十勝の冬は、朝の三時がいちばん静かだ。
除雪車のエンジンをかけると、白い息がすぐに風防の内側を曇らせる。
手袋を外して、指の腹でそこを拭う。
拭ったところから、街灯の光がにじんで入ってくる。
私はいま、兄がやっていたのと同じ仕事をしている。
ハンドルは、握るところだけ革の色が薄い。
兄の掌の形だと言われれば、そう思えなくもない。
兄の長靴は、決まって右足のほうが先に駄目になった。
左はまだ溝が残っているのに、右だけがつるつるにすり減って、商店街の坂でよく滑っていた。
「なして右ばっかり減るのさ」と聞いたことがある。
兄は「癖だべ」と言って笑った。
私はそれを、二十年ちかく、ただの癖だと思っていた。
※
両親が亡くなったのは、私が中学二年の十二月だった。
帯広からの帰り、地吹雪の国道で、対向のトラックが横に流れてきたのだという。
知らせを聞いた夜、台所には母が仕込みかけた煮豆の鍋がそのまま置いてあった。
蓋を開けたら、まだほんのり温かった。
それを流しに捨てたのが、私が最初にした「片づけ」だった。
葬式のあいだ、私はずっと自分の靴の先だけを見ていた。
四つ上に兄が、五つ下に妹がいた。
私は母方の伯父の家に、妹は父方の親戚に、兄は母方の祖父母のところに引き取られた。
三人とも、別々の町だった。
伯父も伯母も、悪い人ではなかった。
ただ、夕飯のとき、茶碗を持つ手の順番が、私だけいつも最後だった。
それだけのことが、中学生には妙に重かった。
風呂の湯も、私が入るころにはいつも少しぬるかった。
文句はなかった。
文句がないという事実こそが、いちばんこたえた。
妹に会えたのは、その一年のうちに二度きりだ。
二度目に会ったとき、妹は私の顔を見て、少し困ったように笑った。
「おにいちゃん、背、伸びたね」
そう言われて、返す言葉が出てこなかった。
背が伸びるくらいの時間を、私たちは別々の家の匂いの中で過ごしていた。
※
兄から電話があったのは、私が中学三年の秋だ。
「就職、決まったわ」
受話器の向こうで、兄の声は妙に明るかった。
「柏木組ってとこ。夏は道路で、冬は除雪もやる会社」
私は意味がわからなかった。
兄は学年でずっと一番だった。
中学の担任が家まで来て、母に「悠一くんは、どこへでも行けます」と言ったのを覚えている。
母はそのとき、玄関先で前掛けの端を握って、何度も頭を下げていた。
「大学は」
私が聞くと、兄は少し黙ってから言った。
「全滅だわ。そこは触れんといて」
そして、こう続けた。
「三人で住まんか」
私は受話器を持ったまま、廊下の壁の冷たさに背中を預けた。
伯父は反対した。
父方の親戚も、当然のように反対した。
十九の子どもが、中学生と小学生を抱えて暮らせるわけがない、と。
それでも私は伯父の前で膝をついたし、妹は電話口で泣きながら「おにいちゃんたちと住みたい」と繰り返した。
春になって、更間町の町営住宅の一階に、三人分の布団が並んだ。
畳は焼けて茶色く、台所の窓は建て付けが悪くて、閉めるのに肩を使った。
押し入れの襖には、前の住人の子どもが書いたらしい落書きが残っていた。
妹はその落書きを消そうとせず、隣に自分の名前を書き足した。
それでも、三人だった。
※
兄は働いた。
昼は現場で、夜は倉庫の荷積みで、冬になると夜通し除雪に出た。
帰ってくると、作業服のまま、玄関の三和土で長靴を脱ぐ。
その脱ぎ方が、いつも右足からだった。
兄の作るものは、カレーと、豚汁と、卵かけご飯しかなかった。
カレーはいつも同じ味で、じゃがいもだけが妙に大きかった。
「兄ちゃん、これ、いも切るの下手すぎだべ」
「うるさい。大きいほうが得だべや」
妹はそのじゃがいもを、毎回ふたつに割って、片方を私の皿に落とした。
兄は鼻歌がひどく下手だった。
