迷惑掛けてゴメンね

一年前の今頃、裁断室の電話が鳴った。

二月の児島は、一年でいちばん忙しい。

卒業式と入学式に間に合わせる学生服が、裁断台の上に山になる季節だ。

油と糊の匂いの中で、電動の裁ち鋏がうなり、ミシンの音が壁越しに続く。

受話器を取ると、七つ下の妹だった。

家を出てから、盆にも正月にも、ろくに帰ってこなかった妹だ。

「お兄ちゃん、いま、ええ?」

俺は鋏を置いた。

妹が俺を「お兄ちゃん」と呼ぶのは、頼みごとがあるときだけだと、昔から決まっている。

「病院で検査してもろうたら、家族を呼んでください、て言われたんよ」

「せやから、来てほしい。お父さんとお母さんには、内緒で」

嫌な話だということは、受話器を握る指先のほうが先に分かった。

裁断室の匂いが、急に遠くなった。

窓の外では、干した反物が二月の風に揺れていた。

番頭さんが、どうした、という顔でこちらを見た。

何でもないです、と俺は言った。

その日の裁断は、夕方までに二度、線を引き直した。

妹は東京で、システムエンジニアをやっている。

高校を出て、専門学校へ行って、そのまま向こうで就職した。

うちは祖父の代からの縫製工場で、学生服を縫って五十年になる。

親父とお袋と、従業員が八人。

俺は裁断係だ。

生地に型紙を置いて、チャコで線を引いて、裁ち鋏で切る。

それだけを二十年やってきた。

裁断台は、祖父の代からの一枚板だ。

何万着ぶんの線を吸って、真ん中だけ色が薄くなっている。

俺と妹は、この台の下で育ったようなものだった。

母が仕事の間、妹は生地の切れ端を集めて、人形の布団を作っていた。

俺が型紙の失敗作で紙飛行機を折ってやると、ミシンの列の上を飛ばして、番頭さんに叱られた。

夕方になると、二人で瀬戸内の海まで自転車を走らせた。

妹は荷台の上で、島の名前をぜんぶ言えるのが自慢だった。

塩の匂いと、工場の糊の匂いと。

俺の子供時代の匂いは、だいたいその二つでできている。

妹は昔から、手より頭を動かす子だった。

去年の正月に珍しく帰ってきたとき、俺が夜中に手書きで受注表を書き写しているのを見て、あきれた顔をした。

「まだ紙でやっとん?」

「紙がいちばん早いんじゃ」

「嘘。同じこと三回書いとるだけやん」

父と妹はよく似ていて、よくぶつかった。

妹が家を出た日も、玄関で父と言い合いになった。

女がひとりで東京へ出て何になる、と父が言い、何にでもなるわ、と妹が返した。

それきり、うちの敷居は妹にとって高いものになったらしい。

それでも母にだけは、たまに東京の菓子が届いた。

箱の隅にいつも、体に気をつけて、とだけ書いた紙が入っていたそうだ。

新幹線と在来線を乗り継いで、東京の病院へ行った。

病名は、胃の悪いものだった。

初期の段階やけど、すぐ手術せんといけんのやて、と妹は言った。

声だけは、いつも通りだった。

「お父さん、二ヶ月前に胃潰瘍やったばっかりやろ。言うたら、また倒れてしまうわ」

「お母さんは、ああいう人やし」

母は神経の細い人だ。

台風が来るというだけで、前の晩から眠れなくなる。

「せやから、お兄ちゃんを呼んだ。迷惑掛けてゴメン」

妹は少し笑って、費用のことは心配せんといて、と言った。

「私、こう見えて優秀なんよ。高額療養費もあるし」

「手術が終わったら、二人にはちゃんと言うから」

「迷惑掛けてゴメンね」

その日、妹は何度もそう言った。

迷惑掛けてゴメンね。迷惑掛けてゴメンね。

俺はそのたびに、

「迷惑じゃないよ」

としか言えなかった。

気の利いた言葉は、探せば探すほど遠くへ行った。

帰りの新幹線で、窓に映る自分の顔を見ながら、妹の癖のことを考えていた。

妹の「ゴメンね」には、いつも、少しだけ間があった。

言葉の前に、息をひとつ吸うような間だ。

俺が初任給でCDラジカセを買ってやったときも、妹は箱を抱えて、少し黙ってから「ゴメンね」と言った。

