炭鉱跡の野原の干し花

黄金色の草原と花々

東京のアパートでその小包を受け取ったのは、十月の末のことだった。

差出人の欄に、十三年ぶりの名前があった。

緒方幸子。

中に入っていたのは、薄い木の額と、その中に収められた一枚の野原の干し花だけだった。

手紙は、一行も入っていなかった。

「軽いですけど、割れ物注意でお預かりしていました」

宅配の人はそう言って、段ボールを両手で渡してくれた。

引っ越しも告げていなかったのに、なぜ住所を知っているのだろうと思った。

宛名の文字は、子どもの頃から変わらない、少しだけ右肩上がりの丸い字だった。

荷造りの紐はぶかっこうに歪んでいた。

それなのに、中身が傷つかないよう、緩衝材だけは丁寧に詰めてあった。

ハサミで紐を切って、蓋を開けた。

白い、星の形をした小さな花が、一輪だけ、台紙の真ん中に貼ってあった。

ひと目でわかった。

あの野原の花だ。

筑豊の炭鉱跡に残された、使われなくなった線路のそばの野原。

誰も来ないその場所が、九歳から十八歳までの私たちの、たったひとつの庭だった。

台所の流しの前で、私は立ったまま、しばらく動けなかった。

その年、私は東京で三度目の部署替えをして、休日に誰とも会わない月が続いていた。

眠る前にスマートフォンを見て、朝もスマートフォンで起きる。

そういう生活を、忙しいという言葉で説明していた。

忙しいというのは、たいてい、連絡しない理由の名前だった。

額をテーブルに置いて、電気を点けた。

蛍光灯の下で見ると、花びらの縁がわずかに反っていた。

台紙は、まだ白かった。

二十六年前の紙にしては白すぎる、と一瞬思った。

けれど私は、その違和感をすぐに忘れた。

忘れたかったのだと思う。

あの花を見たとたん、九歳の夏の草の匂いが、部屋じゅうに立ち上がってしまったからだ。

筑豊の秘密の庭

幸子は、私の幼馴染だ。

九歳のときから、福岡の筑豊にある小さな炭鉱町で、ずっと一緒だった。

家は坂を挟んで向かい合っていた。

朝、目が覚めると幸子の家の窓に布団が干してあって、それを見ると今日は晴れだと確信できた。

学校の帰り道は、いつもふたりで寄り道をした。

廃坑になった炭鉱の跡地は、子どもには少し怖いような場所だった。

それなのに、そこだけは安心した。

線路はとうに錆びて、枕木のあいだから草が伸びていた。

野原に入ると、草の匂いと風の音しかなかった。

幸子はよく、クーラーバッグから麦茶を取り出して、並んで草の上に寝転んだ。

「ここに来たら、なんでも忘れられる気がする」

そう言ったのは幸子だったか、私だったか、もう覚えていない。

ふたりとも、同じことを思っていた。

幸子は勉強が得意ではなかったけれど、植物の名前を驚くほどよく知っていた。

「これはハコベ」「これはカラスノエンドウ」

野原で花を摘むたびに、そう教えてくれた。

あの白い星形の花は、後で調べたらノミノツヅリという名前だった。

けれど幸子は、その名前を一度も口にしなかった。

幸子にとって、あれはただの「野原の花」だった。

名前のない花のほうが、誰にも取られない気がしたのかもしれない。

幸子の父は、閉山まで坑内で働いていた人だった。

背中にいつも湿布を貼っていて、夏でもシャツを脱がなかった。

野原の向こうにはコンクリートで塞がれた坑口があって、鉄の扉に錆の筋が垂れていた。

「あそこにはお父さんの若いころが入っとる」

幸子は一度だけ、そう言った。

「出してあげんの」

「出したら、もう帰ってこれんくなるやろ」

子どもの言うことだった。

それでも私は、その扉に近づかなくなった。

六年生の夏、台風の翌日に野原へ行ったことがある。

草が全部、同じ方向に寝ていた。

花は一輪も残っていなかった。

幸子はしゃがんで、泥のついた茎を一本ずつ起こしていた。

「来年も咲くよ」と私が言うと、幸子は「今年のは、今年のしかないんよ」と言った。

その言い方が、やけに大人びて聞こえた。

野原へ行くとき、幸子はいつも同じ場所から入った。