音が合っていないのに、本人はまったく気にしていない。
風呂場から聞こえてくるその鼻歌で、私は兄が帰ってきたことを知った。
三人で迎えた最初の正月、兄は餅を焼きすぎて真っ黒にした。
炭になった餅を三人でつつきながら、妹が「去年よりおいしい」と言った。
兄は「当たり前だべ」と言って、汁粉の椀に顔を隠した。
月に一度、兄は封筒から千円札を出して、私と妹の前に置いた。
「小遣いだべ」
「いらないって」
「いるべや。中学生は金かかるんだ」
私は受け取った千円で、参考書を買ったことがある。
買ってから、それを兄に言えなかった。
言えば、兄が「もっと出すわ」と言うのがわかっていたからだ。
ある晩、兄が立ったまま眠っているのを見た。
台所で、洗い終えた茶碗を持ったまま、目を閉じて、少しだけ体が揺れていた。
声をかけたら、兄は「起きとるわ」と言って、そのまま茶碗を棚に戻した。
棚の高さを間違えて、茶碗は縁に当たって小さく鳴った。
※
妹の保育園の送りは、朝の兄の仕事だった。
冬は暗いうちに家を出る。
妹の手袋を先に温めてから履かせるのが、兄の決まりだった。
自分の手袋は、いつも濡れたままだった。
小学校の運動会に、兄は一度だけ来た。
保護者リレーに駆り出されて、作業ズボンのままアンカーを走って、最後の直線で転んだ。
膝から血を流したまま笑っている兄を見て、妹は本気で泣いた。
「兄ちゃんが転んだの、うちのせいだ」
「ちがうわ。走るの下手なだけだ」
その夜、兄の膝には、私が貼ったガーゼが曲がったまま貼りついていた。
※
高校に行かないと言ったのは、二年生に上がる前の冬だった。
働けば、兄の夜の仕事をひとつ減らせると思った。
私が言い終わる前に、兄は台所の流しに手をついて、こちらを見ずに言った。
「もういっぺん言うてみ」
「だから、俺、働くって」
殴られたのは、そのときが最初で最後だ。
兄の手は、思っていたより硬く、そして冷たかった。
「お前が働いたら、俺が兄ちゃんでいる理由が、なくなるべや」
兄はそれだけ言って、長靴をつっかけて出ていった。
外はまだ暗かった。
雪を踏む音が遠ざかって、それから、私は流しの前でしばらく立っていた。
翌朝、玄関に私の学生服がかかっていた。
前の日までなかった、新しいボタンがついていた。
※
私が就職して家を出て、妹が看護学校に入って、三人の暮らしは静かに終わった。
兄はひとりで町営住宅に残った。
盆と正月に帰ると、部屋はいつも同じ匂いがした。
カレーの匂いと、作業服の油の匂いだ。
「結婚とかしないの」と一度だけ聞いた。
兄は「めんどくさい」と言って、テレビの音量を上げた。
※
兄が逝ったのは、去年の二月だ。
除雪の帰り、明け方の交差点で、後ろから来た車に押し出された。
三十九歳だった。
病院の廊下で、私は自分の靴の先を見ていた。
中学二年の十二月と、同じ姿勢だった。
葬式の日は、朝から風が強かった。
焼香の列が扉の外まで伸びて、知らない作業服の人たちが何人も並んでいた。
その全員が、兄の名前を「悠一さん」と呼んだ。
参列者が引けた控室で、私と妹のところに、叔母の節子さんが煮物を持ってきてくれた。
節子さんは、湯呑みを私の前に置いてから、しばらく黙っていた。
「大樹くん。悠一のこと、どこまで聞いとる」
私は首を横に振った。
「あんたらのお父さんお母さんが亡くなった年の暮れにな。悠一が、うちに来たんよ」
節子さんの話は、こうだった。
十八の兄は、親戚の家を一軒ずつ回って、玄関の三和土に膝をついたのだという。
弟と妹をよろしくお願いします、と。
高校生が、大人の玄関先で額を床につけて、それを七軒分やった。
「うちの人が、悠一に、頭上げなさいって何度も言うたんよ。でもあの子、上げんかった」
