十円玉の価値

公衆電話が、町から消える日を私は知っている。

三月三十一日。役場の掲示板に、そう書かれた紙が貼られていた。

山あいのこの町に残った最後の一台は、旧・湯坂養護学園の門の脇にある。

学園はとうに閉じて、建物だけが雪に埋もれている。

それでも電話ボックスの中は、いつも不思議と乾いていた。

私はその一台の保守を、二十年ほど請け負ってきた。

月に一度、受話器を拭き、コインの詰まりを確かめ、硬貨の投入口を綿棒でなぞる。

仕事としては、割に合わない。

それでも私が続けてきたのは、あの春に十円玉を握りしめていた子のことを、忘れられないからだ。

三十年前、私はその学園で算数を教えていた。

新任だった。二十三歳で、教えるということが何なのか、まるで分かっていなかった。

学園には寄宿舎があった。

雪深い集落から子どもたちが集められ、月に一度しか家に帰れない。

私が担当したのは、四年生で入ってきた悠(ゆう)という男の子だった。

生まれつき、知的な発達がゆっくりな子だった。

幼稚園までは近所の子と一緒に通っていたが、小学校に上がると、少しずつ休みが増えた。

一年生の終わりには、まったく学校へ行かなくなった。

二年生でも、三年生でも、悠は玄関で靴を履かなかったという。

両親が話し合い、四年生の春に、学園へ預けることを決めた。

悠のお母さんは、町の織物工場で働いていた。

入園の日、彼女はずっと悠の襟元を直していた。

何度も、何度も、もう直っているのに直していた。

「先生。この子、電話はかけられます」

別れ際に、彼女はそれだけを言った。

それが自慢なのか、頼みなのか、そのときの私には分からなかった。

学園の朝は、五時半の鐘で始まった。

廊下の窓は内側まで凍り、指で押すと薄い氷が鳴った。

食堂では、子どもたちが味噌汁の椀を両手で持って温まる。

悠はいつも、いちばん端の席に座った。

隣に誰も座らないからではない。

窓から、麓の織物工場の煙突が見えるからだった。

「あそこ、おかあさんのところ」

悠は毎朝、そう言って湯気の向こうを指した。

煙が細く上がっている日は、機械が動いている日だ。

上がっていない日、悠は少しだけ椀を持つ時間が長かった。

私はその頃、自分の母親に半年も電話をしていなかった。

用がなければかけない。用がなければ、かけなくていい。

そう思っていた自分が、悠の隣で、毎朝ゆっくり削られていった。

学園の廊下の突き当たりに、緑色の公衆電話があった。

寄宿舎の子どもたちが、家に電話をかけるための一台だ。

夕食のあとの三十分だけ、使っていいことになっていた。

悠は毎晩、その列にいた。

必ず十円玉を一枚だけ、右手に握って。

廊下は寒く、木の床が足の裏を刺した。

順番が来ると、悠は受話器を両手で持ち上げる。

重そうだった。実際、あの受話器は子どもの腕には重かったと思う。

「もしもし。ゆうです」

それが、いつも同じ第一声だった。

名乗ってから、その日に覚えたことを報告する。

「きょうは、さんが、いち、なな、って、かきました」

「きょうは、あめでした。ながぐつ、はきました」

報告が終わると、十円は切れる。

三分。時報のように正確に、通話は途切れる。

悠はそれでも受話器を耳に当てたまま、五秒ほど動かなかった。

それから静かに戻して、こちらを振り返る。

「せんせい。おわりました」

毎晩、その繰り返しだった。

私は、悠の右手のことをよく覚えている。

十円玉を握りしめているから、掌にいつも黒い輪の跡がついていた。

金属の匂いが指に移り、風呂上がりでもかすかに残る。

悠は、その十円玉を毎日磨いていた。

食堂から持ってきた布巾の端で、寝る前に、机の上で。

「悠くん、そんなにきれいにしなくても使えるよ」

「よごれてたら、きこえないから」

私は笑った。笑ってから、笑ったことを恥じた。

あの子は本気だった。

