うちは、母ひとり子ひとりの、貧しい家だった。
父は、私が生まれてすぐに病で逝き、写真の一枚も残っていない。
下町の古い長屋の、日の差さない一間で、私と母は身を寄せ合って暮らしていた。
壁は薄く、冬は隙間風が入り、夏は路地の生ぬるい空気がよどんだ。
それでも母は、いつも背筋を伸ばして、針を動かしていた。
カメラを買う余裕など、もちろん、どこにもなかった。
※
だから母は、私の育っていく姿を、別のやり方で残そうとした。
古い晒し布に、針と糸で、私の姿を一枚ずつ縫い取ったのだ。
母は、近所の仕立て物を請け負う、お針子の内職で生計を立てていた。
昼は他人の着物を縫い、夜なべでまた他人の繕い物をする。
そして、すべての仕事を終えた夜更けに、母は最後に必ず、私の布を一枚縫った。
裸電球の下で、糸を通す母の横顔を、私は布団の中から、よく見ていた。
※
長屋には、似たような暮らしの家が、軒を連ねていた。
隣のおかみさんは、よく欠けた茶碗に味噌を分けてくれた。
みんな貧しかったが、その分、互いの暮らしに、そっと手を添え合っていた。
母は、よその子の繕い物まで、頼まれれば嫌な顔ひとつせず引き受けた。
「困ったときは、お互いさまよ」が、母の口癖だった。
そんな母の手は、いつも針だこで、ごつごつとしていた。
その手で頭を撫でられると、ちくりとして、けれど、たまらなく安心した。
はいはいをする私。
初めて二本の足で立った私。
熱を出して泣いている私。
母は、その日その日の私を、不器用な運針で、布の上に写し取った。
決して上手な刺繍ではなかった。
顔は歪み、手足の長さもまちまちで、ときには首が妙に長かったりした。
それでも母は、どうにかして私の今日を、形に残しておきたかったのだという。
※
布の隅には、母の手で、小さな文字も縫い取られていた。
「きょうは ひとりで たった」
「ねつを だして ぐずる ばんでした」
「はじめて おかあさんと よんでくれた」
そんな一行が、ひと針ひと針、たどたどしい運針で添えてあった。
平仮名ばかりの、けれど真心のこもった、母だけの記録だった。
※
私が熱を出した夜、母は仕事を放り出して、一晩中、私の額の手拭いを替え続けた。
朝になって熱が下がると、母は安心したのか、針箱の前で、こくりと舟を漕いでいた。
その日の布には、「ねつが さがって ほっとした あさ」と、縫い取られていた。
母は、私の苦しみも、自分の安堵も、ぜんぶ糸にして、布に残していたのだ。
今思えば、あの布の一枚一枚が、母の日記でもあったのだろう。
その布が、ひと月ふた月と重なって、母の針箱の底で、分厚い束になっていった。
年に一度、私の誕生日になると、母はその束を取り出して、二人で広げた。
「ほら、この頃はこんなに小さかったんよ」と、母は嬉しそうに笑った。
私も、自分の知らない自分の姿を見るのが、なんだか不思議で、好きだった。
それは、貧しい我が家にあった、たった一つの贅沢だった。
※
ところが、小学四年生の春のことだ。
学校から、友達数人を、家に連れて帰った日があった。
狭い長屋を珍しがって、友達は部屋のあちこちを覗き込んだ。
そして、押し入れの隅に積んであった、あの布の束を見つけてしまった。
止める間もなく、友達はそれを引っぱり出して、広げた。
赤ん坊の私の、歪んだ刺繍と、平仮名の文字。
※
友達は、それを回し読みして、げらげらと笑い出した。
「なにこれ、へたくそ」
「写真も撮れないくらい、貧乏なの?」
笑い声と、貧乏という言葉が、狭い部屋に響いた。
私は、顔から血の気が引いていくのを感じた。
ただ、笑われたくない、その一心で、私は何も言えずに、うつむいていた。
※
友達が帰ったあと、部屋には、私一人が残された。
