
学生の頃、市立美術館でアルバイトをしていました。
いまでも鞄の内ポケットに、のど飴の缶を一つ入れています。
中身は入れ替わりますが、缶だけは同じものを使っています。
二十年近く前に、ある先生からもらったものです。
その年の秋、私の仕事は地元の公募展の受け付けでした。
搬入の日は朝八時から人が並びます。
額縁を抱えた人、台車に彫刻を載せた人、風呂敷を提げた人。
受付の長机に出品票と鉛筆を並べ、番号を振って預かり証を切る。
それだけの仕事です。
美術館は駅から坂を上ったところにありました。
普段は静かな建物です。
常設展の監視に入ると、一日で十人も来ない日があります。
公募展の搬入日だけは別でした。
朝から玄関に列ができて、館内がざわざわします。
来るのは町の人たちです。
漬物屋のおじさんが油絵を抱えて来る。
高校の美術部の子が、先生に付き添われて来る。
農協の帰りだという人が、軽トラの荷台から石を下ろす。
みんな、作品より先に自分の言い訳を話します。
「今年は時間がなかったけん」
「去年のほうがよう描けとった」
そう言いながら、預かり証を大事そうに折りたたんで財布に入れていきました。
受付の机は、玄関を入ってすぐの吹き抜けに置かれます。
天井が高いので、声がよく響きました。
番号を読み上げる係と、預かり証を切る係と、案内の係。
学生のアルバイトは三人で、私は読み上げでした。
喉を使う役でした。
受付には、審査員の先生が一人、必ず同席することになっていました。
その日、隣に座ったのは彫刻の先生でした。
七十を少し過ぎたくらいでしょうか。
白髪を短く刈って、グレーのカーディガンを着ていました。
優しいおじいちゃん、という言葉がそのまま似合う人でした。
先生は座ってすぐ、机の上の鉛筆を全部、芯の向きをそろえて置き直しました。
「こうすると、取りやすいだろう」
それだけ言って、また黙りました。
私は風邪の引きはじめで、朝から喉がいがらっぽい。
番号を読み上げるたびに、咳が出ました。
三度目に咳をしたとき、先生がこちらを向きました。
声は低くて、よく通りました。
叱られたのかと思って、手が止まりました。
「手を出しなさい」
手を出しなさい
言われるまま、不思議に思いながら手を出しました。
先生はカーディガンのポケットから、小さな缶を取り出しました。
のど飴の缶です。
赤と黒の、古い意匠のものでした。
南天のど飴、と書いてありました。
先生は缶を三度振りました。
かしゃ、かしゃ、かしゃ。
それから蓋を少しだけずらして、私の手のひらに一粒だけ落としました。
「食べなさい」
優しく笑って、缶をポケットに戻します。
「一粒だけですか」
「一度にたくさん口に入れたら、味がわからなくなる」
その日は何度も咳をしました。
そのたびに「手を出しなさい」と言われました。
四度目のとき、先生は私の手を見て、少し眉を寄せました。
「指を閉じなさい。隙間があると、落ちるから」
私は慌てて指をそろえました。
先生はうなずいて、また缶を三度振りました。
落ちてくるのは、いつも一粒です。
缶の中には、まだたくさん入っている音がしていました。
列が動き出すと、先生は口を閉じます。
出品票を受け取るとき、名前の欄を必ず指でなぞりました。
書き慣れていない字ほど、長く見ていました。
高校生が持ってきた票の字を見て、一度だけ笑いました。
「いい字だ」
言われた子は、意味がわからないという顔をしていました。
私も、そのときはわかりませんでした。
漬物屋のおじさんが油絵を持ってきたのは、昼前でした。
キャンバスの角が欠けていて、新聞紙でくるんでありました。
「今年で十二回目やわ。一回も通っとらん」
そう言って、自分で笑いました。
先生は預かり証を渡すとき、こう言いました。
「十二年、描いとるんですね」
おじさんは一瞬、返事をしませんでした。
「……まあ、そうなるわね」
帰り際、玄関でもう一度こちらを振り返って、頭を下げていきました。
私はそのとき初めて、審査員が受付に座る理由がわかった気がしました。
搬入は夕方まで続きました。
百点を超える作品が集まります。
絵の人もいれば、書の人もいて、彫刻はいちばん少ない。
先生は、一人ひとりが台車を押して入ってくるのを、座ったまま見ていました。
立ち上がって手伝おうとして、途中でやめたことが二度ありました。
そのときは、腰が悪いのだろうと思っていました。
一度だけ、先生の手が震えたのを見ました。
湯呑みを持ち上げるときです。
表面の茶が、細かく揺れていました。
私は見ていないふりをして、預かり証に番号を書きました。
その日、書き損じを三枚出しました。
夕方、彫刻の搬入が二点だけありました。
一点は石膏、一点は木彫です。
台車から下ろすとき、先生は「そこ、持って」と私に言いました。
布越しに触れた石膏は、思っていたより冷たくて、重い。
「彫刻は、重さも作品のうちですか」
「重さは作品じゃない」
先生は布をかけ直しました。
「でも、重いものを持てる人は、そう多くない」
その意味も、あとになってから考えるようになりました。
