妻はどの戸も閉めなかった

妻はどの戸も閉めなかった

鯖江の眼鏡フレームの工場で、私は削りの音を聴く係でした。

チタンの棒を刃が撫でる音が、少し湿るときがあります。

その湿りが出たら刃を替える。

三十を過ぎるころには、隣の列の機械の音まで、目を閉じたまま聞き分けられるようになっていました。

音で食っている男でした。

だから娘の耳のことを聞かされた日、私は、自分の仕事のすべてを馬鹿にされたような気がしたのです。

この町の音

鯖江という町は、朝が早いところです。

六時前になると、通りのあちこちのシャッターが上がって、細い金属の音が重なりはじめます。

家々の一階が工場になっていて、二階で人が寝ている。

そういう家並みが、いまも残っています。

私の勤めていたのは、従業員が十四人の小さな工場でした。

フレームのテンプル、耳にかかる細い脚の部分を削るのが私の持ち場です。

チタンは硬いのに粘りがあって、刃が減ってくると、音の芯にわずかな湿りが出ます。

その湿りは、機械の警報が鳴るよりも二時間ほど早く来ます。

「宮本の耳は、計器より早い」

社長がよそのお客さんにそう言うのを聞くたび、私は自分の背筋が一本、まっすぐになる気がしていました。

いま思えば、それだけを頼りにしていたのです。

ほかに、自分を支える柱を持っていませんでした。

※

削りの音でわかること

私の父も、その父も、同じ通りの工場でフレームを削っていました。

この町では、家の中でも工場の話ばかりしています。

妻の結も、隣町の研磨屋の娘でした。

結婚した年の冬、結は私の作業着から鉄粉の匂いがすると笑いました。

「うちの父さんとおんなじ匂いやわ」

そう言って、袖のあたりに顔を近づけたのを覚えています。

娘のひなたが生まれたのは、その二年後の九月でした。

小さな手のひらに、鉄粉のついた指を近づけるのが怖くて、私はしばらく抱けませんでした。

結が笑って、私の手を石鹸で洗ってから、娘の背中に当てさせてくれました。

※

気づいていた人

健診の前の年の暮れ、義父が家に来たことがありました。

結の父、研磨屋の親方です。

玄関でひなたを抱き上げて、しばらく黙っていました。

それから、私の顔を見ずにこう言ったのです。

「この子、目のええ子やな」

私は褒め言葉として受け取って、笑って流しました。

人の顔をよく見る子だ、という意味だったのだと、あとで知りました。

耳の代わりに、目で全部拾っている子だ、と。

この町の職人は、ものを直接には言いません。

言わずに、こちらが気づくのを待ちます。

私は一年近く、気づきませんでした。

※

三歳児健診の帰り道

ひなたが三つになった秋、市の健診でひっかかりました。

紹介された病院で、いくつかの検査を受けました。

結果を告げられた日のことは、順番が飛び飛びになって残っています。

先生の口が動いていること。

窓の外で、駐車場の白線を引き直している人がいたこと。

ほとんど聞こえていない、という言葉が、耳の奥のずっと手前で止まったこと。

帰りの車の中で、結は一言も喋りませんでした。

私も喋りませんでした。

信号で止まるたびに、後部座席のチャイルドシートを振り返りました。

ひなたは窓の外を見て、けらけら笑っていました。

ワイパーが動くのが面白かったのだと思います。

その笑い声だけが、車の中でいちばん大きな音でした。

※

家じゅうの戸が五センチ

その冬から、家の中が少しずつ変わっていきました。

いちばん最初に気づいたのは、戸のことです。

結は、うちのどの戸も、閉めきらない人でした。

台所の引き戸も、和室の襖も、風呂場の戸も、いつも五センチほど開いています。

冬の福井は底冷えがしますから、私は何度も閉めました。

閉めても、次に通るときにはまた開いています。

「寒いやろ」と言うと、結は「うん」とだけ答えて、また開けました。

私はそれを、産後からずっと続いている疲れのせいだと思っていました。

この人はもう、細かいことに気が回らなくなっているのだと。

今から思えば、私はそのころ、妻の顔をまともに見ていませんでした。

※

言えなかった友人たち

恥ずかしい話を書きます。

私は、娘の耳のことを、誰にも言えませんでした。

工場の同期にも、高校の友達にも言いませんでした。

年賀状の写真も、その年だけ出しませんでした。

同期の家に二人目が生まれたと聞いたとき、おめでとうと打ったメールを、送らずに消しました。

そういう自分が、いちばん嫌でした。

プライドという言葉では、たぶん足りません。

私は、自分が音のわかる男だということだけで生きてきて、それ以外の誇りを一つも持っていなかったのです。

だから、音のいらない世界に生まれてきた娘を、どう抱いていいかわからなかった。

※

一番暗かった冬

年が明けても、私は工場から真っ直ぐ帰りませんでした。

日野川の橋のたもとに車を停めて、暗くなるまでそこにいました。

三人でどこか遠い町へ行って、誰も私たちを知らないところでやり直せたら、とそればかり考えていました。

逃げることばかり考える人間が、家の中でいちばん大きな顔をしていたわけです。

その冬、私は娘の顔を、何日もまともに見ていませんでした。

