父の古時計に残された、最後の音

祈り

父の部屋に入ったのは、葬儀から三日後のことだった。

窓際に置かれた古時計が、狂いもなく時を刻んでいた。

私はそれをしばらく眺めてから、引き出しを開けた。

父はピアノに関して、一言も褒めたことがなかった。

私が調律師になると告げた日も、「そんな仕事で食えるのか」と背中を向けた。

以来、ほとんど連絡を取らなかった。

港町のこの家に戻るのも、十二年ぶりだった。

引き出しの奥に、小さなICレコーダーが入っていた。

見覚えがない。

ラベルに、几帳面な父の字で「聴いてほしい」とだけ書いてあった。

再生ボタンを押すと、最初に流れてきたのはピアノの音だった。

私が幼いころ弾いていた、シューマンの小品。

音は古く、録音状態も悪い。

けれど確かに、それは私の音だった。

「お前が初めてこの曲を弾いた日だ」

父の声がした。

「俺はその日、こっそり録っておいた。何十年も聴いた。仕事でくたびれた夜も、これを聴くと眠れた」

私は床に座り込んだ。

窓の外で、港の汽笛が遠く鳴った。

「調律師になりたいと言ったとき、反対したのはお前が心配だったからじゃない。うれしくて、どんな顔をすればいいかわからなかったからだ。俺はずっと、音楽が好きだったから」

知らなかった。

父が音楽を好きだったなど、一度も聞いたことがなかった。

「この時計はな、お前が生まれた日に買ったんだ。音がいいだろう。時を刻む音が、ピアノの倍音に似てると思って」

古時計の針が、静かに動いていた。

私はそれをずっと、ただの古道具だと思っていた。

録音の最後、父は少し咳をしてから言った。

「一度、お前の仕事を見に行きたかった。音を整える仕事というのは、きっといい仕事だ。俺には、わからなかったことが多すぎた」

そこで音声は途切れた。

私はレコーダーを胸に抱いて、長いこと泣いた。

声を出さずに泣いた。

港の夕陽が、部屋の壁をゆっくりと染めていった。

翌朝、私は古時計を分解した。

調律師の手で、丁寧に油を差し、埃を拭い、螺子を締め直した。

音を整えるのは、ピアノだけじゃない。

父が選んだこの時計の音を、私が引き継ぐ。

時計はまた、静かに時を刻み始めた。

父の声に似た、低くて温かい音で。

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