胸の奥で、恥ずかしさと、惨めさが、ぐるぐると渦を巻いていた。
私は、かっとなって、その布の束を抱え込んだ。
縫い目に指をかけ、一枚、また一枚と、力任せに引き裂いた。
ぶつ、ぶつ、と、母の縫った糸が、音を立てて切れていく。
歪んだ私の顔が、平仮名の文字が、ばらばらに裂けていった。
※
裂いた布きれを、私は屑入れに、乱暴に突っ込んだ。
これさえなければ、もう誰にも笑われずに済む。
これさえなければ、貧乏だと、馬鹿にされずに済む。
子どもの私は、本気で、そう思い込んでいた。
破り終えると、息が上がって、手が小刻みに震えていた。
それでも、すっきりなどは、少しもしなかった。
※
夕方、仕立て上がった品を届けに行っていた母が、帰ってきた。
ただいま、と言いかけた母の声が、屑入れの前で、ふつりと止まった。
はみ出した布きれを見つけて、母は、その場に立ち尽くした。
そして、声を上げずに、ぽろぽろと、涙をこぼし始めた。
私は、叱られるのが怖くて、笑われたから裂いたのだと、つっかえながら言い訳した。
けれど母は、ただ首を横に振って、泣き続けるばかりだった。
※
その晩、母は、いつものように夕餉の支度をした。
私を叱ることも、責めることも、なかった。
ただ、いつもより口数が少なく、目が赤かった。
私も、自分のしたことの大きさが分からないまま、布団に潜って眠った。
母の悲しみの深さを、その夜の私は、まだ何も分かっていなかった。
※
夜中に、ふと目を覚ました。
茶の間にだけ、まだ、ぼんやりと灯りがついていた。
襖の隙間から覗くと、母が背を丸めて、何かをしていた。
屑入れから拾い集めた布きれを、畳の上に、一枚ずつ並べていたのだ。
そして、裂けた縫い目に細い糸を通し、もう一度、根気よく綴じ合わせていた。
※
切れて読めなくなった平仮名を、母は元の形を思い出しながら、縫い直していた。
傍らには、私が引きちぎった糸くずまでが、捨てられずに、小皿に取ってあった。
昼の仕事で疲れ切っているはずの母の指が、休むことなく動いていた。
その指は、長年の運針で、節くれだって硬くなっていた。
母の指が、震えながら、私の幼い日々を、もう一度この世に繋ぎとめていた。
裸電球の灯りの中で、母の影が、壁の上で静かに揺れていた。
※
私は、襖の陰で、声も出せずに、その背中を見ていた。
自分が引き裂いたものが、どれほど大切なものだったのか。
母が、何を縫い続けてきたのか。
その意味が、ようやく、子どもの胸にも届き始めていた。
けれど、声をかける勇気がなくて、私はそっと、布団に戻った。
枕に顔を埋めて、声を殺して、泣いた。
※
翌朝、目を腫らした母が、繕い終えた布の束を、私の前に、そっと置いた。
ひと晩かけて、母はそのほとんどを、繋ぎ直していた。
そして、申し訳なさそうに、こう言った。
「恥ずかしい思いを、させてしもうたね。ごめんね」
叱られると思っていた私は、その言葉に、かえって胸を突かれた。
母は、自分が悪いのだと、本気で詫びていた。
※
「でもね」と、母は繋ぎ直した布を、両手で、そっと撫でた。
「母さんはね、カメラを買うてやれんかった代わりに、これを縫うてきたんよ」
「下手くそでも、これが、母さんの、たった一つの宝物なんよ」
これは、母さんの、たった一つの宝物なんよ。
その言葉を聞いた瞬間、堪えきれずに、涙が溢れ出した。
私は布の束に顔を伏せて、ごめんなさい、ごめんなさい、と、それだけを繰り返した。
※
翌日、学校で、私は友達と目を合わせられなかった。
貧乏、という言葉が、耳の奥で、まだ鳴り続けていた。
家に帰る道々、私は、母の布のことばかり考えていた。
あれを縫う母の、夜なべの横顔を思い出すと、胸が締めつけられた。
それなのに私は、その大切なものを、自分の手で引き裂いてしまったのだ。