木彫のほうは、材の端に虫食いの穴が残っていました。
作った方が「隠せんかった」と恥ずかしそうに言いました。
先生は穴を指でなぞって、うなずきました。
「木が生きとった証拠でしょう」
作った方の顔が、そこで少しだけ変わりました。
私は台車を押しながら、その顔を覚えておこうと思いました。
公募展の搬入日
昼過ぎ、列が一度だけ途切れました。
先生はお茶を一口飲んで、窓のほうを見ました。
公募展の搬入日は、いつも空が高い。
「あんたは、絵は描くのかい」
「描きません。見るのは好きです」
「それでいい」
先生はそう言って、湯呑みを机に置きました。
私はまた咳をしました。
「手を出しなさい」
かしゃ、かしゃ、かしゃ。
一粒。
「大事にしなさい。人間は、思うより簡単にいなくなるからね」
声は、それまでと同じ調子でした。
だから私は、なんの気なしに笑って返しました。
「やだー、先生。そんなに簡単にいなくなりませんよー」
先生も笑いました。
「そうだなぁ」
少し間がありました。
「そうだなぁ」
二度、そう言いました。
搬入が終わったあと、先生は会場を一周しました。
審査は翌日なのに、その日のうちに全部の作品の前に立つのです。
私は施錠のために付いて回りました。
選ばれそうな作品の前だけでなく、どう見ても選ばれない作品の前にも、同じだけ立ちます。
子どもの粘土細工のような彫刻の前で、いちばん長く立っていました。
「なんにも上手じゃないでしょう」
私は正直にそう言いました。
先生は怒りませんでした。
「これは、どこがいいんですか」
「作った人が、手を止めなかったところ」
先生は台座の高さまでしゃがんで、下から見上げました。
そのとき、膝に手をついて、少し息を吐きました。
「先生、大丈夫ですか」
「大丈夫」
立ち上がるまでに、少し時間がかかりました。
帰り際、玄関で先生は振り返りました。
「来年も、ここにいるかい」
「たぶん、いると思います」
「そうか」
先生は片手を軽く上げて、坂を下りていきました。
背中が小さくなるまで見ていたのは、なぜだったのか、いまもわかりません。
あの「来年も」を、私は自分のことを聞かれたのだと思っていました。
翌日の審査には、私は記録係として立ち会いました。
審査員が順に番号を読み上げ、私が用紙に丸を書いていく仕事です。
先生は、ほとんど発言しませんでした。
一点だけ、強く推しました。
前の日に、いちばん長く立っていた作品です。
「これは残したい」
別の審査員が「技術的には」と言いかけると、先生は短く遮りました。
「技術の話はしていません」
結局その作品は、末席に残りました。
賞には届きませんでしたが、会場には並びました。
会期中、作った方が家族と写真を撮っているのを見ました。
小学生くらいの子どもが二人、台座の横に立っていました。
撮っていたのは奥さんです。
何度も撮り直していました。
私は監視の椅子から、そのやりとりを見ていました。
恩師という言葉の意味を、そのころの私はまだ知りませんでした(恩師の愛情)。
新聞の小さな訃報
公募展が終わって、私のシフトは常設展の監視に戻りました。
先生に会うことは、それきりありませんでした。
半年後の春。
実家で新聞をめくっていて、小さな囲みに目が止まりました。
訃報欄でした。
先生の名前と、享年と、肩書きが三行だけ。
写真もありませんでした。
私は新聞を持ったまま、台所に立っている母に何も言えませんでした。
知り合い、と呼べるほどの間柄ではありません。
一日だけ隣に座った人です。
それなのに、朝ごはんが喉を通りませんでした。
その日は一日、鞄の内ポケットを何度も触っていました。
缶は、そこに入れたままになっていました。
秋にもらった一粒は、とっくに舐めてしまっています。
缶だけが残っていました。
中に何を入れるか、しばらく決められませんでした。
空のまま持ち歩いていると、振っても音がしません。
その無音が、思いのほか応えました。
結局、同じ銘柄の袋入りを買って、詰め替えました。
振ると、あの音がしました。
かしゃ、かしゃ、かしゃ。
数日後、美術館のバイトに入ったとき、休憩室でその話になりました。
学芸員の方が、湯呑みを手に持ったまま言いました。
「あの先生、去年の秋にはもう、わかっとったらしいよ」
「わかっていた、というのは」
「告知を受けとったの。夏の終わりに」
「……秋の、公募展のときには」
「もう長くないって、ご自分で知っとったと思う」
学芸員の方は、それから少しだけ先生の話をしてくれました。
市の外れに、元は精米所だったという工房を持っていたこと。
冬でも戸を開けて仕事をしていたこと。
猫が二匹いて、石膏の粉で足跡がつくのを笑っていたこと。
「公募展の審査員はね、正直、面倒がる人も多いんよ」
「そうなんですか」
「あの先生は、一度も断らんかった。受付に座るのも、自分から言うてね」
私は湯呑みを持ったまま、しばらく動けませんでした。
私はその場では何も言えませんでした。
更衣室に戻ってから、あの日の声を思い出しました。
