我が家に柴犬のむぎがやって来たのは、長男の翔太が三歳の春のことでした。
近所の河原を散歩していたとき、雨に濡れて震えている段ボール箱を見つけたのです。
中を覗くと、生まれて間もない子犬が一匹だけ、ぽつんと残されていました。
拾い上げると、まだ目もよく開いていないのに、私の指を必死になって吸ってきました。
その小さな命の温度に、私はその場で連れて帰ることを決めてしまったのです。
「飼ってあげよう」と、めずらしく言い出したのは、ふだんは無口な夫でした。
「翔太も、きょうだいができたら喜ぶだろう」
名前は、夫が毎朝焼くトーストの色に似ているからと、むぎ、に決まりました。
ミルクの匂いのする小さな体は、私のてのひらに、すっぽりと収まりました。
最初の夜、むぎは段ボールの中で心細そうに鳴き続けました。
翔太が自分のタオルケットを分けてあげると、ようやく安心したように眠りました。
その日から、我が家の真ん中には、いつもむぎがいるようになったのです。
初めて動物病院へ連れて行った日、むぎは診察台の上で、ぶるぶると震えていました。
翔太が「だいじょうぶだよ」と耳元でささやくと、不思議と落ち着くのです。
家に来たばかりの頃は、夜中に何度も鳴いて、私たちはずいぶん寝不足になりました。
それでも、朝になってむぎの寝顔を見ると、その疲れも、すうっと溶けていくのでした。
トイレを覚えるまでは、失敗のたびに夫が黙って後始末をしていました。
「無口なのに、むぎのことになると甘いんだから」と私が言うと、夫は照れくさそうに笑いました。
気がつけば、いちばんむぎを可愛がっていたのは、ほかでもない夫だったのかもしれません。
※
むぎには、家族それぞれとの、決まった時間がありました。
朝は決まって、夫を起こすのがむぎの役目でした。
六時になると、寝室の扉を前足でかりかりと掻いて、ごはんをねだるのです。
夫は眠い目をこすりながら、それでも必ず起き上がり、ごはんをあげてから、縁側で一服するのが日課でした。
「むぎは、おれの目覚まし時計だな」と、夫はよく笑っていました。
昼間は、台所に立つ私の足元に、いつもぴたりと寄り添っていました。
私が涙もろい質なのを知っているのか、玉ねぎを刻んで涙ぐむと、心配そうに顔を覗き込むのです。
「むぎ、これは悲しいんじゃないのよ」と話しかけると、首をかしげて聞いていました。
人には言えないような愚痴も、むぎにだけは、ずいぶん聞いてもらった気がします。
夕方になると、むぎは決まって玄関で、翔太の帰りを待っていました。
ランドセルの音が遠くから聞こえると、尻尾をちぎれそうなほど振るのです。
夜は翔太と一緒に二階へ上がり、子ども用のベッドにもぐり込んで眠りました。
「むぎはぼくの弟だから、ぼくが守るんだ」と、翔太はいつも自慢げに言っていました。
休みの日には、家族四人で、よく裏山を散歩しました。
先頭をむぎが歩き、その尻尾を追いかけて、翔太が転びそうになりながらついていく。
春には土の匂い、夏には草いきれ、秋には落ち葉を踏む音。
季節のひとつひとつを、私たちはむぎと一緒に、足の裏で感じてきました。
そんな、なんでもない光景こそが、私たちの何よりの宝物だったのです。
翔太が熱を出して寝込んだときには、むぎは一日中、枕元を離れませんでした。
家族の誰かが元気をなくすと、むぎはいつも、いちばんそばにいてくれる子でした。
翔太が小学校に上がった年、二人は裏庭で「お手」と「おかわり」の特訓に明け暮れました。
なかなか覚えないむぎに、翔太は根気よく、何度も何度も手本を見せていました。
ようやくむぎが前足をのせたとき、翔太は飛び上がって、家じゅうに自慢して回ったものです。
