蛍は亡くなった人の魂

蛍は亡くなった人の魂

藍を建てる甕のそばに立つと、今でも父の手の匂いがよみがえります。

川の匂いです。泥と、水草と、ほんの少し生ぐさい、あの浅い流れの匂い。

四十を過ぎた今も、藍の甕をのぞき込むたびに、鼻の奥がその匂いでいっぱいになります。

これは、蛍を亡くなった人の魂だと信じて育った私が、無口な父の本当の気持ちを知るまでの話です。

父は川漁師でした。

町のまんなかを浅い川が流れる、小さな河岸の町で、私は生まれ育ちました。子どもでも渡れるほど、穏やかな流れです。

六月の終わりになると、その川べりに蛍が出ます。

夜の岸の草むらが、息をするように青白く明滅するのです。

「蛍はな、亡くなった人の魂じゃ。粗末に扱うんでないぞ」

祖母の口ぐせでした。祖母が逝ってからは、父がそっくり同じことを、私に言うようになりました。

お盆のころに飛ぶ蛍を、帰ってきた人の姿と見る言い伝えは、あちこちの土地に残っています。うちの町でも、それは疑う余地のないことでした。

亡くなった人の魂と火籠

幼い私は、川べりで光るひとつひとつに、会ったこともない誰かの顔を思い描いていました。

あの光は祖母かもしれない。あの光は、町の誰かのおじいさんかもしれない。

光を見つめていると、遠くへ行ってしまった人が、そう遠くへは行っていないような気がしたのです。

母のことは、ほとんど覚えていません。私が三つのときに、病で逝ったからです。

それでも蛍の季節になると、父はきまって川べりで一度だけ、こうつぶやきました。

「母さんも、どれかにおるかもしれんな」

だから私にとって蛍は、幼いころからずっと、会えない人に会いにいくための小さな灯りでした。

父は、驚くほど言葉の少ない人でした。

朝のまだ暗いうちに舟を出し、昼を過ぎてから帰ってきます。玄関先で濡れた前掛けを絞りながら、ただ「ただいま」とだけ言う。そういう毎日でした。

母がいないので、うちは長いあいだ、父と私のふたりきりでした。無口な父と、その父に似て口下手な娘です。

夕餉の食卓には、たいてい箸の音ばかりが響いていました。味噌汁の湯気だけが、ふたりのあいだで揺れていたのを覚えています。

それでも、父の焼いてくれる鮎の塩加減だけは、町でいちばんだと思っていました。骨の外し方を、何も言わずに箸で見せてくれたのも父でした。

私が小学校にあがった年の夏のことは、はっきりと覚えています。

ある晩、父が細い竹をいくつも土間に広げて、黙々と何かを編んでいました。

ごつごつした指が、意外なほど器用に竹をしならせていきます。しばらくして、手のひらに乗るほどの小さな籠ができあがりました。

「これに蛍を入れて、朝になったら逃がすんだ」

火籠というものだと、父は言いました。中に蛍を入れると、竹のすきまから光が漏れて、小さな提灯のようになるのだそうです。

「ずっと入れといたら、弱ってしまうの」

私が聞くと、父はめずらしく、少し困ったような顔をしました。

「ああ。だから、朝になったら逃がしてやる。光はな、閉じ込めるもんじゃない」

その夜、父は私を肩車して、川べりまで連れていってくれました。

父の首すじからは、やはりあの川の匂いがしました。汗と、水草の、少しだけ生ぐさい匂いです。

夜風が頬にあたり、遠くで蛙が鳴いていました。父の肩の上は高くて、少し怖くて、けれど世界でいちばん安全な場所でした。

