九回ほどいた藍色の帽子

九回ほどいた藍色の帽子

千夏さんが編んだ帽子は、どれも、毛がすこし縮れていました。

新しい毛糸というより、一度何かだったものを、ほどいたあとのような手ざわりでした。

私はそれを、あの人の編み方が下手なのだと思っていました。

十六歳でした。

人が人を好きになるということが、どれくらい面倒で、どれくらい静かなことなのか、まだ何も知りませんでした。

倉敷の、四階のいちばん奥の部屋

従兄弟の宗一が入院したのは、私が高校一年の冬でした。

大腸に悪いものが見つかって、そのときにはもう、手術で取り切れる場所を過ぎていました。

二十六歳でした。

宗一は児島の縫製工場で、ジーンズの裁断をしていました。

何十枚も重ねた生地を、大きな刃で一気に落とす仕事です。

「一枚でも狂うたら、全部やり直しじゃ」

正月に来るたび、そう言って手のひらを見せてくれました。

親指の付け根に、硬い皮が盛り上がっていました。

その手が、病室ではずいぶん白くなっていました。

病院は倉敷の市民病院で、四階のいちばん奥の部屋でした。

窓から、工場の屋根がいくつも見えました。

※

目飛びを見つけた人

二人の出会いは、工場の失敗だったそうです。

宗一が裁断を一枚ぶん狂わせて、後ろの工程まで全部やり直しになりかけた日があったといいます。

それを最初に見つけたのが、検品の千夏さんでした。

本来なら、そこで止めて報告する仕事です。

千夏さんは報告する前に、裁断場まで歩いてきて、宗一に現物を見せたそうです。

「これ、まだ間に合うと思うんですけど」

それだけ言って、戻っていった。

宗一は、そのとき初めて千夏さんの顔を見たのだと言っていました。

「あの人な、人の失敗を、人前で言わんのよ」

病室で、宗一は嬉しそうにその話をしました。

何度も同じ話をするので、私は三回くらい聞きました。

三回目に、千夏さんが後ろで聞いていて、「その話、やめて」と笑っていました。

刃を研ぐのは裁断工の仕事だと、宗一は言っていました。

「切れん刃で押し切ったら、生地が泣くんじゃ」

その言い方が好きで、私はいまでも、包丁を研ぐたびに思い出します。

生地が泣く、というのは、繊維が切れずに引きちぎれて、切り口が毛羽立つという意味だそうです。

千夏さんは、その毛羽立ちを見つける側の人でした。

二人は、同じものを反対側から見ていたわけです。

ほつれを見つける目を持っている人が、見つけたことを黙っていられる。

そういう人なのだと、いまなら分かります。

※

毎日、同じ時間に来る人がいた

千夏さんは、宗一と同じ工場の人でした。

検品の係で、縫い上がったジーンズのほつれや目飛びを見つける仕事だと聞きました。

小柄で、声が低くて、笑うと目がなくなる人でした。

宗一が入院してから、千夏さんは一日も欠かさず病室に来ました。

仕事が終わってから、自転車で二十分かけて来るのです。

いつも六時半でした。

私が学校帰りに寄ると、まだ千夏さんは来ていません。

六時半になると、廊下の突き当たりから自転車の鍵の音が聞こえます。

ポケットに入れたまま歩くので、鳴るのです。

その音がすると、宗一はベッドの背を少し起こしました。

それだけのことが、私にはまぶしくてしかたありませんでした。

「あーん」

千夏さんは、ゼリーをスプーンにすくって差し出します。

「自分で食えるわ」

「食えるけど、食べさせたいんよ」

宗一が渋々口を開けて、二人で笑う。

その横で、私はカーテンの端を触りながら、いたたまれずに立っていました。

この二人は数年後に結婚して、きっと子どもがいて、正月には親戚じゅうを困らせるくらい仲がいいのだろう。

そう信じていました。

羨ましいと思っていました。

※

千夏さんには、病室でのくせがありました。

帰る前に必ず、宗一のスリッパの向きを直すのです。

ベッドから降りたら、そのまま履ける向きに。

宗一はもう、自分では降りられませんでした。

