
父が枕元の引き出しから取り出したのは、黄ばんだ封筒でした。
「たくみ。これを、お前に」
僕が二十歳になった年の、暮れのことです。
差出人は、十二の冬に逝った母でした。
母は別れの言葉を言えなかったのだと、僕はずっと思っていました。
その黄ばんだ封筒を、父は八年、黙って預かっていたのです。
その年の秋から、父は病で床に就いていました。
店は、常連の建具屋さんに頼んで、週に三日だけ開けていました。
僕は大学の授業を半分に減らし、朝と夜に病院へ通っていました。
父は、痩せていくのに、顔だけはよく笑いました。
「店は、閉めるなよ」
それが口癖でした。
その日、僕が病室に入ると、父は珍しく上体を起こしていました。
枕元の引き出しが、少しだけ開いていました。
あとで思えば、父は朝からそれを出そうか迷っていたのだと思います。
病室の窓の外では、粉雪が舞っていました。
母が逝った日も、こんな雪でした。
父の手は、氷のように冷たくなっていました。
それでも、封筒を渡すその指先だけは、確かな力がこもっていました。
「母さんが、書いたものだ」
「二十歳になったら渡してくれと、頼まれていた」
「本当は、もっと早く渡したかったんだがな」
父の声は掠れていました。
受け取った黄ばんだ封筒は、思ったよりも軽いものでした。
紙は毛羽立ち、指の腹に少しざらついた感触が残りました。
八年、誰かの手のひらの温度を受け続けた紙の手触りでした。
僕は、震える指で封を開けました。
封を切る音が、病室でやけに大きく響きました。
父の点滴が、一滴だけ落ちました。
僕は、その音を数えながら便箋を開きました。
その中身の話をする前に、少しだけ、店のことを書かせてください。
この黄ばんだ封筒が八年どこにあったのかを書くには、順番が要るからです。
そば処やなぎの暖簾
下町の外れに、祖父の代から続く蕎麦屋があります。
店の名は、そば処やなぎといいます。
間口は二間半。
椅子席が四つと、小上がりが一つだけの小さな店です。
暖簾をくぐると、出汁の香りが客を迎えます。
朝いちばんの香りと、昼過ぎの香りは違います。
朝は鰹が立ち、昼を過ぎると昆布の甘みが前に出ます。
その差が分かるようになったのは、継いで三年目の冬でした。
壁には、祖父の代からの品書きが墨で書かれたままです。
もり、かけ、たぬき、天ぷら。
値段だけが、何度も貼り紙で直されています。
いちばん古い貼り紙の下からは、昭和の数字が透けて見えます。
母は、その厨房を自分の巣のように愛していました。
手が早く、味に妥協のない人でした。
「蕎麦は、逃げ足の早い食べ物なのよ」
母はよく、そう言いました。
「茹でたてを、いちばんおいしい一瞬で出してあげなきゃ」
母は、蕎麦を上げる直前に必ず一度、顔を上げました。
客席の誰が箸を持ったか、それを見てから湯を切るのです。
「食べる人の手の動きを見るの」
「その人が食べたい一瞬に出すのよ」
その言葉の意味を、いまの僕は毎日噛みしめています。
母は、もともと心臓が丈夫ではありませんでした。
僕が十二の冬、風邪をこじらせて入院しました。
ほんの一週間ほどの、あっけない別れでした。
最後に交わした言葉は、朝の「行ってきます」でした。
病室で最後に見た母は、もう声が出ませんでした。
それでも、僕の手を握る力だけは残っていました。
握って、少し力を抜いて、また握る。
三回でした。
意味を聞かないまま、僕は病室を出ました。
僕はそれを、長いあいだ悔やみました。
母が逝ってから、父は変わりました。
それまで父は、出前と接客ばかりの人でした。
厨房は母の場所で、父は釜の前に立ったことがなかったのです。
母が使っていた前掛けを、父はそのまま締めていました。
丈が短くて、膝小僧が出ていました。
それでも、新しいものを買おうとはしませんでした。