それだけではなかった。
兄は高校時代のアルバイト代を、毎月、私と妹それぞれの引き取り先に送っていた。
あの子らの小遣いにしてやってください、と手紙をつけて。
私が伯父の家でもらっていた月々の千円は、兄の金だった。
「知らんかったやろ。悠一が、絶対に言うなって」
私は湯呑みを持ったまま、動けなかった。
妹が横で、声を出さずに泣いていた。
※
けれど、その日いちばん深いところに刺さったのは、節子さんの話ではなかった。
四十九日が過ぎたころ、隣に住む沢口のじいさんが、うちの玄関先で長い立ち話をしていった。
沢口さんは八十を過ぎていて、毎朝五時前に起きて仏壇に水をあげる人だった。
「大樹くん。今年の冬な、あんたら難儀したろ」
言われて、私は初めて気がついた。
その冬、私は生まれて初めて、あの家の前の雪を自分で掘った。
それまでの二十年、学校へ行く道も、妹が通った保育園までの歩道も、朝にはいつも開いていた。
町の除雪が入っているのだと、私は疑いもしていなかった。
「町の車はな、あの細い道までは入らんのよ」
沢口さんは、杖の先で家の前の道路を指した。
「悠一くんが、夜の仕事から戻ってきてから、毎朝、あんたらの通る側だけ、スコップで開けとったんだわ」
私は、じいさんの顔を見た。
「片側だけ。あんたらの学校と、保育園の側だけな」
「じいさん、それ、いつから」
「あんたらが三人で暮らしはじめた春から、ずっとよ」
沢口さんは、それから少し声を落として言った。
「あんたの兄さんはな、自分が帰る側の雪は、いっぺんも開けんかったよ」
風が吹いて、じいさんの帽子のつばが震えた。
私は何か言おうとして、口の中が乾いているのに気づいた。
※
兄の遺品を片づけたのは、五月の連休だった。
会社のロッカーは、驚くほど何もなかった。
作業服が二着、軍手の予備、飲みかけのインスタントコーヒー。
その一番下、鉄板の底に、茶封筒が一枚だけ敷いてあった。
角が丸くすり切れて、汗と機械油で色が変わっていた。
表には、大学の名前が印刷されていた。
合格通知の封筒は、封を切られないまま、作業服のロッカーの底にあった。
日付は、兄が私に電話をくれた年の、三月だ。
「全滅だわ」と、兄は笑って言ったのだ。
あのとき受話器の向こうで、兄が何を見ていたのか、私にはもうわからない。
わかるのは、兄がその封筒を、二十年、捨てなかったということだけだ。
町営住宅を引き払ったのは、七月だ。
畳を上げ、押し入れを空にして、最後に台所の柱を拭いた。
その柱には、背比べの傷が刻んであった。
「だいき 中3」「ひな 小4」と、兄の下手な字で年ごとに横線が引いてある。
線は十本以上あった。
けれど、兄の名前の線は、一本もなかった。
三人で暮らした八年のあいだ、兄は一度も、自分の背をその柱に当てなかったのだ。
私は雑巾を持ったまま、その柱の前にしゃがみこんだ。
※
押し入れの奥から、大学ノートが六冊出てきた。
家計簿だった。
日付と、金額と、短い品名が、几帳面な字で並んでいる。
「灯油」「みそ」「陽菜 上履き」「大樹 模試代」。
ページの端には、月ごとの合計が赤で囲んであった。
四冊目の途中に、「陽菜 看護学校 入学金」という行があった。
妹は、あれは奨学金で通ったのだと今も思っている。
金額の桁を見て、私は電卓を叩いた。
兄が三か月、夜の仕事を一日も休まなかった額だった。
六冊のノートを最後まで繰っても、兄の名前で買われたものは、作業用の軍手と、長靴しかなかった。
長靴は、二年に一度の割合で買われていた。
その行の隣に、小さく「右」と書いてあった。
意味がわかったのは、私が同じ仕事に就いてからだ。
※
商店街の坂の下で、雑貨屋のおばさんに呼び止められたこともある。
