
私の母は、昔から体が弱かった。
それが原因なのか、母が作ってくれるお弁当は、いつも質素で、見た目も決してきれいとは言えなかった。
カラフルなピックやキャラ弁のような飾りはなく、茶色一色のおかずが詰まっていた。
当時の私は、そんなお弁当が恥ずかしかった。
友達に見られたくなくて、毎日お弁当を持って食堂へ行き、誰にも見られないように、そっとゴミ箱へ捨てていた。
母の気持ちを考える余裕なんて、なかった。
※
ある朝、母が少し嬉しそうな顔で言った。
「今日は、○○の大好きな海老、入れておいたよ」
私は生返事をして、そっけなく学校へ向かった。
昼休み、誰も見ていない隙に、お弁当の中身を確認した。
確かに、海老は入っていた。
でも、殻の剥き方は不器用で、色合いも悪く、どこか食欲をそそらなかった。
「やっぱりダメだ…」
私はまた、こっそりそのお弁当をゴミ箱に捨ててしまった。
※
その日の夜、母は珍しく何度も聞いてきた。
「今日のお弁当、美味しかった? 海老、ちゃんと入ってたでしょ?」
私はその時、なんとなくイライラしていた。
溜まっていた気持ちがあふれたのか、つい声を荒げてしまった。
「うるさいな! あんな汚い弁当、捨てたよ! もう作らなくていいから!」
母はしばらく黙っていた。
そして、小さな声でつぶやいた。
「気づかなくて、ごめんね……」
その日から、母は二度とお弁当を作らなくなった。
※
半年後、母はこの世を去った。
私の知らない病気だった。
診断されたときには、もう手遅れだったという。
あまりに突然のことで、私は何も理解できなかった。
母の遺品を整理していたとき、小さな日記帳が出てきた。
ページを開くと、そこには私のことばかりが書かれていた。
とくに、「お弁当」のこと。
「○○が喜んでくれるように、卵焼きを工夫してみた」
「今日は手の震えが止まらなくて、うまく卵が焼けなかった」
「海老の殻がうまく剥けなかったけど、喜んでくれるといいな」
ページの最後には、あの日のことがこう記されていた。
「嫌だったのかな……気づけなくてごめんね」
それが、日記の最後の言葉だった。
※
涙が止まらなかった。
あのとき、たった一言でも優しい言葉を返せていたら。
「ありがとう」と、ひとこと伝えていたら。
母は、どれほど嬉しかっただろうか。
私のために、震える手で作ってくれた最後のお弁当。
それを、私は何も感じず、ただ「汚い」と切り捨てた。
ごめんね、お母さん。
本当は、ずっと、感謝してた。
だけど、その気持ちを伝えるには、もう遅すぎた。