藍を建てる甕のそばに立つと、今でも父の手の匂いがよみがえります。
川の匂いです。泥と、水草と、ほんの少しだけ生ぐさい、あの浅い流れの匂い。四十を過ぎた今も、藍の甕をのぞき込むたびに、鼻の奥がその匂いでいっぱいになるのです。
父は川漁師でした。町のまんなかを、子どもでも渡れるほど浅い川が流れる、小さな河岸の町で、私は生まれ育ちました。
その川べりには、六月の終わりになると蛍が出ます。夜になると、岸の草むらが息をするように、青白い光であちこち明滅するのです。
「蛍はな、亡くなった人の魂じゃ。粗末に扱うんでないぞ」
それは、祖母の口ぐせでした。祖母が逝ってからは、父がそっくりそのまま、私に同じことを言うようになりました。
だから幼い私は、川べりで光るひとつひとつに、会ったこともない誰かの顔を思い描いていました。あの光は祖母かもしれない、あの光は町の誰かのおじいさんかもしれない、と。
光を見つめていると、遠くへ行ってしまった人が、そう遠くへは行っていないような気がしたのです。
母のことは、ほとんど覚えていません。私が三つのときに、病で逝ったからです。
それでも、蛍の季節になると、父はきまって川べりで一度だけ、こうつぶやきました。
「母さんも、どれかにおるかもしれんな」
だから私にとって蛍は、幼いころからずっと、会えない人に会いにいくための、小さな灯りでした。
※
父は、驚くほど言葉の少ない人でした。
朝のまだ暗いうちに舟を出し、昼を過ぎてから帰ってくる。玄関先で濡れた前掛けを絞りながら、ただ「ただいま」とだけ言う。そういう毎日でした。
母は私が幼いころに病気で亡くなっていましたから、うちは長いあいだ、父と私のふたりきりでした。無口な父と、その父に似て口下手な娘。夕餉の食卓は、たいてい箸の音ばかりが響いていました。
それでも、私が小学校にあがった年の夏のことは、はっきりと覚えています。
ある晩、父が細い竹をいくつも土間に広げて、黙々と何かを編んでいたのです。ごつごつした指が、意外なほど器用に竹をしならせていく。しばらくして、手のひらに乗るほどの小さな籠ができあがりました。
「これに蛍を入れて、朝になったら逃がすんだ」
火籠、というものだと父は言いました。中に蛍を入れると、竹のすきまから光が漏れて、まるで小さな提灯のようになるのだそうです。
「ずっと入れといたら、死んでしまうの」
私が聞くと、父はめずらしく、少し困ったような顔をしました。
「ああ。だから、朝になったら逃がしてやる。光はな、閉じ込めるもんじゃない」
その夜、父は私を肩車して川べりまで連れていってくれました。父の首すじからは、やはりあの川の匂いがしました。汗と、水草の、少しだけ生ぐさい匂い。
父の大きな手が、蛍を一匹だけそっと捕まえて、火籠に入れてくれました。竹の籠のなかで、光がゆっくりと息をするように点滅します。
私はその火籠を、枕もとに置いて眠りました。翌朝いちばんに窓をあけて、約束どおり蛍を逃がしたことを、今でも覚えています。光が朝の空へ溶けていくのを、父と並んで見送りました。
それから毎年、蛍の季節になると、父は仕事で疲れているはずなのに、私を川べりへ連れていってくれました。
父は、川のことなら何でも知っていました。この淵には大きな鯉がいる、あの岩の裏は流れがゆるい、蛍がいちばん多いのは風のない蒸し暑い晩だ、と。ぶっきらぼうな口調で、けれど川のことを話すときの父は、ほんの少しだけ饒舌でした。
ある年、私は欲張って、火籠にいっぱいの蛍を詰め込んだことがありました。すると父は、めずらしく厳しい顔をして言いました。
「一匹でいい。たくさん捕ったら、それだけたくさんの魂を、家に閉じ込めることになる」
私はしぶしぶ、ほとんどの蛍を草むらに返しました。手のひらを開くと、光がふわりと散っていく。その光景を、父は目を細めて見ていました。今思えば、あれは父なりの、いのちの話だったのだと思います。
父の手が編んだその籠は、驚くほど軽くて、あたたかい木の匂いがしました。私はそれを、宝物のように大事にしていました。
※
けれど、大きくなるにつれて、私と父のあいだには、少しずつ川幅のような距離ができていきました。
思春期のころは、父の無口が、そのまま冷たさのように思えて仕方がありませんでした。学校であったこと、うれしかったこと、悔しかったこと。話したいことはいくらでもあったのに、父はいつも「そうか」としか返してくれない。
高校を出るとき、私は町を出て、隣の県の藍染めの工房に弟子入りすると決めました。
きっかけは、修学旅行で見た、一枚の藍の反物でした。深い、吸い込まれるような青。あの色を自分の手で染めてみたい、手に職をつけて生きていきたい。そう強く思ったのです。けれど、その気持ちを、私はうまく言葉にできませんでした。
「漁師の娘が、なんで染物なんぞ」