四十九日を過ぎた頃から、父は夜遅くまで一人で厨房に立つようになりました。
包丁の使い方も、出汁の取り方も、母のいない台所で覚え直したのです。
あの頃の父の手には、いつも切り傷の絆創膏が絶えませんでした。
母の帳面が、厨房の引き出しに残っていました。
出汁の分量と、その日の天気だけが書かれた帳面です。
湿気の多い日は、鰹を少し多くする。
そんな一行が、何百日分も並んでいました。
父はその帳面を、毎晩一ページずつ読んでいたそうです。
「母ちゃんの字を追ってるだけで、手が動くようになった」
あとになって、建具屋さんが教えてくれました。
僕は幼心に、その手が痛々しくて、正視できませんでした。
父の手が、母の帳面をなぞる手だとは知りませんでした。
黄ばんだ封筒の角
病室で受け取ったとき、僕はまず封筒の角を見ました。
角には、テープを剥がした跡が四つ、重なって残っていました。
糊の跡が、段になって黄色く焼けています。
僕はそのとき、深く考えませんでした。
父が封を確かめて、閉じ直しただけだろうと思ったのです。
糊の段は、四つとも幅が違いました。
いちばん下の跡だけが、ひどく丁寧に押さえてありました。
いちばん上の跡は、少し斜めに歪んでいました。
歪んだほうが新しいのだと、僕はあとで知ることになります。
僕は、封筒を裏返しました。
裏には、母の字で「二十歳のたくみへ」と書いてありました。
その下に、鉛筆のうすい線が一本引いてあります。
父の字でした。
「渡す」とだけ、小さく書かれていました。
八年、その二文字を毎日見ていたのだと思います。
「読んでみろ」
父は、そう言って目を閉じました。
「母さんが、そばにいるみたいだからな」
その一言で、僕は気づくべきでした。
けれど、そのときの僕は、封筒の中身のことで頭がいっぱいでした。
中には、便箋が四枚入っていました。
厚みのわりに、封筒がくたびれているのが不思議でした。
便箋には、丸みを帯びた見覚えのある字が並んでいました。
表書きには、こうありました。
「父になる日の、たくみへ」
僕はまだ、父にもなっていないのに。
母は、いつか僕が親になる日を思い描きながら、これを書いたのです。
その字を見た瞬間、母の声が耳の奥で鳴りました。
もう二度と聞けないはずの声が、便箋の上で息づいていました。
僕は便箋を読む前に、もう一度、父の顔を見ました。
頬がこけて、眉のあたりだけが昔のままでした。
「お前が受け止められる年になるまでと、思って待っていた」
父はそう言いました。
「待つのは、けっこう長かったぞ」
それが、父の言った最初の冗談でした。
父は、目を閉じたままでした。
けれど、まぶたの裏で文字を追っているのが分かりました。
父は、この黄ばんだ封筒の中身を、たぶん暗記していたのです。
そのことに、僕はまだ気づいていませんでした。
気づかないまま、一枚目をめくりました。
紙の縁が、指の脂で少し透けていました。
母が書いたときの手の跡ではありません。
もっと大きな、厚い指の跡でした。
父になる日のたくみへ
手紙は、僕が生まれた日のことから始まっていました。
「あなたが生まれた朝、雪が降っていました」
「小さな手で、わたしの指を力いっぱい握ってくれましたね」
「その温かさを、わたしは一生忘れません」
文字は、僕の育ちをたどっていきました。
熱を出した僕を一晩中背負って歩いた夜のこと。
初めて「かあさん」と呼んだ朝のこと。
幼稚園の入園式で、僕が前の子の靴を履いてしまったこと。
どの場面にも、僕の覚えていない母のまなざしが寄り添っていました。
小学校の運動会のページには、こうありました。
「かけっこで転んで、それでも最後まで走りましたね」
「わたしは、ゴールよりも、立ち上がった一瞬を見ていました」
僕はその運動会を、まったく覚えていません。
覚えていない一瞬を、母だけが持って逝ったのです。
