国境と愛

公開日: ちょっと切ない話 | 恋愛

カップルと夕日(フリー写真)

彼女と俺は同じ大学だった。二人とも無事四年生になってすぐの4月、連日のように中国での反日デモがニュース番組を賑わしていた頃のこと。

中国人の彼女とはどうしても険悪なムードになるから、二人で居るときは極力テレビを見ないように努めていたし、口にも出さないようにしていた(サッカーアジアカップの時に一悶着あったもので)。

しかし、その日は二人とも朝の支度に追われ、時計代わりのテレビを点けたまま彼女は化粧を、俺はパンを頬張ったりしていた。まあ、傍から見ればよくある朝の光景。

いつもは見ないニュースが襲撃される日本料理店を映し出す。暴徒の声。化粧に勤しむ彼女には画面を見なくても意味が解るだろう、当然だが。

「何て国だ…」

ぼそっと、しかし彼女に聞こえるのを承知で吐き捨てるように言ってしまった。

評論家の辛辣なコメントに触発されたかのように、俺は今まで溜めていた怒りや憂いを、あたかも独り言のように彼女の背中に浴びせた。

彼女は眉の形が気に入らないらしく、何度もやり直していた。

そろそろ時間なので上着を選んでいたら、彼女が

「そんなに嫌い?」

と妙に落ち着いたトーンでぽつりと呟いた。

「あの人たちがやってることは本当にバカで情けない。でもそれには原因がある。理由がある…」

語気が段々荒くなるのが手に取るように分かった。いつの間にか議論とは言えない口論に…。

お互い溜まっていたのだろう。内容はと言えば、政府同士の遣り取りよろしく噛み合わない、平行線。

流石にもう出掛けないといけない時間なので、だんまりを決め込んで玄関に向かったら、後ろから裾を掴まれ、

「けんかしたくない…」

と、さっきまでの剣幕が嘘のように。背中越しにも泣いているのが判った。

もう抱き締めるしかなかった。言葉が見つからない。狭い玄関で二人で声を上げて泣いた。

情けなかった。さっきまで日中両国の関係について評論家ぶった口を利いていた男が、一人の恋人をこんな風に泣かせている。

『愛しているのにとっても不幸せ、どうしたらいい?』

古い漫画の一節が浮かんだ。

一頻り泣き合って、結局ゼミは休んでしまった。

先日、彼女の誕生日ということもあって、久しぶりに二人で田舎に帰った。

父方の祖父(故人)は戦前から中国の領事館に居た(祖母は大陸まで祖父を追って、半ば押し掛け女房のように結婚したらしいです)。

ただその赴任先が南京だったということを彼女に話したら、少し複雑そうな顔をしていた。祖父は軍人ではなかったのだが、まあ仕方ないことだろう。

何度か顔を合わせていることもあり、祖母や両親、妹ともすっかり打ち解けてくれて(特に祖母の滅茶苦茶な中国語がツボらしい)、理解のある家族に感謝した。

帰りしなに祖父の墓参りに二人で行って来た。やはり祖父にも報告しなければと思ったので。

一応彼女に聞いてみたら、

「総理の靖国参拝は反対だけど、おじいちゃんならいいよ」

だそうだ。あまり変わらない気もするが…。

墓前で、

「手はたたく?」

「それ神社」

なんて遣り取りをしつつ、祖父への報告も終え帰路に着いた。

来春結婚します。夏休みに彼女の両親に会いに行きます。

まだお互い完全に理解したとは言えないけれど、ゆっくりゆっくり幸せになりたいと思います。

最後に、最後の大喧嘩の日に彼女に送ったメールを。

我們可以互相愛

絲毫不必担心

(私たちは愛し合える。何も心配はいらない)』

関連記事

女の子の後ろ姿(フリー写真)

温かい家庭

兄家族が俺達の家にやって来て、長女を押し付け引っ越して行った。 兄も兄嫁も甥っ子だけが生き甲斐みたいなところがあったんだよね。 甥っ子は本当に頭が良かったんだ。 勉強…

夕日

再会の約束

私の心に刻まれた恋の物語をお話しします。 大学生の日々、初めて彼氏ができました。 私たちは同じキャンパス、同じサークルで出会った運命の人でした。 お互いに気持ちを深…

手のひら(フリー写真)

出会い

昔、美術館でバイトをしていた。 その日の仕事は、地元の公募展の受け付け作業。 一緒に審査員の先生も一人同席してくれる。 その時に同席してくれたのは、優しいおじいちゃん…

結婚式(フリー写真)

前彼の祝福

学生時代、彼氏を事故で亡くした。 引き摺りまくって、もう新しい彼氏も結婚も要らないと荒み、誘いも蹴り告白も断った。 お一人様の老後を設計していたのだけど、ある日いきなりご縁…

グラス

真っ直ぐな友へ

私たちの友情は、中学時代から始まりました。彼は素直で一途、趣味に没頭するタイプでした。中学、高校、大学と一緒の学校に通い、彼は私にとって唯一の親友でした。 大学4年になり、就職…

赤ちゃんの足を持つ手(フリー写真)

ママの最後の魔法

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。 その時、サキちゃんはまだ2歳だった。 「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビ…

水族館

忘れられない君への手紙

あなたは本当に、俺を困らせたよね。 あの日、バスの中でいきなり大声で「付き合ってください!」って言った時から、もう、困ったもんだ。 みんなの視線が痛かったよ。 初デ…

カーネーション(フリー写真)

親心

もう5年も前の話かな。 人前では殆ど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。 お袋は元々ちょっと頭が弱く、よく家族を困らせていた。 思春期の…

友情(フリー写真)

変わらないもの

俺たち小学校から高校までずっと一緒だったよな。 高卒後、俺は就職、お前はフリーター。 学歴社会の昨今、 「俺たちゃ負け組じゃねぇよな!がんばろうぜ!」 と、よく…

子供の寝顔(フリー写真)

お豆の煮方

交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。 そのプリントには交通事故についての注意などが書いてあり、その中には実際にあった話が書いてありました。 それは交通…