汚れた十円玉では、母の声がよく聞こえないと、本当に信じていた。

算数の授業は、一年生の内容から始めた。

数を数え、繰り上がりを覚え、時計の読み方を覚えた。

一年かけて、悠は驚くほど多くのことを覚えた。

ただ、覚えたことを覚えたと言わない子だった。

できるようになっても、けっして誇らない。

できたことは、全部、あの緑の電話に持っていってしまう。

悠は時計の読み方を覚えるのに、半年かかった。

短針と長針の区別がつかず、何度も泣きそうな顔をした。

それでも、あの子は絶対に「わからない」と言わなかった。

「もういっかい、やる」

その一言だけを、何度も繰り返した。

覚えた日、悠は職員室まで走ってきて、私の袖を引いた。

「せんせい。いま、ろくじ、じゅうごふん」

「正解」

「じゃあ、あと、じゅうごふんで、でんわ」

時計を覚えた理由が、そこにあった。

あの子にとって時間とは、母までの距離のことだった。

数字は、ぜんぶ、そこへ向かって並んでいた。

二年目の秋、私はお金の授業をした。

教壇に、三枚の硬貨を並べた。

五百円玉、百円玉、十円玉。

「この中で、いちばん大きいお金は、どれですか」

悠は迷わず、まん中の小さな一枚を指した。

「じゅうえんだま」

私は、大きさの話をしているのだと思われたのだと考えた。

「大きさじゃなくて、価値のこと。たくさん買えるのはどれ?」

「じゅうえんだま」

もう一度、同じ答えだった。

翌日も、その翌週も、私は同じ問題を出した。

何度出しても、悠の指はまん中で止まる。

焦った。

私は、自分の教え方が悪いのだと思った。

新任二年目の、いちばん狭い焦り方だった。

「いい?五百円玉があれば、パンが五つ買えるの。十円玉だと、飴が一個」

「うん」

「だから、大きいのは五百円玉でしょう」

「ちがう」

悠は、はっきりと首を横に振った。

私は黒板消しを持ったまま、しばらく動けなかった。

「じゃあ悠くん。十円玉のほうが大きいと思うわけを、言ってごらん」

言い方がきつくなっていたと思う。

それでも悠は、いつもの調子で、まっすぐに答えた。

「じゅうえんだまは、でんわができるお金だよ」

そして、少しだけ声を大きくした。

教室が、静かになった。

廊下を掃く音が、遠くで聞こえていた。

私は、答えを持っていなかった。

教えるべき正解と、目の前にある正解が、まったく別の場所にあった。

その夜、私は寄宿舎の廊下で悠の電話を待った。

順番が来て、悠が受話器を持ち上げる。

十円玉が、投入口を滑り落ちる音。

あの、ことん、という乾いた音。

「もしもし。ゆうです」

報告が始まる。

三分。それから、切れる。

けれどその夜、悠は受話器を置かなかった。

耳に当てたまま、じっと立っていた。

十秒。二十秒。

私は近づいて、小さく聞いた。

「悠くん。もう切れてるよ」

「うん」

「聞こえないよ」

「きこえるよ」

悠は受話器を私に差し出した。

私は耳を当てた。

何も聞こえなかった。

ツーという発信音すら、その古い機械は返さなかった。

ただ、受話器のプラスチックが、あたたかかった。

悠の耳の温度が、そこに残っていた。

「せんせいにも、きこえた?」

私は、嘘をつかなかった。

「先生には、聞こえなかった」

悠は、少しだけ困った顔をして、それから笑った。

「じゃあ、せんせいのぶんも、きいておくね」

月に一度、面会日があった。

悠のお母さんは、いつも風呂敷にみかんを包んで来た。

手の甲に、細かい傷が何本も入っていた。

織機の糸で切れるのだと、あとから聞いた。

面会室で、二人はあまり話さなかった。

悠がみかんを剥き、お母さんがそれを食べる。

それだけで一時間が過ぎた。

帰り際、お母さんが私に頭を下げた。

「先生。あの子、電話代、足りてますか」

「十円で三分ですから。足りてます」

