西日が、畳の目を一本ずつ数えるようにして、ゆっくりと部屋の奥へ伸びていた。
妻はソファに浅く腰かけて、八ヶ月になったお腹を、両手で円を描くように撫でていた。
その背中を、僕は台所の入り口から、声をかけそびれたまま眺めていた。
部屋は、静かだった。
けれど、それは誰もいないからではない。
妻には、はじめから音というものが届かないからだった。
妻はろう者だ。
生まれたときから、世界の物音をひとつも知らずに生きてきた人だった。
テレビの音も、軒先を打つ雨だれの音も、そして僕の声も――彼女の世界には、ない。
それでも、この家のなかにはいつも、音とは違うかたちの会話が、静かに満ちていた。
※
出会いは、僕が勤めていた小さな印刷工場の、インクと油の匂いが染みついた事務室だった。
伝票の整理を任されたばかりの彼女は、机の上にいつも一冊の小さなメモ帳を置いていた。
用件があると、僕らはそのメモ帳を、二人のあいだで黙って回し合った。
鉛筆の先が紙を擦る、かさかさという音だけが、その頃の僕らの会話のすべてだった。
あるとき、僕は得意先へ出す納品書の数字を、一桁、書き間違えた。
彼女はそれにすぐ気づいて、メモ帳の隅に、小さな顔の絵を描いて寄こした。
困ったような、それでいてどこか笑っているような、不思議な表情の絵だった。
その絵を見た瞬間に、胸の奥で固く結ばれていた何かが、ふっとほどけていったのだと思う。
言葉のいらない人を相手に、僕は不器用な言葉で、恋に落ちていった。
昼休みになると、僕は何かと理由をつけては、彼女の机のそばを通るようになった。
メモ帳には、いつのまにか天気の話や、昼に食べたものの話が増えていった。
鉛筆で交わすだけの他愛のないやりとりが、いつしか僕の一日の、真ん中になっていた。
工場の仲間には、ずいぶんと冷やかされた。
声の届かない子のどこがいいんだと、面と向かって言ってきた者もいた。
僕は何も言い返さなかった。
言い返す言葉を、その頃の僕は、まだ持っていなかったのだと思う。
※
手話を覚え始めたのは、それからだった。
指の形ひとつ、向きひとつで意味がまるで変わると知って、僕は何度も自分の手を裏返して眺めた。
夜、布団のなかで、その日に覚えた形をひとつずつ確かめるのが、日課になった。
最初に覚えた言葉は、間の抜けたことに「ごめん」だった。
練習のつもりで送った「ごめん」に、彼女は声を立てずに笑った。
肩が小さく揺れるのを見て、笑い声というのは、本当は音ではないのだと、はじめて知った。
次に覚えたのは「ありがとう」。
その次に、ずいぶんと遠回りをして、ようやく「すきです」を覚えた。
いざ本人の前で手を動かそうとすると、指がもつれて、何度もやり直すことになった。
彼女は、急かさなかった。
僕の不格好な指先が、最後まで形になるのを、ただ黙って見ていてくれた。
言い終えたとき、彼女は小さくうなずいて、同じ形を、もっとなめらかに返してくれた。
その手の動きを、僕は今でも、目を閉じれば空でなぞることができる。
※
結婚を、彼女の両親に伝えに行った日のことも、よく覚えている。
お義母さんもまた、耳の聞こえない人だった。
言葉ではなく、古い卓袱台を挟んで、僕とお義母さんは長いあいだ、手を動かし続けた。
覚えたての手話だから、途中で何度も詰まった。
そのたびに、妻が横からそっと、僕のもつれた手を直してくれた。
お義母さんは、自分が若い頃にどれだけ心ない言葉を投げられてきたかを、淡々と語った。
そのうえで、娘には同じ思いをさせたくなかったのだと、ゆっくりと手を動かした。
別れ際、お義母さんは僕の両手を、自分の節くれだった両手で、そっと包んでくれた。
何も言葉はなかった。
