秘密で手話を

公開日: 心温まる話 | 恋愛

カップル(フリー写真)

待ち合わせた彼女を待っていて見かけたのは、大学生風のカップルだった。

男の子が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしていた。手話だ。

彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと、女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしていたことを伝えていた。

女の子の方は、彼が勉強していることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、嬉しいと思っていることを伝えた。

その内もどかしくなったのか、彼の手を握って二度三度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしていた。

悪趣味な盗み聞きだとは分かっていたけど、その時ようやく手話を使いこなせるようになったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入って来た日本語が気になるように、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった。

多分、俺はにやけていたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。

でもそれは微笑ましく、こちらまで心が温かくなる光景だった。

服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた。

何を見ていたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっと早く私に気付けとか、微妙に頬を膨らませて、物凄い勢いで手話を繰り出す彼女。

俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出していたことを伝えた。

それでも彼女は少し首を傾げ、その『昔』を知りたそうな表情だったけど、俺は笑って誤魔化した。

『今、目の前に居る女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強していた頃の事だ』

……とは、恥ずかしくて言えなかった。

関連記事

ラムネ

愛する人への別れ

彼女は完璧な存在だった。その可愛らしさ、スタイル、そして性格。俺は彼女に一目惚れした。 彼女も同じように感じてくれた。彼女からの告白で付き合うことになり、俺は幸せだった。 …

子供たち(フリー写真)

子ども達への無償の愛

『40年かけて35人の道に捨てられた子どもを拾い救って来た女性』 ある一人の女性に隠されたストーリーが、世界中に感動を与えている。 その女性とは、中国の楼小英(ロウ シャオ…

初期の携帯電話(フリー写真)

母と携帯電話

15年前の話です。 今でもそうだが人付き合いの苦手な俺は、会社を辞め一人で仕事を始めた。 車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取り付けをする仕事だ。 当時はまだ携帯…

炊き込みご飯

愛のレシピ

私が子供の頃、母が作る炊き込みご飯は私の心を温める特別な料理でした。 明言することはなかったが、母は私の好みを熟知しており、誕生日や記念日には必ずその料理を作ってくれました。 …

コーヒー

父の献身

私の両親は小さな喫茶店を営んでいて、私はその一人娘です。父は中卒ですが、非常に真面目な人でした。 バブルが弾け景気が悪化すると、父は仕事の合間にお店を母に任せ、バイトを始めまし…

教室(フリー背景素材)

同級生の思いやり

うちの中学は新興住宅地で殆どが持ち家、お母さんは専業主婦という恵まれた家庭が多かった。 育ちが良いのか、虐めや仲間はずれなどは皆無。 クラスに一人だけ、貧乏を公言する男子が…

コーヒーのドリップ(フリー写真)

店長さんの嘘

俺がまだ受験生だった頃の話。 当時、塾の自習室にはどうにも居辛くて、自習室代わりによく利用している喫茶店があった。 普段は20時前には自習室に戻っていたんだけど、そこの店長…

海

最後の敬礼 – 沖縄壕の絆

沖縄、戦時の地に息をひそめる少年がいました。 12歳の叔父さんは、自然の力を借りた壕で日々を過ごしていたのです。 住民たちや、運命に翻弄された負傷兵たちと共に。 し…

電車の車内(フリー写真)

思いやりの紙片

学生時代から長く付き合い、結婚を考えていた彼と別れました。 彼は一年も前から、職場の年上の女性と付き合っていたのです。 その女性から結婚を迫られ、もう既に彼女のご両親とは…

夕方の教室(フリー背景素材)

校長先生の名授業

私が考える教育の究極の目的は『親に感謝、親を大切にする』です。 高校生の多くは、今まで自分一人の力で生きて来たように思っている。 親が苦労して育ててくれたことを知らないんで…