
机の隅に、古びたブリキの飴缶を置いています。
蓋には、色の褪せた薄荷の葉が一枚、刷り込まれています。
中身は、どこの駄菓子屋にでも並んでいる、白いハッカ飴です。
けれども私はこの十数年、薄荷の飴缶の飴を一粒も口にしていません。
缶を軽く振ると、乾いた、少し寂しい音が返ってきます。
その音を聞くたびに、私は一人の男の、少し丸まった背中を思い出すのです。
活版からオフセットへと、印刷の世界が大きく移り変わろうとしていた頃。
私が誰よりも苦手にしていた、あの上司のことを。
二十代の終わり、私は町外れの小さな印刷会社で、刷り師の見習いをしていました。
石油ストーブとインクの匂い。
機械油と、断裁したばかりの紙の粉。
あの工場に満ちていた匂いを、私は今でも鼻の奥で覚えています。
朝いちばんに輪転機が唸りを上げると、床がわずかに震えました。
その震えが、指先までびりびりと伝わってきます。
見習いといっても、任されるのは紙運びと版洗いばかり。
それでも、先輩たちが色を合わせていく様子を横目で見るのが、私は好きでした。
同じ「青」でも、朝と夕方では、刷り上がりの表情がまるで違う。
インクは生き物のように、その日の湿度や気温で機嫌を変えるのです。
そういう機微を、私はまだ、頭でしか分かっていませんでした。
職人の手が何を見ているのか、私はのちに一身独立という話を読んで、ようやく少し分かった気がしました。
薄荷の飴缶の音
桐山さんは、その工場を仕切る部長でした。
年の頃は五十半ば。
眼鏡の奥の目はいつも冷たく、無駄口をひとつも叩かない人でした。
若い者が仕事帰りに飲みに誘っても、桐山さんが腰を上げたことは一度もありません。
年に一度の忘年会でさえ、隅の椅子で一人、手酌でお猪口を傾けているような人でした。
そのくせ、私たちの刷りには、誰よりも厳しい人でした。
版のわずかな見当ずれ。
インクの盛りの甘さ。
紙の裁ち方の一分の狂い。
桐山さんの目は、そのどれも見逃しませんでした。
「この赤は、まだ眠っている」
刷り上がったばかりの一枚を私に突き返しながら、桐山さんは低い声でそう言いました。
「色は生き物だ。数字合わせで刷るな。起こして刷れ」
当時の私には、その言葉の意味がまるで分かりませんでした。
インクの調合は指示書の通りにやっている。
数値は合っている。
それのどこが悪いのか。
私はただ、理不尽に叱られていると感じるだけでした。
背広の胸ポケットから薄荷の飴を一粒取り出して、こつん、と奥歯で噛む。
それが、桐山さんの癖でした。
私を呼びつける前に、桐山さんは必ず、こつん、と奥歯を鳴らしました。
だから私は、あの音を、機嫌の悪い合図だと思い込んでいました。
あの小さな音が鳴るたびに、身をすくめていたものです。
忘れられない、小さな出来事があります。
ある年賀状の仕事で、私は朱の色をほんの少し明るく調合したことがありました。
指示書とは違う。
けれど、そのほうが目出度く見えると、自分では思ったのです。
それに気づいた桐山さんは、刷り上がりを一枚、私の前に置きました。
「これは、誰のための赤だ」
「お客さんに、明るいほうが喜ばれると思って」と、私は口ごたえしました。
「お前が思う、じゃない。お前が届けたい相手が、どう思うかだ」
そう言って、桐山さんはこつん、と薄荷を噛みました。
私はまた叱られたと、むくれるばかりでした。
けれど今、自分が刷る側に立ってみて、あの言葉の重さが、身にしみて分かります。
夜の刷り場の筆
あるとき、私は忘れ物を取りに、夜遅く工場へ戻ったことがありました。
消したはずの明かりが、刷り場だけ、ぼんやりと灯っていました。
桐山さんが一人、私が昼間に刷った校正紙を、拡大鏡でのぞき込んでいたのです。
そして、私が気づかなかったわずかな汚れを、細い筆で直していました。
丁寧に、一枚ずつ。
