失ってもなお、愛している

公開日: 夫婦 | 子供 | 家族 | 悲しい話

親子

家内を亡くしました。

お腹には、二人目の子どもがいました。

その日、彼女は病院へ向かうため、タクシーに乗っていました。
けれど途中で、居眠り運転のトラックと正面衝突。
あまりにも突然で、ほとんど即死だったそうです。

警察からの連絡を受けたときは、悪い冗談だと思いました。

今朝もいつも通り、笑顔で私を送り出してくれたのに。
何も変わらない朝だったはずなのに。

冷たくなった彼女と対面しても、現実として受け止めることはできませんでした。

呆然と帰宅した私のもとに、トラックを運転していた男性の父親と、その婚約者が訪ねて来ました。

父親は玄関先で土下座をして、こう言いました。

「自分と家内が死んで詫びるべきだが、どうか息子には生きて償うことを許してほしい」

警察から聞かされたところによると、その男性は、入院している母親の治療費を工面するため、無理な勤務を続けていたそうです。
そして疲れ果てた末の、居眠り運転でした。

彼の婚約者も、同じように土下座していました。
若く、綺麗な方でしたが、手はひび割れて、爪の間まで真っ黒でした。

本来ならとっくに結婚していた二人。
けれど、母親の入院で延期となり、彼女もまた治療費を捻出するために懸命に働いていたと聞きました。

私は、何と言えば良いのか分かりませんでした。
憎める相手だったなら、どれほど楽だったかと思います。

家内の葬儀の日。
トラック運転手は、警察官に付き添われながら参列しました。

私は、怒りをぶつけようと思っていました。
一生、彼を憎み続けるつもりでした。

けれど、彼の姿を見たとき――
震えながら頭を下げ、私の顔を見ることすらできない彼を見たとき――

私はふと、こう思ってしまいました。

「彼もまた、これから苦しみを背負って生きていくのだろう」と。

だから、私はこう言いました。

「つまらない人間のために、家内を亡くしたとは思いたくない。
罪は罪として償ってもらう。だがその後は、きちんと生きてほしい」

これが正しい言葉だったのかは、分かりません。
これが私の本音だったのかも、分かりません。

ただ、その瞬間、私は彼を憎むことができませんでした。

彼は、小さな声で、けれど確かに返事をしてくれました。
きっと、私の言葉は届いたのでしょう。

その夜、ようやく一人きりになり、私はウィスキーを舐めていました。

そこへ、3歳の長男が起きてきて、私の横にちょこんと座りました。

そして、こんなことを言ったのです。

「お母さん、大好きだったんでしょ?
いなくなって、かなしいんでしょ?
かなしいときは、ないていいんだよ」

私は、息子の前でも家内を愛していると口にしてきました。
「好きな女と生きていけるって、こんなに幸せなんだよ」と、いつも言ってきました。

だからこそ、息子に向かって語りました。

彼女と初めて付き合ったときのこと。
一緒に笑った日々のこと。
私の子どもを生んでくれて、どれほど嬉しかったか――

語っているうちに、涙が止まりませんでした。

たぶんこのとき、ようやく私は、彼女とお腹の子の死を現実として受け止めたのだと思います。

悲しみによって、凍っていた感情が溶け出したのです。

情けない父親でごめんな。
でも、ちゃんと悲しめたよ。

その後も、交通刑務所にいる運転手から、手紙が届きます。

謝罪の言葉ばかりですが、その行間から、彼自身の苦しみが滲んでいます。

「人の命を奪った自分が、生きていていいのだろうか」

そんな葛藤が、はっきりと伝わってきます。

また、彼の婚約者からは、毎月、手紙と一緒にお金が届きます。

最初は受け取るべきではないと思いました。
けれど、私は考えを変えました。

新しく口座を作り、彼女が送ってくれたお金をすべてそこに預けています。

彼が刑期を終えたら、彼からの手紙と通帳を渡すつもりです。

そして、こう言いたいのです。

「これらの重さを背負いながら、生きてください。
きちんと人生を歩いてください」と。

私と息子もまた、大切な家族を失ったという事実を背負いながら、生きていきます。

私は、父親として。
社会人として。
懸命に働く背中を、息子に見せていきたいと思います。

息子の目に映る私は、誰よりも強い男でありたい。
それが、家内への恩返しになると信じているからです。

だからどうか、時々だけ、泣くことを許してほしい。

誰にも分からないようにするから。

ただ、たまには涙がこぼれてしまうだけなのだから。

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