救いの手

民家

3年前の夏、金融屋として働いていた私は、いつものように債務者の家を訪れました。しかし、親は姿を消し、5歳の男の子と3歳の女の子だけが残されていました。

私はまだ新米で、恐ろしい顔つきでもなかったため、子どもたちはすぐに私に懐きました。二人はボロボロの服を着ており、風呂にも入っていない様子でした。

子供たちに親がいなくなった時期を尋ねても答えは返ってきませんでした。「何を食べていたの?」と聞くと、男の子は泣き出しました。その時、女の子が私の手を引き、「こっち」と言って裏庭へと連れて行きました。

そこは小学校の裏庭で、女の子は池を指さして「みーちゃんこれ食べたの」と言いました。池には金魚がウヨウヨ泳いでいることに気づき、私は悪い予感を感じました。

家に戻ると、テーブルの上には小さなボウルと茶碗があり、「お前たち…金魚を食べていたのか…」と尋ねると、子供たちは小さく「うん」と答えました。その答えに私も、一緒にいた仲間も涙を流しました。

すぐに、一緒にいた仲間が多くの食べ物と洋服を買ってきました。私たちは近くの銭湯で子供たちをきれいに洗いました。

状況をどうすることもできない私たちは、最終的に施設に連絡を取り、子供たちを連れて行きました。連れて行かれるとき、子供たちは「お兄ちゃん、ありがとう」と言っていました。それを聞いて、私たちが彼らの親を追い詰めたことに対する罪悪感が増すばかりでした。

仕事を抜けた私を含む何人かの同僚たちは、その後、自分たちの行動を深く反省しました。救われたことは、子供たちの親が結局戻ってきたことでした。親は戻ると子供がいなくなっていることにショックを受け、施設に連絡を取りました。親が子供たちを迎えに行き、自分たちの行いの重大さに気が付いたそうです。

その後、私は足を洗い、家族の再建を支援しました。事務所を通じて彼らの就職を手助けし、「また金魚を食べさせたら内蔵を売るぞ」と軽く脅しながら、彼らが真面目に生活するよう助けました。借金の返済はまだ残っているかもしれませんが、二人とも一生懸命働いていることでしょう。

関連記事

手紙(フリー写真)

天国の妻からの手紙

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなった。 その5年後、こんな手紙が届いた。 どうやら死期が迫った頃、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。 ※ Dear 未来の○○ …

電車内から見る駅のホーム(フリー写真)

おとうさんという言葉

その日は約束の時間ぎりぎりに、舞浜駅のホームから階段を降りた。 雑踏の中には元妻と、ミニリュックを背負った小学3年生の息子が待っていた。 半年ほど見ない間に一回り大きくなっ…

父(フリー写真)

父と私と、ときどきおじさん

私が幼稚園、年少から年長頃の話である。 私には母と父が居り、3人暮らしであった。 今でも記憶にある、3人でのお風呂が幸せな家族の思い出であった。 父との思い出に、近…

学校の机(フリー写真)

君が居なかったら

僕は小さい頃に両親に捨てられ、色々な所を転々として生きてきました。 小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」などと言われました。 偶に同級生の子と遊んでいて、…

教室(フリー写真)

虐め

友達が自殺した。 理由はよくある『虐め』。 俺は気付いていた。 友達が虐められてたことには気付いていた。 でも自分までそうなるのが嫌だったから、最後は他人の振り…

病院(フリー背景素材)

二つ目のセーブデータ

ゲームボーイの『Sa・Ga2 秘宝伝説(以下、サガ2)』は思い出のソフトなんだ…。 今でもよく思い出しては切なくなっています。 ※ 俺さ、生まれた時から酷い小児喘息だったのよ…

恋人同士(フリー写真)

抱き締められなかった背中

私が中学生の時の話です。 当時、私には恋人のような人が居た。 『ような』というのは、付き合う約束はしていたけど、まだ付き合い始めていない状況だったため。 子供ながらに…

ドーナツ(フリー写真)

ミスドの親子

日曜にミスドへ行った時の話。 若いお父さんと、3歳くらいの目がくりくりした可愛い男の子が席に着いた。 お父さんと私は背中合わせ。以下、肩越しに聞いた会話。 子「どーな…

夕日(フリー写真)

生きることの大切さ

ガンダム芸人の若井おさむさん。 彼は幼い頃から日常的に、兄と母親から相当な虐待を受けていました。 それは彼が20代前半の頃までずっと続きました。 それに耐えかねた若…

双子の姉妹(フリー写真:サムネイル)

ずっと笑顔で

私には双子の妹がいます。名前はあやか。 私たちはそっくりすぎるほどよく似ていて、両親もたまに間違えるほどです。 でも性格は全く違って、あやかは昔からとても活発で明るい性格…