駄菓子屋に集結したヒーロー

駄菓子屋に集結したヒーロー

越前の冬は、水から先に来る。

漉き舟に手を沈めると、指の付け根から順に、感覚が抜けていく。

桁を持ち上げ、簀の上で紙料を前へ送り、横へ流す。

手が痛いと思ううちは、まだ紙にならない。

痛みが消えて、腕だけが動くようになったころ、ようやく紙が薄く均されていく。

今年で二十三年になる。

それでも冬の朝いちばんの一枚だけは、いまだに耳が揃わない。

耳というのは、手漉きの紙の縁のことだ。

機械で断った紙にはない、少しだけ毛羽立った、不揃いの縁。

断てば商品になる。

断たなければ、その紙が自分で決めた形として残る。

俺はいまも、耳を落とさない。

落とせないのだと言ったほうが、たぶん正しい。

※

俺が育ったのは、越前の大滝口という谷あいの集落だ。

川の水がきれいで、冬に雪が深い。

それだけの理由で、千年ちかく紙を漉いてきた土地だと聞かされて育った。

谷の入口に、マルヨシという駄菓子屋があった。

木のガラス戸が建て付け悪く、開けるたびに、ごとん、と鳴った。

店の奥から、ヨシ江ばあちゃんが顔だけ出す。

「あら、拓ちゃん」

それが決まりだった。

誰が入ってきても、ばあちゃんはまず、その子の名前を呼んだ。

店は四畳半ほどしかない。

右の棚に型抜きと糸引き飴、左に袋菓子、真ん中の低い台にラムネの瓶が並んでいた。

夏には店先に赤い旗が出て、氷、と白抜きで書いてあった。

その旗が、風のない日でも、なぜか少しだけ揺れていた。

ばあちゃんの連れ合いの正吉さんは、俺が小学生のころに亡くなっていた。

正吉さんは紙漉き職人だった。

俺は顔をほとんど覚えていない。

ただ、店の壁に、白い紙が一枚だけ額に入れて掛かっていたのは覚えている。

何も書いていない、ただの白い紙だ。

子どものころ、あれは何かと訊いたことがある。

「じいちゃんが、最後に漉いた紙やわ」

ばあちゃんはそう言って、それ以上は説明しなかった。

額の中の紙は、縁が不揃いだった。

四方とも、耳が付いたままだった。

※

俺の家は、父が大阪に単身赴任していた。

高校に上がった年から、仕送りの間隔が空くようになった。

母は谷の下の工場で、紙の選別のパートに出ていた。

選別というのは、乾いた紙を一枚ずつ光にかざして、塵や皺を見つける仕事だ。

母の指の腹は、いつも紙の粉で白かった。

帰ってくると、まず手を洗う。

洗っても、爪の際だけは白いままだった。

高校二年の冬、俺の財布には十円玉が三枚しかなかった。

部活の帰りで、腹が減っていた。

それでもマルヨシの前を通ると、体が勝手に曲がる。

ごとん、と戸が鳴った。

「あら、拓ちゃん」

棚の前で、俺はずいぶん長いこと迷ったふりをした。

買うつもりがないのに迷うのは、みじめなものだ。

三十円で買えるものはあった。

ただ、それを一つだけ持ってレジに行くのが、その日はどうしてもできなかった。

「ほれ」

気がつくと、ばあちゃんが台の向こうから手を出していた。

手のひらに、白い紙の包みが載っていた。

中身は、たぶんあんず飴と、型抜きと、それから何かもう一つ。

「ないしょね」

ばあちゃんは口の前に指を一本立てて、笑った。

笑うと、目が完全になくなる人だった。

俺は礼も言えずに店を出た。

外はもう暗くて、雪が斜めに降っていた。

包みを開けるのが惜しくて、手袋の中に入れて持って帰った。

※

ばあちゃんが菓子を渡すとき、いつも白い紙で包んだ。

買った子には包まない。

買わなかった子にだけ、包んだ。

それが、俺たちのあいだの暗黙の印だった。

包み紙は、いつも同じ紙だった。

薄い、越前の白い紙。

そして、四辺のうち一辺だけ、耳が付いたままだった。

断ち切っていない、不揃いの縁。

俺はそれを、余った紙をもらってきて使っているのだろうと思っていた。

谷では、耳の付いた紙は売り物にならない。

売り物にならない紙は、どこの家にもいくらでもあった。

だから、なんとも思わなかった。

思わないまま、二十年が過ぎた。

夏のことも、よく覚えている。

