
棺の枕元に、胸ポケットの観戦パスが置かれていました。
折り目のついた、一枚の厚紙です。
渡したのは、私でした。
胸ポケットの観戦パスは、一枚だけの頼みごとでした。
あの人は、それを胸ポケットに入れたまま、雨の夜に逝ってしまいました。
あれから三十年近くが経ちます。
その一枚に何が印字されていたかを、私はつい先日まで誰にも話しませんでした。
二十代の終わりのことです。
私は自転車の部品をあつかう小さな卸の会社で、外回りの営業をしていました。
担当は、私鉄沿線に点々と残る昔ながらの個人店ばかりでした。
大きな取引には結びつかない、地味な区域です。
そのなかに、長い坂の途中に建つ、間口の狭い自転車店がありました。
店の前を通ると、チェーンの油と新しいゴムタイヤの匂いがしました。
先代を早くに亡くし、若くして店を継いだ店主には、小学生の男の子が二人いました。
経営は、はじめて訪ねたときから苦しそうでした。
駅前に大きな量販店ができてから、新車を買う客はみなそちらへ流れました。
店に残ったのは、パンク修理とチェーンの油差しばかりです。
それでも店主は、油で黒くなった手をタオルで拭きながら、いつも笑って私を迎えました。
「おう、来たか。まあ座れよ」
「今、茶を淹れるから、ちょっと待ってな」
奥の小さなストーブの上では、古びたやかんが湯気を立てていました。
湯呑みは、いつも同じ欠けたものでした。
「客用のはあるけどな、おまえは客じゃねえから」
そう言われたときの嬉しさを、うまく説明できません。
営業先で、客でないと言われて喜ぶ人間はいないはずです。
それでも、あの言い方には、どこか身内の温度がありました。
坂の途中の引き戸
初めてあの引き戸を開けた日のことを、よく覚えています。
飛び込みで名刺を差し出した私を、店主はじろりと見ました。
それから、にっと笑いました。
「お、若いのに、ちゃんと自転車に乗ってきたな」
「車で来る営業は、どうも信用ならねえんだ」
私が会社の自転車で坂をのぼってきたことを、店主は気に入ってくれたようでした。
その日から、長い付き合いが始まりました。
苦しい台所事情のわりに、私の会社への支払いだけは一日も遅れませんでした。
無理な値引きを口にすることもありませんでした。
「うちはな、安売りじゃ駅前の大きな店には勝てねえ」
「だからせめて、一台一台、丁寧に直すんだ」
「それしか、うちの取り柄はねえからな」
店の壁の高いところには、年代物のロードレーサーが飾ってありました。
店主が若い頃に乗っていたものだそうです。
埃ひとつなく、いつも磨かれていました。
「これでな、昔は峠をいくつも越えたもんよ」
フレームには、色の褪せた小さなシールが一枚貼ってありました。
剥がしかけて、途中でやめた跡です。
「これはな、はじめて峠を越えた日の記念でな」
「かっこ悪いから剥がそうと思ったんだが、手が止まった」
「今じゃもう、こんな細いタイヤで坂をのぼる体力はねえけどな」
「いつか、息子のどっちかが、これに乗ってくれたらなあ」
そう言って自転車を見上げるときの横顔が、私は好きでした。
店に行くたび、私たちは商売の話をそっちのけにしました。
どのメーカーのフレームが軽いだの、どの選手の走り方が美しいだの。
二人とも、少年のようにしゃべり続けました。
店の奥には、注文票を刺す鉄の串が立っていました。
刺さっているのは、いつも三枚か四枚です。
その薄さを、私は見ないようにしていました。
月末の支払いのたびに、店主は封筒の口を二度折りました。
一円も間違えたことがありません。
「金は、遅れたら信用が減る」
「うちは、それしか担保がねえからな」
「なあ、いつか二人で、この坂の上まで店を大きくしような」
いつだってまっすぐ前を向いている人でした。
スポークを弾く音
店主には、変わった癖がありました。
ホイールを手で回し、指先を近づけるのです。
店主はスポークを一本ずつ指で弾いて、その音で歪みを聞き分けていました。
音が濁ると、そこだけニップルを四分の一だけ回します。
「目で見たって、歪みは分からん」
「耳のほうが正直なんだ」
「ホイールは、一本だけ強く張ると全体が歪む」
「全部が少しずつ我慢して、はじめて真円になるんだ」
「家も、店も、たぶん同じだろうな」
店主の耳は、ラジオの音が鳴っていても濁りを拾いました。
私が同じことを試すと、どの音も同じに聞こえます。
「三年やれば聞こえる」
「三年やっても聞こえんやつは、別の商売が向いてる」
私はその音を、いつまでも聞いていられました。
ちん、ちん、ちん、と乾いた音が続きます。
一本だけ音が違うと、私にも分かるようになりました。
店には、対照的な二人の息子がいました。
上の子は物静かで、いつも店の隅で本を読んでいました。
下の子は、誠といって、人懐っこい子でした。
私が行くと必ず駆け寄ってきます。
「おじさん、また自転車のはなし、してるの」
「ぼくもまぜて」
誠は、店でいちばん速そうな自転車を飽きずに眺めていました。