線路の三本目の枕木のところに、草が途切れた細い道があった。

二人ぶんの足で作った道だった。

私が町を出たあとも、その道が消えなかったとしたら。

それは、誰かが毎年そこを通っていたということになる。

当時の私は、そんなことを一度も考えなかった。

野原の隅には、朽ちたベンチがひとつ置いてあった。

座面の板が二枚抜けていて、腰かけると尻が沈んだ。

幸子はそこに座って、麦茶の水筒の蓋を回しながら話す癖があった。

「恵は、大きい町に行くやろ」

「わからん」

「行くよ。うちにはわかる」

「なんでわかると」

「歩くのが速いけん」

そのときの私は、褒められたのだと思っていた。

いま思えば、私たちの毎日は、ラムネ瓶のビー玉と幼馴染の話に出てくるような、ひどく小さな世界の中にあった。

小さいということは、そのころの私たちには、欠点ではなかった。

野原の干し花の帳面

小学五年生の夏、私たちはその花を摘んで、幸子の家にあった古い辞書の間に挟んだ。

「押し花にして、ずっと持っておこうね」

幸子はそう言いかけて、すぐに言い直した。

「ちがう。押し花やなくて、野原の干し花」

「なんで」

「押すんやなくて、乾かすんやもん」

理屈になっていない理屈だった。

それでも、その日から二人のあいだで、あの花は野原の干し花になった。

幸子は、菓子の空き箱に厚紙を綴じて、帳面を作った。

ページの隅に、鉛筆で小さく番号を振っていた。

一枚に一輪。

それが幸子の決めた作り方だった。

「一年に一枚だけね」

「なんで。いっぱい摘めばいいやん」

「いっぱいあったら、その年のがわからんくなるやろ」

私は意味がわからないまま、うなずいた。

辞書は幸子の家の茶の間にあって、背表紙が外れかけていた。

挟んだ花を確かめるのは、決まって十日後だった。

「まだ湿っとる」

「もう乾いたっちゃない」

「十日経たんと、色が茶色になるんよ」

幸子の言うことは、たいてい当たった。

白い花は、十日置くと、透けるような薄い色のまま乾いた。

茎だけが、少し緑を残す。

その緑がきれいだと、幸子は何度も言った。

私は自分の押し花帳も作った。

作ったけれど、中学に上がる前に、どこかへやってしまった。

幸子には言わなかった。

訊かれもしなかった。

訊かれなかったことのほうが、いまは痛い。

中学に上がった年、幸子の家の茶の間から辞書が消えた。

父親が古紙に出してしまったのだと、幸子は笑って言った。

「ほんとは怒ったんやろ」

「怒らんよ。中の花は、先に出しとったけん」

そのとき幸子が何を作りはじめていたのか、私は訊かなかった。

訊いていれば、十三年は違ったかもしれない。

そう思うのは、たぶん都合のいい後悔だ。

中学でも高校でも、私たちはずっとそばにいた。

高校三年生の春、私が大学進学のために町を出ると決めたとき、幸子は「そうか」とだけ言った。

泣くかと思っていたのに、幸子は笑っていた。

「恵が帰ってきたときは、また野原に行こう」

そう言って、ぎゅっと手を握った。

その手のひらの乾いた感触を、いまでも覚えている。

東京に出てからの最初の一年は、ときどき手紙のやり取りをした。

幸子の手紙は、便箋の余白に花の絵が描いてあって、文章は短かった。

「元気です。野原の花が咲いてます」

それだけのことが書いてあるだけで、私はなぜかほっとした。

けれど、いつからか手紙は途絶えた。

私が忙しくなって、返事を出せない時期が続いたからだ。

気がついたら、幸子の電話番号も変わっていた。

そのうち連絡が来るだろうと思っていた。

その「そのうち」が、十三年になっていた。

最後の手紙には、何が書いてあっただろう。

思い出そうとして、私は思い出せなかった。

捨ててはいないはずだった。

けれど、三度の引っ越しのどこかで、たしかに手元から消えていた。

人との縁は、切れるときに音がしない。

気づいたときには、もう随分前に切れている。

幼馴染に彫った最後の舟の話を読んだとき、私はこの十三年のことを思った。

花屋さちこの棚

小包には、差出人の連絡先もなかった。