ありがとう、より先に、ゴメンね、が来る子だった。

そういう性分なのだと、俺はずっと思っていた。

次の見舞いのとき、廊下で医師に呼び止められた。

妹さんには、どこまで聞いておられますか、と医師は言った。

初期だと聞いています、と答えると、医師は少しだけ黙った。

その沈黙で、だいたいのことは分かってしまった。

本当は、初期などではなかった。

だいぶ進んでいて、もう手の届きにくいところまで来ている、と言われた。

手術中に何が起きてもおかしくない、とも言われた。

手術をしても、助からんかもしれん、とも。

廊下の長椅子に座ったまま、しばらく立てなかった。

売店で買った缶コーヒーが、手の中でぬるくなっていくのだけが分かった。

病室に戻ると、妹はベッドの上にノートパソコンを開いていた。

「仕事はやめとけ」

「これは仕事と違うよ。趣味」

妹は画面を閉じて、笑った。

その笑い方が、若い頃の母親にそっくりだった。

「お兄ちゃん、工場、継ぐん?」

「継ぐいうか、もう継いどるようなもんじゃ」

「ほな私、そのうち東京支社つくったげる」

「誰が要るか、そんなもん」

笑いながら、俺は目の奥が熱くなるのを、天井の染みを数えてごまかした。

帰りの夜行バスの中で、一睡もできなかった。

妹との約束と、両親の顔とが、頭の中で交互に出てきた。

工場に戻って、裁断台に生地を広げて、チャコで線を引いた。

線が、いつもより震えた。

指先だけが冷えて、鋏の柄が汗で滑った。

五十年この台で飯を食ってきた家の、いちばん大事な報せを、俺ひとりが握っている。

夜中に工場を抜け出して、海沿いの道を歩いた。

対岸の島の灯りが、水面でほどけて揺れていた。

言えば、妹との約束を破ることになる。

言わなければ、両親から最後の時間を奪うことになる。

どちらを選んでも、俺は何かを裏切る。

防波堤の先で、缶コーヒーを二本、飲みきれずに持って帰った。

三日考えて、俺は両親に言った。

親父は絶句して、湯呑みを持ったまま、そのまま二階へ上がっていった。

お袋は、その晩から左の耳が聴こえなくなった。

医者は、精神的なものでしょう、と言った。

それでも二人は、次の日の始発で東京へ発った。

病室の戸を開けた母を見て、妹がどんな顔をしたか、俺は今でも忘れられない。

怒りより先に、泣きそうな安堵が、一瞬だけ見えた。

それでも妹は、俺を許さなかった。

両親が帰ったあと、妹は俺を責めた。

「何で言うたん。言わんといて、て言うたやん」

「すまん」

「約束したやん」

「すまん」

俺は謝ることしかできなかった。

言い訳なら、いくらでもあった。

もしものことがあったとき、両親に会わせんかった後悔を、妹に背負わせとうなかった。

それは本当だ。

でも、いちばん本当のところは、違う。

妹の残り時間を、俺ひとりで背負うのが怖かったのだ。

俺は弱い、卑怯者だと思う。

手術の日、手術室へ運ばれる前に、妹はストレッチャーの上から俺を見た。

また、あの間があった。

「迷惑掛けてゴメンね」

俺はやっぱり、

「迷惑じゃないよ」

としか言えなかった。

自動扉が閉まる音が、やけに軽かった。

待合の長椅子で、親父は一度も足を組み替えなかった。

母は数珠を握ったまま、自販機の前から動けなくなっていた。

三時間が、三日ほどに感じられた。

手術は、開いて、閉じただけだった。

検査で分かってはいたことだが、医師の説明を聞く親父の背中は、ひとまわり小さくなった。

それから妹は、二ヶ月生きた。

俺は段取りを親父と番頭さんに替わってもらい、月の半分を東京で過ごした。

病室には、いつもりんごの匂いがしていた。

母が毎日、うさぎの形に切っていくからだ。

妹はほとんど食べられないのに、ええ匂いやなあ、と言って笑った。

慣れないネクタイで見舞いに行った日は、腹を抱えて笑われた。