「ママ、見て! むぎ、ぼくの言うこと聞いたよ!」
その誇らしげな顔を、私は今でもはっきりと覚えています。
夏の夜、雷が鳴ると、ふだんは強気なむぎも、震えながら翔太の布団にもぐり込みました。
「だいじょうぶ、ぼくがいるからね」と、翔太はむぎの背中を、小さな手でずっと撫でていました。
守っているつもりが、いつのまにか、二人はお互いを守り合う存在になっていたのです。
冬の朝、雪が積もると、むぎは真っ先に庭へ飛び出していきました。
白い息を弾ませて雪の上を駆け回る姿に、家族みんなが窓辺で笑ったものです。
雨の日でも、夕方になると、むぎは必ず玄関で翔太の帰りを待っていました。
ずぶ濡れの翔太を、心配そうに、顔じゅう舐めて出迎えるのです。
「ただいま、むぎ。今日も待っててくれたんだね」
そのやり取りを聞くたびに、私はこの家にむぎがいてくれる幸せを、しみじみ感じました。
私が夫と小さな喧嘩をした夜などは、むぎは決まって、二人の間に座り込みました。
そのとぼけた顔を見ていると、いつのまにか怒る気も失せてしまうのでした。
翔太が学校でいやなことがあった日も、いちばんに気づくのはむぎでした。
うつむいて帰ってきた翔太の膝に、むぎはそっと顎をのせるのです。
言葉はなくても、その温かい重みが、子どもの心をほどいていくのが分かりました。
「むぎは、ぼくの気持ちが全部わかるんだ」と、翔太は誇らしげに言っていました。
私たちにとってむぎは、ペットというより、もう一人の、大切な家族でした。
毎年の誕生日には、むぎの分だけ特別な犬用ケーキを用意するのが、我が家の決まりでした。
ろうそくの火を吹き消す係は、いつも翔太とむぎ、二人の共同作業だったのです。
春の土手では、菜の花の中をむぎが駆け、その黄色い帯の向こうから翔太が手を振りました。
夏には、川辺でむぎが水しぶきを上げ、翔太と二人、びしょ濡れになって帰ってきました。
秋には、落ち葉の山にむぎが飛び込み、舞い上がる葉の中で、家族みんなが笑いました。
冬には、こたつの中でむぎと翔太が並んで眠る、まるで双子のような寝顔がありました。
四つの季節は、いつもむぎと一緒に、ゆっくりと巡っていきました。
そのどれもが、今は手の届かない、けれど確かにあった、かけがえのない時間です。
我が家の玄関には、四人と一匹で撮った写真が、今も飾ってあります。
桜の木の下、むぎを真ん中に抱えて、家族みんなが笑っているその一枚が、私の宝物です。
※
年月は、人よりも犬の方が、ずっと早く流れていきます。
気づけばむぎの口元には、白い毛が混じるようになっていました。
あれほど好きだった裏山の散歩も、途中で座り込んでしまうことが増えました。
階段を上がるのをためらうようになり、夜は一階の私たちの寝室で眠るようになりました。
翔太は少し寂しそうでしたが、「むぎ、ゆっくりおやすみ」と、毎晩一階まで下りてきました。
それでも、朝に夫を起こす役目だけは、むぎは最後まで律儀に続けていました。
「むぎ、もう無理しなくていいんだぞ」と夫が言っても、決まった時間に扉を掻くのです。
獣医さんには、「もう、ずいぶんと高齢ですからね」と、静かに告げられていました。
私たちは、残された一日一日を、ただ大切に過ごそうと心に決めました。
むぎが好きだったささみを、私は少しずつ柔らかく煮て、手から食べさせるようになりました。
翔太は学校から帰ると、真っ先にむぎのそばに座り、その日あったことを話して聞かせました。
「むぎ、今日もぼくの話、聞いてくれてありがとう」
夜には夫が、昔のように、むぎを膝にのせて、静かに頭を撫でていました。
残された時間が短いと知っていたからこそ、私たちは、一瞬一瞬を、いとおしみました。
