
遺失物の傘は、木曜日にだけ数が合わなくなる。
水曜の終業前に十四本あった傘が、金曜の朝には九本になっている。
私が南浜駅に勤めて、六年目の秋のことだった。
南浜駅は、私鉄の各駅停車しか止まらない小さな駅だ。
改札はひとつ。ホームは上りと下りが一面ずつ。
裏手には小学校があり、午後になるとランドセルの音が駅前を横切っていく。
事務室の奥に、遺失物の棚がある。
透明のビニール傘。折り畳み。色の褪せた日傘。
忘れ物のなかで、傘だけは季節を問わず増えていく。
雨が上がると、人は傘のことを忘れる。
忘れられた傘は、棚のなかで次の雨を待つ。
待つのは、だいたい三か月で終わる。
それが預かりの期限だった。
過ぎたものは、月末にまとめて処分する。
私はそれを、仕方のないことだと思っていた。
規則とは、そういうものだ。
その棚の係が、私だった。
拾った日と特徴を帳面に書き、番号札を柄に結ぶ。
水曜の終業前に、帳面と棚を突き合わせる。
入社してから、一度も欠かしたことのない仕事だ。
几帳面なのは、母に似たのだと思う。
先月、六十代の女性が窓口に来た。
三週間前に、電車へ傘を置いてきたという。
紺色の長傘を棚から出すと、女性は柄を握りしめた。
「もう、ないと思っていました」
「お預かりは、三か月までです」
「三か月も、待っていてくれるんですか」
待っていたのは私ではなく、棚だった。
けれど、そう言われて悪い気はしなかった。
傘は、取りに来る人のために預かるものだ。
私はそう信じて、帳面をつけてきた。
棚の前に立つと、湿った布の匂いがする。
傘は乾ききらないうちに運ばれてくるから、棚はいつも少しだけ雨の匂いがした。
その匂いが、私は嫌いではなかった。
だから、数の違いにはすぐ気づいた。
一度目は、自分の数え間違いだと思った。
二度目は、帳面の書き間違いを疑った。
三度目に、減っているのが期限の近い傘ばかりだと気づいた。
処分の日を待たずに、誰かが持ち出している。
受け渡しの記録は、どこにもなかった。
その秋は、なぜか木曜ばかり雨になった。
棚の奥の青い傘だけは、いつも同じ場所から動かなかった。
遺失物の傘と帳面
駅長の宮下さんに、数の違いを報告した。
宮下さんは五十四歳で、湯呑みを両手で持って話す人だ。
「木曜だけ、ですか」
「はい。六週続けて、木曜だけです」
「ふうん」
宮下さんは、お茶をひと口すすった。
「期限の近いものだけなら、悪さではないでしょう」
「悪さでなくても、持ち出しは持ち出しです」
「きっちりしているなあ、きみは」
褒められたのかどうか、分からなかった。
「木曜の午後に、窓口へ顔を出す人がいるでしょう」
「栗原さんですか」
「あの人には、聞かないでおきなさい」
「どうしてですか」
「聞かないほうが、いいこともあります」
それきり、宮下さんは新聞を広げてしまった。
その夜、私は報告書を書いた。
題は『遺失物の傘の不明について』。
三行書いて、消した。
疑いの対象に、名前を書く勇気がなかった。
名前のない報告書は、報告書にならない。
冷めた麦茶を飲み干して、下書きを引き出しにしまった。
栗原さんは、七十八歳になる。
十八年前まで、この駅の助役を務めた人だ。
退職してからも、木曜の午後になると改札の外に現れる。
ベンチに腰かけ、二時間ほど、行き交う人を眺めている。
灰色の帽子をかぶり、杖は持たない。
窓口の私に気づくと、軽く手を上げる。
栗原さんは私の名札を、一度だけ見て、何も言わなかった。
六年前の春、配属された初日のことだ。
それだけの記憶が、小骨のように喉に残っていた。
あの人は、駅が好きなだけの老人だと思っていた。
思っていたのに、水曜の帳面に木曜の欠けを書き込むたび、疑いは形になった。
遺失物の傘が減る日と、栗原さんの来る日は、同じだった。
証拠はない。
けれど几帳面な人間は、証拠のない疑いを放っておけない。