それでも千夏さんは、毎日直して帰りました。

一度、宗一が私にだけ聞いたことがあります。

「なあ、千夏、家で何か言うとらんか」

私は、何も知らないので、首を振りました。

宗一は、そうか、と言って天井を見ました。

「あいつ、うちの前ではいっこも泣かんのじゃ」

そのときの言い方が、少し怒っているようにも聞こえました。

泣いてほしかったのだと思います。

泣かれたら困るのに、泣いてほしかったのだと思います。

※

帽子は、いつも新しかった

抗がん剤が始まって、宗一の髪が抜けました。

本人は笑っていました。

「涼しいわ」

そう言って、頭を撫でて見せました。

そのころから、千夏さんが帽子を編んで持ってくるようになりました。

くすんだ藍色でした。

ジーンズの、洗いをかけたあとのような色です。

「宗ちゃん、これ、工場の色じゃろ」

宗一は、それを聞いて少し黙りました。

それから、かぶりました。

帽子は、ひと月かふた月に一度、新しくなりました。

「また作ってくれたんか」

「うん」

その、うん、が短いことに、私は何も感じませんでした。

編み目のそろい方はきれいなのに、毛だけが縮れている。

それが不思議で、一度だけ聞いたことがあります。

「千夏さん、この毛糸、なんで縮れとるん」

千夏さんは、私の手から帽子を取って、内側を上にして畳みました。

「安いんよ、これ」

それだけでした。

内側に、一本だけ、色の違う糸が細く走っているのが見えました。

薄い黄色でした。

目印みたいなものだろうと思って、それきり忘れました。

※

医者が言ったこと

年の暮れに、宗一は初めて意識をなくしました。

肺にも広がっていました。

親戚が呼ばれて、廊下で先生の話を聞きました。

「抑える薬はあります」

「ただ、一時的です」

「私の身内なら、このまま静かにと言います」

叔父と叔母は、しばらく何も言いませんでした。

それから叔母が、床を見たまま言いました。

「せめて、二十七の誕生日は迎えさせてやりたいんです」

千夏さんは、少し離れたところに立っていました。

家族ではないので、輪の中に入れないのです。

肩が小さく震えていましたが、声は出しませんでした。

誰かが泣いていい場所と、そうでない場所があるのだと、そのとき初めて知りました。

※

二十七の誕生日

二月に、宗一は二十七になりました。

叔母が言っていた誕生日を、ちゃんと迎えたのです。

病室にケーキは持ち込めないので、千夏さんは何も食べ物を持ってきませんでした。

かわりに、模造紙を折りたたんだものを広げました。

工場の人たちの寄せ書きでした。

裁断場の人も、ミシンの人も、事務の人も、名前が四十いくつ並んでいました。

「早よ戻ってこい」

「刃、研いどくけんな」

そういう、短い字ばかりでした。

宗一は一つずつ声に出して読んで、途中で読むのをやめました。

それから、その日、千夏さんはかばんから帽子を出しました。

「はい、誕生日の」

「また作ってくれたんか」

「うん」

宗一はかぶって、鏡も見ずに「ちょうどええわ」と言いました。

ちょうどいいはずでした。

あの日の朝までに、その頭の大きさに合わせて詰め直されたばかりだったのですから。

私はそれを、十五年後まで知りませんでした。

※

薬が効いた、三か月

年が明けて、薬が効きました。

宗一は目を覚まし、驚くほど普通に喋りました。

「治ったんじゃ」

本気でそう言いました。

誰も否定しませんでした。

外泊の許可が出て、二人は湯原の温泉に行きました。

写真が一枚だけ残っています。

川沿いの露天風呂の脇で、二人とも着たままで、宗一が藍色の帽子をかぶっています。

そのときの帽子は、正月に見たものより、ひとまわり小さく見えました。

私は、写真の写り方のせいだと思いました。

三月には、二人で瀬戸大橋を渡って、丸亀までうどんを食べに行ったそうです。

「治ったら、北海道行こうな」

「行こう」

「カニ食おう」

