最強最高の兄ちゃん

十勝の冬は、朝の三時がいちばん静かだ。

除雪車のエンジンをかけると、白い息がすぐに風防の内側を曇らせる。

手袋を外して、指の腹でそこを拭う。

拭ったところから、街灯の光がにじんで入ってくる。

私はいま、兄がやっていたのと同じ仕事をしている。

ハンドルは、握るところだけ革の色が薄い。

兄の掌の形だと言われれば、そう思えなくもない。

兄の長靴は、決まって右足のほうが先に駄目になった。

左はまだ溝が残っているのに、右だけがつるつるにすり減って、商店街の坂でよく滑っていた。

「なして右ばっかり減るのさ」と聞いたことがある。

兄は「癖だべ」と言って笑った。

私はそれを、二十年ちかく、ただの癖だと思っていた。

両親が亡くなったのは、私が中学二年の十二月だった。

帯広からの帰り、地吹雪の国道で、対向のトラックが横に流れてきたのだという。

知らせを聞いた夜、台所には母が仕込みかけた煮豆の鍋がそのまま置いてあった。

蓋を開けたら、まだほんのり温かった。

それを流しに捨てたのが、私が最初にした「片づけ」だった。

葬式のあいだ、私はずっと自分の靴の先だけを見ていた。

四つ上に兄が、五つ下に妹がいた。

私は母方の伯父の家に、妹は父方の親戚に、兄は母方の祖父母のところに引き取られた。

三人とも、別々の町だった。

伯父も伯母も、悪い人ではなかった。

ただ、夕飯のとき、茶碗を持つ手の順番が、私だけいつも最後だった。

それだけのことが、中学生には妙に重かった。

風呂の湯も、私が入るころにはいつも少しぬるかった。

文句はなかった。

文句がないという事実こそが、いちばんこたえた。

妹に会えたのは、その一年のうちに二度きりだ。

二度目に会ったとき、妹は私の顔を見て、少し困ったように笑った。

「おにいちゃん、背、伸びたね」

そう言われて、返す言葉が出てこなかった。

背が伸びるくらいの時間を、私たちは別々の家の匂いの中で過ごしていた。

兄から電話があったのは、私が中学三年の秋だ。

「就職、決まったわ」

受話器の向こうで、兄の声は妙に明るかった。

「柏木組ってとこ。夏は道路で、冬は除雪もやる会社」

私は意味がわからなかった。

兄は学年でずっと一番だった。

中学の担任が家まで来て、母に「悠一くんは、どこへでも行けます」と言ったのを覚えている。

母はそのとき、玄関先で前掛けの端を握って、何度も頭を下げていた。

「大学は」

私が聞くと、兄は少し黙ってから言った。

「全滅だわ。そこは触れんといて」

そして、こう続けた。

「三人で住まんか」

私は受話器を持ったまま、廊下の壁の冷たさに背中を預けた。

伯父は反対した。

父方の親戚も、当然のように反対した。

十九の子どもが、中学生と小学生を抱えて暮らせるわけがない、と。

それでも私は伯父の前で膝をついたし、妹は電話口で泣きながら「おにいちゃんたちと住みたい」と繰り返した。

春になって、更間町の町営住宅の一階に、三人分の布団が並んだ。

畳は焼けて茶色く、台所の窓は建て付けが悪くて、閉めるのに肩を使った。

押し入れの襖には、前の住人の子どもが書いたらしい落書きが残っていた。

妹はその落書きを消そうとせず、隣に自分の名前を書き足した。

それでも、三人だった。

兄は働いた。

昼は現場で、夜は倉庫の荷積みで、冬になると夜通し除雪に出た。

帰ってくると、作業服のまま、玄関の三和土で長靴を脱ぐ。

その脱ぎ方が、いつも右足からだった。

兄の作るものは、カレーと、豚汁と、卵かけご飯しかなかった。

カレーはいつも同じ味で、じゃがいもだけが妙に大きかった。

「兄ちゃん、これ、いも切るの下手すぎだべ」

「うるさい。大きいほうが得だべや」

妹はそのじゃがいもを、毎回ふたつに割って、片方を私の皿に落とした。

兄は鼻歌がひどく下手だった。