「ぼく、おおきくなったら、じてんしゃのせんしゅになるんだ」
胸を張る誠の頭を、店主は油まみれの手でくしゃくしゃと撫でました。
「おう、なれなれ」
「父ちゃんが、いちばん速いやつを組んでやるからな」
誠は、店の手伝いも好きでした。
パンク修理の桶に水を張るのが、その子の役目です。
チューブから泡が出ると、指をさして得意そうに知らせます。
「ここ、あなあいてる」
「おう、よく見つけたな」
上の子は、そのやりとりを本の陰から静かに見ていました。
その光景を見ているだけで、私の心まで温かくなりました。
あれは、私が営業の数字を伸ばせず、自信をなくしていた頃のことです。
得意先で叱られた帰りに、暗い顔で店に立ち寄りました。
店主はすぐに見抜きました。
「おまえ、今日はずいぶん、しょぼくれた顔してるな」
私が弱音をこぼすと、店主は私の自転車を勝手に引き寄せました。
そして、その場で点検を始めました。
「いいか。このチェーンもな、油を差さずに放っておけば錆びる」
「だけど、ちゃんと手をかけてやりゃ、何年だって気持ちよく回るんだ」
「人も、おんなじよ」
「おまえはまだ、油を差してる途中なんだ」
油を差し終えた私の自転車は、帰り道、嘘のように軽くなっていました。
坂を下りながら、私は何度もペダルを踏み直しました。
音が変わったのは、たしかにチェーンだけです。
それでも、体まで軽くなった気がしました。
その夜、私は久しぶりに前を向こうと思えたのです。
救われたのは、本当は私のほうだったのかもしれません。
胸ポケットの観戦パス
当時、私の勤めていた会社は、ある実業団の自転車競技チームをわずかに応援していました。
そのご縁で、年に何度か、大きなロードレースの観戦パスが会社に届きました。
沿道のいちばん良い場所に入れる、特別なものです。
駆け抜ける選手を、手が届きそうなほど間近に見られます。
景気の良かった頃は得意先に配ることもありました。
けれど不況が長引き、枚数は年々減っていました。
ある秋の日、店主が珍しく言いにくそうに切り出してきました。
「なあ、ひとつ、折り入って頼みがあるんだけどよ」
店主が私に何かを頼むなど、それまで一度もないことでした。
「来月な、下の息子の、誠の誕生日なんだ」
「あいつ、自転車の選手に本気で憧れててな」
「この店の売り上げじゃ、無理を言える立場じゃねえのは分かってる」
「頼む。あのパスを、一枚だけ譲っちゃもらえねえか」
決して人に頭を下げない人が、深々と頭を下げました。
断ることなど、できようはずもありません。
会社に少し無理を言って、私はその観戦パスを店主の手に渡しました。
「悪いな。この恩は、一生忘れねえよ」
「誠のやつ、これを見たら、きっと飛び上がって喜ぶぞ」
店主は宝物のように何度も眺めてから、胸ポケットの奥へしまい込みました。
胸ポケットの観戦パスは、それから一度も外に出ませんでした。
作業着を着替えるときも、店主はまずその胸に手を当てました。
「これでやっと、あいつに父親らしいことをひとつしてやれる」
そうつぶやいた目尻に、うっすらと光るものがありました。
そのとき私は、券の文面を確かめていませんでした。
厚紙の下のほうに、小さな活字が並んでいたはずです。
読んだのは、ずっとあとになってからでした。
レースの当日は、誠の誕生日の翌週でした。
二人で沿道に立つ姿を、店主は何度も思い描いていたことでしょう。
雨の夜の帰り道
ところが、その月のうちに、店主は帰らぬ人となりました。
雨の降る夜、配達の帰り道に、自転車ごと車にはねられたのだそうです。
あまりに突然で、私はしばらく何が起きたのか飲み込めませんでした。
通夜に駆けつけると、棺のなかの店主は穏やかな顔で眠っていました。
その枕元に、あの胸ポケットの観戦パスが添えられていました。
雨に濡れた跡が、角のところに残っていました。
誰が納めたのかは、聞きませんでした。
ただ、胸ポケットから出したのは奥さんだろうと思いました。
洗濯のたびに、何度もその紙に触れていたはずです。
まだ幼い兄弟は、何が起きたのか分からないという顔をしていました。
母親の傍らに、ぽつんと立っていました。
誠が、私の顔を見上げて言いました。
「おじさん。とうちゃん、いっしょにレース、みにいくって、やくそくしたのに」
その小さな声が、いまも耳の奥に残っています。
葬儀の片隅で、上の息子が弟の手をしっかり握っていました。
自分が弟を守らなければと、その横顔は語っているようでした。
母親は気丈でしたが、焼香の列が途切れた瞬間、肩を落として声を殺していました。
焼香を終えて振り返ると、店の自転車が一台、外に停めてありました。
前籠に、配達用の荷ゴムがかかったままでした。
私は、あの熱いお茶のことを思い出していました。
もう二度と、あの店であの笑顔に迎えられることはない。
そこでようやく、現実が胸に迫ってきたのです。
数か月後、坂の途中のあの店は、ひっそりと畳まれました。