その横顔は、昼間の冷たい表情とは、まるで別の人のようでした。
作業台には、私の刷った校正紙が、四十枚ほど扇のように並べてありました。
その一枚一枚の端に、鉛筆で番号が振られていました。
桐山さんは、直し終えた紙を裏返し、また次の一枚を引き寄せます。
拡大鏡のガラスに、天井の蛍光灯が細く映っていました。
壁の時計は、十一時を回っていました。
私は、そのとき、聞いたのです。
こつん、という、あの音を。
誰も叱る相手のいない、無人の刷り場で。
けれど私は、声をかけることもできず、そっとその場を離れてしまいました。
翌朝、桐山さんはいつもの冷たい顔で、私の刷りの粗を、また容赦なく指摘しました。
昨夜のことなど、おくびにも出しません。
私は、この人は本当に何を考えているのか分からない、とますます苦手になっていきました。
あとになって思えば、桐山さんはいつも、そうやって私の後始末を、黙って引き受けてくれていたのです。
一度だけ、古株の職人さんから、桐山さんの昔の話を聞いたことがあります。
桐山さんは若い頃、名の知れた活版の名工に弟子入りしていたそうです。
その師匠が口癖のように言っていたのが、「色は生き物だ」という、あの言葉でした。
師匠は晩年、目を悪くして刷り場を去り、桐山さんが最後まで付き添ったのだといいます。
「桐山はな、あの師匠の刷りを、この世に残したかったんだと思うよ」
職人さんは、煙草の煙を細く吐きながら、そう言いました。
「だから若い者にも、数字じゃなく、色の命を教えようとする。ぶっきらぼうだがな」
その話を聞いても、当時の私は、ふうん、と受け流しただけでした。
人の背中に流れているものの深さに、私はまるで気づいていなかったのです。
面と向かっては何も言わない人が、別のところで確かに何かを残している。父からの保護メールの父親のように。
五十年ぶんの海
その年の秋、私は初めて、大きな仕事を任されました。
町で長く続く写真館の老主人が、生涯撮りためた海の写真を、一冊の写真集にまとめるという仕事でした。
老主人は胸を病んでいました。
これがおそらく最後の仕事になるだろうと、誰もが察していました。
「若い人に刷ってもらいたいんだ」
打ち合わせの日、老主人は痩せた手で私の手を握って、そう言いました。
「わたしの海を、これからの人に、託したくてね」
写真館の奥の座敷には、額に入った海の写真が、所狭しと掛けられていました。
朝の海、時化の海、凪いだ夕暮れの海。
どれも、ただ青いのではなく、その日その時の光を、確かに閉じ込めていました。
「同じ海は、二度と撮れないんだよ」
老主人は、静かに笑いました。
「だから、刷りも一発勝負だ。若い人の、新しい目で見てほしくてね」
その言葉が、どれほど重いものか。
当時の私は、頭では分かっていたつもりでした。
私は張り切りました。
今にして思えば、張り切りすぎたのだと思います。
連日の残業で、締め切りに追われていました。
そして私はとうとう、最終の色校正を、自分ひとりの判断で通してしまったのです。
桐山さんに見てもらう、あのひと手間を、面倒に思って省いてしまった。
数百部を刷り上げ、断裁し、製本の工程へ回そうとしたときでした。
束見本を一冊、何気なく開いた私の指が、止まりました。
海の青が、どのページも、濁った灰色に沈んでいたのです。
版の見当が、髪の毛一本ほど、ずれていました。
藍の版と、青の版が、わずかに重ならずに刷られていたのです。
老主人が五十年をかけて見つめ続けた、あの深い海の色が、そこにはどこにもありませんでした。
血の気が引く、という言葉の本当の意味を、私はあのとき初めて、身をもって知りました。
刷り直す紙も、特色のインクも、そして残された時間も、もう工場にはありませんでした。
私は誰にも言えず、ただ製本前の束見本を抱えて、震えていました。