ある晩、むぎは私の布団のそばまで来て、じっと顔を見つめていました。
まるで「今までありがとう」と言っているような、おだやかな目でした。
私はその頭を抱きしめて、「こちらこそ、ありがとうね」と何度も伝えました。
今思えば、あれはむぎなりの、お別れの挨拶だったのかもしれません。
翌朝、むぎは静かに、眠るように旅立ちました。
苦しんだ様子もなく、まるで満ち足りた顔をしていたのが、せめてもの救いでした。
獣医さんは「大切にされた子は、最期の顔が違うんですよ」と、やさしく言ってくれました。
その言葉に、私たちは少しだけ、救われた気がしたのです。
あんなに小さな箱の中で震えていた命が、こんなにも大きな愛を、私たちに残してくれました。
むぎがいた十二年は、家族にとって、何よりも豊かな日々だったと胸を張って言えます。
別れの悲しみは、それだけ深く愛した証なのだと、今は思えるようになりました。
むぎが繋いでくれた家族の絆は、これからもずっと、私たちを支えてくれるはずです。
いつか虹の橋のたもとで再会できるその日まで、私たちは胸を張って、笑って生きていきます。
最後の秋、家族四人で、もう一度だけ裏山を歩きました。
むぎは途中で何度も休みながら、それでも頂上まで、ゆっくりと登りきりました。
夕日に染まる町を、四人と一匹で、並んで眺めた時間を、私は一生忘れません。
下りの道で、むぎはもう歩けなくなり、夫がその体をそっと抱き上げました。
「軽くなったなあ」と夫がつぶやいた声に、私は胸が締めつけられました。
腕の中のむぎは、それでも気持ちよさそうに、夫の頬をぺろりと舐めました。
家に帰ると、むぎは縁側の日だまりで、長いあいだ、うとうとしていました。
その寝顔を、翔太はスケッチブックに、一生懸命に描きうつしていました。
「むぎが元気だった頃の顔も、ちゃんと残しておくんだ」と、翔太は言いました。
まだ十歳の息子が、別れの予感を、静かに受けとめようとしていたのです。
※
その朝は、いつもの、扉を掻く音が聞こえませんでした。
いやな予感がして、私は寝室の隅の、むぎの寝床を覗き込みました。
むぎは、まるで眠っているように、まあるくなって横たわっていました。
そっと背中に手を当てると、まだ、ほんのりとあたたかいのです。
ついさっきまで、確かにここで、息をしていた。
そのぬくもりが、かえって私の胸を、深くえぐりました。
私はむぎを抱き上げ、その場に泣き崩れてしまいました。
※
むぎが逝った次の朝、夫はいつもの時間に、ひとりで起きてきました。
誰に起こされたわけでもないのに、体が、その時間を覚えていたのでしょう。
縁側に座り、煙草に火を点けた夫の足元には、もう、まとわりついてくる小さな影はありません。
その背中が、ひどく寂しそうでした。
「長いこと、起こしてくれて、ありがとうな」
夫が誰にともなくつぶやいた声に、私はまた、こみ上げるものを抑えられませんでした。
翔太は、むぎが死んだ日は、呆然としたまま、一言もしゃべりませんでした。
けれど夜、二階の子ども部屋から、押し殺したような泣き声が漏れてきたのです。
親として、悲しむ我が子を、抱きしめてあげなければいけなかった。
それなのに私は、ドアの前でうずくまり、声を殺して泣くことしかできませんでした。
翌日、家族で、むぎが大好きだった裏山の麓に、小さなお墓を作りました。
翔太は、自分のいちばん大事にしていたボールを、そっとそこに供えました。
むぎが使っていたごはんのお皿を、私はどうしても、片づけることができませんでした。
毎朝、空のままのお皿が目に入るたびに、胸の奥がきゅっと痛みました。
夫は、むぎの首輪を、自分の鞄に静かにしまっていました。
