野球と夢
公開日: 心温まる話
一球投げる度、脱げそうになる帽子を被り直す。
岩瀬・真壁・筑波の連合チームの田中康太(筑波2年)は同点の七回、3番手でマウンドに上がった。
1点勝ち越されたが、味方が追い付いてくれた。
八回二死一、二塁のピンチもゼロで切り抜けた。
ぶかぶかの田中の帽子は、学校から借りた。
他にも、身に着けている野球道具の殆どが貰い物だ。
グラブは体育の授業で使うソフトボール用、スパイクは部室に放置されていた。
練習着も田嶋一彦監督や先輩から貰った。
田中は5人兄弟の母子家庭で育った。
野球道具を買って貰う余裕はない。
穴が開いたスパイクは砂が入るし、ソフトボール用のグラブは生地が薄くて、ちょっと痛い。
でも、野球は楽しい。
※
今年5月、小学4年の弟がサッカーを始めた。
道具や食費など出費がかさむ。
夜、母が涙を流す姿を見てしまった。
お金のことで悩んでいるようだ。
練習試合を終え、自転車で帰宅していた時、
「家族を助けられるなら」
と決意し、田嶋監督の携帯を鳴らした。
「野球辞めてバイトします」
これまでも、田中の家庭事情を知る田嶋監督や部長が、体を大きくさせようとプロテインや筋肉に負荷をかける加圧パンツをプレゼントしてくれた。
マネージャーはこっそりチームで一番大きいおにぎりを作ってくれた。
でも、この時は『辞めた方が』の気持ちが勝った。
初めて告げられた田嶋監督は、
「絶対辞めさせたくない」
と思い、両立できる方法を二人で考えた。
田中は野球と両立出来るバイトを探し、スーパーの品出しのバイトを見つけた。
仲間よりも早く練習を切り上げ、スーパーに向かう日々だ。
九回裏、先頭打者に立った。
「死んでも塁に出よう」
死球で出塁し、サヨナラの本塁を踏んだ。
※
試合後、
「僕と同じ境遇の人の希望になれれば」
と笑顔で話し終えるとすぐ、バイト先に向かった。