俺が中学に上がった年の八月、谷は水が出た。

三日降り続いて、川が土手のすぐ下まで来た。

紙漉きの家は、どこも仕事にならなかった。

水が濁ると、紙も濁るからだ。

その三日、マルヨシだけが店を開けていた。

電気が止まっていたから、冷えたものは何も売れない。

それでもばあちゃんは、赤い旗を出していた。

「氷、ないやんか」

徳さんが言うと、ばあちゃんは真顔で答えた。

「旗が出とったら、みんな寄るやろ」

実際、寄った。

店の前の縁台に、爺さんが三人並んで、川の話をしていた。

子どもが二人、店の中で、ぬるいラムネを飲んでいた。

ばあちゃんは、ずっと戸口に立って、川のほうを見ていた。

あとになって、あの三日、ばあちゃんが縁台の下に長靴を並べていたと聞いた。

水が来たら、すぐ履けるように。

自分のではない。

爺さん三人のぶんだった。

そういう人だった。

気の利いたことを、誰にも見えない場所でやる人だった。

※

ばあちゃんは、金のない子に菓子をやる婆さんとして、谷では知られていた。

知られてはいたが、誰も口には出さなかった。

それは、口に出すと角が立つ種類の親切だったからだ。

そういうことに、大人は敏感だった。

魚屋の徳さんだけは、ときどき軽口を叩いた。

「ヨシ江さん、あんたとこ、原価割れとるんちゃうか」

「わたしの店は、原価も何も、もとが取れとらんよ」

ばあちゃんはそう返して、また目をなくして笑った。

その徳さんが、あの日、いちばん最初に走ってきた。

※

平成の二年目の、五月の終わりだった。

まだ田に水が入ったばかりで、蛙がうるさい時期だ。

学校から帰ると、マルヨシの前に、見たことのない白い車が停まっていた。

店の中から、男の声が響いていた。

俺は自転車を降りて、少し離れたところで立ち止まった。

男は南部と名乗っていた。

正吉さんが晩年に借りた金の、回収を任されているという話だった。

その借金は、ばあちゃんが十年かけて、月に二万ずつ返して、去年きれいに終わっていた。

終わったはずのものに、あと八十万あると男は言った。

利息の計算がどうの、書類がどうのと、早口で並べた。

払えないなら、この土地を明け渡してもらう、と言った。

ばあちゃんは、レジの台に両手をついて、ただ立っていた。

何も言い返さなかった。

言い返さないのではなく、言葉が出ないのだと、遠目にも分かった。

俺は自転車のスタンドを蹴り上げて、家まで走った。

母は台所にいた。

俺が息を切らしてしゃべると、母は前掛けをしたまま、電話の受話器を取った。

そのあと母がどこへ何本かけたのか、俺は知らない。

※

翌週の火曜、また白い車が来た。

そのときには、店の前の道に、三十人あまりが立っていた。

徳さんがいた。

澤井のおばさんがいた。

町内会長の坂東さんがいた。

谷の上のほうの、名前も知らない爺さんがいた。

俺の母が、前掛けのまま立っていた。

紙漉きの家の連中は、みんな長靴だった。

作業の途中で、そのまま出てきたからだ。

手が濡れている人が、何人もいた。

紙料は、途中で置くと沈む。

沈めば、その日の仕事は無しになる。

それを承知で、みんな出てきていた。

男が車から降りて、その光景を見た。

坂東さんが一歩前に出た。

「書類、見せてもらえますか」

男は書類の話をしなくなった。

徳さんが後ろから声を出した。

「ヨシ江さんはな、この谷の子ぉ、ぜんぶ知っとる人や」

誰かが続けた。

誰かが、また続けた。

三十人が一斉にしゃべるというのは、思っていたよりずっと恐ろしいものだった。

怒鳴っているのではない。

ただ、全員が同じ方を向いて、しゃべっている。

男は十分ほどで車に戻り、Uターンして谷を下りていった。

それきり、白い車は来なかった。

※

ばあちゃんは、店の前で泣いた。

ありがとう、ありがとう、と、それしか言わなかった。

両手で顔を覆って、腰を折って、何度も頭を下げた。

徳さんが、うるさいわ、と言って、また笑わせようとして、失敗していた。

母は泣いていなかった。

