息子が教えてくれた

我が家に柴犬のむぎがやって来たのは、長男の翔太が三歳の春のことでした。

近所の河原を散歩していたとき、雨に濡れて震えている段ボール箱を見つけたのです。

中を覗くと、生まれて間もない子犬が一匹だけ、ぽつんと残されていました。

拾い上げると、まだ目もよく開いていないのに、私の指を必死になって吸ってきました。

その小さな命の温度に、私はその場で連れて帰ることを決めてしまったのです。

「飼ってあげよう」と、めずらしく言い出したのは、ふだんは無口な夫でした。

「翔太も、きょうだいができたら喜ぶだろう」

名前は、夫が毎朝焼くトーストの色に似ているからと、むぎ、に決まりました。

ミルクの匂いのする小さな体は、私のてのひらに、すっぽりと収まりました。

最初の夜、むぎは段ボールの中で心細そうに鳴き続けました。

翔太が自分のタオルケットを分けてあげると、ようやく安心したように眠りました。

その日から、我が家の真ん中には、いつもむぎがいるようになったのです。

初めて動物病院へ連れて行った日、むぎは診察台の上で、ぶるぶると震えていました。

翔太が「だいじょうぶだよ」と耳元でささやくと、不思議と落ち着くのです。

家に来たばかりの頃は、夜中に何度も鳴いて、私たちはずいぶん寝不足になりました。

それでも、朝になってむぎの寝顔を見ると、その疲れも、すうっと溶けていくのでした。

トイレを覚えるまでは、失敗のたびに夫が黙って後始末をしていました。

「無口なのに、むぎのことになると甘いんだから」と私が言うと、夫は照れくさそうに笑いました。

気がつけば、いちばんむぎを可愛がっていたのは、ほかでもない夫だったのかもしれません。

むぎには、家族それぞれとの、決まった時間がありました。

朝は決まって、夫を起こすのがむぎの役目でした。

六時になると、寝室の扉を前足でかりかりと掻いて、ごはんをねだるのです。

夫は眠い目をこすりながら、それでも必ず起き上がり、ごはんをあげてから、縁側で一服するのが日課でした。

「むぎは、おれの目覚まし時計だな」と、夫はよく笑っていました。

昼間は、台所に立つ私の足元に、いつもぴたりと寄り添っていました。

私が涙もろい質なのを知っているのか、玉ねぎを刻んで涙ぐむと、心配そうに顔を覗き込むのです。

「むぎ、これは悲しいんじゃないのよ」と話しかけると、首をかしげて聞いていました。

人には言えないような愚痴も、むぎにだけは、ずいぶん聞いてもらった気がします。

夕方になると、むぎは決まって玄関で、翔太の帰りを待っていました。

ランドセルの音が遠くから聞こえると、尻尾をちぎれそうなほど振るのです。

夜は翔太と一緒に二階へ上がり、子ども用のベッドにもぐり込んで眠りました。

「むぎはぼくの弟だから、ぼくが守るんだ」と、翔太はいつも自慢げに言っていました。

休みの日には、家族四人で、よく裏山を散歩しました。

先頭をむぎが歩き、その尻尾を追いかけて、翔太が転びそうになりながらついていく。

春には土の匂い、夏には草いきれ、秋には落ち葉を踏む音。

季節のひとつひとつを、私たちはむぎと一緒に、足の裏で感じてきました。

そんな、なんでもない光景こそが、私たちの何よりの宝物だったのです。

翔太が熱を出して寝込んだときには、むぎは一日中、枕元を離れませんでした。

家族の誰かが元気をなくすと、むぎはいつも、いちばんそばにいてくれる子でした。

翔太が小学校に上がった年、二人は裏庭で「お手」と「おかわり」の特訓に明け暮れました。

なかなか覚えないむぎに、翔太は根気よく、何度も何度も手本を見せていました。

ようやくむぎが前足をのせたとき、翔太は飛び上がって、家じゅうに自慢して回ったものです。

