最後の時を過ごす二人
従兄弟が大腸癌で亡くなった。27歳だった。
その彼女は、従兄弟が癌と判ってから、仕事もあったのに毎日病室を訪れ付き添っていた。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を「お口、あーん」とやってじゃれ合っていたり、癌が侵食して痛む従兄弟の腰や背中を擦ってあげたり。
当時の私は十代の子供だったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんて全く想像付かなかった。
『きっとこの二人は、あと数年もしたら結婚して、幸せな家庭を築くんだろーな』
なんて見舞いに行く度、幸せな想像しか出来なかった。普通に羨ましかった。
※
しかし従兄弟の病状はどんどん進んで行った。見る見る痩せて行き、目ばかりぎょろぎょろになって、身内の私でも正視出来なかった。
早く終わって欲しかった。人の命の脆さが怖かった。
でも彼女はずっと傍に居た。従兄弟の痩せ細った手を握って、抗癌剤の影響でぼろぼろに禿げた頭に被る毛糸の帽子を作ったり。
私は怖くて怖くて、病室にも入るのも嫌で、病室に入っても彼女の後姿ばかりを見ていた気がする。
従兄弟は、癌が良くなったらどこかへ行こうとか、あれ食べに行こうとか、今度の携帯の最新機種を買いたいとか、来ない日のことばかり喋っていた。
彼女は笑顔で「絶対行こうね」「私、あれ食べたい」などと言っていた。
気休めだろうと思ったけど、彼女の目は本気だった。
今、思い返せば、彼女は他にどうすることも出来なかったのだと思う。
彼女も怖かったのだ。好きな人を失うことが、きっと自分が死ぬこと以上に恐ろしかったと思う。
※
年末に癌が全身に回り、肺に転移。
従兄弟は最初の意識不明に陥った。
医師は、
「癌を抑える薬がある。しかし、一時的に抑える効果しかない。
苦しむ期間が延びるだけ。私の子供が患者だったらこのまま死なせる」
と、きっぱり言った。
両親は、
「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」
と延命を望んだ。
横で彼女は黙って、震えていた。
※
薬が効いて従兄弟は劇的に回復した。
彼女と温泉に行ったり、近場に旅行へ行ったり、新薬は二人に時間をくれた。
「癌が治った」
とはしゃいでいたけど、一時的だというのは本人が何よりも解っていたと思う。
最後の時を過ごす二人を、両親も親戚も何も言わず見守った。
※
春になり、従兄弟が三度目の意識不明に陥った。
あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、彼女と従兄弟の母親が押さえ付け、抱き締めた。
「ここに居るよ。一人じゃないよ」
彼女は、死の激痛に喘ぐ従兄弟の顔にキスして、手足を擦った。
※
医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、彼女は従兄弟を抱いた。
何かに取り憑かれたように嗚咽する彼女を見て、人を愛するというのはこういうことかと思った。
彼女は親戚の手前、通夜にも葬式にも出られなかった。
彼女は毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。
従兄弟が亡くなって数ヶ月後に、勤めていた会社を辞めたと聞いた。
※
数年が経ち、墓参りにも来なくなった。
最近、彼女が結婚し、一児の母になったことを聞いた。
寂しく思った反面、ほっとした。幸せになって欲しいと思う。