大きな手が、蛍を一匹だけそっと捕まえて、火籠に入れてくれました。竹の籠のなかで、光がゆっくり息をするように点滅します。

私はその火籠を枕もとに置いて眠りました。翌朝いちばんに窓をあけて、約束どおり蛍を逃がしました。

光が朝の空へ溶けていくのを、父と並んで見送ったことを、今でも覚えています。

それから毎年、蛍の季節になると、父は疲れているはずなのに、私を川べりへ連れていってくれました。

父は、川のことなら何でも知っていました。

この淵には大きな鯉がいる。あの岩の裏は流れがゆるい。蛍がいちばん多いのは、風のない蒸し暑い晩だ。

ぶっきらぼうな口調でも、川のことを話すときの父は、ほんの少しだけ饒舌でした。

ある年、私は欲張って、火籠にいっぱいの蛍を詰め込んだことがあります。すると父は、めずらしく厳しい顔をしました。

「一匹でいい。たくさん捕ったら、それだけたくさんの魂を、家に閉じ込めることになる」

私はしぶしぶ、ほとんどの蛍を草むらに返しました。手のひらを開くと、光がふわりと散っていきます。

その光景を、父は目を細めて見ていました。今思えば、あれは父なりの、いのちの話だったのだと思います。

父の手が編んだ籠は、驚くほど軽くて、あたたかい竹の匂いがしました。私は宝物のように大事にしていました。

川幅のような距離

けれど大きくなるにつれて、私と父のあいだには、少しずつ川幅のような距離ができていきました。

進路を決めた秋、担任の先生は「お父さんに話したか」と何度も聞きました。私は「話した」と嘘をつきました。話したつもりでいたのです。

思春期のころは、父の無口がそのまま冷たさのように思えて、仕方がありませんでした。

学校であったこと、うれしかったこと、悔しかったこと。話したいことはいくらでもあるのに、父は「そうか」としか返してくれません。

高校を出るとき、私は町を出て、隣の県の藍染めの工房に弟子入りすると決めました。

きっかけは、修学旅行で見た一枚の藍の反物でした。深い、吸い込まれるような青です。

あの色を自分の手で染めてみたい。手に職をつけて生きていきたい。そう強く思ったのに、その気持ちをうまく言葉にできませんでした。

「漁師の娘が、なんで染物なんぞ」

打ち明けた夜、父はそれだけ言って、あとは黙って湯呑みを傾けていました。

私はその横顔を、反対しているのだと受け取りました。おまえの好きにはさせない、という意味だと。

「勝手にするさ」

低い声が、そうつぶやいたようにも聞こえました。私は胸のなかで、少しだけ父を憎みました。

それからの数日、家のなかの空気は重く沈んでいました。父は何も言わず、私も意地になって口をききませんでした。

荷造りをしていると、隣のおばさんがそっと教えてくれました。

父が漁の合間に、工房のことを人づてに調べていたらしい、と。どんな親方なのか、遠くはないか、娘がやっていける町なのか。

けれど当時の私は、その話をうまく信じられませんでした。反対されているという思い込みのほうが、ずっと強かったのです。

出ていく朝のことも、忘れられません。

父は舟を出すはずの時間なのに、めずらしく土間に立って、私を見ていました。何か言いたそうに口を動かして、結局、出てきた言葉は短いものでした。

「気をつけて行け」

それだけでした。

私はうなずくのが精いっぱいで、ろくに顔も見ずにバスに乗りました。

窓の外で、父が小さくなっていきます。川の匂いが背中でどんどん遠ざかるのを感じながら、私は前だけを向いていました。