「ママ、見て! むぎ、ぼくの言うこと聞いたよ!」

その誇らしげな顔を、私は今でもはっきりと覚えています。

夏の夜、雷が鳴ると、ふだんは強気なむぎも、震えながら翔太の布団にもぐり込みました。

「だいじょうぶ、ぼくがいるからね」と、翔太はむぎの背中を、小さな手でずっと撫でていました。

守っているつもりが、いつのまにか、二人はお互いを守り合う存在になっていたのです。

冬の朝、雪が積もると、むぎは真っ先に庭へ飛び出していきました。

白い息を弾ませて雪の上を駆け回る姿に、家族みんなが窓辺で笑ったものです。

雨の日でも、夕方になると、むぎは必ず玄関で翔太の帰りを待っていました。

ずぶ濡れの翔太を、心配そうに、顔じゅう舐めて出迎えるのです。

「ただいま、むぎ。今日も待っててくれたんだね」

そのやり取りを聞くたびに、私はこの家にむぎがいてくれる幸せを、しみじみ感じました。

私が夫と小さな喧嘩をした夜などは、むぎは決まって、二人の間に座り込みました。

そのとぼけた顔を見ていると、いつのまにか怒る気も失せてしまうのでした。

翔太が学校でいやなことがあった日も、いちばんに気づくのはむぎでした。

うつむいて帰ってきた翔太の膝に、むぎはそっと顎をのせるのです。

言葉はなくても、その温かい重みが、子どもの心をほどいていくのが分かりました。

「むぎは、ぼくの気持ちが全部わかるんだ」と、翔太は誇らしげに言っていました。

私たちにとってむぎは、ペットというより、もう一人の、大切な家族でした。

毎年の誕生日には、むぎの分だけ特別な犬用ケーキを用意するのが、我が家の決まりでした。

ろうそくの火を吹き消す係は、いつも翔太とむぎ、二人の共同作業だったのです。

春の土手では、菜の花の中をむぎが駆け、その黄色い帯の向こうから翔太が手を振りました。

夏には、川辺でむぎが水しぶきを上げ、翔太と二人、びしょ濡れになって帰ってきました。

秋には、落ち葉の山にむぎが飛び込み、舞い上がる葉の中で、家族みんなが笑いました。

冬には、こたつの中でむぎと翔太が並んで眠る、まるで双子のような寝顔がありました。

四つの季節は、いつもむぎと一緒に、ゆっくりと巡っていきました。

そのどれもが、今は手の届かない、けれど確かにあった、かけがえのない時間です。

我が家の玄関には、四人と一匹で撮った写真が、今も飾ってあります。

桜の木の下、むぎを真ん中に抱えて、家族みんなが笑っているその一枚が、私の宝物です。

年月は、人よりも犬の方が、ずっと早く流れていきます。

気づけばむぎの口元には、白い毛が混じるようになっていました。

あれほど好きだった裏山の散歩も、途中で座り込んでしまうことが増えました。

階段を上がるのをためらうようになり、夜は一階の私たちの寝室で眠るようになりました。

翔太は少し寂しそうでしたが、「むぎ、ゆっくりおやすみ」と、毎晩一階まで下りてきました。

それでも、朝に夫を起こす役目だけは、むぎは最後まで律儀に続けていました。

「むぎ、もう無理しなくていいんだぞ」と夫が言っても、決まった時間に扉を掻くのです。

獣医さんには、「もう、ずいぶんと高齢ですからね」と、静かに告げられていました。

私たちは、残された一日一日を、ただ大切に過ごそうと心に決めました。

むぎが好きだったささみを、私は少しずつ柔らかく煮て、手から食べさせるようになりました。

翔太は学校から帰ると、真っ先にむぎのそばに座り、その日あったことを話して聞かせました。

「むぎ、今日もぼくの話、聞いてくれてありがとう」

夜には夫が、昔のように、むぎを膝にのせて、静かに頭を撫でていました。

残された時間が短いと知っていたからこそ、私たちは、一瞬一瞬を、いとおしみました。

ある晩、むぎは私の布団のそばまで来て、じっと顔を見つめていました。