そういえば、と僕は思い出しました。
母は、僕が眠るまで必ず手を握っていてくれた人でした。
「手を離したら、夢の中で迷子になっちゃうでしょう」
そう言って笑っていた母の顔が、鮮やかによみがえりました。
忘れていたはずの記憶が、手紙に呼ばれて戻ってきました。
手紙の終わりには、こう記されていました。
「ごめんなさい。あなたを一人にして、先に逝くことを許してください」
「だからね、たくみ」
「あなたの子には、あなたと同じ思いだけはさせないであげて」
「たくさん、抱きしめてあげてください」
その一文の下は、少しだけ字が乱れていました。
便箋を斜めにすると、そこだけ紙が波打っています。
涙の跡だと分かるまでに、時間はかかりませんでした。
母は、自分がいなくなる世界のことも書いていました。
「わたしがいなくても、あなたは大丈夫」
「お父さんが、きっと二人分、愛してくれます」
「お父さんは、口が下手な人です」
「だから、言葉より先に手が動きます」
「怒っているように見えたら、それはたいてい心配しているときです」
母は、父の取扱説明書まで書き残していました。
読みながら、僕は笑ってしまいました。
笑いながら、また泣きました。
その予言は、そのまま現実になりました。
「あなたには、たくさん笑って生きてほしい」
「そして、あなたを心から想ってくれる人と、あたたかい家庭を築いてください」
最後の一行は、こうでした。
「お父さんを、よろしくね」
母は、自分のことを一つも書いていませんでした。
僕は、便箋を持つ手を止められませんでした。
涙が字の上に落ちて、丸い染みをいくつも作りました。
焦げた四角い卵焼き
泣きじゃくる僕に、父は静かに言いました。
「すまなかったな、たくみ」
「何を謝ることがあるんだよ」
僕はそう返しました。
謝らなければならないのは、むしろ僕のほうでした。
日曜の朝、父はあれほど好きだった川釣りに行かなくなりました。
「たくみを、一人にはできないからな」
そう笑って竿を仕舞ったのを覚えています。
その竿が物置の奥で埃をかぶっていくのを、僕は見て見ぬふりをしていました。
煙草も、いつのまにかやめていました。
「お前の弁当に、煙草の匂いが移るといかんだろう」
それが父の理由でした。
ボタンが取れれば、不器用な手で縫い付けてくれました。
糸の色が合っていないことが、よくありました。
白いシャツに、紺の糸。
そのシャツを、僕は中学の三年間ずっと着ました。
運動会の弁当も、父が見よう見まねで作りました。
卵焼きは、いつも端が少し焦げていました。
形も、どこか四角すぎました。
「母さんのは、もっときれいだったろう」
父は決まって、そう言いました。
「ううん。父さんのが、いちばん好き」
そう答えると、父は照れくさそうに鼻の頭を掻いていました。
小学校の授業参観のことも、忘れられません。
母親ばかりが並ぶ教室の後ろに、父はたった一人で立っていました。
仕事を抜けてきたのか、割烹着のままでした。
僕はあの日、父を恥ずかしいと思ってしまいました。
その夜、父は僕の好物ばかりを並べた食卓で言いました。
「今日は、父さん、来てよかったか」
僕は、うまくうなずけませんでした。
反抗期の頃には、言ってはならないことも言いました。
「母さんがいれば」と、そう口にしたのです。
父は何も言い返さず、ただ黙って聞いていました。
その沈黙が、どれほどの我慢だったか。
いまなら、痛いほど分かります。
高校三年の秋、僕は進路の紙を出せずにいました。
店を継ぐとも、継がないとも書けなかったのです。
父は何も聞きませんでした。
ただ、ある晩、賄いの蕎麦を二人前打ちました。
「食え」
それだけ言って、僕の前に置きました。
そのときの蕎麦は、少し塩が強かったのを覚えています。
父が泣いていたのだと気づいたのは、ずっとあとです。