束見本を抱えて震えていた、あの半月を、私はどう過ごしたのか、よく覚えていません。
眠れずに天井を見つめ、朝が来るのが怖くて仕方がありませんでした。
工場へ行けば、いつか誰かに、あの失敗が露見する。
そう思うと、足がすくみました。
けれど、不思議なことに、誰も私を責めませんでした。
あの写真集の話題は、まるで最初から何事もなかったかのように、工場から消えていたのです。
今にして思えば、あの静けさこそが、桐山さんが黙って動いていた証でした。
私はその静けさに甘えて、ただ胸を撫で下ろしていたのです。
専務室の湯呑み
それから半月ほどが過ぎた、ある朝のことです。
桐山さんが今月限りで会社を去る、という知らせが、朝礼で告げられました。
表向きは依願退職ということでした。
けれど、実際は違うのだと、誰もが小声で噂しました。
あの写真集の失敗の責めを負わされての退社なのだと。
正直に打ち明ければ、私は心のどこかで、ほっとしていたのです。
あの厳しい目から、あの薄荷の音から、ようやく解放されるのだと。
自分の失敗のことは棚に上げて、そんな浅ましいことを考えていました。
桐山さんの最後の出勤日、送別会の申し出を、本人はきっぱりと断りました。
退けの時刻を過ぎても、工場には私と桐山さんの二人だけが残っていました。
黙々と、残務を片づけていました。
そこへ、めったに現場へ降りてこない専務から、私に呼び出しがかかったのです。
専務室には、古参の課長も待ち構えていました。
私はそこで初めて、あの失敗のあとに、何が起きていたのかを聞かされました。
「あの写真集な」
課長は湯呑みを両手で包んだまま、静かに切り出しました。
「刷り直しはもう無理だと、現場の誰もが諦めていた。同じ紙が、どこにも残っていなかったからな」
「その紙をな、桐山が方々を駆けずり回って、頭を下げて、一枚ずつ集めてきたんだ」
取引先の倉庫。
同業の工場。
廃業した印刷所の、埃をかぶった物置。
桐山さんは三日三晩、町中を歩き回ったのだといいます。
同じ銘柄の紙を、譲ってくれと頼んで回って。
「そうして夜通し、一人で刷り直した。お前が帰ったあとの、あの工場でな」
私は、ひと言も返せませんでした。
「経営陣は、それでも誰かが責任を取らねば示しがつかんと言った」
「桐山は、自分が現場の責任者だからと、自ら退職を申し出た」
「本当はな」と、それまで黙っていた専務が、静かに口を開きました。
「あの見当ずれを出したのが誰なのか、桐山は最後まで口にしなかった」
「全部、自分のミスだと言い張ったよ」
原因は、私でした。
私のたった一晩の油断を、桐山さんは黙って、丸ごと背負ってくれていたのです。
「どうして、かばったんですか」
私はやっと、それだけを絞り出しました。
課長は、少し困ったように笑いました。
「さあな。あいつは何も言わなかった」
それから課長は、湯呑みを置いて、こう続けました。
「お前、あいつが飴を噛むのを、叱られる合図だと思ってたろう」
私は頷きました。
工場の誰もが、そう思っていました。
「桐山はな、人を叱るときには、飴は噛まんよ」
課長は、窓の外の輪転機の屋根を見ていました。
「あれは、自分でやり直すと決めたときの癖だ。二十年、隣で見てきた」
「三日三晩、紙を集めて回っとったあいだも、ずっと、こつん、こつん、とやっとった」
その言葉が、胸の奥に、深く刺さりました。
桐山さんが薄荷を噛んだのは、叱る前ではなく、自分でやり直すと決めたときだった。
叱責だと思っていた日々のすべてが、その一言で、まるで違う色に染まっていきました。
あの夜の無人の刷り場で聞いた音も。
年賀状の朱を、私が勝手に明るくしたあの日の音も。
あれは、怒りの音ではなかったのです。
話を聞き終えた私は、いても立ってもいられず、専務室を飛び出しました。
階段を一段飛ばしに駆け下り、刷り場へ戻る。
けれど、桐山さんの姿は、もうどこにもありませんでした。