すると、その人は少し笑って、言った。

「あの子、三分でぜんぶ話すんです。うちの人でも、あんなに正確には話せません」

廊下の突き当たりで、悠が手を振っていた。

右手ではなかった。右手には、明日の十円玉が握られていたからだ。

その年の冬、悠のお母さんが倒れた。

織物工場の作業場で、機械に寄りかかるように。

見つかったときには、もう長くないことが分かっていた。

父親が学園に来て、事務室で長いこと話し込んでいた。

帰り際、その人は私に頭を下げた。

「悠には、まだ言わんでください」

私はうなずいた。うなずくしかなかった。

それから三か月、悠は毎晩、緑の電話の前に並んだ。

受話器の向こうにいるのが誰なのか、私は知っていた。

病院の面会室に、父親が電話機を運んでいたのだ。

声が細くなっても、返事が遅くなっても、悠は気づかないふりをしていたのか。

それとも、本当に気づいていなかったのか。

今でも分からない。

三月の初め、電話はつながらなくなった。

悠は、それでも列に並んだ。

十円玉を入れて、名乗って、その日に覚えたことを報告した。

「きょうは、かけざんを、ならいました」

誰も出ない受話器に向かって。

私は、止められなかった。

止めることが、正しいとは思えなかった。

母の葬儀のあと、悠は三日間、口をきかなかった。

食堂にも来ず、窓辺で煙突を見ていた。

煙は、もう上がっていなかった。

四日目の夜、あの子はいつもの列に並んだ。

十円玉を入れ、名乗り、報告した。

「きょうは、なにも、ならいませんでした」

そして受話器を置いた。

三分を待たずに、自分から置いた。

私はそのとき初めて、あの子が全部わかっていたのだと知った。

わかっていて、それでも毎晩、十円を入れていたのだと。

悠は五年生の終わりに学園を出て、父親の実家がある海のほうへ移った。

別れの日、あの子は私に十円玉を一枚くれた。

よく磨かれていて、鏡のように蛍光灯を映していた。

「せんせい。これ、いちばんおおきいお金」

「うん。知ってる」

「せんせいも、だれかに、かけて」

私は、その十円玉を財布に入れた。

使わなかった。三十年、一度も。

やがて私は教員を辞め、通信設備の会社に入った。

公衆電話の保守という、地味な仕事を選んだ。

公衆電話の保守には、決まった手順がある。

扉の建てつけを見て、受話器のコードのねじれを取り、送話口の網を掃く。

硬貨の返却口に指を入れると、たいてい何かが残っている。

レシート、飴の包み紙、折りたたまれた紙切れ。

かける前に書いて、かけたあとに捨てていったもの。

私は、それらを黙って集めて捨てる。

読まない。読んではいけない気がしていた。

ただ一度だけ、返却口に十円玉が一枚だけ残っていたことがある。

入れて、話して、返ってきた釣り銭ではない。

入れずに、置いていかれた一枚だった。

かけられなかった誰かが、それでも置いていったのだ。

あの日から私は、この仕事を辞められなくなった。

月に一度、雪をかき分けて学園の門まで歩く。

ボックスの扉を開けると、冷えた金属の匂いがする。

受話器を耳に当てて、発信音を確かめる。

三十年、私はその音を、誰かの声のように聞いてきた。

理由を人に聞かれたことは、何度もある。

うまく答えられたことは、一度もない。

携帯電話が普及して、町の公衆電話は一台ずつ消えていった。

駅前が消え、郵便局の前が消え、診療所の前が消えた。

最後に残ったのが、閉園した学園の門の脇の一台だった。

撤去の日、私は朝から現場に立った。

雪が、屋根から少しずつ落ちていた。

ボックスの扉を開けると、受話器の下に硬貨が一枚、置かれていた。

十円玉だった。

よく磨かれて、鏡のように、灰色の空を映していた。

撤去の作業は、二人がかりだった。

若い作業員がボルトを外し、私が受話器を布に包んだ。

「これ、どうします」