けれど、その手のあたたかさだけで、僕は許されたのだと分かった。
※
二人の暮らしは、音のかわりに、光と振動でできていた。
玄関のチャイムは、天井の電灯がふたつ、続けて点滅して報せる。
彼女を呼ぶときは、床を軽く二度踏んで、その揺れで振り向いてもらう。
音の出ない目覚まし時計は、枕の下で小さく震えて、朝を知らせる。
音のない家には、音のない家の作法があった。
それを一つずつ覚えていくのは、不便というよりも、むしろ祈りに近い時間だった。
一度だけ、僕らは大きな喧嘩をした。
声を荒げることもできず、僕らはメモ帳に、互いの言い分を交互に殴り書きした。
声に出せないぶん、書く言葉は、いつもより正直だった。
言葉は時に不器用だ――それでも、手は動き続けた。
僕らは、口ではなく、手と目と、肌のすぐ下の温度で、ずっと話していたのだと思う。
※
お腹に子がいると知ったのは、桜が散りきった頃だった。
妻は検査の紙を僕の前に広げて、両手で大きな丸を、はにかみながらつくってみせた。
僕は何を言えばいいのか分からなくて、ただ、その手を握った。
はじめて胎動を感じた夜、妻は僕の手を取って、自分のお腹のいちばん張ったところに当てた。
とん、と内側から押し返してくる小さな力に、僕らは顔を見合わせて、しばらく動けなかった。
嬉しさよりも先に、ひとつの問いが、胸の底へゆっくりと沈んでいった。
この子は、僕の声を聞けるのだろうか。
もし聞けるのなら――この子は、母さんの声を一度も聞けないことを、いつか、どう受け止めるのだろう。
その問いを、僕は誰にも言えなかった。
妻にだけは、特に、言えなかった。
夜、眠る妻の隣で、天井のしみを見上げながら、答えの出ない問いを何度も裏返した。
答えは出ないまま、月日だけが、彼女のお腹とともに、静かにふくらんでいった。
※
その夕方も、僕は残業を終えて、家に帰ってきたところだった。
鞄を玄関に置いて顔を上げると、西日の部屋に、妻がいた。
オレンジ色の光のなかで、彼女は変わらず、お腹を撫でていた。
その姿が、あまりにも静かで、あまりにも満ち足りていて。
何となく、言いたくなったのだ。
理由なんて、後からはひとつも思い出せない。
僕は足音を殺して背後に近づいて、後ろからそっと、彼女を抱きしめた。
そして、聞こえないと分かっている言葉を、口にした。
「愛してる」
声は、夕日のなかに浮かぶ埃のあいだに溶けて、すぐに消えた。
妻には、届かない。
届くはずが、ない。
届かないからこそ、ためらいなく言えた言葉だったのかもしれない。
※
ところが。
聞こえるはずのない言葉に、妻は振り返った。
僕の腕のなかで、ゆっくりと体を回して、まっすぐに僕の顔を見上げた。
それから、お腹を撫でていた手を、胸の前まで、そっと持ち上げて。
ひとつの、迷いのない形をつくった。
《わたしも》
手話の、たった一語。
声のない、けれど確かにそこにある、返事だった。
僕は、何も言えなかった。
ただ、もう一度、強く抱きしめ直すことしか、できなかった。
夕日が、二人の影を、畳の上に長くひとつに伸ばしていた。
※
後になって、僕は妻に訊いてみた。
どうして、あのとき振り返ったのか、と。
妻はメモ帳に、いつものように、ゆっくりと書いた。
「くうきが、うごいたから」
言葉そのものは聞こえなくても、人が誰かを後ろから抱きしめるとき、その背中には微かな温度と、息のかたちが伝わるのだという。
彼女は、僕の言葉を、耳ではなく、背中で受け取っていた。
音のない世界に生きる人は、僕が思っているよりもずっと多くのものを、聞いていたのだと思う。
言葉とは、口から出るものだけではないのだと、その日、僕は彼女に教わった。
※
