命よりも大切な友達

公開日: ちょっと切ない話 | 友情

春の路地(フリー写真)

お前は俺にとって、命よりも大切な友達だ。

小学校2年の時、友達も居なかった俺の誕生日に、プレゼントとしてチョロQを持って来てくれた。

その時の600円というのは、俺達にとって大変な金額だった。

とても嬉しかった。

3年生の時、一緒にサッカークラブに入った。

お前は上手で、俺は下手だった。

4年生の時、イトマンに入った。

やっぱりそこでもお前は大会に出られるようになったけど、俺は幼稚園児達と一緒に泳いで練習していた。

5、6年生になって俺は野球クラブに入ったがやはり下手で、いつもみんなで野球をやる時、最後にジャンケンで要るとか要らないとか言われていた。

だけど、お前にけなされた覚えは無い。

こんなに差があるのに友達で居てくれたお前を、俺は大好きだった。

中学校に入学してからも殆ど一緒に登校したし、部活の無い日は一緒に帰った。

昨日の通夜には、行かなかった。

家でタオルを咥えてこの文を書いていたよ。

朝、遅刻をすると内申書に良くないと言って一緒に走った。

お前はよく遅れて来たよな。

今でも後ろを振り向くと、後ろから走って来る気がする。

お前の声が聞こえて来そうな気がする。

今、お前をこうして見ていると、

「冗談だ」

と言って、笑いながら起きて来そうな気がする。

起きて来て欲しい。

数え切れない程の人達が、こんなにも悲しんでいる。

俺がテストで良い点を取った時は褒めてくれた。

俺が、悪口を言われている時は庇ってくれた。

お前は自慢しなかったけど、これだけ沢山の友達を持って、これは自慢した方がいい。

よく『喧嘩する程仲が良い』と言うけど、あれは違う。

俺とお前は、喧嘩した事が無いからだ。

時々遊びに来いよ。

夢でも、幽霊でもいいから、盆と正月は必ず来いよ。

俺が死ななきゃならない時は、三途の川まで絶対来いよ。

今度話す時、お前は天国、俺はプロ野球の話をしよう。

最後にもう一度言うけど、お前は俺にとって命より大切な友達だ。

いつまでも友達で居よう。

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