スマートフォンで町の名前と幸子の名前を並べて検索すると、小さな花屋のホームページが出てきた。

「花屋 さちこ」。

丸いロゴと、ひなびた外観の写真が載っていた。

店内の棚に、花束がぎゅっと詰め込まれている写真もあった。

幸子は、あの町で花屋をやっていたのだ。

野原で花を摘んでいた子が、そのまま花を仕事にした。

それを知った瞬間、胸が詰まった。

電話番号が書いてあった。

少し躊躇してから、その番号を押した。

ホームページの写真には、店の奥の棚が小さく写り込んでいた。

花束の向こうに、菓子の空き箱のようなものが立てかけてある。

そのときは、ただの古い箱だと思った。

電話に出たのは、幸子の母だった。

「ああ、恵ちゃん」

声を聞いた瞬間、喉の奥が熱くなった。

幸子の母は昔から私をそう呼んでいた。

「幸子のこと、知らせようと思うとったんよ」

「……幸子は」

「入院しとる。もう三か月になるかな」

「何の病気ですか」

少し間があった。

「心臓。手術はしたんやけどね。いまは落ち着いとるよ。でも、しばらくかかりそうで」

私は額を握ったまま、壁に背中を預けた。

「幸子が、荷物を送ってくれました」

「そうか。言うとったよ。恵ちゃんに送るけん、住所をうちに聞きに来てね」

「手紙は」

「書こうとしよったよ。何回も。でも、うまく書けんかったって」

「それで、花だけ」

「そう。あれなら嘘をつかんですむ、って」

言葉が出なかった。

幸子は、字が下手なことを昔から気にしていた。

作文の時間になると、鉛筆を持ったまま、机の下で足を揺すっていた。

それでも私宛ての手紙だけは、いつも便箋二枚分を埋めていた。

埋められなくなった十三年が、あの人にどれだけ長かったのかを、私は考えなかった。

十三年ぶりの連絡が、手紙の書けなかった幸子からの、一枚の野原の干し花だったのだ。

「会いに行っていいですか」

「もちろんよ。幸子も喜ぶ」

電話を切ってから、私はしばらく額を見つめていた。

そのとき、額の裏の角に、鉛筆で小さく「13」と書いてあるのに気づいた。

値段か、整理番号だろうと思った。

十月の光の病室

翌週の土曜日、私は飛行機に乗った。

荷物は小さなリュックひとつだった。

ただ、額だけは丁寧に包んで、バッグの中に入れた。

空港からバスで一時間、さらに駅から二十分ほど歩くと、記憶の中の町が見えてきた。

商店街のシャッターが増えていた。

駅前の理容室は、看板が消えていた。

それでも、坂の上から見える山の形は変わっていなかった。

病院は町の外れにあった。

受付で名前を告げると、四人部屋の一番奥の窓際に案内された。

消毒液の匂いの下に、誰かの持ち込んだ蜜柑の皮の匂いが混じっていた。

隣のベッドの老婦人が、私を見て小さく会釈をした。

「幸子さんのお友だち。東京の」

会ったこともない人が、私のことを知っていた。

幸子は、ベッドの背を少し起こして本を読んでいた。

私の気配を感じたのか、顔を上げた。

「恵」

名前を呼ばれただけで、涙が出そうになった。

「来たと」

「来たよ」

「なんで電話番号、教えてくれんかったの」

幸子は少し困ったような顔をした。

「久しぶりすぎて、何を書いても嘘くさい気がして」

窓から、秋の光が差していた。

幸子の顔は少し痩せていたけれど、目の奥は昔と変わらなかった。

丸くて、少しだけ泣き虫な目。

膝の上の本は、図書館のラベルが貼られた植物図鑑だった。

開いてあるページに、白い星形の花の写真があった。

ノミノツヅリ、と印字の下に小さく学名が添えてある。

「名前、調べたと」

「五十になる前に、いっぺんくらい知っときたかったけん」

幸子は少し笑った。

「でも、覚えられんかった」

「覚えんでいいよ」

「そうやね」

それきり、二人とも黙った。

点滴の落ちる音が、やけにゆっくり聞こえた。

「恵は、東京、好きね」

「好きかどうか、考えたことない」

「そういうのが、いちばんいいんよ」

幸子は窓の外を見たまま言った。

「うちは、この町を好きかどうか、ずっと考えよった」