打ち明けた夜、父はそれだけ言って、あとは黙って湯呑みを傾けていました。
私はその横顔を、反対しているのだと受け取りました。おまえの好きにはさせない、という意味だと。
「勝手にするさ」
低い声が、そうつぶやいたようにも聞こえて、私は胸のなかで少しだけ、父を憎みました。
それからの数日、家のなかの空気は重く沈んでいました。父は相変わらず何も言わず、私も意地になって口をききませんでした。
荷造りをしていると、隣のおばさんがそっと教えてくれました。父が漁の合間に、藍染めの工房のことを人づてに調べていたらしい、と。どんな親方なのか、遠くはないか、娘がやっていける町なのか。けれど当時の私は、その話をうまく信じることができませんでした。反対されている、という思い込みのほうが、ずっと強かったのです。
出ていく朝のことも、忘れられません。父は舟を出すはずの時間なのに、めずらしく土間に立って、私を見ていました。何か言いたそうに口を動かして、けれど結局、出てきた言葉は短いものでした。
「気をつけて行け」
それだけでした。
私はうなずくのが精いっぱいで、ろくに顔も見ずにバスに乗りました。窓の外で、父が小さくなっていきます。川の匂いが、背中でどんどん遠ざかっていくのを感じながら、私は前だけを向いていました。
※
藍染めの修業は、思っていた何倍もつらいものでした。
藍は生きものです。甕のなかで菌を育て、毎朝その日の機嫌をうかがい、掻き混ぜて世話をする。冬の朝、かじかむ手を冷たい藍甕に沈めるたびに、私は父の、爪の内側まで川の色が染みた、あの指を思い出しました。
あの人も、こうして毎朝、冷たい水のなかに手を入れて生きてきたのだ。
工房の親方も、やはり無口な人でした。ある冬の朝、私が手を真っ赤にして震えていると、親方はぼそりと言いました。
「手が覚えたものは、裏切らん。口で覚えたものは、すぐ逃げる」
その言葉を聞いたとき、私はなぜか、父のことを思い出して泣きそうになりました。父もきっと、こういう人だったのだ、と。
季節は、藍の甕の色とともにめぐりました。夏の藍は勢いよく発酵し、冬の藍は静かに眠る。その世話をしているうちに、三年が過ぎ、五年が過ぎました。
手のひらの藍色は、洗っても洗っても落ちなくなりました。父の指に染みていた川の色と、どこか似ていました。血のつながりとは違う何かが、私と父を、色でつないでいるような気がしたものです。
そう気づいたとき、少しだけ、父の無口の意味がわかったような気がしました。手が語る仕事をしている人は、きっと、言葉が少なくなるのだと。
それでも私は、なかなか町に帰りませんでした。半人前のまま顔を見せるのが、どうしてもいやだったのです。ひとかどの職人になって、自分で染めた反物を持って帰る。そのときまでは帰らない。そう自分に言い聞かせていました。
意地だったのだと思います。父に似て、私も、いちばん大事なことほど言葉にできない人間でした。
一度だけ、実家に電話をかけたことがあります。呼び出し音が三つ鳴ったところで、私は受話器を置いてしまいました。何を話せばいいのか、わからなかったのです。元気にしている、とだけ言えばよかったのに、それすら言えませんでした。
あのとき電話を切らなければ、と、今でも思います。たった一度でも、父の声を聞いておけばよかった、と。
それでも、帰らないための言い訳は、いくらでも見つかりました。仕事が忙しい。まだ半人前だ。次の盆には帰ろう。次の正月には。
そうやって先延ばしにしているうちに、いつでも会えると思っていた人が、ある日ふいに、会えない人になってしまうのだということを、私はまだ知りませんでした。
盆にも正月にも帰らないまま、季節が何度もめぐりました。
そうして、帰らないうちに、父は逝きました。
川で足をすべらせたのだと、親戚から電話で聞かされました。あっけなく、としか。長年通いなれた、あの浅い川で。
知らせを受けて、私は始発のバスに飛び乗りました。けれど、間に合いませんでした。
変わり果てた父の前掛けは、きれいに乾いていて、あの川の匂いは、もうしませんでした。私はその胸に顔をうずめて、ようやく声をあげて泣きました。
棺のなかの父は、驚くほど小さく見えました。あんなに大きく、あんなに川の匂いのする人だったのに。
私は、自分の染めた藍の反物を持ってきていませんでした。半人前のうちは帰らない、と決めていたから。その意地が、こんなにも悔やまれたことはありませんでした。
火葬を終えて家に戻ると、父のいない家は、ただ広く、ただ静かでした。
台所の棚には、湯呑みが二つ並んでいました。ひとつは父のもの、ひとつは、もう何年も帰っていない私のものでした。父は、私の湯呑みを、ずっと片づけずに置いていたのです。いつ帰ってきてもいいように、という父の気持ちが、その二つの湯呑みには、はっきりと表れていました。
「ごめん、ごめんね」
