君がくれた、小さな勇気

公開日: ちょっと切ない話 | 恋愛

女性の後ろ姿

初めて彼女に会ったのは、内定式のときだった。
同期として顔を合わせた。

聡明を絵に描いたような人だった。
学生時代に書いた論文か何かが賞を獲ったらしく、期待の新人として注目されていた。

ただ、少し性格がきつめで、どこか変わった雰囲気をまとっていた。
やることすべてが完璧で、自分のことをほとんど話さない。

その様子から、「宇宙人ではないか」と、密かに噂されていた。

美人と言えば美人だった。
けれど、服装やおしゃれにはまったく頓着しない。
お高くとまっているというより、むしろ男嫌いのように見えた。

近寄る男は誰もいなかった。

おいらも、正直、最初はどこか苦手だった。

そんな彼女と、偶然にも同じ部署に配属された。

それまで出会ったどんな女性とも違った。
だからこそ、からかって反応を楽しむようになった。

初めは本当に嫌がっていた彼女も──
半年も経つと、少しずつ慣れてきたのか、それともおいらが結婚して安心したのか──
少しだけ相手をしてくれるようになった。

やがて、ほんの少しだけ仲良しになった。

愚痴を言い合うこともあったが、彼女は相変わらず、自分のことをほとんど話さなかった。

休日に何をしているのか、家族のことは? 誕生日はいつ?
そんな簡単なことすら、何年も分からなかった。

ある日、試験の申し込み書類の書き方を尋ねたら、
彼女は自分の書類を持ってきて、見せてくれた。

そこに、生年月日が記されていた。

──その日が、彼女の誕生日だった。

驚きつつ、軽い気持ちで声をかけた。

「今日はデートかな?」

そう言いながら、昼休みに食べたチョコエッグに入っていた小さなカメを、
「誕生日プレゼント」として渡した。

すると、彼女は子供のように顔を輝かせて喜んだ。

「爬虫類、大好きなの」

──その無邪気な笑顔を見て、改めて「変わった子だな」と思った。

彼女は、ものすごく頑張り屋だった。

もともと才能があったうえに、努力も惜しまなかった。

どんどん出世していった。

それでも、ほとんど遊ぶこともせず、仕事が終わると真っ直ぐ家に帰る生活だった。

からかうように尋ねたことがある。

「そんなにお金貯めて、どうすんのー?」
「もしかして、お父さんの借金でも返してるの?」

彼女は微笑みもしなかった。

そんな彼女のことを、おいらはいつの間にか、心から好きになっていた。

でも、おいらには家庭があった。
子供もいた。

だから、その気持ちは胸の奥にしまい込んだ。

せめて彼女の傍にいたくて、愚痴の聞き役になり、
遅くなった夜はタクシー代わりに送ったりもした。

けれど、プライベートな関係には絶対に踏み込まなかった。

噂にならないよう、気を配り続けた。

同僚たちは笑って「お前は彼女のぽちだな」と言った。

それでもいいと思えた。

彼女のぽちでいられることが、嬉しかった。

そんな関係が、しばらく続いた。

彼女は相変わらず独身だった。

彼氏がいるのか、恋人がいるのか──
それさえ、分からなかった。

ただ、いつも彼女のバッグには小さなお守りがついていた。

何度か尋ねたが、彼女は「秘密のお守り」とだけ言って、笑ってごまかした。

ある日、仕事のトラブルで落ち込んでいた彼女が、
そのお守りをぎゅっと握りしめているのを見た。

もしかしたら、遠くにいる恋人からもらったものなのかもしれない。

──そんな想像をした。

その日、海外出張から帰国し、成田で携帯の電源を入れた瞬間──

同僚からの電話が鳴った。

彼女が、亡くなったと知らされた。

交通事故だった。

意識はあったらしい。
でも、内臓の出血が進み、急変したという。

耳の奥が、キーンと鳴った。

全身から力が抜け、現実感が遠のいていった。

葬儀には、職場の仲間たちと共に参加した。

そこで、初めて彼女の本当の姿を知った。

母子家庭だったこと。
病気がちな母親と、施設にいる姉を支えていたこと。
誰にも頼らず、たった一人で家族を守ってきたこと。

泣きたくても、涙も出なかった。

ただ、申し訳なさと、自分の無知が胸をえぐった。

葬儀のあと、彼女の母親に呼び止められた。

「渡したいものがある」

そう言われ、彼女の実家に向かった。

道すがら、母親は静かに話してくれた。

彼女がどれほど家族を思い、努力してきたか。
男嫌いになった理由。
そして、おいらのことを、どれほど大切に思っていたか。

涙が止まらなかった。

彼女の部屋に通された。

驚くほど質素な部屋だった。

女性の部屋とは思えないほど、モノがなかった。

ただ、ぎっしりと詰まった専門書とノートがあった。

机の隅に──

一緒に無理やり撮った、あのプリクラが貼られていた。

それを見た瞬間、大人になって初めて、声をあげて泣いた。

帰り際、彼女が亡くなったとき身に着けていたネックレスと、
いつも持ち歩いていたお守りを形見として渡された。

ネックレスは、就職祝いに母親が贈ったものだという。

お守りについては、どうやって手に入れたのか、母親も知らなかった。

本当は受け取る資格なんてないと思った。

でも、彼女が大切にしていたことを思い出し、
胸に抱きしめるようにして受け取った。

お守りの中を開けてみたい気持ちはあったが──
それは、彼女だけの秘密だと思って、そっとしておいた。

その後、転職し、ようやく落ち着いた一年後。

彼女がいつもしていたように、おいらもお守りを鞄に下げていた。

ある日、職場の後輩が、ふと声をかけてきた。

「これ、前から気になってたんですけど、何が入ってるんですか?」

止める間もなく、彼女はお守りを開いてしまった。

中から転がり出たのは──

あの日、誕生日に渡したチョコエッグのカメだった。

「何これ~?」

彼女は大笑いした。

でも──

おいらは、ただその場に立ち尽くし、涙が止まらなかった。

何もかもが、堰を切ったように溢れ出して。

彼女のくれた、小さなカメ。

それはきっと、彼女が心から大切にしてくれていた──
たったひとつの、かけがえのない「ありがとう」だったのだ。

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