ばあちゃんの背中に手を当てて、ただ立っていた。

俺はその日、なぜ三十人も集まったのかを、坂東さんの呼びかけだと思っていた。

町内会があって、回覧板があって、それで人が集まったのだと。

そういうものだと思っていた。

※

その晩、家に帰ると、母が茶の間の簞笥の前に座っていた。

いちばん下の抽斗を開けて、中を見ていた。

「拓」

呼ばれて覗きこむと、抽斗の底に、白い紙の包みが積んであった。

畳んだままのもある。

開いて、皺を伸ばして、重ねてあるものもある。

数えられるような枚数ではなかった。

「なんでこれ」

俺の声は、自分でも情けないほど、掠れていた。

母は紙を一枚つまみ上げて、光にかざした。

選別の仕事をしていた人の、あの持ち方だった。

「あんたがマルヨシで包んでもらった日はな」

母はそこで一度、息を継いだ。

「次の朝、これが、うちの郵便受けに入っとった」

俺は意味が分からなかった。

「ばあちゃんが、入れとったんや」

母は言った。

「中身は書いてない。何も書いてない。ただ、この紙が一枚だけ」

俺は抽斗の前にしゃがみこんだ。

手が震えて、うまく紙をつまめなかった。

ばあちゃんは、こっそりくれていたのではない。

こっそり、親に知らせていたのだ。

※

考えてみれば、当たり前のことだった。

ばあちゃんは、子どもに恥をかかせなかった。

店の中では、口の前に指を立てて、ないしょね、と言った。

それは本当に、ないしょだった。

店の中では。

その代わりに、翌朝の郵便受けに、紙を一枚だけ入れた。

言葉は書かない。

金額も書かない。

ただ、この家の子が昨日うちに来た、ということだけを、母親に伝えた。

母親は、それを見て、その日の晩に子どもの顔を見る。

そして何も言わない。

俺の母も、二年間、何も言わなかった。

「なんで黙っとったん」

訊くと、母は少し困った顔をした。

「あんたが自分で言うまで待とうと思て」

そして、こう続けた。

「言わんかったなあ、あんた」

俺は、言えなかった。

高校二年の男が、駄菓子屋の婆さんに菓子をもらったなどと、口が裂けても言えなかった。

言えないと分かっていて、ばあちゃんは紙を入れていた。

母も、分かっていて、待っていた。

抽斗の中の紙は、その二年ぶんだった。

母のことも、書いておきたい。

選別の仕事は、目を使う。

母は四十を過ぎたころから、夜になると目薬を差すようになった。

台所の流しの前で、天井を向いて、一滴ずつ差す。

差したあと、しばらく黙って立っている。

俺はその後ろ姿を、何度も見ていた。

「目、悪なったん」

訊いたことがある。

母は振り向かずに答えた。

「塵が見えんようになったら、終いや」

そのころ、父からの仕送りは三か月に一度になっていた。

それでも母は、俺の弁当のおかずを減らさなかった。

減らす代わりに、自分の弁当を、白飯と梅干しだけにしていた。

俺はそれを、高校を出るまで知らなかった。

知ったのは、抽斗の紙を見た、あの晩だ。

母は紙の束を仕舞いながら、独り言のように言った。

「これ入っとる朝はな、なんや、ほっとしたんよ」

俺は聞き返せなかった。

「あんたが、どこにも行かんと、ちゃんとマルヨシ寄って帰ってきた、いうことやろ」

親というものが何を心配しているのか、俺はそのとき初めて知った。

菓子の話ではなかったのだ。

※

三十人が集まった理由を、俺はそのとき、ようやく理解した。

回覧板が回ったからではない。

坂東さんが呼びかけたからでもない。

あとで坂東さんに訊いたら、呼びかけなどしていない、と言われた。

「わしも、女房に聞いて出てきただけや」

坂東さんの家にも、抽斗があったということだ。

徳さんの家にも、澤井さんの家にもあった。

谷の上のほうの、名前も知らない爺さんの家にもあった。

あの三十人は、全員が、自分の家の抽斗を開けたことのある人間だった。

ばあちゃんは、二十年か三十年か、そうやって紙を配り続けていた。

子には知らせず、親にだけ知らせて。

誰にも見えない線を、谷じゅうに引いていた。