抱かなかったのではありません。

抱いていても、目を合わせていなかったのです。

※

妻の十本の指

二月の、雪が湿って重い晩でした。

風呂から上がってきた結が、台所の蛍光灯の下で、急に私のほうへ両手を上げました。

そして、何かを掴んでは離すような動きを始めたのです。

最初は、肩でも痛めたのかと思いました。

私が黙って見ていると、結はゆっくり息を吸って、口と手を同時に動かしました。

「大好き」

「愛してる」

「だから、一緒にがんばろう」

手話でした。

一つ一つの形が、驚くほど静かで、迷いがありませんでした。

指の運びに、練習した人の落ち着きがありました。

台所の窓に、その手が映っていました。

私はそのとき、人の手というものが、こんなに綺麗に見えるものだとは知りませんでした。

削りの音を聴き分ける耳より、ずっと確かなものが、そこで動いていました。

※

半年前から始まっていたこと

私が泣きやんだあと、結は湯呑みを二つ出して、はじめて事情を話しました。

結は、健診の半年前から気づいていたのです。

掃除機をかけても、ひなたが振り向かない。

後ろから名前を呼んでも、床の振動が伝わったときだけ振り返る。

結は隣町の図書館で手話の本を借り、私が夜勤の晩に、鏡の前で指を動かしていました。

言えば私が壊れると思ったのだそうです。

「あんたの耳のこと、あんた自身がいちばん大事にしとるの、知っとったで」

その半年、結はひとりで持っていました。

私が橋のたもとで車を停めていたころ、この人はもう、次の道を作りはじめていたのです。

※

「大好き」の出どころ

あの晩の三つの言葉には、続きがありました。

結の実家の研磨屋には、耳の遠い職人さんが一人いました。

幸田さんという、七十を過ぎた方です。

結が子どものころ、その人は毎朝、工場に入る前に結の父へ手を上げて、同じ形を作っていたそうです。

「今日も、よろしく」

結はそれを、ずっと挨拶だと思っていました。

手話を習いはじめて、はじめて意味を知ったのだと言います。

幸田さんが毎朝作っていたのは、「一緒にがんばろう」という形でした。

結は、自分の家にあった言葉を、そのまま娘の家へ持ってきたのです。

※

手話の先生

結に手話を教えてくれたのは、その幸田さんでした。

結は健診の前の月に、実家へ寄って、頭を下げて頼んだのだそうです。

幸田さんは理由を訊かなかったといいます。

訊かずに、その日から週に一度、研磨機を止めた昼休みに教えてくれました。

あとで結が「なんで何も訊かんかったんですか」と聞いたら、幸田さんはこう答えたそうです。

「訊いたら、あんたが言わんならんくなるでの」

私は、この話を聞いたときに、もう一度泣きました。

私が誰にも言えずにいた半年、妻は、何も訊かない人を一人だけ見つけていたのです。

※

娘が笑った朝

翌朝、私は工場を休みました。

寝ているひなたの布団のそばに座って、起きるのを待ちました。

目を開けた娘に、私は覚えたての形を作りました。

右手を胸の前で丸めて、少しだけ動かす。

「おはよう」の形です。

指がふるえて、たぶん、まるで違う形になっていたと思います。

それでもひなたは、にっこり笑いました。

笑って、こちらへ手を伸ばして、私の指を握って直そうとしました。

三つの子が、父親の手の形を直そうとしたのです。

私はその小さな手のひらの、あたたかさばかり覚えています。

※

父になった一年目のこと

ひなたが生まれた年、私は残業を断らない人間でした。

納期の詰まる十月と二月は、家に帰るのが日付をまたぐこともありました。

結は文句を言いませんでした。

言わない代わりに、私の分の茶碗だけ、いつも流しの縁に伏せてありました。

帰ったら自分で温めて食べられるように、鍋の位置も決まっていました。

この人は、言葉より先に、家の形を変える人でした。

いま思えば、戸のことも、床のことも、その延長にあったのです。

私はその変化に、ひとつも気づいていませんでした。

音の湿りは二時間先まで聞き分けられるのに、自分の家の変わり方だけは分からない。

職人というのは、そういう間抜けなところがあります。

※

言えるようになるまで

運動会のあと、私は少しずつ人に話すようになりました。

工場の休憩所で、同期の橋本にはじめて打ち明けたとき、彼はしばらく黙っていました。

それから、缶コーヒーを一本、私の前に置いて言いました。

「なんで、もっと早う言わんのや」

怒った声ではありませんでした。

困っているような、少し情けないような声でした。

私が黙っていた一年半は、私が思っていたよりずっと、周りの人にとって寂しい時間だったのだと知りました。

隠していたのは娘のことではなく、自分の弱さのほうでした。

その日から、橋本は昼休みに手話の動画を見るようになりました。

覚えたての形を、休憩所で私に見せてきます。

だいたい間違っています。

それでも、間違った形を見せてくる人がいるというのは、ありがたいものでした。

※

三年後の手

あれから三年が経ちました。

ひなたの手は、いまではすっかり上手に動きます。

喋っています。

「おとうさん、きょう、はやい」

「きのう、ゆき、いっぱい」

