なんて、後からはひとつも思い出せない。

僕は足音を殺して背後に近づいて、後ろからそっと、彼女を抱きしめた。

そして、聞こえないと分かっている言葉を、口にした。

「愛してる」

声は、夕日のなかに浮かぶ埃のあいだに溶けて、すぐに消えた。

妻には、届かない。

届くはずが、ない。

届かないからこそ、ためらいなく言えた言葉だったのかもしれない。

ところが。

聞こえるはずのない言葉に、妻は振り返った。

僕の腕のなかで、ゆっくりと体を回して、まっすぐに僕の顔を見上げた。

それから、お腹を撫でていた手を、胸の前まで、そっと持ち上げて。

ひとつの、迷いのない形をつくった。

《わたしも》

手話の、たった一語。

声のない、けれど確かにそこにある、返事だった。

僕は、何も言えなかった。

ただ、もう一度、強く抱きしめ直すことしか、できなかった。

夕日が、二人の影を、畳の上に長くひとつに伸ばしていた。

後になって、僕は妻に訊いてみた。

どうして、あのとき振り返ったのか、と。

妻はメモ帳に、いつものように、ゆっくりと書いた。

「くうきが、うごいたから」

言葉そのものは聞こえなくても、人が誰かを後ろから抱きしめるとき、その背中には微かな温度と、息のかたちが伝わるのだという。

彼女は、僕の言葉を、耳ではなく、背中で受け取っていた。

音のない世界に生きる人は、僕が思っているよりもずっと多くのものを、聞いていたのだと思う。

言葉とは、口から出るものだけではないのだと、その日、僕は彼女に教わった。

臨月が近づくと、僕らは六畳の和室の隅に、小さな子ども用のスペースを整えはじめた。

妻は、赤ん坊が泣いたことを音で知れない。

だから僕らは、ベビーベッドの柵に、小さな振動するセンサーを取りつけた。

赤ん坊が泣くと、それが妻の腕につけた腕時計に伝わって、震えで報せてくれる仕組みだった。

説明書を二人で何度も読み返して、ようやく取りつけ終えたとき、外はもう夜になっていた。

妻はセンサーの上に手をかざして、その小さな震えを確かめると、安心したように肩の力を抜いた。

音の聞こえない母親が、それでも子の声を取りこぼさないために、僕らはいくつもの工夫を重ねた。

それは、彼女が母になる準備というよりも、僕らが二人で親になっていく時間そのものだった。

産院でも、僕らは少しだけ困った。

妻は、医師や助産師の言葉を、口の動きと、僕が間に入って訳す手話で受け取った。

はじめは戸惑っていた若い助産師さんが、ある日、たどたどしい手話で「だいじょうぶ」と伝えてくれた。

わざわざ、本を買って練習してくれたのだという。

妻は、その手の動きを見て、目を細めて何度もうなずいた。

声の届かないところにも、人の優しさは、形を変えてちゃんと届くのだと、僕はそのとき思った。

名前は、二人で長い時間をかけて選んだ。

声に出して呼んだとき美しく、手話で表したときにも美しい、そんな名前を探した。

画用紙に候補を書き出しては、互いに指でその形をつくってみる夜が、しばらく続いた。

あの夕方から、ずいぶんと経った。

生まれた娘は、母さん譲りの大きな瞳で、僕の口の動きをじっと見つめる子に育った。

声で言葉を覚えるのも、手で言葉を覚えるのも、この子にとっては、同じ速さだった。

母に向けては手を動かし、僕に向けては声を出す。

娘にとって、音のある世界と音のない世界は、はじめから一枚の地続きなのだった。

あるとき娘は、母の手を取って、僕が教えるより先に「すきです」の形をつくってみせた。

僕が一人きりで抱えていたあの問いは、いつのまにか、跡形もなく溶けてなくなっていた。

声とは、いったい何なのだろうと、僕はあの頃よく考えた。

耳に届く震えのことだと、それまでの僕は、何の疑いもなく信じていた。

けれど妻と暮らすうちに、それだけではないのだと、少しずつ分かってきた。

朝、寝坊した僕の肩を、妻が二度叩いて起こすとき。

夕食のあと、洗い物をする僕の背中を、妻がそっと見ているのに気づくとき。

そこには確かに、声と呼ぶよりほかにない何かが、流れていた。

言葉にならない言葉のほうが、ときに、ずっと深く届くことがあるのだと思う。

妻はそれを、生まれたときからずっと、知っていたのだ。

工場はその後、不景気のあおりで畳むことになった。

僕は職を変え、慣れない現場で叱られる日々が続いた。

それでも、家に帰れば、メモ帳と手話と、あの静かな部屋があった。

うまくいかない日ほど、妻は何も訊かずに、ただ僕の隣に座っていてくれた。

今でも、くたびれて帰った夜には、あの西日の部屋を思い出す。

届かないと思っていた言葉が、いちばん深いところに、確かに届いていた、あの夕方を。

明日も働ける。

あの夕方、僕が口にした「愛してる」は、空気の震えとしては、誰にも届かずに消えた。

けれど、ひとつの背中には、確かに届いていた。

そして、その背中から返ってきた《わたしも》は、声よりも長く、僕のなかに残り続けている。

人と人をつなぐものは、必ずしも音ではないのだと、僕はあの日、教わった。

娘はもう、ひとりで母に学校の出来事を手で語って聞かせるようになった。

その小さな手の動きを見るたびに、僕はあの西日の部屋を思い出すのだ。

そう素直に思えたのは、たぶん、生まれて初めてのことだった。

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