「悠一くん、うちで長靴買うとき、いつも片方だけ見るのよ」
「片方」
「右のゴムが厚いのはどれかって。そんな買い方する人、あの子だけだったわ」
おばさんは、店先の雪をどけながら言った。
「言うてやったのよ。両方いっぺんに履きつぶす人はおらんよって」
「兄、なんて」
「笑うとったわ。おばちゃん、俺、右で踏ん張るのが仕事なんだわって」
六月に、兄の高校の担任だった先生を訪ねた。
先生はもう退職していて、庭でトマトの支柱を直していた。
名前を告げると、先生は支柱から手を離して、しばらく空を見た。
「悠一な。進学せんて言いに来た日、わし、怒鳴ったんだ」
「あいつ、なんて」
「ひとつだけ言うたわ。先生、弟が来年、高校受験なんですって」
先生はそれから、私の顔を正面から見た。
「あんた、高校、出たんか」
「出ました」
「そうか」
それだけ言って、先生はまた支柱を握った。
手が震えていたのを、私は見なかったふりをした。
※
合格通知のことを妹に話したのは、秋の彼岸だった。
電話の向こうで、妹は長いあいだ黙っていた。
「うち、兄ちゃんに、大学の話、一回も聞かなかった」
「俺もだ」
「聞いたら、行かせてくれるって言うと思ったんだよね」
妹の声が、途中でかすれた。
「ほんとは逆だったんだ。行かなかったのは、兄ちゃんのほうだったんだ」
私は、返す言葉を持たなかった。
あの封筒を開けなかった二十年を、私はまだ、うまく畳めずにいる。
※
仕事に慣れると、朝の順番が身体に入ってくる。
幹線を抜き、坂を落とし、最後に学校前の歩道を仕上げる。
七時前、掘り上げた歩道を、ランドセルの列が歩いていく。
雪の壁のあいだを、赤や黄色の帽子が一列に流れていく。
子どもたちは、誰が開けた道かなど考えない。
考えないでいいように開けるのが、この仕事なのだと思う。
兄はそれを、給料の出ない側でもやっていた。
私が柏木組に入ったのは、兄の一周忌の前だ。
面接で、社長は私の顔をしばらく見てから言った。
「顔、似とるな」
それから、机の引き出しを開けて、古い作業手袋を出してきた。
「悠一の。返しそびれとった」
右の手袋だけ、親指の付け根が擦り切れていた。
除雪車から降りて、歩道側の雪をスコップで払う。
そのとき踏ん張るのは、いつも右足だ。
右の長靴が、道路の縁石にあたって、少しずつ削れていく。
兄の長靴の右足が先に駄目になった理由を、私は仕事について三日目に知った。
癖ではなかった。
※
今年の春、私の長靴も、右だけが先に薄くなった。
買い替えに行った雑貨屋で、私は思わず右のゴムの厚さを確かめていた。
おばさんは何も言わずに、奥から二足持ってきた。
「兄さんが履いとったの、こっちだわ」
値札を見ると、安いほうではなかった。
兄は自分のものに、そこだけ金を惜しまなかったのだと、いまさら知る。
妹は札幌で看護師をしている。
去年の暮れ、電話で「今年の正月は帰れそう」と言われた。
「兄ちゃん、カレー作ってよ」
「俺、いも切るの下手だべ」
「知ってる。だから、いいの」
元日、妹は皿のじゃがいもをふたつに割って、片方を私の皿に落とした。
何も言わなかった。
私も、何も言わなかった。
朝の三時、私は今日も更間の町を走っている。
雪はまだ降っていて、風防の外はほとんど白い。
角を曲がって、あの町営住宅の前の細い道に入る。
ここは会社の受け持ちではない。
それでも私は、いつもここで一度車を止める。
降りて、スコップを持って、片側の雪を開ける。
学校へ行く子が通る、その側だけを。
開け終わって振り返ると、自分の帰る側は、まだ雪のままだ。
それでいい、と思う。
兄がそうしていたなら、それでいい。
最強最高の兄ちゃん、とあのとき葬式で叫べばよかった。
言えなかった分は、これから毎朝、この道で開ける。