「私、いくらがええ」

そういう話を、二人はずっとしていました。

あのころ私は、それを気休めだと思っていました。

いまは違います。

千夏さんに言える言葉が、ほかになかったのだと思います。

明日の話をやめてしまったら、その先がなくなってしまう。

彼が明日と言った踵のゴムのように、誰かの明日を言葉で支えている人は、たぶんどこにでもいるのだと思います。

※

春に、また

四月に、宗一はまた意識を失いました。

今度は痛みが強くて、子どもみたいに泣き叫びました。

叔母と千夏さんが、両側から抱きかかえました。

「ここにおるよ」

「宗ちゃん、ここにおるよ」

「一人じゃないけん」

千夏さんは、宗一の額に顔を寄せて、そればかり言っていました。

震える手足を、下から上へ、ゆっくりさすっていました。

看護師さんが「ご家族の方以外は」と言いかけて、叔母が首を振りました。

叔母が首を振ったのを、私はいまでも覚えています。

宗一が行ってしまったあとも、千夏さんは体を離しませんでした。

家に運ばれるまで、ずっと抱いていました。

そのときの千夏さんの泣き方を、うまく書ける気がしません。

声というより、息でした。

人を好きになるというのはこういうことか、と、十六の私は理屈でなく分かってしまいました。

※

通夜にも、葬式にもいなかった

千夏さんは、通夜にも葬式にも来ませんでした。

親戚の目があったのだと思います。

入籍していない人が、どういう顔で座ればいいのか、誰も教えてくれません。

それでも、命日には毎年、お墓に花がありました。

私が行くと、もう新しい花が挿してあるのです。

その年の夏に、千夏さんは工場を辞めたと聞きました。

検品の仕事は、ジーンズを一枚ずつ広げて見る仕事です。

あの工場のジーンズを、毎日、何百枚も見るのが、たぶん、もう無理だったのでしょう。

それから何年かして、花も途切れました。

薄情だとは思いませんでした。

むしろ、ほっとしました。

去年、千夏さんが結婚して、子どもが生まれたと人づてに聞きました。

胸のどこかがきゅっとなって、それから、よかった、と思いました。

※

墓で、一度だけ会った

三回忌の年の、命日でした。

私が花を持って坂を上がっていくと、上から人が降りてきました。

千夏さんでした。

手ぶらでした。

すれ違いざま、目が合って、千夏さんは軽く会釈をしました。

私が名前を呼ぶより先に、もう三歩ぶん通り過ぎていました。

墓に着くと、新しい花が挿してありました。

水も替えてありました。

手ぶらだったのは、置いてきたあとだったからです。

あのとき、なぜ呼び止めなかったのだろうと、いまでも思います。

たぶん、呼び止めてはいけない気がしたのです。

宗一の家族でもない人が、家族より先に来て、家族より先に帰る。

その順番を、千夏さんは何年も守っていました。

誰に頼まれたわけでもないのに、です。

その次の年から、花は途切れました。

いま思えば、あれが、千夏さんの決めた最後の年だったのでしょう。

※

児島の毛糸屋で聞いたこと

帽子のことを思い出したのは、去年の秋です。

叔母の家を片づけていて、押し入れの奥から紙袋が出てきました。

中に、藍色の帽子が入っていました。

ひとつだけでした。

大きさは、大人の頭にしては小さすぎました。

私は、九つあるはずだと思っていました。

宗一が入院していた一年半のあいだ、千夏さんが持ってきた帽子の数を、私はなんとなく数えていたのです。

「あとの八つは」と叔母に聞くと、叔母は首をかしげました。

「八つも、あったかね」

そのあと、私は児島の商店街の毛糸屋へ行きました。

いまも同じ場所にありました。

店の奥から出てきたお婆さんに、藍色の帽子を見せました。

お婆さんは、それを両手で持って、内側を上にしました。

ちょうど、千夏さんがやったのと同じ持ち方でした。

「ああ、この子ね」

「覚えとります」

「毛糸をね、一玉しか買わんかった」