「お兄ちゃん、それ、七五三」

「やかましいわ」

看護師さんには、うちの兄は職人なんです、と自慢していたらしい。

学生服を年に何千着も裁つんです、日本一なんです、と。

日本一は言い過ぎだ。

無口な親父も、月に二度は夜行バスで見舞いに行った。

病室では話すことがなくて、いつも学生服の話ばかりしていたらしい。

今年の芯地は良うない、とか、プリーツの型が変わる、とか。

妹はそれを、ふんふんと聞いていたという。

あるとき親父が、備え付けのメジャーで妹の肩幅を測る真似をした。

「お前の制服も、わしが裁ったんぞ」

「知っとるよ。袖が長かった」

「伸びると思うたんじゃ」

「伸びんかったわ」

そう言って二人で笑ったのだと、あとから母に聞いた。

親父が病室で笑ったのは、その一度きりだったそうだ。

けれどそれを廊下で耳にした日は、トイレの個室で少しだけ泣いた。

病室の窓からは、隣のビルの窓拭きゴンドラが見えた。

妹は毎週それを楽しみにしていて、あの人らはプロや、段取りがええ、と批評した。

点滴の管を避けて手を握ると、妹の手は、生地を触りすぎた俺の手より、ずっと薄かった。

冬の日差しが差し込むと、白い布団の上に、窓枠の影が定規で引いたように落ちた。

俺はその影が動くのを、何度も黙って見ていた。

枕元には、最後までノートパソコンがあった。

付箋が一枚、画面の縁に貼ってあった。

めくれた角が、いつも同じほうを向いていた。

何を作っているのかは、教えてくれなかった。

意識が薄くなる二日前、妹は俺の袖を引いた。

「お父さんとお母さんに教えたこと、責めてゴメンね」

「迷惑掛けてゴメンね」

俺は、

「迷惑じゃないよ」

としか言えなくて、病室の白い床がにじんで見えた。

それが、妹とちゃんと交わした、最後の言葉になった。

二ヶ月目の朝、妹は眠るように逝った。

二十七だった。

葬儀には、東京から会社の人が大勢来てくれた。

親父は式のあいだじゅう、妹のパソコンの鞄を膝に抱えて、離さなかった。

焼香の列は、外の駐車場まで続いた。

あの子がこっちで作った二十七年より、向こうで作った九年のほうが、ずっと賑やかだった。

それが誇らしくて、同じだけ寂しかった。

帰りの車で母が、あの子は向こうでちゃんとやっとったんやなあ、と言った。

俺は、うん、とだけ返した。

バックミラーの中で、母は左耳を手のひらで覆っていた。

聴こえない耳に、順番に、弔問の言葉を思い出させているようだった。

四十九日が済んで、母とふたりで妹の部屋を片付けに行った。

児島へ帰った晩、母が茶の間の簞笥の、いちばん下の引き出しを開けた。

古い茶封筒が出てきた。

俺の名前が書いてあった。

二十年前、大阪の服飾の専門学校から届いた、合格通知だった。

親父が最初に胃で倒れた年だ。

工場は人手が足りず、俺は進学をやめて裁断台に立った。

自分で決めたことだ。

誰にも言わなかったし、恨んだこともない。

あの年の冬を、今でも覚えている。

親父が入院して、番頭さんが銀行と病院を行ったり来たりしていた。

納期の迫った学生服が、裁断を待って山になっていた。

俺は願書の控えを机の抽斗に入れたまま、朝から晩まで台に立った。

春が来る頃には、指がチャコの粉で白くなるのにも慣れた。

デッサンの道具は、押し入れの奥にしまった。

それだけの話だ。

誰のせいでもない。

封筒は、母が簞笥にしまったまま、二十年経っていた。

「あの子はな、あんたの通知、見とったんよ」

母は、封筒の角を撫でながら言った。

小学五年の冬、母がこの引き出しに封筒をしまうところを、妹は廊下から見ていたのだという。

中身も、意味も、あの子はぜんぶ分かっとった、と母は言った。

「うちが気付いたときには、あの子、簞笥の前で正座しとってな」

「お兄ちゃんは私が行かせられんかったんや、て、ぽろぽろ泣きよった」