人間は、思うより簡単にいなくなるからね。
やだー、先生。そんなに簡単にいなくなりませんよー。
そうだなぁ。
そうだなぁ。
あの二度目の「そうだなぁ」が、耳の奥で止まりませんでした。
一度目は、私の言葉に合わせたのだと思います。
二度目は、違ったのでしょう。
自分に言ったのだと思います。
あのとき私は、笑うしかない言い方をしてしまいました。
もっと違う返し方があったのではないか。
何年か、そればかり考えていました。
いまは、少しだけ考え方が変わりました。
先生は、笑ってもらうためにあの言い方をしたのだと思うのです。
重くならない声で言えば、相手は笑う。
笑ってくれたら、それでよかったのではないでしょうか。
先生は、私の言葉を否定しませんでした。
否定しないという形で、笑ってくれたのだと思います。
恩師という言葉を、私はそれまで自分には縁のないものだと思っていました(今は亡き僕の先生)。
巡回展の前の日
その半年後、美術館である美術展の地方巡回展が開かれることになりました。
私は売店のアルバイトに入りました。
図録と絵はがきと、缶入りのクッキーを並べる仕事です。
開会日の前日、搬入と設営が全部終わったあとに、時間が空きました。
責任者の方が言いました。
「作品、見てきていいよ。今日しか静かに見られんから」
会場は照明だけが点いて、人がいませんでした。
空調の音と、自分の靴音しかしません。
展示室を順に歩きました。
有名な画家の名前が並ぶ企画展でした。
図録の校正刷りで名前だけは覚えていました。
実物は、思っていたより小さいものが多い。
近づいて、離れて、また近づく。
人がいないと、そういう見方ができます。
壁の札を一枚ずつ読みながら、奥へ進みました。
売店の仕事は、朝の品出しと会計です。
図録は重いので、台車で運びます。
絵はがきは一枚百二十円で、いちばんよく出るのは表紙の絵でした。
缶入りのクッキーは、最終日まで半分しか売れませんでした。
値札を書きながら、私はあの秋のことを何度か思い出していました。
思い出す、というより、ふと浮かぶのです。
かしゃ、かしゃ、かしゃ、という音が。
絵の部屋を抜けて、彫刻の部屋に入りました。
台座が等間隔に並んで、白い壁に影が落ちています。
その奥に、女の子の像がありました。
等身大より少し小さい、ブロンズの少女です。
とても優しく笑っていました。
胸のあたりの高さに、黒いリボンが結んでありました。
喪章でした。
題名の札を読みました。
審査員出品作。
先生の名前がありました。
最後の作品だ、と、その字を見た瞬間にわかりました。
私はその場から動けませんでした。
審査員は毎回、自分の作品を一点出すことになっています。
先生はその秋、出していなかったはずです。
公募展の会場に、彫刻の審査員出品作はありませんでした。
私はそれを、受付の名簿で知っていました。
出せなかったのではなく、この巡回展のために取っておいたのだと、あとで聞きました。
のど飴の缶の音
少女は、片方の手だけを前に出していました。
肘を軽く曲げて、手のひらを上に向けています。
差し出す形ではありません。
受け取る形でした。
手のひらの真ん中が、わずかに窪んでいます。
そこだけ、磨きの入り方が違っていました。
私は近づいて、屈んで、その手を下から見ました。
少女の手は、指のあいだに隙間が一つもなかったのです。
かしゃ、かしゃ、かしゃ。
缶を振る音が、耳の奥で鳴りました。
指を閉じなさい。
隙間があると、落ちるから。
先生はあの秋、受付の机で、何十回も私の手を見ていたことになります。
咳をするたびに、手のひらが目の前に出てくる。
そのたびに、先生は一粒を落としていました。
私は展示室を出て、トイレに駆け込みました。
個室の鍵を閉めて、声が出ないように口を押さえました。
出てくるまで、ずいぶんかかりました。
売店に戻ると、責任者の方が「顔、赤いよ」とだけ言って、それ以上は聞きませんでした。
その巡回展のあいだ、私は毎日、開館前に彫刻の部屋へ行きました。
手のひらの窪みは、朝の光だと少し深く見えます。
会期が始まると、お客さんはたいてい顔を見て通り過ぎます。
笑っている顔が目を引くからです。
手に気づく人は、少なかった。
一度だけ、年配の女性がしゃがんで、下から手を見ていました。
私は声をかけませんでした。
最終日、搬出の前にもう一度だけ行きました。
黒いリボンは、まだ結ばれたままでした。
今も鞄には、あののど飴の缶が入っています。
中身を詰め替えるとき、私は必ず三度振ります。
誰かが咳をしたら、渡せるようにです。
いまは事務の仕事をしています。
美術とは関係のない会社です。
それでも、席の隣で誰かが咳をすると、手が勝手に鞄へ伸びます。
渡すとき、必ず言ってしまいます。
「手、出して」
言ってから、自分でおかしくなります。
先生の声とは、似ても似つかない声です。
それでも、指を閉じていない人には、こう言います。
指を閉じて。
隙間があると、落ちるから。
一度にたくさんは、渡しません。