医者になれ
高校一年生の夏休みに、両親から
「大事な話がある」
と居間に呼び出された。
親父が癌で、もう手術では治り切らない状態であると。
暑さとショックで頭がボーっとしていて、変な汗が出たのを憶えている。
当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。
親父が死んだら高校に通える訳が無いことは明白だった。
そして、俺はお世辞にも優秀とは言えなかった。
クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。
※
その夏から親父は抗がん剤治療を開始し、入退院を繰り返していた。
メタボ体型だった親父が、みるみる痩せこけて行った。
主治医の見立てでは、持って1、2年だろうとのことだった。
ただ、親父は弱音を吐くことは無かった。
親父は、
「高校、大学は何とかしてやるから、しっかり勉強しろよ」
と言っていた。
親父は仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。
※
俺と言えば、目標も特に無く、高校中退が頭にチラついて勉強は進まなかった。
ただボーっと机に向かい、勉強する振りだけはしていた。
せめて親父を安心させるためだったと思う。
だからその後の成績も、とても期待に沿うものでは無かった。
ただ、親父の
「高校、大学は何とかしてやる」
の言葉が重かった。
※
「お前、将来、何かやりたいことは無いのか?」
高校二年生の冬、痩せこけた親父に問い掛けられた。
俺は期末テストで学年ビリから2番を取り、担任からも進路について厳しい話をされていた。
言葉も無い俺に、怒ったような泣いたような顔で親父は言った。
「…無いなら、医者になれ! …勉強して、医者になって、俺の病気を治してくれ!」
上手く説明できない熱い感情に、頭をガツンと打たれた。
自分への情けなさとか、怒りとか、色々混ざったものが込み上げた。
その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。
それからがむしゃらに勉強した。
※
高校3年の夏、親父は逝った。
親父は闘病生活の2年間で借金を整理し、俺の高校の学費を何とか工面したそうだ。
親父のおかげで、高校も卒業できた。
そして有り難いことに、一年間の浪人生活を経て、俺は地方の国立大学の医学部に合格した。
※
俺は今、癌専門治療医として働いている。
親父は、
「あいつは将来、俺の病気を治してくれるんだ」
と母に言っていたそうだ。
まだ親父の癌を治す力は無いが、日夜頑張っているよ。
いつか親父の癌を治せるように。