シャッターの下りた店の前を通るたび、壁の高いところを思い出しました。
あの自転車は、今どこにあるのだろう。
一度だけ、勇気を出して閉じた店を訪ねたことがあります。
シャッターには、引っ越しを知らせるささやかな貼り紙がしてありました。
近所の人に聞くと、母親が二人を連れて、遠い親戚を頼ったのだと教えてくれました。
「あそこの奥さん、苦労してねえ」
「でも、子どもたちはいい子だったよ」
私は、その足で坂をのぼりました。
頂上には、何の変哲もない交差点があるだけです。
店を大きくしような、と言った坂の上は、ただの交差点でした。
それでも、あの人はそこを見ていたのだと思います。
親が遺したものを子が受け取るまでの話を読むと、私はいつもこの坂を思い出します。
その言葉だけが、わずかな救いでした。
私は誰もいなくなった店の前で、長いあいだ坂の上の空を見上げていました。
それから、長い歳月が流れました。
私は地道に経験を積み、営業の課をひとつ任される立場になっていました。
あの店のことを思い出す回数も、年々減っていきました。
忘れたわけではありません。
ただ、思い出すのに理由が要るようになっただけです。
ある年の春、新卒採用の二次面接の面接官を務めていました。
何人もの学生と向き合い、疲れを覚えはじめた頃でした。
面接室の名乗り
次の学生が、緊張した面持ちで部屋に入ってきました。
背筋を伸ばし、はきはきと名乗ります。
その声を聞いた瞬間、書類をめくる手が止まりました。
あまりにも、あの店主の声にそっくりだったのです。
履歴書の名字を確かめ、生まれ育った町の名を確かめました。
あの雨の夜に父親を亡くした、自転車店の下の子でした。
胸の奥が熱くなるのを、私は懸命にこらえました。
そして、努めて平静を装い、ひとつだけ質問をしました。
「あなたの、将来の夢を聞かせてください」
ありふれた質問のつもりでした。
それなのに、私の声はわずかに震えていました。
彼はまっすぐに私を見つめ返しました。
「いつか独立して、自分の店を持つことです」
「父が、小さな自転車店をやっていました」
「父を超える店を、必ず自分の手でつくりたいんです」
その目は、かつて坂の上を見上げていた店主の目と、寸分たがわず同じでした。
私は隣の人事部長を向き、静かに告げました。
「この子は、僕が預かります」
理由は何も言いませんでした。
言えば、涙がこぼれてしまうと思ったからです。
あるとき、社の懇親会の席で、誠がふと父親の話をしました。
「子どもの頃、父の店で、よく自転車の話をしてくれる営業のおじさんがいたんです」
「顔はもう、ぼんやりとしか覚えていないんですが」
「あの人のおかげで、僕は自転車をもっと好きになれた気がします」
私は危うく、湯のみを落としそうになりました。
そのおじさんは、いま目の前にいるのだと。
喉まで出かかった言葉を、私は飲み込みました。
まだ、そのときではない。
そう自分に言い聞かせて、黙ってうなずいていました。
彼は入社後、まわりが驚くほど力をつけていきました。
誰よりも早く店に着き、誰よりも丁寧に客の話に耳を傾ける。
その仕事ぶりは、あの父親の姿と静かに重なりました。
数年後、彼はその年のいちばんの成績を上げた営業に選ばれました。
表彰式のあと、少し照れくさそうに挨拶に来ました。
「実は、父が大切にしていた古いロードレーサーが、一台だけ残っているんです」
「この前、自分の手で、一から組み直してみました」
私は、思わず胸が詰まりました。
店の壁の高いところに、いつも磨かれて飾ってあった一台です。
「今度、その自転車で、父が越えた峠を走ってみようと思っているんです」
そして彼は、片手を軽く上げました。
何かを弾くような、小さな仕草でした。
「組んでる途中、ホイールだけどうしても分からなくて」
「でも、手が勝手に覚えてました」
誠は、スポークを一本ずつ指で弾いていました。
耳のほうが正直なんだと、あの人は言っていました。
三十年近く前の音を、この子の指は覚えていたのです。
私には、まだ話していないことがひとつ残っています。
幼い日の彼に渡るはずだった、あのレースの券のこと。
それを棺に納めるまで、父親がどれほど大切に胸にしまっていたか、ということ。
あの一枚は、同伴者一名と書かれた券でした。
大人一人では、使い道のない紙きれです。
頭を下げてまであの人が欲しかったのは、沿道の場所ではありませんでした。
息子の隣に立つ資格のほうでした。
いつか彼が本当に独立を決めた日に、私はそのすべてを話すつもりです。
そして、坂の上へのぼっていく背中を、静かに見送ります。
見えないところで誰かが重ねていた我慢の話を、私は最近になって読みました。
親の我慢は、たいてい子には見えません。
見えないまま、手だけが受け継がれていくのだと思います。
坂の途中の、油とゴムの匂いがした小さな店は、もうどこにもありません。
それでも、耳のほうが正直だと教わった手が、いま一台を組み直しています。