貴様飲め!

公開日: 心温まる話 | 悲しい話 | 戦時中の話

北部ソロモン諸島(ブーゲンビル島)の戦い

俺のおじいちゃんは戦争末期、南方に居た。

国名は忘れたけど、とにかくジャングルのような所で衛生状態が最悪だったらしい。

当然、マラリアだのコレラだのが蔓延する。

おじいちゃんの部隊も例外ではなく、バタバタと人が倒れて行ったそうだ。

ただ、その頃には治療薬も開発されていて、それを飲んで命を永らえた人も多かったらしい。

治療班に手渡されていた薬で何人かの人が助かったそうな。

暫くして、おじいちゃんが期せずして高熱に魘されるようになった。

病気に感染したのだ。

一方で、おじいちゃんの部下の一人にも同じような症状が襲った。

二人とも薬を飲めば助かる程度のものであったらしいが、その部隊には残余薬が一つしかなかった。

部下は、

「あなたが飲んでください。あなたがこの部隊の指揮官ですから」

と搾り出すような声で言ったらしい。

立派な部下を持ったおじいちゃんは幸せな人間だったと、おこがましいながら俺は思う。

しかしおじいちゃんはたった一言、こう言ったらしい。

「貴様飲め!」

おじいちゃんはその後、間もなくして亡くなってしまった。

この話は、つい最近他界したおばあちゃんから何度も聞いた。

薬を飲んで生き残って帰国した兵隊さんはその後、おばあちゃんを何かにつけ助けてくれたらしい。

俺も一度だけお会いしたことがある。真っ直ぐで立派な男だった。

おじいちゃんも素晴らしい命を救ったものだ。

おばあちゃんの口癖は、

「『貴様』…って、いい言葉ね…」

だった。

おじいちゃんの死後、もう何十年も経つのに、毎日毎日仏壇のおじいちゃんに話し掛けていた。

そして眠ったまま死んで行った。

明治の人間は凄い。俺はいつもそう思う。

関連記事

海

最後の敬礼 – 沖縄壕の絆

沖縄、戦時の地に息をひそめる少年がいました。 12歳の叔父さんは、自然の力を借りた壕で日々を過ごしていたのです。 住民たちや、運命に翻弄された負傷兵たちと共に。 し…

震災の写真

震災を生き抜く少年の記録

「お父さんが軽トラで帰っていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように」と祈っていました。 巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか…

学校(フリー写真)

学生時代の思い出

俺が中学生の時の話。 当時はとにかく運動部の奴がモテた。 中でも成績が優秀な奴が集まっていたのがバスケ部だった。 気が弱くて肥満体の俺は、クラス替え当日から、バスケ部…

プログラミング(フリー素材)

パパの一時間はいくら

プログラマーの父は、今日も仕事で疲れ切って遅い時間に帰って来た。 すると、彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。 彼は驚いて言った。 「まだ起きていた…

教室

両親への感謝

私が考える教育の究極の目的は「親に感謝し、親を大切にする」ことです。高校生たちは、しばしば自分たちが自力でここまで来たと錯覚しています。彼らがどれほど親に支えられて育てられたか、その…

航空自衛隊の戦闘機(フリー写真)

一生の宝物

航空自衛隊に所属する先輩から聞いた話。 航空自衛隊では覚えることが山ほどあり、毎日24時まで延灯願いを出して勉学に励んでいた。 座学(学課)でも指定の成績を取れないとパイ…

老夫婦(フリー写真)

夫婦の最期の時間

福岡市の臨海地区にある総合病院。 周囲の繁華街はクリスマス商戦の真っ只中でしたが、病院の玄関には大陸からの冷たい寒気が、潮風となって吹き込んでいたと思います。 そんな夕暮れ…

菜の花畑(フリー写真)

本当の豊かさ

中国のとある大富豪の男性が、自分の息子を田舎の土地に送りました。 裕福な生活を当たり前と思っている息子に、一度『貧しさ』というものを体験してもらい、自分たちの生活がどれだけ幸せな…

ドクター(フリー写真)

思いやりのある若者

本当は書くべきじゃないのかも知れないが、久々に堪らない思いになった。 一応、医者の端くれとして働いている。 こういう生業だから、人の死に接する機会は少なくない。 少し…

手を繋いで歩く夫婦(フリー写真)

たった一つの記憶

私の夫は、結婚する前に脳の病気で倒れてしまい、死の淵を彷徨いました。 私がそれを知ったのは、倒れてから5日も経ってからでした。 夫の家族が病院に駆け付け、携帯電話を見て私の…