「いつも一緒だったから、せめてこれくらいはな」と、ぽつりと言いました。
家族はそれぞれのやり方で、むぎのいない毎日に、少しずつ慣れようとしていたのです。
それでも、ふとした瞬間に、むぎの気配を探してしまう自分がいました。
玄関の戸が鳴れば、出迎えに走る足音を待ち、台所に立てば、足元の温もりを探すのです。
そのたびに、もういないのだという事実が、新しく胸に刺さりました。
夫も、朝の六時になると、今でもふと目を覚ますのだと、こぼしていました。
「体が、まだ起こされるのを待ってるんだよ」と、寂しそうに笑っていました。
※
それからの私は、まるで抜け殻のようでした。
食事の支度をしていても、洗濯物を畳んでいても、ふいに涙が溢れてくるのです。
ある日、台所でまた私が泣いているのを見つけた翔太が、そっと近づいてきました。
「ママ、次はどこをお掃除する? ぼくも手伝うよ」
小さな手で、私のエプロンの裾を、きゅっと握っていました。
「ママが隊長で、ぼくが副隊長になって、お掃除をやっつけよう」
泣きっぱなしで、ぐしゃぐしゃの顔をしている私に、翔太はにっと笑いかけました。
「隊長ばっかりで、部下が一人しかいないじゃない」
私は、ぐちゃぐちゃの顔のまま、思わず吹き出してしまいました。
むぎが逝ってから、初めて笑った瞬間でした。
「だってね、ママ」と翔太は、少し大人びた顔で言いました。
「むぎは、ぼくたちが笑ってるのを見るのが、いちばん好きだったでしょ」
「だから、ママがずっと泣いてたら、むぎが心配しちゃうよ」
その一言に、私はまた、さっきとは違う涙をこぼしました。
くよくよしてばかりではいけないことを、まだ小さな息子の方が、私に教えてくれたのです。
情けなくて、けれど、たまらなく愛おしくて。
その夜、私は久しぶりに、家族三人で食卓を囲みました。
むぎのいない食卓は、やはり少し広くて、静かでした。
けれど翔太が、むぎとの面白かった思い出を次々に話すうちに、自然と笑い声が戻ってきました。
「覚えてる? むぎが、パパのスリッパを庭に埋めちゃったこと」
「ああ、あれは参ったなあ」と、夫も久しぶりに声をあげて笑いました。
泣いてばかりでは、むぎとの楽しい思い出まで、悲しみで塗りつぶしてしまう。
そのことに、私はようやく気づいたのです。
翌朝、私は思い切って、むぎのお皿を、きれいに洗って棚にしまいました。
捨てるのではなく、いつかまた、別の小さな命を迎える日のために、大切に取っておくことにしたのです。
翔太には、まだ少し早い話かもしれません。
それでも、いのちはこうして、誰かから誰かへと、手渡されていくのだと思います。
※
むぎは、十二年と少し、私たち家族と一緒にいてくれました。
その短くて、けれど長い時間に、家族でいることの意味を、たくさん教えてくれた気がします。
朝の食卓に、もう小さな影はありません。
それでも、家族の真ん中には、確かにむぎの居場所が、今も残っています。
今日で、めそめそ泣くのは、もうおしまいにしようと思います。
むぎとの、たくさんの楽しかった思い出を、そっと胸の引き出しにしまって。
明日からは、また、いつものママに戻りますね。
玄関の写真の中で、むぎは今日も、家族の真ん中で笑っています。
その笑顔に恥じないように、私たちも、笑って生きていこうと思います。
悲しみは、きっと完全には消えません。
それでも、悲しみと同じだけ、いえ、それ以上の幸せを、むぎはくれました。
むぎ、我が家に来てくれて、本当にありがとう。
あなたが教えてくれたことを、これからもずっと、家族みんなで大切にしていきます。
隊長として、たった一人の頼もしい副隊長と手をつないで、ちゃんと前を向いて歩いていきます。