まるで「今までありがとう」と言っているような、おだやかな目でした。

私はその頭を抱きしめて、「こちらこそ、ありがとうね」と何度も伝えました。

今思えば、あれはむぎなりの、お別れの挨拶だったのかもしれません。

翌朝、むぎは静かに、眠るように旅立ちました。

苦しんだ様子もなく、まるで満ち足りた顔をしていたのが、せめてもの救いでした。

獣医さんは「大切にされた子は、最期の顔が違うんですよ」と、やさしく言ってくれました。

その言葉に、私たちは少しだけ、救われた気がしたのです。

あんなに小さな箱の中で震えていた命が、こんなにも大きな愛を、私たちに残してくれました。

むぎがいた十二年は、家族にとって、何よりも豊かな日々だったと胸を張って言えます。

別れの悲しみは、それだけ深く愛した証なのだと、今は思えるようになりました。

むぎが繋いでくれた家族の絆は、これからもずっと、私たちを支えてくれるはずです。

いつか虹の橋のたもとで再会できるその日まで、私たちは胸を張って、笑って生きていきます。

最後の秋、家族四人で、もう一度だけ裏山を歩きました。

むぎは途中で何度も休みながら、それでも頂上まで、ゆっくりと登りきりました。

夕日に染まる町を、四人と一匹で、並んで眺めた時間を、私は一生忘れません。

下りの道で、むぎはもう歩けなくなり、夫がその体をそっと抱き上げました。

「軽くなったなあ」と夫がつぶやいた声に、私は胸が締めつけられました。

腕の中のむぎは、それでも気持ちよさそうに、夫の頬をぺろりと舐めました。

家に帰ると、むぎは縁側の日だまりで、長いあいだ、うとうとしていました。

その寝顔を、翔太はスケッチブックに、一生懸命に描きうつしていました。

「むぎが元気だった頃の顔も、ちゃんと残しておくんだ」と、翔太は言いました。

まだ十歳の息子が、別れの予感を、静かに受けとめようとしていたのです。

その朝は、いつもの、扉を掻く音が聞こえませんでした。

いやな予感がして、私は寝室の隅の、むぎの寝床を覗き込みました。

むぎは、まるで眠っているように、まあるくなって横たわっていました。

そっと背中に手を当てると、まだ、ほんのりとあたたかいのです。

ついさっきまで、確かにここで、息をしていた。

そのぬくもりが、かえって私の胸を、深くえぐりました。

私はむぎを抱き上げ、その場に泣き崩れてしまいました。

むぎが逝った次の朝、夫はいつもの時間に、ひとりで起きてきました。

誰に起こされたわけでもないのに、体が、その時間を覚えていたのでしょう。

縁側に座り、煙草に火を点けた夫の足元には、もう、まとわりついてくる小さな影はありません。

その背中が、ひどく寂しそうでした。

「長いこと、起こしてくれて、ありがとうな」

夫が誰にともなくつぶやいた声に、私はまた、こみ上げるものを抑えられませんでした。

翔太は、むぎが死んだ日は、呆然としたまま、一言もしゃべりませんでした。

けれど夜、二階の子ども部屋から、押し殺したような泣き声が漏れてきたのです。

親として、悲しむ我が子を、抱きしめてあげなければいけなかった。

それなのに私は、ドアの前でうずくまり、声を殺して泣くことしかできませんでした。

翌日、家族で、むぎが大好きだった裏山の麓に、小さなお墓を作りました。

翔太は、自分のいちばん大事にしていたボールを、そっとそこに供えました。

むぎが使っていたごはんのお皿を、私はどうしても、片づけることができませんでした。

毎朝、空のままのお皿が目に入るたびに、胸の奥がきゅっと痛みました。

夫は、むぎの首輪を、自分の鞄に静かにしまっていました。

「いつも一緒だったから、せめてこれくらいはな」と、ぽつりと言いました。