私は、意味が分かりませんでした。

「一年以上、通うてきよったけど、買うたんは、いちばん最初の一玉きりです」

あとは何をしに来ていたのか、と聞きました。

お婆さんは、帽子の内側を指でなぞりました。

薄い黄色の糸が、ぐるりと一周走っている場所です。

「かがり方を、聞きに来よったんです」

「継いだところが、内側で当たらんようにする、かがり方を」

「二回だけね、別の色を勧めたことがあります」

お婆さんは、棚のほうを顎で指しました。

「もっと編みやすい、太いのを」

「そしたらあの子、いえ、この色でないと、って」

「あの子ね、いっぺんだけ泣きよったです」

お婆さんは、店の丸椅子を指しました。

「そこに座って、糸をほどきながら」

「うちの店で、ほどきよったんです」

家でほどけない理由が、私には少し分かる気がしました。

家でほどいたら、それは、諦めた人の作業になってしまいます。

店なら、次に編むための下ごしらえです。

「何か言うとりましたか」

お婆さんは、少し考えてから言いました。

「まだ小そうならんですよね、って」

「私に聞いても、分からんのにねえ」

その色は、いまはもう置いていないそうです。

糸の名前も、色の番号も、お婆さんは覚えていました。

私はそれを、手のひらにメモしました。

帰りに商店街を抜けて、宗一が働いていた工場の前を通りました。

建物はまだありました。

看板だけが、知らない会社の名前になっていました。

※

九回

毛が縮れていたのは、一度編まれた糸だったからでした。

ほどいた毛糸は、編み目の形の癖がついて、まっすぐには戻りません。

薄い黄色の糸は、目印ではありませんでした。

ほどいて継ぎ直した結び目を、頭に当たらないように押さえるための、かがり糸でした。

宗一の頭は、だんだん小さくなっていました。

そのぶんを、千夏さんは黙って詰めていたのです。

新しく編んだのだと言えば、宗一はきっと喜びました。

同じものを詰め直したのだと言えば、痩せたことを教えることになります。

「また作ってくれたんか」

「うん」

あの、短いうん、は、そういう、うん、でした。

千夏さんは、ほつれを見つける仕事の人でした。

ほどくことと、継ぐことだけは、誰よりもうまい人でした。

最後の一回だけ、糸が足りなくなったようです。

てっぺんの二段だけ、色がわずかに違います。

手ざわりが柔らかいので、たぶんマフラーの糸です。

千夏さんが冬に巻いていたマフラーを、私はそのあとの春から、一度も見ていません。

まだ小そうならんですよね、と、あの人は店の丸椅子で聞いていました。

帽子は九つあったのではなく、ひとつを、九回ほどいたのでした。

※

縮れた毛

叔母は、その帽子をどうしても捨てられずにいたそうです。

「小さすぎて、誰もかぶれんのに」

そう言って笑って、それから少しだけ泣きました。

私はその帽子を紙袋に戻して、押し入れの、元の場所に戻しました。

持ち出す資格のある人が、ほかにいる気がしたからです。

年賀状に、千夏さんの新しい住所を書いた人がいました。

叔母のところに届いた一枚です。

写真がついていました。

抱かれている赤ん坊が、帽子をかぶっていました。

赤ん坊の帽子ですから、当然、小さいものです。

色は白でした。

けれど、その毛が、すこし縮れて見えました。

目を近づけても、写真では何も分かりません。

それでも私は、しばらく写真を置けませんでした。

誰かが遺していったものが、思いがけない形でいまも動いている。

散歩の記録が今日も届くという話を読んだときにも、同じことを思いました。

どうか、あの人に、静かで、平らな日々がありますように。

いまさら私が言うことでは、ありませんけれど。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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