その前の週、一度だけ遠回しに探りを入れた。
窓口の前を通りかかった栗原さんに、声をかけた。
「傘をお探しですか。遺失物でしたら、こちらで承ります」
栗原さんは足を止め、窓の向こうの私を見た。
「探しているのは、傘じゃない」
「では、何を」
「さあな。見つかったら、教える」
そう言って、杖もないのに杖を突く真似をして笑った。
冗談なのか本気なのか、判断がつかなかった。
判断がつかないことが、昔から苦手だった。
いつもの休憩は、二時半から三時半までだった。
そのあいだ、事務室には宮下さんしかいない。
棚に鍵はない。誰にでも傘は出せる。
宮下さんが見て見ぬふりをしているだけかもしれない。
そう考えた自分が、少し嫌だった。
その木曜、私は休憩に入らなかった。
「食欲がないので」と、宮下さんには嘘をついた。
宮下さんは、何も言わなかった。
改札の庇の下で
その木曜日も、雨だった。
改札のチャイムが、雨音の隙間で鳴る。
濡れたコンクリートの匂いが、窓口まで上がってくる。
三時を回ったころ、栗原さんがいつものベンチに座った。
帽子の縁から、雫が落ちている。
宮下さんが、静かに立ち上がった。
机の上には、飲みかけの湯呑みが残された。
置いていかれた湯呑みは、見る間に冷めていく。
棚の前へ行き、期限の近い傘を五本、腕に抱えた。
私は息を止めた。
宮下さんは、その傘を持って改札の外へ出ていく。
栗原さんの隣に、一本ずつ並べる。
「今週の分です」
「すまんな」
二人の会話は、それだけだった。
挨拶を交わすような、短い言葉だった。
長い時間をかけて、すり減らして、残った言葉のように聞こえた。
窓ガラスに、私の顔が映っていた。
眉間に皺が寄っている。母が私を叱るときの顔だった。
遺失物の傘を持ち出していたのは、宮下さんだった。
私は拍子抜けした。
拍子抜けしたあとで、腹が立った。
規則を守らない上司に腹を立てるのは、おかしなことではないはずだ。
私は上着をつかみ、改札脇の自動販売機の陰に隠れた。
隠れる必要など、本当はなかったのだと思う。
けれどそのときは、見届けるつもりでいた。
三時十五分。
校舎の方角から、傘のない子どもたちが走ってきた。
黄色い帽子が三つ。ランドセルがふたつ。
庇の下に並んで、空を見上げる。
「やまないね」
「おかあさん、きょう、おしごと」
栗原さんが、ベンチから立ち上がった。
「ほら、どれがいい」
子どもたちの目が、並んだ傘の上を泳ぐ。
透明。紺。水玉。
水玉の傘は、女の子の手に渡った。
紺の長傘は、男の子が重そうに引きずった。
「これ!」
「それはおまえには大きい」
「じゃあ、これ」
栗原さんは、傘を柄のほうから先に差し出した。
子どもの手が、すぐ柄を握れるように。
その渡し方は、手慣れていた。
手慣れているのは、毎週やっているからだ。
自動販売機が、がこん、と鳴った。
釣り銭の返却口に、私の肘が当たったのだった。
子どもたちが、いっせいにこちらを向いた。
「あ、いる」
「えきいんさんだ」
「どろぼうえきいん!」
私は、脇の下に冷たい汗をかいた。
盗んだのは私ではない。そう言いたかったが、口が動かなかった。
改札の中から、宮下さんが顔を出した。
「見つかりましたか、犯人は」
「宮下さん……」
「わたしです」
宮下さんは悪びれもせず、湯呑みを持ったまま手を挙げた。
「叱るなら、あとで事務室で聞きます」
叱りたかった。
けれど、傘をもらって走っていく子どもの背中を見ると、叱る言葉が湿って重くなった。
かえしてねの判子
栗原さんは、驚いた顔もしなかった。
「そこは濡れるぞ」
手招きされて、私は庇の下へ出た。
「持ち出しは、規則違反です」
最初に出た言葉は、それだった。
われながら、かわいげがないと思う。
「そうだな」
栗原さんは、あっさり認めた。
「だが、期限の過ぎた傘だ」
「過ぎる前のものも、ありました」