「いまは」

「花屋しよったら、考えんくなった」

その返事が、いまも耳に残っている。

面会の終わりに、幸子は私の手を握った。

昔より薄い手だった。

それでも、力の入れ方は、十八の春と同じだった。

廊下に出てから、私はもう一度、病室のほうを振り返った。

幸子は、開いたままの図鑑をそっと閉じていた。

閉じてから、表紙を撫でた。

店で花を包むときと同じ手つきだった。

「干し花、ちゃんとある」

そう言って、私はバッグから額を出した。

幸子はそれをしばらく眺めて、ゆっくりと息を吐いた。

「あの野原、まだあるんかな」

「ある。来るとき、遠くから見てきた」

「花は」

「十月やけん、もう終わりかけやと思う」

幸子は微笑んだ。

「来年、一緒に行こうや」

「絶対に行こう」

答えながら、私は初めて泣いた。

幸子も、黙って窓の外を見ていた。

ふたりとも、何も言わなかった。

それでよかった。

額の裏の鉛筆の数字

帰りに、私は花屋に寄った。

シャッターは半分だけ上がっていて、中では幸子の母が水を替えていた。

「見ていって。幸子の店やけん」

店の中は、水と葉の匂いがした。

バケツの縁に、値札の輪ゴムがいくつも引っかかっている。

幸子の字で書かれた札が、どの花にも一枚ずつ立ててあった。

字は、やっぱり下手だった。

レジの奥の棚に、菓子の空き箱を綴じた古い帳面があった。

表紙の角は擦れて、白く毛羽立っていた。

めくると、白い星形の花が、一ページに一輪ずつ貼ってあった。

ページの隅には、鉛筆で番号が振ってあった。

1、2、3。

数えていって、私は途中で手が止まった。

12まであって、13のページだけが空いていた。

台紙を貼った跡の四隅に、糊の白い痕が残っている。

「幸子、毎年ひとりで摘みに行っとったんよ」

幸子の母が、背中で言った。

「恵ちゃんが帰ってきたとき、十三年ぶんまとめて見せるんやって」

私は帳面を閉じることができなかった。

「毎年、いつ行きよったんですか」

「夏の終わり。決まって、盆が過ぎてから」

「ひとりで」

「ひとりで。誘う相手がおらんかったけんね」

その言い方に、責める色はなかった。

責められたほうが、どれだけ楽だっただろう。

帳面の最初のページには、幼い字で日付だけが書いてあった。

私が町を出た年の、八月の終わりだった。

ページをめくるたびに、字が大人になっていく。

六枚目あたりから、花の下に小さく天気が添えられるようになっていた。

曇り。

にわか雨。

風つよし。

どのページにも、私の名前はなかった。

名前を書かないことが、幸子の決めた作り方だったのだろう。

棚の下の段に、封をしていない封筒が何通か重ねてあった。

宛名はどれも私の名前で、住所は書きかけのまま止まっている。

中は、白紙だった。

便箋を入れて、書き出しの一行でやめた跡が、折り目だけ残っていた。

私はそれを見て、ようやく、あの一言の意味がわかった。

あれなら嘘をつかんですむ、と幸子は言った。

言葉にすると嘘になる。

花なら、摘んだ日のことしか言わない。

私に届いた花は、二十六年前のものではなかった。

今年の夏に、あの野原で摘まれたものだった。

手術の日取りが決まった週に、幸子はひとりで坂を下り、線路を越えて、いつもの場所へ行っている。

そして十三枚目を帳面から剥がして、東京へ送った。

手紙が書けなかったのではない。

十三年ぶんの言葉は、とっくに、一年に一枚ずつ乾かしてあったのだ。

帰り道、私はひとりで野原に寄った。

夕暮れの光の中で、草は金色に染まっていた。

白い星形の花はもう少なくなっていたけれど、足元にいくつか残っていた。

私はしゃがんで、そっと一本だけ手に取った。

来年、幸子と並んでここに立つために。

十四枚目は、私が乾かす。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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