きれいに拭き上げられた作業台の上に、一冊の写真集だけが、静かに残されていました。
手に取って開くと、海の青が、そこにありました。
深く、澄んで、光をたっぷりと含んだ、起きている青が。
鉛筆の書き込み
最後のページの隅に、鉛筆で小さく、書き込みがありました。
「色は生き物だ。次は、お前が起こしてやれ」
その字を目で追ううちに、私は自分の机の上に、見慣れたブリキの缶が置かれていることに気づきました。
桐山さんがいつも胸に忍ばせていた、あの薄荷の飴缶でした。
蓋は開いていて、中の飴が、一粒だけ、なくなっていました。
缶の横に、破いた伝票の裏へ走り書きされた、短いメモが添えられていました。
「これくらいは、頂いてもいいはずだ」
私は、その場にしゃがみ込んでしまいました。
叱られていたのでは、なかったのです。
あの人はずっと、色を、そして未熟な私を、なんとか起こそうとしてくれていた。
それだけのことを、この人は、ひと言も恩に着せずに、してのけていました。
なくなった、たった一粒の飴。
それが今も、私にとっては、いちばん大切な、思い出の一粒です。
後日、私はあの写真集を、老主人のもとへ自分で届けに行きました。
病床の老主人は、震える指で青いページをそっとなでて、しばらく何も言いませんでした。
「ああ、これだ」
やがて、そうつぶやいて、目を閉じました。
「わたしの海だ。ちゃんと、生きてる」
痩せた頬を、一筋、涙が伝っていました。
「この青はね、朝の五時の海です」
老主人は、ページを指で押さえたまま、そう言いました。
「三十年、同じ岩の上から撮った。同じ色は、一度もなかった」
私は、桐山さんが集めて回った紙の銘柄を、心のなかで数えていました。
色味の違う紙を、どう並べれば、同じ海に見えるのか。
あの夜、桐山さんは一枚ごとにインクの盛りを変えていたはずです。
その青を刷ったのが誰であったか、私は最後まで、言えませんでした。
けれど、桐山さんはきっと、それでよかったのだと思います。
会社を辞めて独立したあと、私は一度、桐山さんを探したことがあります。
けれど、退職の際の住所には、もう別の人が住んでいました。
風の便りに、遠い故郷の町で、静かに暮らしているらしいとだけ聞きました。
手紙でもよかったのに、私はそれさえ書きませんでした。
お袋からの手紙を読むたび、書かなかった一通のことを思い出します。
礼を言いたい。
ただ、それだけだったのに。
あれから十数年が経ちました。
私は今、自分の小さな印刷所を構えています。
数年前からは、若い見習いを一人、預かるようになりました。
その子が版の見当をずらして肩を落としていると、私はつい、同じ言葉を口にしてしまいます。
あの人が、私に言った言葉を。
「色は生き物だよ。潰さないで、起こして刷ろう」
そう言いながら、私は机の薄荷の飴缶から飴を一粒つまみます。
そして、その子の手のひらに、そっと載せてやります。
甘くて、少し鼻に抜ける、あの匂い。
薄荷の飴缶は、蓋の閉まりがもう緩くて、傾けると飴が寄る音がします。
見習いの子は、飴を口に含んで、少し不思議そうな顔をします。
「先生は、どうしてこの飴なんですか」
そう聞かれると、私はいつも、少しだけ言葉に詰まります。
「昔、いちばん苦手だった人が、いちばん大事なことを教えてくれてね」
その子は分かったような、分からないような顔で、また版に向かいます。
それでいい、と私は思います。
ただ、ひとつだけ、あの人に倣っていることがあります。
見習いの粗を夜に直すとき、私も、こつん、と奥歯を鳴らすのです。
薄荷の匂いは、もうずいぶん薄くなってしまいました。
それでも、鼻を近づけると、あの工場の朝が、ふっとよみがえります。
苦手で、怖くて、けれど本当は、誰よりも温かかった人。
その少し丸まった背中に、私は今日も静かに、頭を下げています。