親指姫
6年程前の今頃は花屋に勤めていて、毎日エプロンを着け店先に立っていた。
ある日、小学校1年生ぐらいの女の子が、一人で花を買いに来た。
淡いベージュのセーターに、ピンクのチェックのスカート。
肩の辺りで切り揃えた髪が、動く度に揺れて可愛らしい。
フラワーキーパーの前に立ち止まり、真剣な面持ちで花を選んでいる。
母の日でもないし、クリスマスでもないので、
『何のプレゼントかなぁ』
と思い、暫く様子を見ていた。
※
女の子はあっちを見たりこっちを見たり、あまりにも一生懸命で、なかなか決まらない様子だったので、
「誰かにプレゼントするの? お誕生日?」
と声を掛けてみた。
すると少女は首を横に振り、
「お母さんにあげる」
と言う。
「お母さん、お花が好きなん?」
と聞くと、今度は首を縦に振る。
こんなおっさんが相手したら緊張して言葉にならないかなと思って、ニコニコ笑顔を頑張ってみた。
しかし、少女の口から思いがけない言葉を聞いて、胸が詰まった。
「パパが死んじゃったの。ママ元気ないの。だからお花あげるの」
そんな言葉を口にしながら、一生懸命お花を選んでいる。
泣きたい気持ちが爆発しそうになった。
「そっかぁ…。お母さん、きっと喜ぶねぇ」
笑顔を頑張れなくなってきた。
それから色々話を聞いてみると、つい最近お父さんが亡くなったこと、お母さんが時々泣いているのを見かけること…。
あと、おばあちゃんにお母さんがどうしたら元気になるか聞いたら、お花がいいよと教えてもらったことが判った。
※
俺はレジの後ろへ駆け込み、しゃがみ込んで急いで涙を拭き、パンッパンッと頬っぺたを叩いて気合いを入れ直した。
「どれにしよっか? お母さん、何が好きかなぁ?」
「これがいい」
指の先にはチューリップ。鮮やかな明るいオレンジ色。
「うん、チューリップ可愛いね。じゃあ、リボン付けるからちょっと待ってて」
女の子は大人しくじっと見ている。
「お母さん、早く元気になるといいね」
「うん」
出来上がった花束を大事そうに抱えて、ニッコリ笑ってくれた。
「ありがとう」
「気を付けてね。バイバイ」
と言って手を振った。
元気良く手を振りかえしてくれると思ったら、ぺこりとお辞儀をした。
小さな女の子が頭を下げる姿を見て、限界が来た。
どしゃぶりの雨のように涙が溢れて止まらなくなった。
もっと他に言ってあげられることはなかったか、してあげられることはなかったか。
そんな時に限って何も出て来ない。
急に思い立って、駆けて行く少女を追い掛けた。
「ちょっと待って!」
振り返ってきょとんとしている。
「ちょっとだけ待ってて」
店に入って来たばかりの小さな小さなチューリップの鉢植えを急いでラッピングし、メッセージカードに
「はやくげんきになりますように」
と、ひらがなで書いた。
その時、初めて名前を聞いた。
「みかより」
と書き添えた。
「これも一緒にプレゼントしてあげな。これは親指姫っていう名前のチューリップやねん。可愛いでしょ?」
「うん。ありがとう」
もう一度、さっきより、もっと良い顔をしてくれた。
「バイバイ。ありがとうね」
「バイバーイ」
花よりも何よりも輝くように明るい笑顔だった。
※
後日、お母さんと、おばあちゃんと、みかちゃんが店にやって来た。
わざわざお礼を言いに来て下さったのだ。
ピンクのチューリップで花束を注文して下さった。
「この子はピンクが好きなんです。私がオレンジ色が好きなものですから、この間はオレンジを選んでくれたみたいで」
みかちゃんはただニコニコしている。
花束を本当に嬉しそうに抱えながら、お母さんとおばあちゃんを交互に見上げる。
「良かったね」
おばあちゃんが頭を撫でる。
お母さんは優しい顔で見ている。
「うん!」
お母さんはきっと元気になられたことだろう。
小さな小さなみかちゃんの笑顔は、今も明るく輝いていることだろう。