母は、節くれだった手で、私の頭を、何度も、何度も撫でてくれた。
泣かんでええ、もう、ええんよ、と、優しく言いながら。
布を綴じる母の指は、糸を引くたびに、小さく上下した。
針の穴に糸を通すとき、母はいつも、灯りに目を細めていた。
通らないと、唇を湿らせて糸の先をより合わせ、また挑む。
その仕草を、私は何百回となく、布団の中から眺めて育った。
母にとって縫うことは、暮らしを支える手段であり、私への愛の言葉でもあった。
その手のひらの温もりを、私は今でも、はっきりと覚えている。
貧しさは、確かに、子ども心には恥ずかしいものだった。
けれど母は、その貧しさの中でこそ、いちばん豊かなものを縫い続けていた。
お金で買える写真の代わりに、時間と、まなざしと、祈りを、糸に込めて。
あの朝、私は、貧しさよりも恥ずかしいものなど、何一つないのだと知った。
母が縫い続けてくれたものこそが、世界で一番、誇らしいものだったのだ。
※
裂いた布の縫い目は、今もその束に、いびつな線になって残っている。
母が繕い直したその不揃いの縫い目こそが、あの夜の母の祈りそのものだ。
母は、お金も、写真も、何も持っていなかった。
けれど、何も持たない母が縫い続けた一針一針こそが、私の受け継いだ、いちばんの財産だった。
それは、どんな立派なアルバムよりも、温かく、揺るぎないものだった。
※
それからの母は、相変わらず、夜なべで針を動かし続けた。
ただ、あの日を境に、私はもう二度と、母の布を恥じることはなかった。
友達に何を言われても、あれは母の宝物なのだと、胸の中で言い返せるようになった。
私が中学に上がる頃、母の目は、細かい運針で、ずいぶん弱っていた。
それでも母は、私の節目節目を、震える手で、布に縫い続けてくれた。
入学の日、初めて給料をもらった日、私が独り立ちして家を出た日。
母の最後の一枚には、「ひとりで やっていけるね もう だいじょうぶ」と、縫い取られていた。
※
母は、私が一人前になるのを見届けるように、静かに逝った。
葬儀のあと、簞笥を片づけていて、私はあの分厚い布の束を見つけた。
裂けて、繕い直された、いびつな縫い目のある束を。
私はそれを胸に抱いて、誰もいなくなった長屋で、声を上げて泣いた。
あの夜、母がひと針ひと針、繋ぎ直してくれた意味が、今こそ、痛いほど分かった。
※
私は今も、あの分厚い布の束を、簞笥のいちばん奥に、大切にしまっている。
繕い跡のある一枚を広げると、たどたどしい刺繍の私が、こちらを見上げて笑っている。
隣には、平仮名で、あの日の私の様子が、母の字で綴られている。
写真の一枚もない我が家に、母は、糸で描いた何十枚もの私を、残してくれた。
私にも、やがて子が生まれた。
初めて我が子を抱いたとき、私の手は、写真を撮るより先に、針箱を探していた。
母の血が、こんなところにも流れているのかと、おかしくなった。
結局うまくは縫えなかったけれど、私は今でも、子の節目を、自分の手で何か残そうとしてしまう。
母が遺した一針一針が、私の中に、確かに受け継がれている。
形に残すというのは、きっと、忘れたくないという祈りなのだ。
母は、その祈り方を、貧しさの中で、私に教えてくれていたのだ。
恥じて裂いてしまった、あの日の幼い私に、今なら、言ってやれる。
長屋はとうに取り壊され、今はもう、跡形もない。
あの日の路地も、隙間風の鳴る一間も、写真には残っていない。
それでも、母が縫ってくれた布の束だけは、私の手元に確かにある。
目を閉じれば、裸電球の下で針を動かす、母の横顔が浮かぶ。
ちくちくと、布を綴じていく、あの音まで聞こえてくる気がする。
それは、世界でいちばん豊かな、母の手だったのだと。