家族はそれぞれのやり方で、むぎのいない毎日に、少しずつ慣れようとしていたのです。

それでも、ふとした瞬間に、むぎの気配を探してしまう自分がいました。

玄関の戸が鳴れば、出迎えに走る足音を待ち、台所に立てば、足元の温もりを探すのです。

そのたびに、もういないのだという事実が、新しく胸に刺さりました。

夫も、朝の六時になると、今でもふと目を覚ますのだと、こぼしていました。

「体が、まだ起こされるのを待ってるんだよ」と、寂しそうに笑っていました。

それからの私は、まるで抜け殻のようでした。

食事の支度をしていても、洗濯物を畳んでいても、ふいに涙が溢れてくるのです。

ある日、台所でまた私が泣いているのを見つけた翔太が、そっと近づいてきました。

「ママ、次はどこをお掃除する? ぼくも手伝うよ」

小さな手で、私のエプロンの裾を、きゅっと握っていました。

「ママが隊長で、ぼくが副隊長になって、お掃除をやっつけよう」

泣きっぱなしで、ぐしゃぐしゃの顔をしている私に、翔太はにっと笑いかけました。

「隊長ばっかりで、部下が一人しかいないじゃない」

私は、ぐちゃぐちゃの顔のまま、思わず吹き出してしまいました。

むぎが逝ってから、初めて笑った瞬間でした。

「だってね、ママ」と翔太は、少し大人びた顔で言いました。

「むぎは、ぼくたちが笑ってるのを見るのが、いちばん好きだったでしょ」

「だから、ママがずっと泣いてたら、むぎが心配しちゃうよ」

その一言に、私はまた、さっきとは違う涙をこぼしました。

くよくよしてばかりではいけないことを、まだ小さな息子の方が、私に教えてくれたのです。

情けなくて、けれど、たまらなく愛おしくて。

その夜、私は久しぶりに、家族三人で食卓を囲みました。

むぎのいない食卓は、やはり少し広くて、静かでした。

けれど翔太が、むぎとの面白かった思い出を次々に話すうちに、自然と笑い声が戻ってきました。

「覚えてる? むぎが、パパのスリッパを庭に埋めちゃったこと」

「ああ、あれは参ったなあ」と、夫も久しぶりに声をあげて笑いました。

泣いてばかりでは、むぎとの楽しい思い出まで、悲しみで塗りつぶしてしまう。

そのことに、私はようやく気づいたのです。

翌朝、私は思い切って、むぎのお皿を、きれいに洗って棚にしまいました。

捨てるのではなく、いつかまた、別の小さな命を迎える日のために、大切に取っておくことにしたのです。

翔太には、まだ少し早い話かもしれません。

それでも、いのちはこうして、誰かから誰かへと、手渡されていくのだと思います。

むぎは、十二年と少し、私たち家族と一緒にいてくれました。

その短くて、けれど長い時間に、家族でいることの意味を、たくさん教えてくれた気がします。

朝の食卓に、もう小さな影はありません。

それでも、家族の真ん中には、確かにむぎの居場所が、今も残っています。

今日で、めそめそ泣くのは、もうおしまいにしようと思います。

むぎとの、たくさんの楽しかった思い出を、そっと胸の引き出しにしまって。

明日からは、また、いつものママに戻りますね。

玄関の写真の中で、むぎは今日も、家族の真ん中で笑っています。

その笑顔に恥じないように、私たちも、笑って生きていこうと思います。

悲しみは、きっと完全には消えません。

それでも、悲しみと同じだけ、いえ、それ以上の幸せを、むぎはくれました。

むぎ、我が家に来てくれて、本当にありがとう。

あなたが教えてくれたことを、これからもずっと、家族みんなで大切にしていきます。

隊長として、たった一人の頼もしい副隊長と手をつないで、ちゃんと前を向いて歩いていきます。

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