藍の甕と冷たい水

藍染めの修業は、思っていた何倍もつらいものでした。

藍は生きものです。甕のなかで菌を育て、毎朝その日の機嫌をうかがい、掻き混ぜて世話をします。

初めて染め上げた手拭いは、ムラだらけでした。それでも干し竿に揺れる青を見たとき、父に見せたいと、はじめて思ったのです。

冬の朝、かじかむ手を冷たい藍甕に沈めるたびに、私は父の指を思い出しました。爪の内側まで川の色が染みた、あの指です。

あの人も、こうして毎朝、冷たい水のなかに手を入れて生きてきたのだ。

工房の親方も、やはり無口な人でした。ある冬の朝、私が手を真っ赤にして震えていると、親方はぼそりと言いました。

「手が覚えたものは、裏切らん。口で覚えたものは、すぐ逃げる」

その言葉を聞いたとき、私はなぜか、父のことを思い出して泣きそうになりました。父もきっと、こういう人だったのだと。

親方の奥さんが握ってくれた梅干しのおにぎりは、妙に懐かしい酸っぱさでした。工房に来て初めて泣いたのは、その夜です。

季節は、甕の色とともにめぐりました。夏の藍は勢いよく発酵し、冬の藍は静かに眠ります。

その世話をしているうちに、三年が過ぎ、五年が過ぎました。

手のひらの藍色は、洗っても洗っても落ちなくなりました。父の指に染みていた川の色と、どこか似ていました。

血のつながりとは違う何かが、私と父を、色でつないでいるような気がしたものです。

そう気づいたとき、少しだけ、父の無口の意味がわかったような気がしました。手が語る仕事をしている人は、きっと言葉が少なくなるのだと。

それでも私は、なかなか町に帰りませんでした。半人前のまま顔を見せるのが、どうしてもいやだったのです。

ひとかどの職人になって、自分で染めた反物を持って帰る。そのときまでは帰らない。そう自分に言い聞かせていました。

意地だったのだと思います。父に似て、私も、いちばん大事なことほど言葉にできない人間でした。

一度だけ、実家に電話をかけたことがあります。呼び出し音が三つ鳴ったところで、私は受話器を置いてしまいました。

元気にしている、とだけ言えばよかったのに、それすら言えませんでした。

あのとき電話を切らなければ、と今でも思います。たった一度でも、父の声を聞いておけばよかった。

帰らないための言い訳は、いくらでも見つかりました。仕事が忙しい。まだ半人前だ。次の盆には帰ろう。次の正月には。

そうやって先延ばしにしているうちに、いつでも会えると思っていた人が、ある日ふいに会えない人になるのだと、私はまだ知りませんでした。

盆にも正月にも帰らないまま、季節が何度もめぐりました。そして、帰らないうちに、父は逝きました。

川で足をすべらせたのだと、親戚から電話で聞かされました。長年通いなれた、あの浅い川で。あっけなく、としか言いようのない知らせでした。

始発のバスに飛び乗りましたが、間に合いませんでした。

変わり果てた父の前掛けは、きれいに乾いていました。あの川の匂いは、もうしませんでした。

私はその胸に顔をうずめて、ようやく声をあげて泣きました。

棺のなかの父は、驚くほど小さく見えました。あんなに大きく、あんなに川の匂いのする人だったのに。

通夜の席では、町の人たちが次々に父の思い出を話してくれました。「あんたの話ばっかりしよったよ」と、網元のおじさんが言いました。私は受け止めきれず、うつむくだけでした。

