ばあちゃんいつまでもげんきでね

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 祖父母

おばあさん(フリー素材)

ばあちゃんの痴呆症は日に日に進行し、ついに家族の顔も分からなくなった。

お袋のことは変わらず母ちゃんと呼んだが、それすらも自分の母親と思い込んでいるらしかった。

俺と親父は、ばあちゃんと顔を合わせる度に違う名前で呼ばれた。

ある時、お茶を運んで行くと、ばあちゃんは俺に

「駐在さんご苦労様です」

とお礼を言って話し始めた。

「オラがちにも孫がいるんですけんど、病気したって見舞い一つ来ねえですよ…。

昔はばあちゃん、ばあちゃんって、よくなついてたのにねえ…」

そう言ってばあちゃんが枕の下から取り出した巾着袋には、お年玉袋の余りとハガキが一枚入っていた。

よく見るとそれは、俺が幼稚園の年少の時、敬老の日にばあちゃんに出したもので、

「ばあちゃんいつまでもげんきでね」

なんてヘタクソな字で書いてあった。

俺は何だか悔しくて悔しくて、部屋を出た後でめちゃくちゃ泣いた。

関連記事

裁縫(フリー写真)

妹に作った妖精衣装

俺には妹が居るんだが、これが何と10歳も年が離れている。 しかも俺が13歳、妹が3歳の時に母親が死んでしまったので、俺が母親代わり(父親は生きているから)みたいなものだった。 …

公園のベンチ(フリー写真)

出会いの贈り物と感謝の気持ち

私の名前は佐々木真一、中学3年生です。 ある日のこと、私は学校から帰ると家の前に見知らぬ男性が立っていました。 その男性は私に向かって微笑みながら手を振り、名前を呼びまし…

朝焼け(フリー写真)

天国の祖父へ

大正生まれの祖父は、妻である祖母が認知症になってもたった一人で介護をし、祖母が亡くなって暫くは一人で暮らしていた。 私が12歳の時に、祖父は我が家で同居することになった。 …

ハンバーグ(フリー写真)

お母さんの弁当

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。 なので料理は基本的に父が作っていた。 でも遠足などで弁当が必要な時は、母さんが頑張って作ってくれていた。 ※ 小学六年生の…

旧日本兵の方(フリー写真)

やっと戦争が終わった

祖父が満州に行っていたことは知っていたが、シベリア行きが確定してしまった時に、友人と逃亡したのは知らなかった。 何でも2、3日は友人たちと逃亡生活を過ごしていたが、人数が居ると目…

放課後の黒板(フリー写真)

好きという気持ち

中学1年生の時、仲の良かったO君という男の子が居た。 漫画やCDを貸しっこしたり、放課後一緒に勉強したり、土日も二人で図書館などで会ったりしていた。 中学2年生になる前に、…

クリスマスプレゼント(フリー写真)

沢山のキッス

クリスマスが近付いた時期の話です。 彼は三才の娘が包装紙を何枚も無駄にしたため、彼女を厳しく叱りました。 貧しい生活を送っていたのに、その子はクリスマスプレゼントを包むため…

雨

雨の中の青年

20年前、私が団地に住んでいた頃のことです。 ある晩、会社から帰宅すると、団地前の公園で一人の男の子が、雨の中傘もささず、向かいの団地をじっと見つめていました。 その様子…

男の子の横顔

あした かえるね

私の甥っ子は、母親である妹が病気で入院したとき、しばらくの間、私たち家族のもとで過ごすことになりました。 「ままが びょうきだから、おとまりさせてね」 そう言って、小さな…

妊婦さんのお腹(フリー写真)

母子手帳

今年の6月に母が亡くなった。火事だった。 同居していた父親は外出していて、弟は無事に逃げる事が出来たのだけど、母親は煙に巻かれて既に駄目だった。 自分は違う地方に住んでいた…