あの日、その線が、いっぺんに引き上げられただけのことだった。

※

包み紙のことを、俺はもう一つ、後になって知った。

俺が二十のとき、ばあちゃんが店を畳んだ。

手が上がらなくなって、棚の上のものが取れなくなったからだ。

片付けを手伝いに行った日、壁の額を下ろした。

白い紙が一枚だけ入った、あの額だ。

下ろして裏を見ると、額の裏板と紙のあいだに、細長い紙が何枚も挟んであった。

耳だった。

あの白い紙から、四辺の耳を切り取った、その細長い切れ端。

「じいちゃんが最後に漉いた紙って」

俺が言いかけると、ばあちゃんは、ああ、と言った。

「あれな、失敗しとるんよ」

俺は額を持ったまま、立っていた。

「厚さが揃わんかったんやと。売り物にならん、いうて」

「ほんでも、じいさんが言うたんよ」

ばあちゃんは、床に座って、切れ端を一枚つまんだ。

「耳は、捨てるとこやない。紙が自分で決めた縁や、いうて」

ばあちゃんは、その一枚を光にかざした。

母と同じ持ち方だった。

この谷の女は、みんな同じ持ち方をする。

「わたしはね、拓ちゃん」

「あんたらのことを、この谷の縁やと思てました」

俺は返事ができなかった。

包み紙は、余り紙などではなかった。

正吉さんが最後に漉いた、たった一枚の失敗作の、切り落とした縁。

それを毎晩少しずつ切って、菓子を包む大きさに畳んで、店の台の下に置いていた。

だから包み紙は、いつも一辺だけ、耳が付いていた。

枚数には、限りがあったはずだ。

それでも、切れることはなかった。

ばあちゃんが、そのつど、細く細く切っていたからだ。

※

ばあちゃんは、店を畳んだあとも十四年生きた。

最後の三年は谷を下りて、娘さんの家にいた。

俺は年に二度ほど会いに行った。

会うたびに、ばあちゃんはまず、俺の名前を呼んだ。

「あら、拓ちゃん」

覚えているものと、忘れているものが、だんだん入れ替わっていった。

それでも、名前だけは最後まで呼んだ。

亡くなったのは、雪の少ない冬だった。

葬式の日、会場の隅に、白い紙の包みを持ってきた人が何人かいた。

示し合わせたわけではないと思う。

畳んだままの人もいたし、皺を伸ばして持ってきた人もいた。

誰も、それについて説明しなかった。

説明する必要が、なかった。

※

俺は今、谷で紙を漉いている。

母が選別をしていた工場は、もうない。

マルヨシの跡地には、自動販売機が二台立っている。

それでも、赤い旗が立っていた場所は、いまでも分かる。

俺の工房では、漉き上げた紙の耳を落とさない。

落とさないと売りにくい。

それでも落とさない。

年に何度か、断ち落とした耳が出ることがある。

そういうときは、細く切って、畳んで、作業場の台の下に置いておく。

使う当てはない。

使う当てはないが、置いておく。

去年の冬、小学生の女の子が、工房の前で立ち止まっていた。

紙漉きの体験をやっているのだと思ったらしい。

体験は千円だと言うと、その子は財布の中を見て、黙って帰ろうとした。

俺は台の下から、白い紙を一枚出した。

菓子など置いていないから、乾いたばかりの葉書を一枚、包んだ。

包んで、口の前に指を立てた。

ないしょね、と言うとき、自分の声が、少し掠れた。

その子が帰ったあと、俺は、はたと困った。

あの子の家の郵便受けを、知らない。

ばあちゃんは、この谷の子ども全員の家を、知っていた。

知っていて、毎朝、暗いうちに歩いていたのだ。

店を開ける前に。

誰にも会わない時間に。

あの人が三十年かけてやっていたことの大きさが、そこで初めて、輪郭になって見えた。

俺は、耳を一枚だけ、いまも財布に入れている。

紙が自分で決めた、不揃いの縁。

それを見るたびに、あのごとん、というガラス戸の音がする。

ばあちゃん。

俺はまだ、あなたの半分も、この谷を知りません。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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