懐かしの大声援

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 心温まる話 |

野球

実家の母親は一人暮らしです。父親は健在ですが、6年前から施設に入っています。そのため、2年前に実家近くに家を買いました。しかし、私は県外で単身赴任中のため、私の家族が実家を頻繁に訪れていました。

昨年の秋頃、妻から母が最近元気がないと聞き、病院で検査を受けさせました。結果はすぐに出て、末期の癌で余命3か月と宣告されました。本人の希望により、家族が自宅で介護を行いました。母は特にテレビが大好きで、野球や相撲、マラソンなどのスポーツ番組を見ると、興奮しながら声援を送っていました。私自身も小学生から現在50代に至るまで野球を続けています。そんな母は年末に息を引き取りました。

施設にいた父にはそのことを伝えることなく、元日に父は施設から救急車で搬送され、そのまま入院しました。一進一退の状態を繰り返し、3月に亡くなりました。家族では「一人で寂しがっていた母親に呼び寄せられたんだろう」と悲しみを紛らわせていました。

父は元ラガーマンで、スポーツが大好きでした。子供の頃、私は年に数回、両親にプロ野球や相撲の巡業を見に連れて行ってもらっていました。

今年の8月、二人の初盆も終わり、数日後に家族で野球観戦に行きました。私たちの斜め前方には小学生約30人の団体がいて、ホームチームに大声援を送っていました。子供たちはタオルを振り、応援歌に合わせて大合唱し、ヒットが出ると大喜びする様子で、試合を存分に楽しんでいました。試合終盤、場内アナウンスで修学旅行生の紹介があり、その子供たちがスクリーンに映し出され、学校名が紹介されました。その中の一校が、母の母校でした。

子供の頃、母に連れられて祖母の家に行った際、その学校の校庭で親戚たちと遊んだことを思い出しました。子供たちの声援がとても元気で楽しげで、何とも言えない感情に包まれましたが、本当に温かい気持ちになりました。

投稿者: 千葉聡様

関連記事

おでこを当てる父と娘(フリー写真)

もうおねえさんだから

7ヶ月前に妻が他界して初めて迎えた、娘の4歳の誕生日。 今日は休みを取って朝から娘と二人、妻の墓参りに出掛けて来た。 妻の死後、暫くはあんなに 「ままにあいたい」「ま…

親子の後ろ姿(フリー写真)

育ての親

私には、お母さんが二人居た。 一人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。 もう一人は……。 ※ 私の17歳の誕生日に、母が継母であることを聞かされた。 私を生んで…

薔薇の花(フリー写真)

せかいでいちばんのしあわせ

私が幼稚園の時に亡くなったお母さん。 当時、ひらがなを覚えたての私が読めるように、ひらがなだけで書かれた手紙を遺してくれた。 ※ みいちゃんが おかあさんのおなかにやってきて…

親子(フリー写真)

知ってるよ

「結婚したい子が出来た」 とオヤジに言ったら、数日後に 「大事な話がある」 と言われ、家族会議になった。 今までに無い、真剣な顔で…。 父「実は、俺と…俺…

震災の日

サンタから預かったDS

私は、宮城県に住んでいる。 その日も朝から、寒空の下、スーパーの前に長い列ができていた。 並んでいた私の前には、母親と、泣きべそをかいた小さな男の子がいた。 ※ …

民家

最後まで泣けなくて

僕は先月7月22日に父方の祖母を亡くしました。72歳。あと1週間生きていれば73歳でした。 普段から僕は祖母を「ばあば」と呼んでいました。高校生にもなってこんな呼び方恥ずかしい…

手を繋ぐ友人同士(フリー写真)

メロンカップの盃

小学6年生の時の事。 親友と一緒に先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が 「あっ」 と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった…

グラス

真っ直ぐな友へ

私たちの友情は、中学時代から始まりました。彼は素直で一途、趣味に没頭するタイプでした。中学、高校、大学と一緒の学校に通い、彼は私にとって唯一の親友でした。 大学4年になり、就職…

椅子(フリー写真)

脳内共同ガールフレンド

大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に居たフランス兵たちのグループが、長引く捕虜生活の苛立ちから来る仲間内の喧嘩や悲嘆を紛らわすために、皆で脳内共同ガールフレンドなるものを作った話を思い出した…

親子(フリー写真)

育ててくれてありがとう

中学生の頃はちょうど反抗期の真っ最中だった。 ある日、母と些細な事で喧嘩になり、母から 「そんな子に育てた覚えはない!」 と言われました。 売り言葉に買い言葉で…