自分の染めた藍の反物は、持ってきていませんでした。半人前のうちは帰らない、と決めていたからです。その意地が、こんなにも悔やまれたことはありません。

火葬を終えて家に戻ると、父のいない家は、ただ広く、ただ静かでした。

二つの湯呑み

台所の棚には、湯呑みが二つ並んでいました。

ひとつは父のもの。もうひとつは、何年も帰っていない私のものでした。

どちらの湯呑みにも、うっすらと茶渋がついていました。毎朝、父が洗っていた跡でした。

父は私の湯呑みを、ずっと片づけずに置いていたのです。いつ帰ってきてもいいように、という気持ちが、その二つの湯呑みにははっきり表れていました。

「ごめん、ごめんね」

何度そう繰り返しても、謝る相手は、もうどこにもいませんでした。

四十九日が過ぎ、私は父の家を片づけていました。

がらんとした家のなかに、父の匂いだけが残っています。使い込まれた道具箱、繕いあとだらけの網、乾いた仕事の手袋。暮らしは質素で、無駄がありませんでした。

その道具箱の底に、古い布に包まれた小さなものを見つけました。

布は色あせていましたが、見覚えのある柄でした。母が使っていた風呂敷です。父はそれで、あの火籠を包んでいたのです。

開いてみて、私は息をのみました。子どもの私が枕もとに置いていた、あの竹の火籠でした。

竹はすっかり飴色に変わっていましたが、一本もほどけていません。よく見ると、ほつれかけた部分が、何度も細い糸で結び直してあります。

節くれだった父の指が、これを繕っている姿が浮かびました。

籠の底に、小さく折りたたんだ紙きれが入っていました。

開くと、鉛筆の、ひどく不器用な字で、こう書いてありました。

紙は、何度も開いては畳まれたのでしょう。折り目のところが、柔らかくすり切れていました。

「そめもの、みにいけんですまん。にあうとおもう」

染物、見に行けなくて、すまない。似合うと思う。

父は、私の染めた藍を、とうとう一度も見ないまま逝きました。それなのに、似合うと思う、と。

反対されていると思い込んでいた、あの短い言葉の裏に、ずっとこれが流れていたのです。私はそのとき、初めて知りました。

「勝手にするさ」ではなかったのかもしれない。「達者でやれ」だったのかもしれない。

いちばん近いところにいたのに、私は父の胸のうちを、何ひとつわかっていなかったのです。

火籠のとなりには、色あせた一枚の写真も入っていました。

幼い私が、あの火籠を両手で抱えて、得意げに笑っている写真です。父が撮ってくれたものでした。

父は、あの夏の夜を、私よりもずっと長く、大切に抱えていたのです。

私は写真と手紙を胸に当てたまま、しばらく動けませんでした。

言葉にしなかっただけで、父はいつも私を見ていました。舟の上からも、冷たい川の水のなかからも。

ただ、その想いを口にするやり方を、不器用な人は最後まで知らなかった。それは、私もまったく同じでした。

初盆の夜の川べり

その年のお盆、私は久しぶりに、夜の川べりに立ちました。父の初盆です。

日が落ちて、あたりが藍色に沈むころ、草むらのあちこちで蛍が明滅しはじめました。

子どものころと少しも変わらない光でした。亡くなった人の魂だという、あの光です。

線香の煙が、川風にほどけていきます。蛍の光は、数えてみると三秒おきほどに明滅していました。呼吸のようなその間合いが、父の「ただいま」のあとの沈黙とよく似ていました。

私は工房から持ってきた火籠を、そっと川べりの草の上に置きました。父が繕い続けてくれた、竹の籠です。

すると、一匹の蛍が、迷わずその籠にとまったのです。

羽をたたんで、長いあいだ探していた帰る場所を、ようやく見つけたように、じっとしていました。

「おかえり」

気づけば、そう声が出ていました。涙で、光がにじみました。

「藍、ちゃんと一人前になったよ。今度こそ、見てね」

蛍は、返事をするように一度だけ強く光りました。それから、ゆっくりと竹の籠を離れました。

そして夜のいちばん高いところへ、まっすぐに昇っていったのです。

川の匂いが、ふいに濃くなった気がしました。汗と、水草の、少しだけ生ぐさい匂い。父の手の匂いと同じでした。

私はしばらく、その場に立ちつくしていました。

草むらでは、ほかの蛍たちが、何ごともなかったように明滅を続けています。そのどれもが、誰かの帰りを待つ灯りに見えました。

「母さんも、どれかにおるかな」

父の口ぶりを真似て、そうつぶやいてみました。答えるように、川面の光がいっせいに、ふっと強くなった気がしました。

光は、閉じ込めるものじゃない。朝が来たら、逃がしてやるものだ。

父の言葉を、私はもう一度、胸のなかで繰り返しました。それは、父からのいちばん長い返事のように思えました。

火籠は今、私の仕事場の窓辺に置いてあります。藍を建てる甕のすぐそばです。

あの日から、私は誰のことも、無理に引きとめないようにしています。行きたい場所へ行かせて、ただ、帰る場所を残しておく。父が私にそうしてくれたように。

工房で藍を染めながら、私はときどき、あの二つの湯呑みを思い出します。帰る場所を残しておくというのは、あんなにも静かで、深いことなのだと。

だから私も、いつか誰かのために、湯呑みをもうひとつ、片づけずに置いておける人になりたいと思っています。

六月の終わりになると、私は仕事の手を止めて、あの川べりへ帰ります。そして、明滅する光のひとつひとつに、静かに手を合わせるのです。

亡くなった人の魂が光になって帰ってくるのなら、そのなかのどれかは父であると、私は今も静かに信じています。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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