音が合っていないのに、本人はまったく気にしていない。

風呂場から聞こえてくるその鼻歌で、私は兄が帰ってきたことを知った。

三人で迎えた最初の正月、兄は餅を焼きすぎて真っ黒にした。

炭になった餅を三人でつつきながら、妹が「去年よりおいしい」と言った。

兄は「当たり前だべ」と言って、汁粉の椀に顔を隠した。

月に一度、兄は封筒から千円札を出して、私と妹の前に置いた。

「小遣いだべ」

「いらないって」

「いるべや。中学生は金かかるんだ」

私は受け取った千円で、参考書を買ったことがある。

買ってから、それを兄に言えなかった。

言えば、兄が「もっと出すわ」と言うのがわかっていたからだ。

ある晩、兄が立ったまま眠っているのを見た。

台所で、洗い終えた茶碗を持ったまま、目を閉じて、少しだけ体が揺れていた。

声をかけたら、兄は「起きとるわ」と言って、そのまま茶碗を棚に戻した。

棚の高さを間違えて、茶碗は縁に当たって小さく鳴った。

妹の保育園の送りは、朝の兄の仕事だった。

冬は暗いうちに家を出る。

妹の手袋を先に温めてから履かせるのが、兄の決まりだった。

自分の手袋は、いつも濡れたままだった。

小学校の運動会に、兄は一度だけ来た。

保護者リレーに駆り出されて、作業ズボンのままアンカーを走って、最後の直線で転んだ。

膝から血を流したまま笑っている兄を見て、妹は本気で泣いた。

「兄ちゃんが転んだの、うちのせいだ」

「ちがうわ。走るの下手なだけだ」

その夜、兄の膝には、私が貼ったガーゼが曲がったまま貼りついていた。

高校に行かないと言ったのは、二年生に上がる前の冬だった。

働けば、兄の夜の仕事をひとつ減らせると思った。

私が言い終わる前に、兄は台所の流しに手をついて、こちらを見ずに言った。

「もういっぺん言うてみ」

「だから、俺、働くって」

殴られたのは、そのときが最初で最後だ。

兄の手は、思っていたより硬く、そして冷たかった。

「お前が働いたら、俺が兄ちゃんでいる理由が、なくなるべや」

兄はそれだけ言って、長靴をつっかけて出ていった。

外はまだ暗かった。

雪を踏む音が遠ざかって、それから、私は流しの前でしばらく立っていた。

翌朝、玄関に私の学生服がかかっていた。

前の日までなかった、新しいボタンがついていた。

私が就職して家を出て、妹が看護学校に入って、三人の暮らしは静かに終わった。

兄はひとりで町営住宅に残った。

盆と正月に帰ると、部屋はいつも同じ匂いがした。

カレーの匂いと、作業服の油の匂いだ。

「結婚とかしないの」と一度だけ聞いた。

兄は「めんどくさい」と言って、テレビの音量を上げた。

兄が逝ったのは、去年の二月だ。

除雪の帰り、明け方の交差点で、後ろから来た車に押し出された。

三十九歳だった。

病院の廊下で、私は自分の靴の先を見ていた。

中学二年の十二月と、同じ姿勢だった。

葬式の日は、朝から風が強かった。

焼香の列が扉の外まで伸びて、知らない作業服の人たちが何人も並んでいた。

その全員が、兄の名前を「悠一さん」と呼んだ。

参列者が引けた控室で、私と妹のところに、叔母の節子さんが煮物を持ってきてくれた。

節子さんは、湯呑みを私の前に置いてから、しばらく黙っていた。

「大樹くん。悠一のこと、どこまで聞いとる」

私は首を横に振った。

「あんたらのお父さんお母さんが亡くなった年の暮れにな。悠一が、うちに来たんよ」

節子さんの話は、こうだった。

十八の兄は、親戚の家を一軒ずつ回って、玄関の三和土に膝をついたのだという。

弟と妹をよろしくお願いします、と。

高校生が、大人の玄関先で額を床につけて、それを七軒分やった。

「うちの人が、悠一に、頭上げなさいって何度も言うたんよ。でもあの子、上げんかった」

それだけではなかった。

兄は高校時代のアルバイト代を、毎月、私と妹それぞれの引き取り先に送っていた。