何度そう繰り返しても、謝る相手は、もうどこにもいませんでした。
※
四十九日が過ぎ、私は父の家を片づけていました。
がらんとした家のなかに、父の匂いだけが残っていました。使い込まれた道具箱、繕いあとだらけの網、干からびた仕事の手袋。父の暮らしは、どこもかしこも質素で、無駄がありませんでした。
その道具箱の底に、古い布に包まれた小さなものを見つけました。
布は、色あせてはいたけれど、見覚えのある柄でした。母が使っていた風呂敷でした。父はそれで、あの火籠を包んでいたのです。
開いてみて、私は息をのみました。あの火籠だったのです。子どもの私が枕もとに置いていた、竹の火籠。いつのまにか父が持っていて、大事にしまっていたのでした。
竹はすっかり飴色に変わって、けれど、一本もほどけてはいませんでした。よく見ると、ほつれかけた部分が、何度も細い糸で結び直してあります。父の、あの節くれだった指が、繕っている姿が浮かびました。
籠の底に、小さく折りたたんだ紙きれが入っていました。
開くと、鉛筆の、ひどく不器用な字で、こう書いてありました。
紙は、何度も開いては畳まれたのでしょう、折り目のところが柔らかくすり切れていました。
「そめもの、みにいけんですまん。にあうとおもう」
染物、見に行けなくて、すまない。似合うと思う。
父は、私の染めた藍を、とうとう一度も見ないまま逝ったのです。それなのに、似合うと思う、と。
反対されていると思い込んでいた、あの短い言葉の裏に、ずっとこれが流れていたのだと、私はそのとき、初めて知りました。
「勝手にするさ」ではなかったのかもしれない。「達者でやれ」だったのかもしれない。
遠くて、近い人でした。いちばん近いところにいたのに、私はその胸のうちを、何ひとつわかっていなかったのです。
火籠のとなりには、色あせた一枚の写真も入っていました。まだ幼い私が、あの火籠を両手で大事そうに抱えて、得意げに笑っている写真です。父が撮ってくれたものでした。
父は、あの夏の夜を、私よりもずっと長く、大切に抱えていたのです。
私はその写真と手紙を、しばらく胸に当てたまま、動けませんでした。
言葉にしなかっただけで、父はいつも、私のことを見ていたのです。舟の上からも、冷たい川の水のなかからも。ただ、その想いを口にするやり方を、あの不器用な人は、とうとう最後まで知らなかった。それは、私もまったく同じでした。
※
その年のお盆、私は久しぶりに、夜の川べりに立ちました。父の、初めての盆です。
日が落ちて、あたりが藍色に沈むころ、草むらのあちこちで、蛍が青白く明滅しはじめました。子どものころと、少しも変わらない光でした。亡くなった人の魂だという、あの光です。
私は工房から持ってきた、あの火籠を、そっと川べりの草の上に置きました。父が繕い続けてくれた、竹の籠を。
すると、一匹の蛍が、迷わずその竹の籠にとまったのです。
羽をたたんで、まるで長いあいだ探していた帰る場所を、ようやく見つけたように、じっとしていました。
「おかえり」
気づけば、そう声が出ていました。涙で、光がにじみました。
「藍、ちゃんと一人前になったよ。今度こそ、見てね」
蛍は、返事をするように一度だけ強く光って、それから、ゆっくりと竹の籠を離れました。そして夜のいちばん高いところへ、まっすぐに昇っていったのです。
川の匂いが、ふいに濃くなった気がしました。汗と、水草の、少しだけ生ぐさい、あの匂い。父の手の匂いと、同じでした。
私はしばらく、その場に立ちつくしていました。
草むらでは、ほかの蛍たちが、何ごともなかったように明滅を続けています。そのどれもが、誰かの帰りを待つ灯りのように見えました。
「母さんも、どれかにおるかな」
父の口ぶりを真似て、そうつぶやいてみました。答えるように、川面の光がいっせいに、ふっと強くなった気がしました。
光は、閉じ込めるものじゃない。朝が来たら、逃がしてやるものだ。
父の言葉を、私はもう一度、胸のなかで繰り返しました。
それは、父からの、いちばん長い返事のように思えました。
※
火籠は今、私の仕事場の窓辺に置いてあります。藍を建てる甕の、すぐそばです。
あの日から、私は誰のことも、無理に引きとめないようにしています。行きたい場所へ行かせて、ただ、帰る場所を残しておく。父が私にそうしてくれたように。
工房で藍を染めながら、私はときどき、あの二つの湯呑みのことを思い出します。帰る場所を残しておくというのは、きっと、あんなにも静かで、あんなにも深いことなのだと。
だから私も、いつか誰かのために、湯呑みをもうひとつ、片づけずに置いておける人になりたいと思っています。
六月の終わりになると、私は仕事の手を止めて、あの川べりへ帰ります。そして、明滅する光のひとつひとつに、静かに手を合わせるのです。
そのなかのどれかが父であることを、私は今も、静かに信じています。