自分が生まれたけん、お金が要ったんや、と。

違う。

そうじゃない。

そうじゃないが、小学五年の子に、それ以外の考え方が、あっただろうか。

思えば、小さい頃の妹は、謝る子ではなかった。

小学一年の冬に熱を出して、夜道を医院までおぶっていったとき、妹は背中で「お兄ちゃん、あったかい」と言った。

ゴメンね、ではなかった。

あの癖は、いつからだったか。

考えて、膝から力が抜けた。

妹の「ゴメンね」は、あの引き出しの日から、始まっていた。

CDラジカセの前の間も、電話の間も、病室の間も、ぜんぶ同じ間だった。

妹は、二十年前から、俺に謝り続けていたのだ。

俺が「迷惑じゃないよ」と返すたび、妹はあの茶封筒を思い出していたのかもしれない。

迷惑じゃないよ、では、届いていなかったのだ。

違う言葉を、言ってやるべきだった。

お前のせいやない、と。

お前がおったから、この二十年は楽しかったんや、と。

たった、それだけのことを。

年が明けて、妹の会社の同僚だという女の人が、工場を訪ねてきた。

妹のノートパソコンを、届けに来てくれたのだ。

「これ、妹さんが、ご家族に、て」

彼女は、妹が入院中もずっと何かを作っていた、と教えてくれた。

会社の仕事とは別の、小さなソフトだったという。

「実家の工場の、受注表やて言うてました」

「お兄ちゃんが夜中に、同じことを三回手で書きよる、て」

「あれを一回にしたるんや、て、笑うてました」

画面を開くと、作りかけの表があった。

うちの取引先の名前が、ぜんぶ入っていた。

納期が近い順に、色が変わる仕掛けまで付いていた。

親父の癖の悪い字を読み違えんように、取引先の名前には全部ふりがなが振ってあった。

「妹さん、仕事では一度も謝らん人でした」

同僚さんは、そう言って笑った。

「間違えた人を責めもせんし、自分も謝らん。直しましょ、しか言わんのです」

職場では、謝らない人。

あの子の「ゴメンね」は、家族にだけ、俺にだけ、向いていたのだ。

正月のたった数日で、あの子はどこまで見ていたのだろう。

画面の縁の付箋には、細い字でこう書いてあった。

「なおしたら、つかってな」

未完成のところは、同僚さんたちが直してくれた。

お礼を包もうとしたら、これは私らがやりたいだけです、と断られた。

みんな、あの子の間の話をすると、笑って、それから泣いた。

もうすぐ、二度目の命日が来る。

今でも後悔していることは、山ほどある。

もっと気の利いた言葉を、ひとつでも言ってやりたかった。

もっとええ病院を、探してやれたんじゃないか。

二十年も謝らせていたことに、なんで気付いてやれんかったのか。

今まで一度も甘えたことのなかった妹が、最後に俺を頼ったのに、俺は約束ひとつ守れなかった。

母の左耳は、四十九日を過ぎた頃から、少しずつ戻った。

最初に聞こえたのは、工場のミシンの音だったという。

ええ耳の戻り方やなあ、と親父がぽつりと言って、母は泣き笑いになった。

命日には、家族三人で墓に行く。

墓前で親父は何も言わない。

ただ帰り際に一度だけ、墓石の頭を、反物を撫でるように撫でる。

立ち直るには、まだ時間が掛かりそうだ。

一年経ってもこれか、と自分でも思う。

それでも、夜の裁断室で受注表を打ち込むたび、思うのだ。

打ち終わって、画面が静かになる一瞬に、あの間がある。

息をひとつ吸うぶんの、あの間だ。

俺はもう、誰にもあんな謝り方をさせたくない。

せやから、妹の分まで、しっかり生きていく。

もっと強くて、ええ兄貴になる。

天国の妹が、少しだけ間をおいて、それから笑って、うん、と言うてくれるように。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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