あの子らの小遣いにしてやってください、と手紙をつけて。

私が伯父の家でもらっていた月々の千円は、兄の金だった。

「知らんかったやろ。悠一が、絶対に言うなって」

私は湯呑みを持ったまま、動けなかった。

妹が横で、声を出さずに泣いていた。

けれど、その日いちばん深いところに刺さったのは、節子さんの話ではなかった。

四十九日が過ぎたころ、隣に住む沢口のじいさんが、うちの玄関先で長い立ち話をしていった。

沢口さんは八十を過ぎていて、毎朝五時前に起きて仏壇に水をあげる人だった。

「大樹くん。今年の冬な、あんたら難儀したろ」

言われて、私は初めて気がついた。

その冬、私は生まれて初めて、あの家の前の雪を自分で掘った。

それまでの二十年、学校へ行く道も、妹が通った保育園までの歩道も、朝にはいつも開いていた。

町の除雪が入っているのだと、私は疑いもしていなかった。

「町の車はな、あの細い道までは入らんのよ」

沢口さんは、杖の先で家の前の道路を指した。

「悠一くんが、夜の仕事から戻ってきてから、毎朝、あんたらの通る側だけ、スコップで開けとったんだわ」

私は、じいさんの顔を見た。

「片側だけ。あんたらの学校と、保育園の側だけな」

「じいさん、それ、いつから」

「あんたらが三人で暮らしはじめた春から、ずっとよ」

沢口さんは、それから少し声を落として言った。

「あんたの兄さんはな、自分が帰る側の雪は、いっぺんも開けんかったよ」

風が吹いて、じいさんの帽子のつばが震えた。

私は何か言おうとして、口の中が乾いているのに気づいた。

兄の遺品を片づけたのは、五月の連休だった。

会社のロッカーは、驚くほど何もなかった。

作業服が二着、軍手の予備、飲みかけのインスタントコーヒー。

その一番下、鉄板の底に、茶封筒が一枚だけ敷いてあった。

角が丸くすり切れて、汗と機械油で色が変わっていた。

表には、大学の名前が印刷されていた。

合格通知の封筒は、封を切られないまま、作業服のロッカーの底にあった。

日付は、兄が私に電話をくれた年の、三月だ。

「全滅だわ」と、兄は笑って言ったのだ。

あのとき受話器の向こうで、兄が何を見ていたのか、私にはもうわからない。

わかるのは、兄がその封筒を、二十年、捨てなかったということだけだ。

町営住宅を引き払ったのは、七月だ。

畳を上げ、押し入れを空にして、最後に台所の柱を拭いた。

その柱には、背比べの傷が刻んであった。

「だいき 中3」「ひな 小4」と、兄の下手な字で年ごとに横線が引いてある。

線は十本以上あった。

けれど、兄の名前の線は、一本もなかった。

三人で暮らした八年のあいだ、兄は一度も、自分の背をその柱に当てなかったのだ。

私は雑巾を持ったまま、その柱の前にしゃがみこんだ。

押し入れの奥から、大学ノートが六冊出てきた。

家計簿だった。

日付と、金額と、短い品名が、几帳面な字で並んでいる。

「灯油」「みそ」「陽菜 上履き」「大樹 模試代」。

ページの端には、月ごとの合計が赤で囲んであった。

四冊目の途中に、「陽菜 看護学校 入学金」という行があった。

妹は、あれは奨学金で通ったのだと今も思っている。

金額の桁を見て、私は電卓を叩いた。

兄が三か月、夜の仕事を一日も休まなかった額だった。

六冊のノートを最後まで繰っても、兄の名前で買われたものは、作業用の軍手と、長靴しかなかった。

長靴は、二年に一度の割合で買われていた。

その行の隣に、小さく「右」と書いてあった。

意味がわかったのは、私が同じ仕事に就いてからだ。

商店街の坂の下で、雑貨屋のおばさんに呼び止められたこともある。

「悠一くん、うちで長靴買うとき、いつも片方だけ見るのよ」

「片方」

「右のゴムが厚いのはどれかって。そんな買い方する人、あの子だけだったわ」

おばさんは、店先の雪をどけながら言った。