「持って帰る」

「記念ですか」

「まあ、そんなところだ」

緑の塗装は、日に灼けて白っぽくなっていた。

数字のボタンは、一と七だけがひどく擦り減っている。

この山の集落の市外局番だ。

三十年前、悠が毎晩押した二つの数字だった。

擦り減るというのは、そこに人がいた証拠だ。

消えていくものだけが、その証拠を残していく。

振り返ると、門の外に男が立っていた。

四十を過ぎた頃だろうか。厚手の作業着を着て、両手を前で組んでいた。

目が合った。

その人は、ゆっくりと頭を下げた。

「せんせい」

それだけで、分かった。

声の出し方が、あの頃とまったく同じだった。

「悠くん」

「はい」

私たちは、しばらく何も言わずに立っていた。

風が、雪を電話ボックスの屋根から払っていった。

「これ、君が置いたの」

「なくなる前に、一回、かけようと思って」

「かけたの」

「かけました。でも、いれませんでした」

悠は、少しだけ照れたように笑った。

「いれなくても、もう、きこえるので」

胸の奥が、鈍く鳴った。

「悠くん、いま何を」

「船の、エンジンを直しています」

「手先が器用だったもんな」

「先生に、時計を教わったので」

どう関係があるのか、私には分からなかった。

けれど悠は、真面目な顔でこう続けた。

「歯車って、順番なんです。順番があると、こわくない」

雪が、二人のあいだに落ちてはすぐ消えた。

「先生。ぼく、いまでも三分で話します」

「誰と」

「妻と。子どもと」

「短くないか」

「三分あれば、だいじなことは、ぜんぶ言えます」

私は財布から、三十年前の十円玉を出した。

二枚を並べると、どちらがどちらか分からなかった。

同じように磨かれ、同じように光っていた。

「先生、まだ持ってたんですか」

「使い道が、なくてね」

「いちばん、おおきいお金ですから」

その言い方に、少年の頃の抑揚がわずかに残っていた。

私は、そこでようやく泣いた。

三十年、教壇の前で流さなかった涙だった。

公衆電話は、その日の午後に外された。

コンクリートの土台だけが、四角い影のように残った。

悠は帰り際、こんなことを言った。

「母が死んだの、五年生の三月です」

「知ってた」

「ぼくも、知ってました」

雪の上で、私は息を止めた。

「じゃあ、どうして、毎晩」

悠は、遠くの山を見て答えた。

「かけないと、いなくなるから」

かけているあいだは、まだ、いる。

あの子は十円玉のなかに、母を三分ずつ生かしていた。

買えるものの多さで、お金の大きさを測る。

そんな計算を、私は正解として教えていた。

けれど、たった十円で三分だけ人を生き返らせる硬貨より大きいものが、この世にあるだろうか。

帰り道、私は久しぶりに母の家に寄った。

九十を超えて、耳が遠くなった母は、玄関で私の名を三度確かめた。

「なんの用だ」

「用はない」

「用がないのに、来るのか」

「うん」

母は少し黙って、それから台所へ行き、湯を沸かし始めた。

背中が、記憶より二回りほど小さかった。

茶を待つあいだ、私は財布の十円玉を指の腹で撫でていた。

用がなければかけない、と決めていた三十年が、そこで終わった。

教壇に立っていた二年間で、私が本当に教えたことは何もない。

教わったことなら、はっきり一つある。

価値というものは、数えられるところにはない。

数えられないところに、しずかに積もっていく。

今、私の財布には十円玉が二枚入っている。

一枚は悠がくれたもの。もう一枚は、悠が最後に置いていったもの。

町から公衆電話は消えた。かける場所は、もうどこにもない。

それでも私は、二枚とも使わずにいる。

時々、指の腹でそっと磨く。

汚れていたら、聞こえないから。

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