両親は大切に

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 |

浜辺を走る親子(フリー写真)

人前では殆ど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっと頭が弱くて、よく家族を困らせていた。

思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。

非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。

高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。

その間、実家に帰ったのは三年に一回程度だった。

俺も良い大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日のこと。

お袋が危篤だと聞き、急いで病院に駆け付けた。

意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。

そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握ってこう言った。

「ダメなおかあさんでごめんね」

精神薄弱のお袋の口から出るには、あまりにも現実離れした言葉だった。

「嘘だろ? 今更そんなこと言わないでくれよ!」

間もなくお袋は逝った。

その後、葬式の手配や何やらで不眠不休で動き回り、お袋が逝ってから丸一日が過ぎた真夜中のこと。

家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。

かなり色褪せた、何十年も前の家族の写真。

まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みんな幸せそうに笑っている。

裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で、家族の名前と当時の年齢が書いてあった。

それを見た途端、何故だか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。

いい大人がおえっおえっと泣いている姿はとても見苦しい。自制しようとした。

でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

俺は救いようがない親不孝者だ。格好なんて気にすべきじゃなかった。

やり直せるならやり直したい。でもお袋はもう居ない。

後悔先に立たずとは、正にこれのことだったんだ。

その時、妹の声がした。

「お母さん、笑ってる!」

みんな布団に横たわる母親に注目した。

決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。

薄っすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。

「みんな悲しいってよ、お袋…。一人じゃないんだよ…」

気が付くと、そこに居た家族全員が泣いていた。

あれから俺は事ある毎に、みんなに両親は大切にしろと言っています。

これを読んだ皆さんも、ご健在であるならば是非ご両親を大切にして欲しい。

でないと、俺のようにとんでもない親不孝者になっちゃうよ…。

関連記事

タクシー(フリー写真)

台風の日

タクシーの中でお客さんとどんな話をするか、平均で10分前後の短い時間で完結する話題と言えばやはり天気の話になります。 今日の福岡は台風11号の余波で、朝から断続的に激しい雨が降っ…

夕方の教室(フリー背景素材)

校長先生の名授業

私が考える教育の究極の目的は『親に感謝、親を大切にする』です。 高校生の多くは、今まで自分一人の力で生きて来たように思っている。 親が苦労して育ててくれたことを知らないんで…

手紙(フリー写真)

天国の妻からの手紙

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなった。 その5年後、こんな手紙が届いた。 どうやら死期が迫った頃、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。 ※ Dear 未来の○○ …

海

忘れ得ぬ誓い

彼女の心は遠くへ旅立ってしまいました。普段の彼女からは想像もつかないような瞬間が、次第に日常となっていきました。 夜中になっても突如として昼食を準備し始める彼女。 そして…

父親の手を握る子(フリー写真)

もし生まれ変わったら

両親が離婚して、若くして妊娠した母親にとっては、望まれた子供ではなかった。 自分が6歳の時に母は別の男性と付き合い、父親も別の女性と関係を持ったため、両親は自分の親権を争う裁判…

親子(フリー写真)

知ってるよ

「結婚したい子が出来た」 とオヤジに言ったら、数日後に 「大事な話がある」 と言われ、家族会議になった。 今までに無い、真剣な顔で…。 父「実は、俺と…俺…

タクシーの車内(フリー写真)

覚えていてくれたんですね

仕事帰りに乗ったタクシーの運転手さんから聞いた話です。 ※ ある夜、駅のロータリーでいつものように客待ちをしていると、血相を変えたサラリーマン風の男性が 「○○病院…

母の手を握る赤子(フリー写真)

母の想い

彼は幼い頃に母親を亡くし、父親と祖母と暮らしていました。 17歳の時、急性骨髄性白血病にかかってしまい、本人すら死を覚悟していましたが、骨髄移植のドナーが運良く見つかり死の淵から…

飛行機雲(フリー写真)

飛行機雲のように

「空に憧れて、空を駆けてゆく あの子の命は、飛行機雲」 その歌の通りでした。 小さい頃から、 「僕、ぜーったいパイロットになるからね!」 と言っていたあ…

野球ボール(フリー写真)

父と息子のキャッチボール

私の父は高校の時、野球部の投手として甲子園を目指したそうです。 「地区大会の決勝で9回に逆転され、あと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」 と、小さい頃によく聞か…