「言うてやったのよ。両方いっぺんに履きつぶす人はおらんよって」

「兄、なんて」

「笑うとったわ。おばちゃん、俺、右で踏ん張るのが仕事なんだわって」

六月に、兄の高校の担任だった先生を訪ねた。

先生はもう退職していて、庭でトマトの支柱を直していた。

名前を告げると、先生は支柱から手を離して、しばらく空を見た。

「悠一な。進学せんて言いに来た日、わし、怒鳴ったんだ」

「あいつ、なんて」

「ひとつだけ言うたわ。先生、弟が来年、高校受験なんですって」

先生はそれから、私の顔を正面から見た。

「あんた、高校、出たんか」

「出ました」

「そうか」

それだけ言って、先生はまた支柱を握った。

手が震えていたのを、私は見なかったふりをした。

合格通知のことを妹に話したのは、秋の彼岸だった。

電話の向こうで、妹は長いあいだ黙っていた。

「うち、兄ちゃんに、大学の話、一回も聞かなかった」

「俺もだ」

「聞いたら、行かせてくれるって言うと思ったんだよね」

妹の声が、途中でかすれた。

「ほんとは逆だったんだ。行かなかったのは、兄ちゃんのほうだったんだ」

私は、返す言葉を持たなかった。

あの封筒を開けなかった二十年を、私はまだ、うまく畳めずにいる。

仕事に慣れると、朝の順番が身体に入ってくる。

幹線を抜き、坂を落とし、最後に学校前の歩道を仕上げる。

七時前、掘り上げた歩道を、ランドセルの列が歩いていく。

雪の壁のあいだを、赤や黄色の帽子が一列に流れていく。

子どもたちは、誰が開けた道かなど考えない。

考えないでいいように開けるのが、この仕事なのだと思う。

兄はそれを、給料の出ない側でもやっていた。

私が柏木組に入ったのは、兄の一周忌の前だ。

面接で、社長は私の顔をしばらく見てから言った。

「顔、似とるな」

それから、机の引き出しを開けて、古い作業手袋を出してきた。

「悠一の。返しそびれとった」

右の手袋だけ、親指の付け根が擦り切れていた。

除雪車から降りて、歩道側の雪をスコップで払う。

そのとき踏ん張るのは、いつも右足だ。

右の長靴が、道路の縁石にあたって、少しずつ削れていく。

兄の長靴の右足が先に駄目になった理由を、私は仕事について三日目に知った。

癖ではなかった。

今年の春、私の長靴も、右だけが先に薄くなった。

買い替えに行った雑貨屋で、私は思わず右のゴムの厚さを確かめていた。

おばさんは何も言わずに、奥から二足持ってきた。

「兄さんが履いとったの、こっちだわ」

値札を見ると、安いほうではなかった。

兄は自分のものに、そこだけ金を惜しまなかったのだと、いまさら知る。

妹は札幌で看護師をしている。

去年の暮れ、電話で「今年の正月は帰れそう」と言われた。

「兄ちゃん、カレー作ってよ」

「俺、いも切るの下手だべ」

「知ってる。だから、いいの」

元日、妹は皿のじゃがいもをふたつに割って、片方を私の皿に落とした。

何も言わなかった。

私も、何も言わなかった。

朝の三時、私は今日も更間の町を走っている。

雪はまだ降っていて、風防の外はほとんど白い。

角を曲がって、あの町営住宅の前の細い道に入る。

ここは会社の受け持ちではない。

それでも私は、いつもここで一度車を止める。

降りて、スコップを持って、片側の雪を開ける。

学校へ行く子が通る、その側だけを。

開け終わって振り返ると、自分の帰る側は、まだ雪のままだ。

それでいい、と思う。

兄がそうしていたなら、それでいい。

最強最高の兄ちゃん、とあのとき葬式で叫べばよかった。

言えなかった分は、これから毎朝、この道で開ける。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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