臨月が近づくと、僕らは六畳の和室の隅に、小さな子ども用のスペースを整えはじめた。
妻は、赤ん坊が泣いたことを音で知れない。
だから僕らは、ベビーベッドの柵に、小さな振動するセンサーを取りつけた。
赤ん坊が泣くと、それが妻の腕につけた腕時計に伝わって、震えで報せてくれる仕組みだった。
説明書を二人で何度も読み返して、ようやく取りつけ終えたとき、外はもう夜になっていた。
妻はセンサーの上に手をかざして、その小さな震えを確かめると、安心したように肩の力を抜いた。
音の聞こえない母親が、それでも子の声を取りこぼさないために、僕らはいくつもの工夫を重ねた。
それは、彼女が母になる準備というよりも、僕らが二人で親になっていく時間そのものだった。
※
産院でも、僕らは少しだけ困った。
妻は、医師や助産師の言葉を、口の動きと、僕が間に入って訳す手話で受け取った。
はじめは戸惑っていた若い助産師さんが、ある日、たどたどしい手話で「だいじょうぶ」と伝えてくれた。
わざわざ、本を買って練習してくれたのだという。
妻は、その手の動きを見て、目を細めて何度もうなずいた。
声の届かないところにも、人の優しさは、形を変えてちゃんと届くのだと、僕はそのとき思った。
名前は、二人で長い時間をかけて選んだ。
声に出して呼んだとき美しく、手話で表したときにも美しい、そんな名前を探した。
画用紙に候補を書き出しては、互いに指でその形をつくってみる夜が、しばらく続いた。
※
あの夕方から、ずいぶんと経った。
生まれた娘は、母さん譲りの大きな瞳で、僕の口の動きをじっと見つめる子に育った。
声で言葉を覚えるのも、手で言葉を覚えるのも、この子にとっては、同じ速さだった。
母に向けては手を動かし、僕に向けては声を出す。
娘にとって、音のある世界と音のない世界は、はじめから一枚の地続きなのだった。
あるとき娘は、母の手を取って、僕が教えるより先に「すきです」の形をつくってみせた。
僕が一人きりで抱えていたあの問いは、いつのまにか、跡形もなく溶けてなくなっていた。
※
声とは、いったい何なのだろうと、僕はあの頃よく考えた。
耳に届く震えのことだと、それまでの僕は、何の疑いもなく信じていた。
けれど妻と暮らすうちに、それだけではないのだと、少しずつ分かってきた。
朝、寝坊した僕の肩を、妻が二度叩いて起こすとき。
夕食のあと、洗い物をする僕の背中を、妻がそっと見ているのに気づくとき。
そこには確かに、声と呼ぶよりほかにない何かが、流れていた。
言葉にならない言葉のほうが、ときに、ずっと深く届くことがあるのだと思う。
妻はそれを、生まれたときからずっと、知っていたのだ。
※
工場はその後、不景気のあおりで畳むことになった。
僕は職を変え、慣れない現場で叱られる日々が続いた。
それでも、家に帰れば、メモ帳と手話と、あの静かな部屋があった。
うまくいかない日ほど、妻は何も訊かずに、ただ僕の隣に座っていてくれた。
※
今でも、くたびれて帰った夜には、あの西日の部屋を思い出す。
届かないと思っていた言葉が、いちばん深いところに、確かに届いていた、あの夕方を。
明日も働ける。
あの夕方、僕が口にした「愛してる」は、空気の震えとしては、誰にも届かずに消えた。
けれど、ひとつの背中には、確かに届いていた。
そして、その背中から返ってきた《わたしも》は、声よりも長く、僕のなかに残り続けている。
人と人をつなぐものは、必ずしも音ではないのだと、僕はあの日、教わった。
娘はもう、ひとりで母に学校の出来事を手で語って聞かせるようになった。
その小さな手の動きを見るたびに、僕はあの西日の部屋を思い出すのだ。
そう素直に思えたのは、たぶん、生まれて初めてのことだった。