窓際の端の席に鮭が置かれる
水曜の午前三時十分、作業着の男は窓際の端の席に鮭のおにぎりをひとつ置いた。供え物だと思い込んだ僕は、三か月のあいだ、それを朝の廃棄袋へ入れ続けた。その席が誰のた…
水曜の午前三時十分、作業着の男は窓際の端の席に鮭のおにぎりをひとつ置いた。供え物だと思い込んだ僕は、三か月のあいだ、それを朝の廃棄袋へ入れ続けた。その席が誰のた…
電話に出る前、兄は必ず咳払いをする。その一拍が嫌いだった俺は、帰省の朝、兄の運転する市営バスに乗った。スピーカーから流れた低い声に、背中が固まる。兄の咳払いが隠…
二日の午前零時、スマホが一度だけ短く震える。毎月二日の千円は、三年間、同じ五文字のメモを添えて届いた。実家から届いた部費帳の鉛筆の十二行を見つけた夜、私は初めて…
木曜になると、棚の遺失物の傘だけが数本消えていく。几帳面な駅員は、雨の改札の庇の下で元助役の老人を問いただした。盗みではなかった。けれど棚の奥の小さな青い傘だけ…
避難所の体育館に伸びた公衆電話の列。その一番うしろには、夕方だけ先頭へ割り込み、受話器を耳に当てても一言も話さない橋本さんがいた。僕はその声を、奥さんのものだと…
園バスの運転手が対向の白い冷凍車へ返してきた二回のパッシング。年中の湊くんは朝に「ただいま」、夕方に「いってきます」と言う。言い間違いだと思っていた私は、ライト…
閉店セールの金物店で、幼なじみは奥の棚だけは売らないと言った。値札のない番地の箱は、日曜の夕方にひとつずつ空になっていく。最後に残った一箱の側面の鉛筆の数字を見…
夜勤の夫と入れ違いに暮らして七年。帰宅した私を待つのは、いつも四十一度の湯と、橙色に点いた保温ボタンの小さな灯だった。ところが台風で早く帰った夜、浴槽は空っぽで…
室井の補修跡は、いつも指二本ぶん左へ伸びていた。材料の無駄だと10年言い続けて、俺は一度も謝らないまま同期を見送った。一人で直した去年の穴は、春にぜんぶ左から割…
今日は三袋な。兄は毎晩そう言って白い袋を提げて帰ってきた。家には製氷機があるのに、兄は夏のあいだ毎日コンビニの氷を買って帰る。私はそれを十年、無駄遣いだと思って…