あの頃の僕は、父の背中しか見ていませんでした。
父の店を継ぐと決めた息子の話を読んだとき、僕は自分のことのように胸が痛みました。
子どもは、親の我慢にいちばん最後に気づくのだと思います。
病室で、父は細くなった声で言いました。
「お前が、たくみで本当によかった」
母と、同じ言葉でした。
「母さんが逝ってから、正直、何度もくじけそうになった」
「けどな、お前の寝顔を見ると、もう一日頑張れた」
僕は、父の痩せた手を両手で包みました。
あの傷だらけだった手は、いまは皺と染みばかりになっていました。
それが、僕が父と交わした最後のまともな会話でした。
父は、その一か月後に旅立ちました。
眠るような、穏やかな顔でした。
出汁を引く朝
葬儀のあと、常連の建具屋さんが、そっと僕に言いました。
「お前さんの親父さんはな、女手のいない厨房で、母ちゃんの味を必死に守ってたんだよ」
「一度も弱音を吐かなかった。たいしたもんだ」
そして、こう続けました。
「くじけた晩だけ、店を閉めたあとに封筒を出してな」
「読んで、また貼り直してた」
「わしが見たのは、四回だ」
「最後に見たのは、去年の冬だな」
「熱が出て、店を三日閉めたときだ」
「あの晩、親父さんは厨房の丸椅子に座って読んでた」
「貼り直す手が、うまく動いてなかったよ」
だから、いちばん上の跡だけが斜めだったのです。
僕は、その場で立っていられなくなりました。
あの四つの跡は、父が四度、これを読み返した跡でした。
八年で、四度。
父は二年に一度しか、母に頼らなかったのです。
残りの日は、たった一人で厨房に立っていました。
建具屋さんは、最後にこう言いました。
「親父さんは、封筒を出す前に必ず手を洗ってた」
「厨房の水で、二回な」
僕はいま、仕込みのあとに必ず二回手を洗います。
誰に教わったわけでもない癖だと思っていました。
あれから、十五年が経ちました。
僕はいま、父から継いだ蕎麦屋の二代目です。
厨房に立つたび、父の背中を思い出します。
昨年、僕にも娘が生まれました。
生まれた朝、やはり雪が降っていました。
小さな手が僕の指を力いっぱい握ったとき、僕は声をあげて泣きました。
母の手紙の一行が、三十年の時を越えて現実になったのです。
娘の名には、母の一文字をもらいました。
役所の窓口で紙を書きながら、手が少し震えました。
「この字でいいんですね」
職員の方に二度聞かれて、二度うなずきました。
手紙の中で母が使っていた字を、そのまま写したのです。
妻とは、この店で出会いました。
常連客として通ってくれていた人です。
「ここの蕎麦を食べると、家に帰ったみたいな気持ちになる」
そう言って笑う横顔に、僕は母の面影を重ねたのかもしれません。
夜、娘を寝かしつけながら、僕は小さな手を握ります。
「手を離したら、夢の中で迷子になっちゃうからな」
母の言葉が、そのまま僕の口からこぼれ落ちました。
先月、店の仕込みで失敗をしました。
出汁の火加減を誤って、三十人分を捨てたのです。
その晩、僕は初めて、あの封筒の封を自分で切りました。
読み終えて、テープを貼り直しました。
封筒の角の跡は、いま五つになりました。
失敗した晩に頼れる相手が、僕にもいたということです。
父が四度そうしたように、僕も一度だけ、母に頼りました。
古い携帯を手放さなかった連れ合いの話を読んだとき、僕は父の貼り直したテープを思い出しました。
残す人は、残すと決めた日に、そう決めるわけではないのだと思います。
毎日、少しずつ、捨てなかっただけなのでしょう。
娘が親になる日、僕はこれを渡すつもりです。
そして、こう伝えるつもりです。
おまえのおばあちゃんは、会えないおまえのことまで愛していたんだよ、と。
明日も、暖簾を出します。
逃げ足の早い食べ物を、いちばんおいしい一瞬で。