「月末まで待てば、同じことになる」
「処分は、会社の手続きです」
「燃やす手続きな」
栗原さんは帽子を取って、雫を払った。
「傘は、雨に濡れるために作られた」
「燃やされるために、ではないんだ」
私は返す言葉を探した。
探しているうちに、女の子が透明の傘を開いた。
雨粒が、ぱらぱらと布を叩く。
その音を聞いて、女の子は笑った。
栗原さんが、ポケットから消しゴムを出した。
彫って作った、手製の判子だった。
彫ってあるのは、ひらがなが四つ。
『かえしてね』
「貸す傘の柄に、これを押す」
「名前が分からん傘ばかりだからな」
栗原さんは、判子の面を指の腹でなでた。
「名前の代わりだ。こいつを押しておけば、傘は自分で帰り道を探す」
そんなことが、あるはずはない。
そう思いながら、私は少し、あるような気がした。
「期限の切れた傘に、返ってくる当てなんてないでしょう」
「半分は、返ってくる」
信じられなかった。
「来週の木曜に持ってくる。骨が折れたのも、あるがな」
栗原さんは、少しだけ笑った。
「うちで直して、また貸す」
私は、庇の下の子どもたちを見た。
一人の男の子が、折れた骨をテープで巻いた傘を、そっと栗原さんに返していた。
「ごめんなさい」
「いい。風が強かったからな」
栗原さんは、折れた骨を指でなぞった。
その指は節くれ立っていたが、動きは細かかった。
別の女の子が、傘の柄に小さな袋を結んで持ってきた。
袋の中には、飴が二つ入っていた。
「おれい」
「そうか。ありがとうな」
栗原さんは、飴をひとつ私に回した。
薄荷の味が、舌の上で冷たく広がった。
雨の匂いと薄荷の匂いが、庇の下で混じった。
貸した傘に、お礼の飴が付いて戻ってくる。
そんな回収の仕方を、帳面は想定していない。
五本の傘は、五つの小さな背中と一緒に、雨のなかへ消えた。
帰り道のぶんだけ、庇の下が広くなった。
「帳面には、何と書けばいいんですか」
私は、なぜかそう聞いていた。
「書きたいように書け」
「規則どおりには、書けません」
「だったら、考えろ」
栗原さんは言った。
「考えるのは、いいことだ」
別れ際、さっきの男の子が私の手を取った。
手のひらに、判子がぽんと押された。
『かえしてね』
ひんやりしたインクの文字が、夕方まで消えなかった。
棚の奥の小さな青
その夜、私は事務室に残って、棚の前に立った。
透明の傘が、四本。日傘が二本。
棚の奥には、あの青い傘がある。
子ども用の、五十センチほどの小さな傘だ。
結んである番号札は、すっかり茶色く変わっていた。
『平成十七年六月二日 拾得 子供用 青 持ち主不明』
その下に、別の筆跡で一行だけ足してあった。
『預かり 栗原』
計算してみると、二十一年も前の傘だった。
二十一年のあいだ、月末の処分から外され続けたことになる。
翌朝、宮下さんに聞いた。
「あの青い傘は、栗原さんの預かりでしてね」
宮下さんは、湯呑みの湯気の向こうで言った。
「二十一年、動かしていません」
「お孫さんのものでしょうか」
「聞かないでおきなさい、と言いましたよ」
宮下さんは、それ以上は何も言わなかった。
私は勝手に決めてしまった。
遠くに暮らす孫の傘を、栗原さんは待っているのだろう。
大人になった孫が取りに来る日を、棚の奥で預かっているのだ。
そう考えると、胸のどこかが温かくなった。
青い傘の留め具だけは、他のどの傘よりも手入れが行き届いていた。
金具に、薄く油が差してある。
月に一度、栗原さんが事務室に入って、棚の奥へ手を伸ばすのを見たことがあった。
そのときは、掃除でもしているのだろうと思っていた。
その週の帳面の、木曜の欄に、私は初めて『処分』と書いた。
嘘ではなかった。傘の役目は、確かにそこで終わっていた。
次の水曜、帳面を数え終えたあと、私は棚の奥の青い傘に、そっと触れた。
布はよく乾いていて、骨はまっすぐだった。
