おばあちゃんの深い愛
幼い頃から両親が共働きで、俺の面倒を見てくれたばあちゃん。
俺は癇癪持ちだったからめちゃくちゃ怒られたけど(笑)。
あまりにも怒らせると、トイレに閉じ込められたりもした。
わんわん泣きながら、
「ごめんなさい」
とよく謝っていた(笑)。
小学校高学年になると、力では完全に俺の方が強くなっていたっけ。
※
中学生になった頃には、荒れに荒れて、頭では解っているけど歯止めが効かない。
と言うか、解っていたけど解りたくないと言うか、そんな自分が許せないと言うか。
思春期と癇癪が合体したような地獄絵図だったと思う(笑)。
そんな反抗期を過ごしていたので、当然のようにばあちゃんにも当たり散らしたこともあった。
不満があるような家庭でもなく、寧ろ幸せな家族だったと思う。
なのに、歯止めが効かず、特にばあちゃんを泣かせ過ぎた。
なのに、ばあちゃんはずっと優しかった。
※
やがて18歳になり実家を出て、住み込みで働きながら部屋を借りるお金を貯めていた。
偶に実家に帰ると、必ず祖母が出迎えてくれる。
住み込み先に戻る時も、毎回握手をして、最後まで見送ってくれる。
「何で握手なんだよ」と聞いたら、元気が貰えるのだとか何とか(笑)。
いつも笑顔で握手を求めてくるばあちゃん。
口には出せなかったけど、そんなばあちゃんが大好きだった。
ばあちゃんと会うと、何故か解らないけど安心できた。
※
そんなある時、住み込み先に帰る時、ばあちゃんと一つ約束をした。
次の給料で少しだけお金が余るから、ラーメンと焼肉を奢ってあげる、と。
そしたらばあちゃんめっちゃ泣き出して、その気持ちだけで十分だからお金は自分のために使いなさいってさ。
本当に優しいばあちゃん。
でもそこは俺が我を通して約束してもらった。
※
そして、給料日の一週間前に実家に帰った。
次の週でラーメンと焼肉に行く打ち合わせをするために。
しかし、実家にばあちゃんの姿はなかった。
母に訊ねたら、急に体の具合が悪くなって入院したのだとか。
急いで病院へ向かった。
※
病院に着きばあちゃんの病室へ行くと、いつも元気なばあちゃんの姿はそこにはなかった。
疲れ切ったような、何か我慢しているような。
でも、俺の存在に気が付くと嘘のような、でも精一杯の笑顔で迎えてくれた。
あと三日もすれば退院できるだろうと、穏やかな笑顔で話していた。
沢山お喋りして、日も暮れて来たので、
「また明日から仕事だからそろそろ帰るね。来週までには治しておいて!」
と言いながら俺から握手した。
でも、その握手がいつもと違った。
全く力が入っていない。
それでも全力で笑顔だから、気付かない振りをしていたけど、嫌な予感しかなかった。
※
そして次の日の朝。
仕事中に兄から電話が来た。
いつも何か用事がある時は、仕事が終わった時間を見計らって連絡して来るはずの兄からの電話で、何となく予想できた。
上司に言って早退させてもらい、急いで病院へ向かった。
病院に着いた時にはもう意識もなく、機械に繋がれ、投薬を止めたら時間はそうかからず死んでしまう状態だった。
そんなばあちゃんを見て頭が真っ白になった。
覚悟はしていたけど、色々な想いが込み上げて来て、そこから先の記憶があまりない。
ただその中で、はっきりと覚えていることがある。
集まった家族や親戚の前で泣きじゃくりながら、
「ラーメンと焼肉行くんやろ!」
「約束したやん!」
「全然足りんけど…少しだけでも恩返しぐらいさせてくれや!」
「昨日も話したやろ!」
と、声にならない声を振り絞ってばあちゃんに言った。
すると、意識はもうないはずなのに突然、顔を無理矢理俺の方に向けて、
「ありがとうね」
その場に居た全員がハッキリと聞いた。
本当に苦しそうな声で、でも苦しそうだった顔が嘘のように、凄い笑顔で…。
※
その後は投薬が終わり、それと同時にばあちゃんの呼吸が弱くなり、すぐに止まった。
投薬を止めてからは、本当に早かった。
俺は医者と看護師さんに引き離されるまで、ばあちゃんにしがみついて泣いていた。
胃ガンだったらしい。
進行も速かったらしいし、見つかった時には既に手の施しようがなかったそうだ。
俺は何も知らなかった。
俺だけが知らなかった。
それは、ばあちゃんが死ぬまで黙っていてくれと、お願いしていたからだ。
苦しかっただろうな…。
早く楽にしてあげられなくてごめんね。
最後まで俺の事を気にかけてくれてたばあちゃん。
本当に本当にありがとう。
強さと優しさに溢れていたばあちゃんが大好きです。
あなたの深い愛を俺は息子達に伝えて行きます。
こんな俺を最後まで愛してくれて、本当にありがとう。