保育園の帰り道、車の中でも、後ろの席から鏡ごしに手が動きます。

私は運転しながら、片手だけで返します。

形が崩れると、赤信号で止まったときに、必ず直されます。

厳しい先生です。

工場では、いまも私は音を聴いています。

ただ、家に帰ると、耳をひとつ置いてくるような気持ちで玄関を上がります。

それは寂しいことではありませんでした。

むしろ、この家にはもう一つ別の言葉があるのだと思うと、少し誇らしいのです。

※

冬の台所

いまも冬になると、台所の引き戸を五センチ開けて出るのが癖になりました。

結が笑います。

「あんた、寒い寒い言うとったのにな」

返す言葉がありません。

あの冬、閉めて回っていたのは私です。

開け直していたのは、この人です。

家の中の道を最初に引いた人が、いまも隣で笑っているというのは、ずいぶん贅沢なことだと思います。

※

五センチの意味

戸のことを、私はずっと訊かずにいました。

訊いたのは、去年の夏です。

結は、あっさり答えました。

戸を開けていたのは、風を通すためではありませんでした。

「戸、閉めてまうと、あの子、家の中で一人になってまうやろ」

五センチ開けておけば、隣の部屋の明かりが細く漏れます。

人が歩けば、床の振動が続いた床板を伝って届きます。

台所で鍋を置く音も、板を通って足の裏に来ます。

結は、健診よりも前から、この家を娘の耳に作り替えていたのです。

私が閉めて回っていたあの冬、この人はどんな気持ちで、また開けに行っていたのでしょう。

それを思うと、いまでも胸の奥が冷たくなります。

※

床のこと

戸の話を聞いた翌週、私は畳を一枚上げてみました。

床下の根太に、細い角材が何本か、あとから打ち足されていました。

素人の仕事です。

釘の頭がまっすぐ入っていないところもありました。

結に訊くと、義父が休みの日に来て、二人でやったのだと言います。

台所から和室まで、板の下をつないだのだそうです。

そうすると、台所で鍋を置いた振動が、和室の畳まで細く届きます。

ひなたは、その振動で母親の居場所を知っていました。

私が工場で刃の音を聴いていた同じ時間に、この家では、床が言葉になっていたのです。

義父は、そのことを一度も私に言いませんでした。

言えば、私が自分の家に引け目を持つと思ったのでしょう。

※

幸田さんに会いに行く

春になって、私は研磨屋へ挨拶に行きました。

幸田さんは、まだ現役でした。

作業台の前で、レンズの縁を当てる角度を手首だけで直しているところでした。

私が近づくと、床の振動で顔を上げました。

手を上げて、あの形を作ってくれました。

私はうまく返せませんでした。

形が崩れて、途中で手が止まりました。

幸田さんは笑って、私の手首を持って、正しい位置まで動かしてくれました。

ざらざらした、砥石の粉の乾いた手でした。

「ゆっくりでええ」

そう口が動きました。

帰り際、幸田さんが結に何かを言い、結が笑って通訳してくれました。

「うちの機械の音も、聞いてってくれんかって」

私は研磨機の前に立って、しばらく目を閉じていました。

石が減っているのが分かったので、そう伝えました。

幸田さんは満足そうに、何度も頷きました。

聞こえない人と、音のことで通じ合った日でした。

※

運動会の朝

その年の秋、保育園の運動会がありました。

かけっこの合図は、笛ではなく旗にしてもらいました。

先生が旗を振り下ろすのに合わせて、子どもたちが走ります。

ひなたは、旗をじっと見て、いちばんに飛び出しました。

ゴールの手前で一度振り返って、こちらを見ました。

私は手を上げて、覚えたばかりの形を作りました。

「すごい」

親指を立てて、少し前へ出す形です。

娘はそれを見て、走りながら笑いました。

笑ったせいで転びかけて、また笑いました。

結が隣で、袖でずっと目を押さえていました。

あの日、私は初めて、人前で娘の耳のことを話しました。

同じ組のお父さんに、旗のことを訊かれたからです。

説明していると、思っていたより言葉が出ました。

一年半、言えずにいたのが、嘘のようでした。

※

いまも開いている戸

先週、ひなたの部屋に机を入れました。

小学校に上がる準備です。

机を運び込んだあと、娘は自分で部屋の戸を、少しだけ開けて出てきました。

誰にも教わっていないはずです。

結と目が合いました。

二人とも何も言いませんでした。

この家では、言わなくていいことが、少しずつ増えていきます。

もし同じような日の中にいる方がいたら、これだけをお伝えしたいのです。

音がなくても、家の中には道が引けます。

その道は、たいてい、いちばん先に諦めなかった人が引いています。

私はそれを、妻の十本の指から教わりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

あわせて読みたい

同じように、言えないまま過ぎた時間を書いた話として 強いお母さん と 4歳の約束 も、よろしければお読みください。

父親の側から書かれた話では 父の願いと医者への道 も、静かに残る一編です。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。