二十一年預かった人の手入れだと思うと、私は指を引っ込めた。
日曜の夜、母に電話をした。
母は六十二歳で、看護助手を勤め上げて、今は朝顔の鉢を育てている。
「傘? あんたは持たせても、必ずどこかに置いてきたよ」
「そんなに?」
「そんなに。毎月、一本ずつ買い直した」
電話の向こうで、母が笑った。
私は笑わずに、受話器の重さを確かめていた。
次の木曜から、私は休憩を二時半に戻した。
戻したが、三時には窓口に戻るようにした。
庇の下の子どもたちに傘を渡す役を、宮下さんの代わりに引き受けた。
柄から先に差し出すやり方は、栗原さんの真似だった。
十月が終わり、十一月になった。
返却の傘が、少しずつ増えた。
骨の折れた傘は、私がテープで巻いてから栗原さんに渡した。
そのたびに、栗原さんは言った。
「だいぶ、うまくなったな」
褒められると、どう返せばいいのか分からなかった。
その間も、棚の奥の青い傘は動かなかった。
持ち手の内側
十一月の終わりの木曜日は、冷たい雨だった。
栗原さんは、いつもより早くベンチに座っていた。
「今日で、終いにする」
「どこか、お悪いんですか」
「階段がきついだけだ」
栗原さんは、膝を叩いて笑った。
嘘だと思った。けれど、嘘だと言える根拠がなかった。
その日の三時過ぎ、庇の下に子どもたちが集まった。
いつもより、人数が多かった。
誰かが、噂を聞きつけたらしい。
「おじいさん、あした来ないの?」
「木曜は、来ないな」
「ずっと?」
「ずっとだ」
男の子が、画用紙を差し出した。
傘の下に、帽子の老人が描いてあった。
顔は丸くて、帽子は灰色で、手には判子があった。
「ありがとう。大事にとっておく」
栗原さんは、画用紙を二つに折りかけて、やめた。
折り目をつけないように、胸の前に抱え直した。
子どもたちが帰ったあと、栗原さんはベンチの座面を手のひらで一度なでた。
二十一年のあいだ、何千回もそうして座った場所だった。
「判子は、あんたに預ける」
消しゴムの判子が、私の手のひらに載った。
軽かった。軽いのに、落とせないと思った。
「それからな。奥の青いのを、持ってきてくれ」
「お孫さんに、渡すんですか」
栗原さんは、変な顔をした。
「孫は、いない」
私は、事務室へ戻った。
棚の奥から動かなかった傘を、私は初めて自分の手で抜いた。
思っていたより、ずっと軽かった。
庇の下へ持っていくと、栗原さんは青い傘を受け取った。
布の端を、親指でゆっくりとなでる。
それから、柄のほうから先に、私へ差し出した。
「持ち手の内側を見てみろ」
言われるまま、私は柄の内側を覗いた。
持ち手の内側に書かれた『さとう ゆうた』は、四年生の私の字だった。
私は、しばらく動けなかった。
雨の音だけが、庇を叩いていた。
……そうだ。あの日も、木曜日だった。
母は夜勤明けで、迎えに来るのが遅れた。
私は事務室のストーブの前で、熱い麦茶を飲んでいた。
石油ストーブの匂いが、鼻の奥によみがえった。
足が床に届かずに、ぶらぶらと揺れていたこと。
帽子をかぶった助役さんが、何も聞かずに隣に座ってくれたこと。
母が来たとき、私は嬉しくて走り出した。
母の傘に二人で入って、右の肩が濡れた。
自分の傘のことを思い出したのは、家に着いてからだった。
名前以外には、何の手がかりもなかったそうだ。
連絡先も学校も分からないまま、栗原さんは傘を預かり続けた。
「取りに来るもんだと、思っとった」
栗原さんは言った。
「来たのは、駅員の制服を着た男だったがな」
六年前の春、栗原さんが私の名札を見て何も言わなかった理由が、そこでようやく分かった。
私は青い傘を胸に抱えた。
小さな傘は、三十一歳の腕の中でも、ちゃんと傘の形をしていた。
次の週から、判子を握るのは私になった。
雨の木曜日になると、改札の庇の下に子どもが並ぶ。
私はその列の端で、柄のほうから先に、傘を差し出している。